その頃の日本陸軍
戦時、大日本帝国の最後の砦となる、日本陸軍。
その日本陸軍の未来を支える、陸軍技術本部第四研究所の研究員達は。
「どうしたものか……」
揃って頭を抱えていた。
と言うのも。第四研究所では、ビッカースC型中戦車を元に軽戦車を開発し、その設計も試作車も出来ていたのだが。
「あいつらあたまおかしい」
信州研究所、厳密にはそこの所長の長野梅子の設計したとある兵器のせいで、戦車開発自体が行き詰まる羽目になっていたのだ。
「二百ミリの装甲が抜かれました……」
研究員のひとりの報告に、第四研究所の面々は沈黙する。
「……どうして迫撃砲からこんな兵器を思い付くんだ」
長野梅子が設計した『イ式対戦車砲』。この、男のイチモツとしか思えない形の兵器のせいで、第四研究所の研究は進まなくなってしまい、陸軍も苦笑しつつもそれを許していた。
この『イ式対戦車砲』。史実の二十一世紀の軍事に詳しい方々が見れば、こう叫ぶであろう。
「パンツァーファウストだこれ!」
原理としては、モンロー・ノイマン効果により装甲を貫く、成形炸薬弾を用いた兵器なのだが。この時代の日本において最先端の装甲である、浸炭装甲の一種のニセコ鋼板、どころか史実の第二次世界大戦において主役だった第二世代主力戦車の装甲に使われた均質圧延鋼装甲や冷戦期の空挺戦車に使われたアルミニウム合金装甲すら易々と貫く兵器が、パンツァーファウストである。
戦車の装甲が複合装甲となった二十一世紀ですら、軍用トラックやトーチカ、バリケードにヘリコプターの撃破に、このパンツァーファウストが元となった兵器が使われる程で。
そんな名兵器をこんな時代に長野が開発したのは、一応思惑があってのことだ。
「戦車だけで突撃とか、馬鹿なことはさせない!」
「ソ連戦車をブリキ缶にしてやる!」
……そんな思惑で歴史が変化し過ぎるような劇薬をぶち込んだ長野は、間違いなく馬鹿だろう。
念の為に長野を擁護しておくと。
彼女は、確かに未来の知識を山ほど持っていた。持っていたが、軍事に関してはほぼ素人からニワカレベルの知識しか無い。
そんな彼女が、軍のドクトリンが、どのように運用され、どのような技術の影響を受け、どのように変化していったのか。知る筈が無かったのだ。
なら何故、パンツァーファウスト擬きを作ったのかというと。この兵器、この時代の町工場でも作れる簡単さと、下手に機関銃を作るよりも安いという値段。それに本体である筒の部分は工場まで持ち帰れば繰り返し使えるというとても経済的な兵器だからである。事実、二十一世紀の金欠テロ組織で、簡略版パンツァーファウストを使わないものはいなかった程だ。これが金満テロ組織になると、本格的なものにバージョンアップしたりもしていた。
ちなみに、そんな素敵兵器であるパンツァーファウストは、長野の手により、イ式対戦車砲になる過程で当然の如く魔改造を受けており。史実のパンツァーファウストよりも作りやすく。三発までは本体である筒を調整せずに次の弾頭をセット出来るようになっていた。
「どうしますか?」
研究員のひとりが、途方に暮れた様子で言う。
「……これは、戦車の運用思想自体を変えんと、どうしようもないな」
戦車開発班の班長は、頭をガシガシと書き、部屋の壁に貼り付けられた黒板の、無意味になった計算式を雑に消して、条件を書き出していく。
「とりあえず、技術的な方針を決めるぞ? まず、『機動性能の高いこと』。でなけりゃ、『イ式』の餌食だ」
うんうんと研究員達は頷いたが、彼らはとんでもない勘違いをしている。
確かに、イ式対戦車砲は簡単に作ることが出来る。尋常小学校を出たばかりの子供ですら、組み立てられるレベルだ。そのせいで、研究員達はソビエト、どころか中国国民政府でも『すぐに同様の兵器の生産を始めるだろう』と考えたが。
見た目からは何をする兵器なのか良く分からず。演習では砂山か即席のトーチカ相手にしか使いようが無いイ式対戦車砲の類似兵器を作ろうとする国は、この世界のこの時代からしばらくは存在しなかった。イギリスの諜報部が「日本が対トーチカ用の新兵器を開発した」とイギリス本国に連絡し、外見だけ真似た兵器を試作して結果をあざ笑った程度である。
「次に『相手にするのは、トーチカか戦車である』。歩兵支援になんぞ使っていたら、『イ式』どころか戦車砲とか手榴弾の的だな」
この指摘は正しい。正しいが、『イ式』は他の国では生産されていない。その点だけは間違っていた。
「他に、『正面装甲は距離百五十メートルで対戦車砲に抜かれない程度は欲しい』。でなきゃトーチカも戦車も相手に出来ねえし『イ式』で足りる」
これは、当たり前の条件である。だが、史実の日本陸軍はあまり重視していなかった要素だ。
「最後に、『歩兵と共同運用すること』。でなきゃ『イ式』や手榴弾にやられる」
この条件は、史実ではノモンハン事件にて得られる筈の戦訓だった。だが、この世界では、『イ式』の登場により、戦う前に得られてしまった。
「『高機動』『敵はトーチカに戦車』『正面装甲はぶ厚く』『歩兵と共同運用』。全く別物になりますね」
史実のこの時代の日本陸軍は、戦車を『歩兵支援兵器』程度にしか考えていなかった。また、工業力もこの世界の日本より遙かに貧弱だった。そのため、『ブリキ缶』と揶揄されるような戦車しか作らなかったが。
「『ブルドーザー』に『ショベルカー』。『トラクター』で技術の蓄積は出来ていますので、エンジンについては心配が無いですね」
『農林業発展計画』で大活躍中のブルドーザーにトラクター。それと、専用のゴムパッキンが作れたことにより、生産の始まったショベルカー。これらが(日本にしては)大量に生産、運用されているため、技術的な蓄積が、この世界の日本にはあった。
「『最新の工業機械』に『能力者』のお陰で、サスペンションや武装なんかに心配はありませんね」
バガス紙等の稼ぎにより新しい工業機械が増え、おもに部品の検査部門に『能力者』が就職し始めたことで、工業製品の品質が、この世界の日本では向上していた。
「装甲は、海軍や信州研究所第四研究室から、幾つか試作品を貰いましょうか」
史実ではいがみ合っていた海軍と陸軍は協力しており、おまけに信州研究所という史実には存在しなかった研究機関があるお陰で、合金技術は史実の日本以上のものとなっていた。
「では、早速設計してみるか!」
班長の言葉に計算を始める研究員達。
彼らは。この世界の日本が、史実のものからかけ離れたものになっていることを。それを引き起こした人間が、中東で日本の外務省の人員から怒られていることを。
当然、知りはしなかった。
ニセコ鋼板って、元々海軍が軍艦用に開発させた装甲用の金属なんですよね。
そんな軍機の塊、融通しあえるなら、何で史実の日本軍はいがみ合っていたのでしょうね?
パンツァーファウストの形が悪くて世界に広がらなかった、というのは、発明品あるあるです。外見で損をして広まらなかったものは沢山あります。
塩害で塩吹いた土地を直す機械とかあるけど、「見栄えが地味」で売れなかった、と、それを発明した人が嘆いていたのを見たので、持ってきたかったネタではあります。
…その装置については、一度に塩分を除去出来る範囲が狭いことも原因なのでしょうが。