ドバイにて 喧嘩を売る
《千九百二十九年四月二十日 トルーシャル・オマーン ドバイ》
案の定、と言うべきか。何というか。
シャムを出て、イギリス領インド帝国はカルカッタのハルディア港まで向かう商船の上で、私は、お腹を壊した。シャムで木酢液薬品の虫下しが作られていなかったら。シンガポールでそれを受け取れなければ。同行していたイギリスの植民地省の人達と共に死ぬところだった。下痢になった時に神様に祈りたくなる現象、って何なんだろうね?
それが治ったと思ったら、インド洋の暑さにやられて熱中症になり。海水と砂糖で経口補水液を作って、何とか凌いだ。
ハルディア港からドバイまではイギリス海軍の練習艦カロラインに揺られてきたのだけれど。「貧弱だなあ」と心配してくれた水兵達は本当ありがたかった。彼らがいなければ、経口補水液を作れなかっただろう。海水を汲むという意味で。
そうしてやって来たドバイで。中東諸国のユーグレナ培養施設を見て回る合間合間の休憩に。中東諸国の外交官達から、直々に中東の歴史と現状を教えて貰い、私は頭を抱えることとなった。
というのも。この時代、所謂中東に存在する国のうち、ペルシャ帝国、ナジュド・ヒジャーズ王国、オマーン帝国、イエメン王国はどこもイギリスの経済的植民地なのだ。トルコ共和国がかろうじて独立している感じで。早い話、中東地域はイギリスの庭な訳だ。
イラク地域なんてイギリス委任統治領メソポタミアという立派な(?)植民地だ。ついでにシリア周辺はフランス委任統治領シリアに大レバノン国というフランスの傀儡国で、フランス勢力と現地人で争いが。パレスチナの辺りはイギリス委任統治領パレスチナでユダヤ人が流入中でトラブルが多発しているそうで、ヨルダンの辺りのトランスヨルダン王国って名前だけれど実質イギリス領なところにアラブ人難民が移動中。
ついでに言っておくと、ナジュド・ヒジャーズ王国も最近まで紛争していたし。ペルシャ王国はソビエトやらアフガニスタンと小競り合いをしたりしなかったり。
この時代には既に、中東は紛争地帯な訳だけれど。話を聞いた結果、どこの国の外交官達も口を揃えて「イギリスが悪い」と言うので。まあ、そうなのだろう。
普通にユーグレナ関係の技術を買ってくれていたから、ちゃんと安定して独立している国だと勘違いしていたのだけれど。日本の外交官の話も聞いた結果、ここ一年程で急激に中東は安定化しているようで。
その原因は、何と!
私達、信州研究所!
……信じられないのだけれど、事実だから仕方ない。
正確には、信州研究所の開発したユーグレナ関係の技術と、ポリエチレンから始まったプラスチック関連の技術である。
ユーグレナ・フルータスとパニシエのお陰で石油から食料が作れるようになり。プラスチックの登場で石油市場は拡大中。そのお陰で仕事が増えたり、売れなかった石油の成分が売れるようになって稼ぎが増えたりと中東諸国は喜んでいるそうな。
一方で。ユーグレナ・オイリーから作られる、石油製品の一種である、ディーゼル。原油から得るより安価な培養ディーゼルの登場は、産油国であり、まだまだ石油の輸出に依存した経済な中東諸国からすると、背筋の凍る話だったようで。
これらの、中東諸国にとって、良い面と悪い面。両方の発明を短期間で立て続けに発表してきた信州研究所に、中東諸国はこう思った。
「手綱を付けないと、何が起こるか想像出来ない」
そして、実質的な宗主国を動かすために、足並みを揃えてイギリスに泣きつき。数々の研究で遅れを取り、研究者の心を折りに折っている信州研究所をどうにかしたかったイギリスはそれに乗ることにしたのだ。
結果、これから結ばれる、とある国家間の協定に、信州研究所はオブザーバーという形で加入することになったのだ。
日本の外務省は、それを避けようと頑張っていたのだけれど。私達としては、そちらの方がイギリスの警戒を解けて都合が良いため。外務省にお願いして、日本に利益が出て、信州研究所の被害の少ない条件で、信州研究所が協定に加入出来るようにして貰った。
「神の加護のあらんことを!」
この協定を纏めていた、イギリスの外務大臣の演説が終わった。内容?『石油利権というパイを分け合おう』ってところ。最後の言葉なんて、協定参加国のベネズエラ、コロンビア、ルーマニアとオブザーバーのイタリア以外、すんごい苦い顔をしていた。その四カ国だって仏頂面で。
そりゃあ、イギリスに都合の良いようにパイを分けますよ、なんて言われて納得は出来ないよね。ましてや、イスラム教徒が多い場なのに、敵対しているキリスト教の言い回しとか。暴動が起きても文句は言えないんじゃないかな?
(いや?)
逆にそれを狙っているのかな?
(ま、いいや)
私は私の仕事をする。イギリスからは『協定に参加する技術的な利点を演説してくれ』としか言われていないし。それ以外は、私なりの仕事の仕方をすれば良い。
隙を見せれば、鼠だって獅子をかみ殺すことを知らしめないと、私達はこの先ずっとイギリスの言いなりだ。それを避けるのが、今回の私の仕事だ。
壇上に上がり、メモを講壇に置いて、私は話し始める。
「この『石油安定供給協定』に参加された皆さん!」
「貴方方は、賢い選択をされました!」
「と言うのも、石油は将来採れなくなるからです!」
会場がどよめく。
私はそれに満足しつつ、話を続ける。
「何の技術の進歩も!」
「新たな油田の開発も!」
「なされなければ、あと五十年で石油は枯渇するでしょう!」
「ですが! この協定に参加された皆さんは」
「新たな掘削技術や!」
「新規の油田開発!」
「効率の良い精製技術!」
「それらの援助を! 我々オブザーバーから受けることが可能です!」
何やらイギリス外務大臣が慌てているが、これは協定に明文化されたことだ。何を慌てるのやら。
「それと同時に!」
「我々オブザーバーは、貴方方が石油に頼らずとも経済が成り立つよう!」
「様々な研究を行い、それを皆さんに還元していきます!」
これも、協定に明文化されていることだ。
何があったのかイギリス外務大臣が秘書と護衛に取り押さえられているけれど、どうしたんだろう? ヒステリーでも起こした?
「現に!」
「英埃領エジプトやイタリア領のソマリランド、エリトリア、リビア、及びここに代表の来ていないエチオピアでは」
「そのための研究のうち、幾つかの実証試験が行われています!」
イギリス外務大臣が泡噴いて倒れた。病気かな? コワイナー。
「この協定の根幹は!」
「石油を安定的に世界に供給することだけでなく!」
「皆さんに経済的に自立して貰うことです!」
そういう風に解釈も出来るんだよね、ということを、いかにも事実です、といった風に言う。イギリスはどうか知らないけど、信州研究所と日本、イタリアはそのつもりなんだよね。
会場の皆が驚き、中には立ち上がる人もいる。感涙している人もいる。
「長い道のりでしょう!」
「苦しい道のりでしょう!」
「ですがどうか!」
「次の世代への『種』を!」
「ここにいる皆で! 植えて行こうではありませんか!」
「……ムスリムの祈りには、次の言葉があります」
「『ハイヤー・アラルファラー』」
「意味は、『いざや救済のため来たれ』」
「解釈は間違っているかもしれませんが」
「祈るために集まることが出来るのなら」
「祈りを現実のものにするために、努力出来ない訳が無い!」
「手を取り合えない訳が無い!」
「私達皆の力で!」
「地上に楽園を築きましょう!」
「以上。ご静聴ありがとうございました」
それっぽい言葉で演説を終えると、万雷の拍手が、会場を包んだ。
史実のイギリスの三枚舌外交とか、凄いんですが。たまに脇が甘くて漬け込まれているんですよね。
有名な(?)例としては、サウジアラビアの成立過程とか。
調べたんですけれど、本当イギリスの脇甘々なんですよね。そこに漬け込んだサウード家も凄いんですが。