その頃の信州研究所
「『マニラ麻紙の高品質化、及び生産過程での経費削減』ねえ」
「所長仕事取ってきた」
「流石ですね」
「頑張ってるみたいだな」
「『宿題』山積みなんですが……」
信州研究所の室長達は、会議室に集まり、外務省が持ってきた、所長の長野梅子からの分厚い封筒の中身を広げて、わいのわいのと騒いでいた。
「で、これってどれ位で出来そうなんだ?」
第一研究室室長の剛田四郎が、第四研究室室長の上野薫に尋ねる。バガス紙から始まった製紙技術の改良は、第四研究室が主体となって、少し第二研究室が手伝う形で進められているのだ。
「経費削減の方は、バナナ紙の技術を流用したらいけそうね」
マニラ麻という植物は、『麻』とは言われているが、むしろバナナに近い植物である。ならば、何故『麻』と呼ばれているのかといえば、使い道が麻と似て、ロープや織物、紙等に利用されるからである。
バナナと並んで、フィリピンの経済を支える重要な作物であるマニラ麻は、その丈夫さと質から、偽札対策も兼ねて日本銀行券の材料にもなっていた。
「これ、日本銀行からの融資も取って来れそうね。高品質化の方は……。桜、どう?」
上野は、第二研究室室長の木原桜に問う。金属再結晶化施設の研究を行っている第二研究室は、その研究の内容から、化学薬品の取り扱いに精通しているのだ。
「現物無いと何とも」
木原はそう首を振る。
「それもそうですね」
第五研究室室長の田淵正則は頷く。
「……皆さん、『宿題』以外の研究によく手を出せますね」
死にそうな顔で疑問を口にしたのは、第三研究室室長の伊藤颯太だ。
キョトンとした一同に、伊藤はため息をつく。
「所長がいない今。研究が停滞すれば、財閥は私達に失望するでしょう。そうなれば、将来予算を獲得するのが、厳しくなりますよ?」
その言葉に「煮詰まっているなあ」と他の四人は思いつつ、顔を見合わせて苦笑する。
「『宿題』は、『腕を鈍らせない程度に研究を遅らせろ』ってことだと、所長が言っていたのですが」
第五研究室室長の八伏五郎が言う。
「それは言葉の綾というものでは?」
伊藤が反論すると、四人は考え込み。それぞれに答えを出した。
「それは無い」
第二研究室に与えられた最大の宿題は『金属再結晶化施設を日本全国に。その後は中国国民政府、イギリス領マラヤ、オランダ領東インドへと広げる』というものなのだが。
金属再結晶化技術は、細菌と水溶液、触媒の組み合わせを鉱山毎のボタ石と廃水に適合させる必要がある。その組み合わせが膨大なため、研究には時間がかかるが、難易度自体はそんなに難しくない。そのため、第二研究室の研究員達は、研究の腕を落とさないよう、研究期間を絞ってやる程度に余裕があった。
「無いんじゃないかしら?」
第四研究室の難題となっている宿題は、『民間の合金技術、金属加工技術の向上』。これは、財閥や大学、軍と協力して行っていることから、予算と人員自体は豊富にあった。
だが、民間の工業機械の精度が問題となり、中々進まなくなっているので。今は、どういう訳か軍が払い卸しを始めた、高精度な工業機械の普及と取り扱いの習熟を待っている段階である。
「たぶん無いですね」
第五研究室の当面の宿題は『半導体原料となるシリコンの量産技術の確立』。これは中々の難題だったが。もうひとつ出されていた『真空管向けのガラスの強度の強化』が、魔法瓶や電球を作る企業と組んだところ、あっさり成功したため、第五研究室の研究員達には精神的な余裕があった。
「ねえな」
第一研究室の次の宿題は、『松精油の高品質化』。『柑橘テルペノイドの大量生産技術』は大詰めを迎え。『塗料用椿油の高品質化』は終わり。何なら派生して食用の椿油、大豆油、菜種油の高品質化、生産費用の削減もやってしまった。
次は『松根油』なる油の開発だが。実験用の松精油が中々集まらないため、その生産を高効率化する方へと研究は脱線している最中だった。
「皆さん、余裕ですね……」
第三研究室の宿題は、『現在稼働している、信州研究所の関わった新型発電機や発電所の稼働データ収集』。なのだが。『籾殻発電所』という超小型発電所が日本全国、どころか朝鮮半島や台湾、シャムにまで普及してしまったため、仕事量が恐ろしいことになっていた。
「……俺ら暇だから、手伝おうか?」
剛田が頭をかきながら伊藤に言うと、伊藤は「いえ」と言い淀んだ後、観念した様子で言った。
「……お願いします。ここのところ、出張続きで、私も、研究員達も倒れそうなんです」
「……もっと早く頼んで来いよ。真面目なのは良いがな」
剛田は伊藤の肩に手を置き、よく頑張った、とねぎらう。
「……すみません。所長に失望されたくなくて」
「「それは無い」」
伊藤以外の四人の心が一致した。
「所長、使えるのは猫でも使う人だからなあ」
剛田の言葉に、残る三人はウンウンと頷く。
「草木にも仕事出来るようにするのが所長」
木原の言葉に、伊藤は諦めたように苦笑した。
「そうでしたね。何で忘れていたんでしょう?」
「疲れ過ぎよ馬鹿」
上野の言葉に、一同は笑った。