番外編:陛下、動く
「面白い子だったね」
今上陛下の言葉に、侍従長である鈴木貫太郎は頷くことが出来なかった。
まず、出だしからして最悪である。部下の手綱も掴めないなど、若かろうが言語道断だ。
そして、自分が他人の人生を弄んだ自覚も無かった辺り、最悪だ。
「君はそう思わなかったみたいだね」
陛下の指摘に、鈴木は「はい」と頷く。
「それは当然だろうね。狂人を見て気分が良くなる筈が無い」
「……はい?」
鈴木は、陛下に言われた言葉を理解出来なかった。
「君が気付いていない、ということは、誰も気付いていないのかな?」
少なくとも、議会や軍、財閥の知人は、信州研究所の所長である長野梅子は天才だ、と言っていて。彼女が狂人だとは、鈴木は誰からも聞いたことが無かった。
「あくまで、ぼく個人の直感だけれど、彼女は狂人だよ」
「狂人、ですか」
陛下の人を見る目は確かだ。この国で一番かもしれない。その陛下が、彼女を狂人と言うということは。
「普通の人だと擬態していたのでしょうか?」
鈴木は、身震いがする思いだった。狂人が国を動かそうとしているなどと。動かせるなどと。そしてそれに、今まで誰も気付かなかったなどと。鈴木には、恐怖の感情しか浮かばなかった。
だが、陛下はその感情を曖昧にした。
「擬態、とは違うだろうね。憧れて、必死に真似しようとしている、というところか」
「憧れ、ですか?」
鈴木は、いまいち意味を理解出来なかった。
「あのね。『普通』というのは、尊いものだよ」
その言葉に鈴木は同意出来なかったが、やけに実感のこもったその言葉に、何も言えなくなった。
「彼女は、意識してるのか、していないのか。多分していないだろうけれど、自分が狂人だと理解しているのだろうね。だからこそ、普通に憧れているのだろうね」
「……普通に憧れているとしても、狂人は狂人では?」
「うん、そうだね」
陛下は鈴木の言葉を肯定する。
「だから、彼女の望みが叶うことは無いのだよ」
それは寂しいことだと、鈴木は思った。
長野梅子は、まだ十四歳になったばかりの女の子だ。仮に狂人だとしても、そんな子供の望みが、『普通になりたい』という、素朴な望みが叶うことが無い、と言うのは。
「救いの無い話ですね」
「うん、そうだね」
鈴木の言葉に、陛下は寂しそうに頷く。
「だからね? 彼女にそれを悟らせてはいけない。彼女に、彼女の望む『普通』が手に入ることが無いと、知られてはいけない。行動指針が無くなれば、彼女を制御出来なくなるからね」
「はっ」
「そして、もし知られれば。知られて、彼女が行動指針を変えるようであれば」
陛下は、『王』としての顔で言った。
「彼女を『処分』してください」
陛下らしくない、苛烈な言葉だと、鈴木は思った。陛下が無理をしていることも、意識して苛烈な言葉を使われたことも、鈴木は悟った。
「彼女の発想は、この国の、世界の為になります。ですが、理性を伴わない発明は、人々の害悪になる。ぼくは、国の長として、それを許すことは出来ない」
『作ってみたかったから』。その言葉を免罪符に、非人道的なものを発明した人の、なんと多いことか。鈴木は、歴史を振り返って思う。彼女がそうなるようであれば。
「その時は。必ずや、処分してみせましょう」
鈴木は深々と頭を下げる。
「君達には辛い役割をさせるね。だけれど、彼女の発想は世界を動かせるからね。それ程の発想が、それ程の発明が、理念を無くすのは、恐ろし過ぎる。だから頼むよ」
「はっ」
返事をした鈴木に、陛下は辛そうに頷いた。