信州演習2
「……褒めたかったのに、出て行かれてしまったなあ」
清掃部長と一号くんが艦橋を出て行くと、へ……タケヤマさんは寂しそうに言った。
(どうしよ……!?)
一号くんの行動は、不敬極まりないものだった。天皇陛下万歳! なこの時代でそんなことをされてしまった訳だから。
(終わった……)
『GAME OVER』とかいう文字列が頭をよぎる。私の努力は、全て無駄になってしまった。日本も、世界もお終いだ。
「所長!?」
気が付くと、秘書に支えられていた。記憶に空白がある。
「……どの位意識を失ってた?」
「ほんの数瞬です」
「そっか。ありがとう」
何とか私は自分の足で立ち、タケヤマさんに、腰を九十度折り、深々と頭を下げる。
「申し訳ありません!」
土下座すると逆に不敬になりそうだから頭を下げたのだけれど、本音としては土下座してしまいたかった。
私は所長なのだ。私の背には、沢山の人の生活がかかっているのだ。こうなってしまった以上、何としても、私の身ひとつで許して貰わないと。
震えそうになるのを必死で堪え、頭を下げ続けていると、心底困った声でタケヤマさんは言った。
「私を悪人にしないでくれるかな?」
「で、ですが……」
「本当に悪いと思うなら、頭を上げて、ぼくの表情を見てくれないか?」
おずおずと頭を上げると、タケヤマさんは困り果てて、どこか寂しそうな表情を浮かべていた。
「さっきの子にも言ったけれど、ぼく自身は偉くないのだよ。それなのに、必要以上に敬われると、ぼくはしんどい」
陛下! と嘆くような声があちらこちらから上がる。
「だから、本当にぼくのことを考えてくれるのなら、この場では、陛下の友人の『タケヤマ』として、扱ってくれ」
ゆっくりとタケヤマさんは艦橋を見回す。
「「はいっ!」」
不思議と、返事の声は揃っていた。
「うん。よろしい」
満足げに、タケヤマさんは頷く。
「ところで、**……、信州研究所の所長さん。何であの子は、あんなに早く照準の計算が出来たのかな? 理由は分かるかい?」
「……あくまで、推測ですが」
私はそう前置きした上で、タケヤマさんだけでなく、艦長達にも聞こえるよう言う。
「人間の意識や感情というものは、どうも脳が創り出しているのだ、ということが、近年分かってきています」
「頭の中に魂の揺り籠がある、と言うのは、良く聞く話だね」
「はい。ところで、彼は、普通の人と比べると、出来ないことが多くあります。それは、努力でどうにか出来る段階を越しているので、恐らく、彼の脳、もしくは霊魂そのものに、それが出来る機能自体が無い、もしくはほとんど無いのでしょう」
「とても分かりやすい仮説だね。それで?」
タケヤマさんは楽しそうに先を促す。
「ですが、彼の脳に、物理的な欠損は無いようです。試験中の超音波を使った機械では、そう出ました。では、その欠けた機能の分の脳は、何に使われているのでしょう?」
あ、と士官の中から声が上がった。
「つまり彼は、脳の使われ方が普通では無い訳だね?」
タケヤマさんは、確認するよう言った。
「その通りです」
私は頷く。
「それで、所長。君は、彼を海軍に紹介して、何をしたいのかな?」
その鋭い視線に、私は、何故こんなにもタケヤマさんが慕われるのか、慕いたくなるのか、何となく分かった気がした。
(この方なら、理解してくれるんじゃ……?)
そんな希望を抑えつけ、私は冷静に建前を口にする。
「簡潔に纏めると、障碍者への教育を行う機関の設立を、認めて貰いたかったのです」
「……続けて?」
「現在、障碍者は『生産性が悪い』『馬鹿だ阿呆だ』と言われ、まともに教育を受けられていません。この人手不足の昨今、そんなことをする余裕は無い筈なのに、です。そこで、彼のような、一種の『天才』を、特異な『能力』を持つ人を探す、というお題目で、障碍者へ教育を施す機関の設立を、私の私費で行う許可を国から貰いたく。その助力を、軍にして貰いたかったのです」
「なるほど」
タケヤマさんは大きく頷く。
「確か君は、人の顔と名前を覚えられないのだったね? ということは、そういった経験が?」
「……はい」
実際はもっと酷いものだったけれど。それは口にしたくない。
はあ、とタケヤマさんはため息をつき、諭すよう言った。
「何も、軍に頼まなくとも良かったじゃあないか」
「……ですが、私のやろうとすることは、今の社会を変えることです。軍程の組織の後援があれば、やりやすいかと思ったのですが」
「確かに、やりやすくなるね」
タケヤマさんの口調が、説教するようなものに変わる。
「だけれどね? 彼の能力を示したかったのなら、数学の難問を解かせるのでも良かった筈だよ? それをわざわざ軍の前で披露したら。軍は、彼を雇わざるを得ないじゃあないか」
確かに、そうだ。そして、次の言葉が、グサリと刺さった。
「君に、彼の人生を決める権限は、あるのかい?」
「……ありません」
そう言ったものの、私の内心は、私への嫌悪感で一杯だった。私は、私の都合で世界を、技術という武器で変えている。その権利は、果たしてあるのか?
「うん。分かったようでよろしい」
タケヤマさんは満足げに頷く。そして、いつかの室長達みたいな、大人が子供を導くような表情で、優しい表情で、言った。
「君はまだ若い。もっと、色々経験して。色々学びなさい」
「ありがとうございます」
深々と、心から頭を下げる。タケヤマさんに諭されていなければ、私はどこかで踏み間違えただろう。もしかしたら、もう踏み間違えているかもしれない。だけれど、それを知れた。
(凄い人だなあ)
尊敬の念に、自分のちっぽけさを感じる。所詮、私は人間なんだ。
「さて。障碍者教育だね? **艦長。確か、内閣は『飛び級制度』や『女子高等学校の設立』等を中心とした教育改革案を考えていたね?」
唐突なタケヤマさんの言葉に、私は混乱する。
「……噂ではそう聞いたことがあります」
艦長は言い辛そうに答える。
「本当は、ぼくが政治に介入するのは良くないのだけれど。所長の言う『障碍者用の教育機関の設立』は、実現出来るものかい?」
「資金さえあれば、出来るでしょう」
私は、タケヤマさんが何を言いたいのか、理解した。
「ということだそうだよ。所長、ここから先は、君の仕事だ」
「ありがとうございます!」
深々と私は頭を下げる。今日何度目かの礼だけれど、これが一番深いものな気がした。