ラジオ体操が始まった
《千九百二十八年十一月一日 信州研究所》
「体がポカポカするねえ」
「これは良いものだ!」
「私、運動不足かも……」
今日から、信州研究所の業務の始まり、朝礼の後に、国民保健体操、前世でいうところのラジオ体操をやることにした。今上天皇、史実でいうところの昭和天皇の即位を祝う事業の一環として開始されたこの体操。効果は、前世の、今よりも遙か未来の二十一世紀でも世界的に知られていた。
研究詰めであまり運動をしない所員が多いことが気になっていたこともあり。この体操を作っている文部省から試作段階の体操の資料を貰い、先月数回、試しにやってみたところ。所員や職員達の評判が大変良かったので、秘密裏にBGMのレコードを入手した。
そして、東京中央放送局で定期的な放送が始まる今日に合わせて、正式に業務に取り入れたのだ。
元陸軍な護衛達の手本を前に、イチ、ニイ、サン、と全員で揃ってやるのは、何だか楽しかった。
「さて、と」
執務室に戻り、私は仕事に取りかかる。
少なめの書類を一時間少しで片付け、とある依頼が出来るのか、検証に入る。
「『フライング・ドクター』ねえ……」
今年五月十五日にオーストラリアで始まった、フライング・ドクター。これを、医者の不足している南洋諸島で出来ないか、国は様々な機関や企業に頼んで、検証を始めたのだ。
「『川西航空機』と『日本赤十字社』は乗り気、『災害救助隊』は懇願してるのね」
そもそも、こんな話が出て来たのは。今年八月末に本格的に活動を始めた『災害救助艦隊』が、南洋諸島に出た途端、住民達から医療支援を要請され、その活動に忙殺されてまともに活動出来なくなったからだ。
そこで、国は医者の増員を図ると共に、オーストラリアで早速活躍しているフライング・ドクターに注目。これを日本で実行出来ないか。実行するにはどのような機材が必要か。検証を始めたのだ。
「こっちで協力出来るのは、使われる航空機の素材と手術器具の改良位? いや待てよ?」
確か、第一、第二、第四研究室が共同でこれに使えそうなものを、最近開発していた。
「『ポビドンヨード』。量産技術の確立にどれ位かかるかな?」
前世で、手術で患者に使う消毒液の定番だった、ポビドンヨード。赤茶色のうがい薬としても知られていたこれは、ヨウ素に過敏な人や甲状腺に異常のある人には使いにくいという欠点がある。けれど、十パーセントの濃度で用意しておけば、炎症の発生等を気にせずドバドバと使えるこの消毒液は、手術による感染症を防ぐには持ってこいだ。
「ゴム手袋と使い捨ての紙マスクの進展と併せて、後で室長達に聞くとして。航空機はなあ……」
第四と第五研究室、それと三菱と片倉財閥が共同研究していた、ガラス繊維の量産技術の確立に成功したため、アクリル樹脂と併せることで、繊維強化プラスチックが航空機に使えるようになっている。
だけれど、軍の方で繊維強化プラスチックを使った航空機を試作してみたところ、『整備、特にエンジン回りの掃除がとても面倒臭くなる』『防弾性能が悪すぎる。弾一発で大きなヒビが入るとか使えない』『超ジュラルミンより軽くて機体のバランスが取りにくい』という感じで、中々苦戦している。
「それに、繊維強化プラスチックって、下手すると三年位で割れるのよねえ……」
量産したくても、まだ使い道が無いために量産出来ない繊維強化プラスチックは、どうしても生産コストが余計にかかる。そんな高価な部品を、たった三年で捨てることになるのは。予算の問題もあるけれど、何よりも勿体ないだろう。せめて五年は保つものを作りたい。ってそんなに待てないか。
「……駄目で元々で、提案してみようか」
早く炭素繊維複合材作れるようになりたい。
それはそれとして。
「ジェットエンジンはいつになったら出来るかなあ……?」
信州研究所の全ての研究室が関わっている、ジェットエンジン開発。これは、高温に耐えられる金属の開発に躓いて全く進んでいない。レシプロエンジンの航空燃料の添加剤が幾つか改良されたり、火力発電所や水力発電所のタービンが改良されたりしたけれど、それだけだ。第四研究室が金属を開発するまで、今は研究を停止している。
「……あれ?」
とってもマズいことに気付いた。
「第四研究室、仕事多すぎ……?」
素材の開発に当たっている、第四研究室。そこの仕事量が多すぎる気がする。
「……プラスチックの開発、第一に回した方がいいかなあ?」
相談してみてからだけれど。やった方がいいかもしれない。
「でも、第一は第一で難題出してるからなあ……」
ワニスや塗料等の溶剤となるテレビン油、別名松精油を高品質化する触媒の開発。それと関係する、ミカンやオレンジ等柑橘類の皮からテルペノイドを抽出、高品質化する技術を任せている。これらの技術が進歩すると、もし仮にアメリカに禁輸されてもあまり困らなくなるので、頑張って欲しいところだ。
「……とりあえず、第四の皆にどんな感じか聞かないと、始まらないね」
そう思い、私は椅子から立ち上がった。