ナイルの恵みは誰のもの?2
「深く関わる、って、どういうことなの?」
第四研究室室長は、声に怒りを滲ませる。
「私達に、人殺しの手伝いをさせろと?」
「違うよ。救うんだよ、私達の手で」
大きく息を吐き、少しだけ冷静になった様子の彼女は「続けて?」と静かに言った。
「まず、そもそもエチオピアにダムが造られるのか、外務省に問い合わせる必要があるけれど。もし造られるなら、信州研究所として、出来る限りのバックアップをするの」
「……つまり、エジプトで水不足が起こらないようなダム造りにさせるのね?」
私は頷く。
「必要なら、私の私財も投入して、工事の計画に噛ませて貰う。そして、エチオピアからスーダン、エジプトにかけての農林業自体を見直すことで、水不足を解決する」
「ち、ちょっと!? 何でエジプトやスーダンが出てくるの!?」
第四研究室室長は理解出来ていないようだ。
「それは、エジプトやスーダンで行われている農林業そのものに、水資源的な観点から言っても欠陥があるからよ」
エジプトやスーダンで行われている農林業は、オアシスやナイル川の水を引いて、灌漑を行うのが当たり前なんだけれど。その灌漑には、改善出来る点が山ほどあった。
「例えば、用水路なんだけど、粘土と土で出来ているのがほとんどなの。これをコンクリートのものに変えるだけで、かなりの損失が省ける。ポリエチレン管なんかを使って、地下を通すのも有りかもね」
「確かに、日本の用水路も、『農林業発展計画』でコンクリート製のものに置き換わっていっているわね」
何やかんや言って、粘土は所詮粘土なので、水を結構通す。用水路が粘土ということは、農地に水を運ぶまでに、かなり水の損失がおこっている、ということなのだ。
「用水路をコンクリートに出来なくても、日陰になるようにナツメヤシなんかを植えてやるだけで、効果は出る。そういったことの積み重ねが、水の損失を減らしていくことになるの」
粘土の用水路の両脇にナツメヤシ等の樹木を植えると、用水路から漏れ出た水をナツメヤシが吸い上げるので、用水路周辺で発生する塩害も防げるし、木材や繊維、食料の供給源にもなる。この方が、用水路をコンクリートにするよりも、コストもかからないし、受け入れられやすいかもなあ、と内心思う。
「なるほどねえ」
第四研究室室長は納得した様子で頷いた。
「でも、ダムそのものからの損失はどう減らすのかしら?」
「そこは結構難しいんだけど。水草を浮かべる、って手があるよ」
第四研究室室長は、何をこいつは言っているんだ、という目で私を見た。
「水草、って、あの水草よね?」
「あの、田んぼとかに浮かんでる水草だね」
「……そんなのでダムから蒸発する水を減らせるの?」
「ちゃんと実験出来ないから何とも言えないんだけど」
そう前置きした上で説明する。
「水草が水面を埋め尽くすと、水中は日陰になるよね? すると、水温は上がりにくくなるの。そうすると、ダムからの蒸発量は減るのよね。でも、そもそも水草が蒸発散で水を放出する分があるから、そんなに蒸発量を減らすことは出来ないけどね」
「駄目じゃん」
第四研究室室長はばっさりと私の意見を切った。
「蒸発量を減らす、って意味では駄目なんだけど。これ、他の目的があってね」
「他の目的?」
「うん。ため池とかダムとかってさ、水が腐ってヒドい臭いがするでしょ? それが防げる」
流れの無い、又は穏やかな水は腐りやすい。暑いところだと、尚更だ。それを防げるということだけで、ダムに水草を放つ意義はある。
「それに、増えすぎた水草は肥料に出来るし、お金もかからないからやった方が良いと思うんだよね」
「なるほどね。それなら、やった方がいいわ」
第四研究室室長は同意してくれた。
「じゃあ、秘書……、は今内務省行ってるから、ちょっと外務省にアポ取っておくね。第四の室長は、この件を研究所の皆に伝えといて?」
「分かったわ。でも、秘書だけが内務省に行くなんて。珍しいこともあるのね?」
私の秘書は、私や信州研究所のサポートをすべくあちらこちらと調整をして回ることが多々ある。というか、それが彼の仕事の大部分だ。でも、省庁等に行くときは大抵私とセットで動いているので、秘書だけが内務省に出向くのは、結構珍しいことなのだ。
「あーそれはねえ……」
とある難題を思い出してげんなりする。
「省庁が女性の役人を募集したり、各企業が女性を本格的に雇おうとし始めているんだけど。女性の側の反応がもの凄く悪いんだって」
「……ペニシリンの件じゃないの?」
第四研究室室長は眉をひそめた。
「そっちは片付いたよ。非公式だけど、アメリカとイギリスから謝罪も来たし」
日本で臨床試験の始まっていたペニシリンに、イギリスの科学についてド素人の弁護士がケチを付けるべく裁判を起こしていたのだけれど。
どうやら、私達がペニシリン以外にも抗生物質を発見しているとは考えていなかったようで。論文を三本ばかし追加で出して新たな抗生物質の発見を報告したら、アメリカの研究者達が悲鳴を上げ。追撃に二本の論文を出したところで、イギリスの研究者達とそれを支援していた貴族も心が折れ、裁判は立ち消えとなった。
当然我が国は名誉毀損等で例の弁護士を訴え、少しの賠償金とアメリカ、イギリス向けの大量の謝罪広告を即座に勝ち取ることが出来た。
これで侮られることが無くなると良いのだけれど。