ナイルの恵みは誰のもの?
《千九百二十八年九月三十日 信州研究所》
「イタリアが?」
先日、内務省からもたらされた難題に頭を抱えていたところ、良く分からない情報を第四研究室室長が持ってきた。
「ええ、イタリアが」
本当、良く分からない情報だ。
「『信州研究所の開発したコンクリートを使いたい』ねえ……」
『農林業発展計画』により、コンクリートの需要は増大し。地味に私達の研究費を増やしているのが、コンクリート関連の技術だ。そのうちどこかの国も使うようになるだろうとは思っていたけれど。第一弾がイタリアというのは、予想外だ。アメリカあたりだと思っていたのに。
「改良型のブルドーザーのライセンス契約も結んだみたいだけれど、何をするつもりなのかしら?」
排土板を油圧で動かすようになった、改良型のブルドーザー。これも、初めて買ってくれた外国はイタリアとなった。
「ブルドーザー、ってことは、土木工事かな?」
でも、それが分からない。
「わざわざライセンス契約を結んだ、ってことは、継続的に、大量のブルドーザーを生産して使う予定が、イタリアにある、ってことだよね? イタリアって、そんな必要あったかなあ?」
イタリアのインフラは、古代ローマ時代から整えられ続けているため、そんなに大規模な土木工事をする必要が無い。南部では少しする必要はあるかもしれないけれど。それでも、軍事情報が絡むからと、高くなっているライセンス料を払ってまで、ブルドーザーを生産する意味がいまいち分からない。
「……もしかして、エチオピア?」
第四研究室室長には、何か思い当たったようだ。
「確か、イタリアとエチオピアって、最近友好条約結んだのよね? 新聞で読んだよ」
「ええ。その通りよ」
「でも、イタリアとエチオピアって、すんごく仲悪いよね?」
この世界でも、史実の第一次エチオピア戦争にあたる、エチオピア戦争は一八八九年から一八九六年にかけて行われており、それが尾を引いているのか、イタリアとエチオピアの仲は悪い。今年の六月に行った培養ディーゼル施設見学会の時のイタリア大使とエチオピア大使の様子を見ていたから、良く知っている。
「確かに、仲は悪いわね」
第四研究室室長は頷いた。
「でもね、例の友好条約によると、エリトリアからエチオピアを通って、ソマリランドに到達する鉄道を敷くのは決定してるのよ」
「……仲悪いのに、良くそんな条約結んだね」
鉄道というのは、この時代の物流の要だ。それを、イタリア領であるエリトリアからソマリランドまで敷くということは、エチオピアはイタリアの影響を、政治的にも経済的にも受けるようになるということだ。仲が悪いのに、それをエチオピアが許容する意味が、良く分からなかった。
「多分、裏があるわね」
第四研究室室長の言葉に、私は考える。
(イタリアはエチオピアに、どんな取引をした……?)
「ブルドーザー……コンクリート……」
これらが今、使われている現場は、どこだ? ブルドーザーは『農林業発展計画』関係の土木工事全般に使われている。コンクリートは、治水事業がいちば……。
「…………ダムだ」
分かった、かもしれない。
「思い当たるものがあったのね?」
第四研究室室長の言葉に、頷く。
「エチオピアには、資源があまりないと思われているけど、『水資源』は豊富にあるの」
そこまで言えば、第四研究室室長は理解した。
「つまり、ダムを造って、水力発電所を整備する、ということね? それを、イタリア資本で用意する、と」
「エチオピア戦争でエチオピアはイタリアに快勝したけど、現状維持しか出来なかった。水力発電所は、その賠償金代わりとして使える」
前世では、エチオピアがダムを建設したことで、エジプトやスーダンは水不足になり、紛争が起こった。だけれど、この世界では、まだエジプトもスーダンもイギリスの植民地に過ぎない。そして、イギリス人は植民地の人々を人間と思っていない節がある。
イタリアやエチオピアが、何らかの利益をイギリスに提供していたのなら、エチオピアにダムを建設しても、表向きは誰も文句を言わないのだ。
「不味いね」
「エジプトの辺りは乾燥地だから、ナイル川の水に頼っているのに。上流のエチオピアでダムが出来たら、水不足になるわ」
第四研究室室長は顔を青くする。
「餓死者が出るわ」
「それも、十万人単位で。もしかしたら、百万人単位になるかも」
私の予測に、第四研究室室長は頭を抱える。
「そんな計画に、私達の研究を関わらせろというの?」
彼女は絶望しているみたいだったけれど、私はそうは思わなかった。
「逆だよ、第四の室長」
「……え?」
「この際だから、深く関わってしまおう」