番外編 変わるイタリア
《1928年7月25日 イタリア王国 ローマ》
「手本を見せられているようだ」
自国の君主であり、政治の方向性は違えど活動を支持してくれている、ヴィットーリオ・エマヌエーレ三世の急な言葉に、ベニート・ムッソリーニは何のことを言われたのか理解出来なかった。
「何のことでしょうか?」
珍しく、急に呼び出されたと思ったら、単独で夕食に招待され、夕食会が終わったという状況から考えて、政治的な話なのは分かる。分かるが、それ以上は分からなかった。
「日本のことだよ」
「あの帝国主義者共ですか」
ムッソリーニは無愛想な顔をしかめる。
ムッソリーニ個人としては、社会主義こそが理想なのだが、それを国として実行出来ないことは、経験として知っていた。特にイタリアには、資源があまりないため、工業化に余計なコストがかかり、またマフィアの活動も盛んなため、先進国になるには、地下資源の豊富な領土と仕事が必要なことは十分承知していた。
帝国主義者、という言葉は、そんな自分達に対する皮肉でもある。あるが、日本という国の急な拡張は、見ていて気分の良いものでは無かったのも事実だ。
「その考えは古いかもしれないな」
国王の言葉に、ムッソリーニはスパイや外交官に調べさせた情報を言う。
「確かに、彼の国は中華への進出の手は緩めておりますが。それはシャムに矛先を変えただけでしょう。あの膨大な投資からして、東南アジアでの利権を狙っていることは明らかかと」
「表面上では正しい意見だ」
頷いた国王に、ムッソリーニは内心おやと疑問を持つ。国王は、そんなに政治に口を出す人では無いのだ。それが、今日は違う。
(何をさせたい?)
内心警戒しつつ、ムッソリーニは国王の話を聞く。
「確かに、日本はシャムに多額の投資をしている。だが、その投資を行った分野はどうだ? ゴム農園に、木炭火力発電所。そして、木酢液薬品。これらの投資の共通点はな、『一番儲かるのはシャム人だ』ということと『投資を確実に回収出来る』ことだ」
いまいち何を言いたいのか分からないな、とムッソリーニは警戒度を上げる。
「木炭火力発電所が建設されれば、シャムの工業化は進む。そして、その燃料となるのはゴムを採り終えたゴムノキだ。シャムは燃料を自給出来る訳だから、この工業化はコストがかからない。確実に投資を回収出来る訳だな」
少し分かったかもしれない。
「ゴム農園への投資は、その燃料を確実に確保出来るようにするため、ですか」
「それもあるだろうが」
国王は嬉しそうに、淡々と話す。
「単純にゴムの輸入先を確保したいのだろうな。日本では、重機用のゴムタイヤの開発に成功したようだから」
「しかしそれだけでゴム農園へ投資を行うでしょうか? シャムのゴム農園は、現在でも既に広大なものです」
「その疑問は正しい。だがな、投資されたゴム農園はな、禿げ山になりつつある場所なのだよ」
「林業政策への投資でもある、と?」
「そうだな」
国王は頷いた。
「山の斜面でゴムノキを育てるのなら、場所によっては収穫は難しいだろう。だがな、ゴムを採らずして育てたゴムノキの木材は家具向けの高級木材として使えるからな。枝打ちした分は発電所の燃料として用いるだろうし、中々長期的に考えられた投資が、ゴム農園だよ」
「では、最後の木酢液薬品は?」
「うむ。木酢液が炭焼きの副産物で出来るのは知っているな? 発電所を動かせる程の炭を用意するわけだから、その木酢液の量も膨大なものになる。さすれば、それから作られる薬品の値段は安価になるだろう。まあ、日本もその薬を買うだろうが、それ以上に東南アジア各地で売れるだろうな」
「あそこは疫病の坩堝ですからね」
おぼろげながら、国王の言いたいことが分かってきた。
「つまり、シャムへの投資は、シャム人のためになる投資でありながら、日本も利益を得られる訳ですね?」
「その通りだ」
国王はニコリと笑った。
「籾殻・稲藁発電所なる謎の技術もあるらしいが、それもそうだろう」
その技術は、公開されているものの、ヨーロッパでは謎とされているものだ。『わざわざ造る理由が分からない』と。
「本来、投資というものはそういうものなのだ。本来、国と国とのやり取りというものは、それが理想なのだ。お互いが得をする。そうであるべきなのだ」
なるほど。国王が言いたいのは。
「エチオピアの件ですね?」
現在、友好条約を結ぶべく苦闘している、アフリカの数少ない独立国のことだ。
「そうだ。我が国民は、『エチオピア戦争の復讐を!』等と言うが、あんな土地を得たところで、復讐心が満たされるだけで何にもならない。なら、手を取り合う方が利口だ」
確かに、エチオピアにはあまり地下資源は無い。産業も、少しゴム園があるだけで、あまり発達していない。疫病も多い。占領して、イタリア人が移民出来るようになるまでインフラを整備したとして、その投資が回収出来る訳が無い。
「分かりました」
ムッソリーニは頷く。
「分かってくれるか?」
「ええ。日本が手本を見せてくれたのですから。我々に出来ない訳が無い」
「頼むぞ。必要なら、日本と手を組んでも良い」
「オレンジジュースの件でコネクションを作ることが出来ましたから、手も組みやすいですしね。いや、その方がエチオピアの警戒を解けるか……?」
思考に潜るムッソリーニを、国王は嬉しそうに見ていた。