わがまま
《千九百二十八年五月十八日 信州研究所》
『農林業発展計画』のための研究を、研究員達が勝手に終わらせてくれたお陰で、時間も、人員も、予算も余裕がある。何なら、予算は終わった研究がこれから実用化されていくので、更に増える。
だけれど、研究は進まない。進めることが出来ない。というのも。
「民間の工作機械の精度が低過ぎます……」
第三研究室室長がそう嘆く。ここ第三研究室も、研究に関係無い部分のせいで研究に行き詰まっていて、私と一緒に椅子に座って暇を持て余している。
製糖の高効率化。バガス紙。缶詰生産の効率化により獲得された外貨は、これまでドイツ製の高性能なマザーマシンや工業機械の購入に充てられていた。だけれど、『農林業発展計画』が始まってからは、その割合の多くは国内の開発へと割り振られるようになってしまった。
だけでなく、国内の余剰な人的資源は開拓に割り振られ、それでも足りずに外国に移民した人々を呼び寄せ始めたり、陸軍を一時的に開拓や工事に充てたりもしている。
結果として、加速しつつあった日本の工業化、及び工業の高精度化は、冷や水を浴びせられることとなった。
「一応、『農林業発展計画』が途中まで進めば、籾殻発電所が普及するから、電力も足りて、工業化も進めやすくなるんだけど、少なくとも来年になるまでは待たないと無理よね……」
「お陰で予算はウハウハなのですが……」
第三研究室室長とため息をつく。
私と信州研究所の研究を民間に還元する際、問題となることのひとつに、日本の工業機械の精度が悪いことがある。培養ディーゼルや金属再結晶化なんかを実用化する際はあまり問題にならなかったけれど、火力発電所の高効率化やコンクリートの高品質化等では完全に影響を受けている。
そして、どの技術も社会に還元出来るところまで還元してしまったので、今まで還元した以上のものを還元するのに、工業機械の精度という大問題が立ち塞がってしまったのである。
「……お金が無いから工業機械が造れない。工業機械があっても動かす人がいない。一方で工業製品の国内の需要は増えつつある」
「では、とりあえず市場の労働力を増やす方面で考えてみては?」
第三研究室室長の言葉に申し訳なくなる。
「あー……。それは、工場の省力化、ってことで、色々提案済みなんだよね。幾つかは実証実験の真っ最中だし」
「それは初耳ですね」
肩眉を上げた第三研究室室長に肩をすくめる。
「まあね。やってるのが、陸海軍の工廠だから」
「……それ、聞いても良かったのですか?」
「いーのいーの。別に口止めされてる訳でも無いし」
言ったら不味いこと、例えば実証実験の内容なんかは口にしていないので問題無い。流れ作業の導入、とか。
「……となると、工廠で成功すれば、全国的にその手法が導入されるでしょうし。資金を稼ぐ手段を考えた方が良さそうですね」
それは分かっている。
「……一応、考えてるのはあるんだけどね」
ただ、問題がある。
「手っ取り早く出来る奴は、どれだけ儲かるか分からなくて、確実に儲かるのは時間がかかるのよね」
「らしくなく自信がありませんね?」
「そうでもないよ」
意外そうな表情を浮かべた第三研究室室長に苦笑する。
「これまでやってきた研究は、必要とされていることが分かっていたものばかりだからね」
培養ディーゼルも、金属再結晶化も、ボイラーの高効率化も、どれも資源の足りない日本では必要とされている技術だった。だから勝算があったのだけれど、今考えているものにはその勝算が無い。
すると、第三研究室室長はため息をついて私の頭を撫でた。
「とりあえず、今は暇なのですし、やってみましょう。私の研究室も、ボイラーの効率化も脱硫装置も、民間に新型の工業機械が出回るのを待っている状況で人手が余っていますし」
「……いいの?」
首をかしげると、彼は微笑した。
「ええ。だって『信州研究所』は、所長の研究所なのですから。所長が日本と市民のことを考えて研究しているのですから」
「……結構お金使うかもよ?」
「それは所長が稼いだお金です。構いませんよ」
「むう」
何だか最近、皆私に甘くない? 心地良い疑問を抱きつつ、私は息を吐き、覚悟を決めた。
「じゃあ。秘書。第一と第四の室長会議室に呼んできて」
珍しく研究所にいるのに、影に徹していた秘書に指示を出し、私は立ち上がって第三研究室室長と共に会議室へ向かう。
「これが通ったら、愛媛、和歌山、静岡から融資を取って来よう。いや、ついでだから、外務省に、イタリアとスペインからもお金取ってこれないか聞こうか」
「……一体何をするつもりなんですか?」
第三研究室室長の疑問に答える。
「それはね?」