仲間
今までの話とは毛色が異なります
《千九百二十八年五月六日 信州研究所》
『農林業発展計画』の煽りを受けて、私の研究所の研究計画も一部見直しを迫られていた。
「第一は木酢液に追加して竹酢液の触媒を優先。第三は籾殻発電機の改良に注力。第四はコンクリートの改良を急いで。送電線の改良は……、第五にやらせるか」
言うべきことを整理して、会議室に入ると、既に皆揃っていた。
スタスタと自分の席に座り、早速切り出す。
「さて。早速で悪いんだけど、政府からの依頼があったから、今後の方針を少し変えるよ? 資料は秘書から受け取った?」
尋ねると、何故か皆困った表情を浮かべた。
「ん? 何か問題?」
連絡に齟齬があったかな、と不安になっていると、第一研究室室長が「悪いが」と口を開いた。
「安定化触媒だが、木酢液も竹酢液も商業化出来るものが出来ているぞ? 竹タールはもう少しかかるが?」
「え?」
一週間前、東京に向かう直前に聞いた話からかなり進んでいる。
唖然としていると、第三研究室室長が続く。
「籾殻発電機は藁、おが屑、木片も燃料として使えるよう改良済みです。そんなに改造しなくて済みました」
いやいや。結構改造しないといけない筈だったんだけれど。
違和感を感じている間に第四研究室室長が言う。
「セメントの改良は、これ以上は工作機械が改良されないと無理よ。暇だったからアスファルトの改良を始めたけど、良かったよね?」
一週間でそんな暇あるか。
理解が追いついていない間に、第五研究室室長が困った表情を浮かべる。
「送電線の改良はまだかかりますね。ですが、変圧器で生じる電力喪失は八パーセント減らせました。勿論、工場の準備が出来れば、今すぐの商業化が可能な水準です」
確かに、第五研究室は私の肝いりの研究室だ。だけれど、動き始めてからまだまだ日が浅いのに。
そして、第二研究室室長がトドメを刺しに来る。
「金属再結晶化技術を応用した、温泉地等の湧き水の過灰分の除去技術を確立。商業化は少し待って欲しい」
いや私そんな研究聞いてない。
「……どういうことなの?」
困惑して一同を見回すと、皆誇らしげだったけれど、どこか疲れた様子だった。
「所長が呼び出されたのは、農林なんたら計画のせいだと思ったからな。頑張った」
と第一研究室室長。
「泊まり込んだ」
第二研究室室長は欠伸を隠さない。
「所長を驚かせようと思いまして」
第三研究室室長は悪戯っ子のように笑う。
「お陰で、良い経験が出来ました」
とは第五研究室室長の弁。
(何で?)
そもそも、何故研究を予定よりも進めておこう、という考えに至ったのか理解出来ず、困惑のままに沈黙していると、第四研究室室長が苦笑しながら言った。
「私達だって、地元じゃあ神童だの何だの言われて、学校や元いた研究所で天才だ秀才だ言われて来たのよ。だけれど、所長と一緒にいたら、自分達の上のずば抜けた存在、っていうのを嫌でも理解するじゃあない?」
どこか嘆きにも似た響きを感じられる言葉だ。けれど。
「でもさ。私達だって、所長程じゃなくても、優秀なのよ。秀才なのよ」
続いた言葉には、芯の通ったプライドを感じた。
「だから、所長。研究以外でもさ」
もっと私達を頼って。
必死さの伺える言葉に困惑を深めて皆を見回すと、全員頷いて返してきた。
「……十分頼ってると思うんだけど?」
正直に言うと。
「全然足りてねえな」
第一研究室室長が否定する。
「財閥との折衝だって、私達で十分出来ますよ」
第三研究室室長は呆れたように笑う。
「元々、私達はそのための人員ですしね」
第五研究室室長はため息をついた。
「所長、焦ってる」
「焦ってる?」
第二研究室室長の言葉をオウム返しすると、彼は頷いた。
「多分、研究が進んでないから」
図星だった。
確かに、私の予想以上に研究は進まない。このままだと、次の大戦に備えられない。だけれどそれは。
「確かに、研究が進んでいない焦りはある。だけれど、それは、日本の工業力と経済力が貧弱なせいで、君達のせいじゃない。むしろ、君達は私がやる以上に結果を出してくれている」
それは事実だった。私の知識では、大雑把に金属の組成や細菌の種類を絞り込むことは出来ても、細かなところは分からない。そこを私に代わって、私以上の正確さで絞り込んでくれる彼らは、間違いなく優秀だ。
「だから、私は安心して、君達に研究を任せていられる」
疑いの目が集中する中、第一研究室室長は笑った。
「ハハハハ! なるほど!」
何がなるほどなんだろ? 皆の視線が彼に集中する中で、彼は何度も頷きながら言う。
「どうやら、所長と我々の間には、認識の溝があるようだな。とりあえず、それを埋めねばな!」
パン、と第一研究室室長は手を叩き、宣言する。
「今晩、研究所の全員で飲み会でもするか!」
皆がポカン、とする中で、彼は勝手に決めていく。
「よく考えれば、この研究所に来た初日から、研究ばかりだったからな。研究員達にも良い息抜きになるだろ? 培養槽なんかは手が離せんから、交代になるが」
「ち、ちょっと待ってよ!」
第四研究室室長が勇敢にも口を挟む。
「所長は子供なんだからお酒飲めないよ!?」
違う、そうじゃない。
「そこは、私の実家から送られて来たブドウジュースを進呈しますよ」
第五研究室室長、嬉しいけど違う。
「解決」
「ちょっと待って!」
思いもよらず、叫び声に似たヒステリーな声が出たことに驚きつつ、私は言う。言わないといけなかった。
「そんな、飲み会なんてやっても無駄だよ。意味ないよ」
だって私は。
「人の顔も名前も覚えられないのに……」
言ってしまってから、怖くなる。ああ、もう終わりだ。これで、彼らとの関係も、ただの上司と部下になる。寒気がする。世界が歪む。どうしよう。どうしよう。
「なーんだ、そんなことか」
「え?」
第四研究室室長が、軽く言った。
「そんなの、皆知ってるぞ?」
続く第一研究室室長の言葉に、私は絶望した。
(そんな……)
秘密だったのに。崩れ落ちそうになるのを堪えていると、第五研究室室長が、予想出来ない種明かしをした。
「この研究所に入る人は、皆その説明を受けていますよ? それでも構わない、って人だけが、ここにいるんです」
「……え?」
意味が分からなかった。理解出来なかった。だけれど、彼らの暖かい視線が、嬉しかった。
「私長く話すと吃音出る。だから問題無し」
何が問題無しなのか分からないけれど、第二研究室室長が慰めてくれているのは理解出来た。
「ほら? 認識に溝があっただろ?」
第一研究室室長がニカッと笑う。
「飲み会、した方が良さそうですね」
第三研究室室長は手帳を取り出して、何やら書き込む。
「お酒が足りませんね。買いに行かせましょうか」
「肉も足りんだろ?」
「それも買わせましょうか」
飲み会の話はどんどん進む。呆けていると、いつの間にか第四研究室室長が私の椅子の横で膝をついていた。
「ね? もっと頼っても良いのよ?」
無性に泣きたくなるのを堪え、息を大きく吐いて、私は笑った。
「なら、もっとしたい研究があるから、ドンドン任せることにするよ」
「……これは早まったかな?」
私と第四研究室室長は笑い合った。
それを、他の皆は微笑して見ていた。