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闇堕ちのエルフ  作者: 綾部 響
第二章 猛火、渦巻く
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エルフ郷 ―幽鬼の聖騎士―

ラフィーネを取り込みその姿を露わとした幽鬼の聖騎士。

その強烈な波動を感じて、シェキーナの警戒心は最大級に高まっていた。

 シェキーナの前に佇む骸骨の面を持つ異形の戦士……幽鬼の聖騎士(ファントム・ロード)

 ラフィーネを取り込み形を成したその実体は、彼女が命を賭して召喚した「不浄穢の精霊(ヴェーレス)」が、彼女の意思や願いを汲み取り変形した姿であった。


 最上級精霊であるその力は、言うまでもなく強大である。

 しかしそれ程に高い力を持つ精霊を、シェキーナやラフィーネは従えて召喚する事が出来ていたのだ。

 もっとも、それだけで最上級精霊の力を凌駕している……とは言えないのだが。

 先程猛焔の精霊(イフリート)輝氷の精霊(シヴァ)が最後に使用した魔法の威力は、受ければシェキーナやラフィーネをあっさり死に至らしめる威力があった。

 それでも、もしもそれらの精霊と戦ったならば、今のシェキーナでも互角以上の戦いが出来るはずなのだ。


 だが今、シェキーナの目の前で仁王立ちする幽鬼の聖騎士に対して、彼女はすぐに攻め込む事を躊躇していた。

 それは勿論、ファントム・ロードの持つ力が強大であると、即座に理解したからに他ならないのだが。

 それ以外にも彼女は、その幽鬼の聖騎士から得体のしれない力を感じていたのだ。


「……しかし、このまま見合っていても……進展はない……か……」


 動き出そうとしない幽鬼の聖騎士相手に、彼女自身も行動を取らなければ何も変化が訪れないのは道理だ。

 ただしだからと言って、そのまま放置して去ってゆくと言う事は出来ない。

 この手の魔物は、自らの目的を達する為に彷徨い、そして足を向けた先で大破壊を起こすと相場が決まっている。

 ラフィーネの死ぬほどに望んだことがシェキーナを倒す事であり、その為に呼び出したヴェーレムがファントム・ロードを形作ったのだ。

 どこまで知性が備わっているのかは未知数だが、地の底まで追いかけて来る事はシェキーナには容易に理解出来たのだ。


「……はっ!」


 短い嘆息の後、シェキーナは大きく一歩踏み出すとそのまま跳躍した。

 風を巻いて幽鬼の聖騎士へと肉薄するシェキーナの動きは、正に疾風の如しだ。

 その姿が霞むほどの動きを見せたシェキーナは、再びファントム・ロードに剣を振るった。

 しかしその雷鳴の如き一撃を、またも幽鬼の聖騎士は盾で受け止めてみせた。


(やはり……っ!)


 その瞬間、何かを悟ったシェキーナであったが、その考えに没頭する時間など与えられなかった。

 今度は幽鬼の聖騎士も、ただ防御するだけでは無かった。

 音も無く、そして声も無く、その骸骨騎士は反対の手に持っていた剣を振り下ろす。

 曲刀剣(ショテル)と呼ばれる三日月型に曲がった剣だが、その身幅は通常の3倍は軽くあり、重量と共にその威力は格段に向上されている。

 その魔刀が、目を見張る速度で繰り出されたのだ。


(誘い込まれたっ!?)


 想像の上を行く攻撃に、シェキーナは回避を取る事も出来ずに防御を強いられる事となった。

 残像を残すその一撃を、彼女は即座に引いた剣で受け止めた。

 直撃を回避する事は出来たのだが、その重量と体格差から来る威力を散らす事は出来ず。


「くぅっ!」


 シェキーナは後方へと大きく吹き飛ばされたのだった。

 凄まじい勢いのままに、シェキーナはそこにあった家屋……彼女達の家だった場所に激突し、壁を抜き、室内にまで押しやられたのだった。


「か……母様(かあさま)っ!?」


 丁度その光景を、現場に辿り着いたエルナーシャ達が目撃する事となった。

 絶大な力を背景に、魔界の頂点に君臨していた闇の女王が吹き飛ばされる様など、当然の事ながらエルナーシャ達が見るのは初めての事であり、その衝撃は計り知れないものだったのだが。


 幸いであったのは、幽鬼の聖騎士(ファントム・ロード)……不浄穢の精霊(ヴェーレス)がこの世に呼び出された理由は、シェキーナを屠るためである。

 それ以外の事に歯牙を掛ける事は無く、エルナーシャの叫び声にも気を奪われる事も、ましてや目標をそちらへと向けるような事もしなかったのだ。


悠久の風に泳ぐ(レルアバド・)大いなる存在(リヤーフナターレ)神風の精霊(ラ・オデュッセイア)我の呼び掛けに(ウォカーレ)耳を貸したもう(オレリアアクオ)……」


 シェキーナが文字通り吹き飛ばされ、家屋へ激突しその中に突きこんだ場面を目にしたエルナーシャ達が不安に駆られるも、それを払拭する声が周囲に響き渡った。

 その声の主は言うまでもなく……シェキーナである。


「母様っ!」


 すぐにそれを聞き分けたエルナーシャが、喜色ばんだ声でそう叫ぶも。


こなたより彼方へ(トゥートロンジ)古から現世へ(マーディブリセンジ)……」


 シェキーナがそれに答える事も無く、魔法の詠唱も留まる事は無い。

 直後、シェキーナのいる家屋の屋根の一部が大きく爆ぜ、そこに彼女が姿を現した。

 その姿は既にボロボロであり、所々に切り傷や打撲痕が見て取れ、口端からは新たに一筋の血を流していたのだった。


 彼女とて、生身の人間である。

 その力が如何に強大で、この世界でも数えるほどの存在であったとしても、その肉体までが人間離れしている……などと言う事は無い。

 勿論、一般の人に比べればはるかに頑強とは言える。

 それでもそれは、常人が身に付けるものを凌駕せしめるほどとはいかない。

 故に彼等彼女等は防御の為に防具を身に付け、様々な技術を以て躱し、逸らし、受け流すのだ。

 残念ながらシェキーナは、今回はかなり軽装でこの場に立っていた。

 そこが油断だと言われればそれまでなのだが、彼女もまさかこの場でこれ程の精霊と対峙するとは考えもしていなかったのだった。

 そんな、見るからに満身創痍となったシェキーナだが、ダメージ自体はさほどでもないようであり。


常しえに回帰し(コメッソテロス)世界を見澄ます(ムンドウィデーレ)偉大なる御姿を(ボークチェーロ)、|どうぞ我の前に現し給え《ブロスタヴレポエフヒ》!」


 彼女は滑らかに淀みなく、謳うように詠唱を済ませたのだった。

 シェキーナが呼び寄せたのは、またも最上級精霊。

 風の最上級精霊である「神風の精霊(オデュッセイア)」であった。

 薄っすらと透けた姿は、辛うじて薄緑色の濃淡でその姿を表している。

 やはり扇情的とも思える姿をしているが、彼女の周囲を巻く風がまるで衣服の様に纏わりついている。

 優しい微笑みながらも凛とした面立ちが、生命を育み時に刈り取る「風」を示す存在だとよく表されていた。


 そんな最上級精霊を呼び出したシェキーナだが、今回は「神風の精霊」を長に維持し続けるような愚は犯さなかったのだった。

 言うまでもなくこれ程強大な精霊を召喚し続けるには、膨大な精霊力を消費しなければならないからである。

 シェキーナが幽鬼の聖騎士を指差すと同時に、オデュッセイアが大きく腕を薙ぐ。

 その途端、周囲の大気を凝縮したかのような巨大な刃が出現し、そのまま骸骨騎士へと向けて放たれた。


「きゃああぁっ!」


 周辺の空気を瞬時に取り込むと言う事は、その周辺に大気の断層を起こすと言う事になる。

 そしてそれが元に戻ろうとするとき、更に周囲の空気がそこに流れ込み、まるで引き込むような気流が発生するのだ。

 不意に強い力で吸い寄せられそうになったエルナーシャ達は、叫び声を上げながらその場に必死で踏ん張らねばならなかった。

 そしてそれを起こした神風の精霊は、その結果を見届ける事無くこの世界から姿を消したのだった。


 そのシェキーナの攻撃が幽鬼の聖騎士に直撃したのは、エルナーシャ達が悲鳴を上げるのとほぼ同時であった。

 空気の断層を纏いながら、その鋭利さを極限にまで研ぎ澄ませた風の刃がファントム・ロードを襲う。

 それだけでも、どれ程の殺傷力と破壊力を有しているのか想像すら絶する程である。

 それにも拘らず、この攻撃はそれだけでは終わらなかった。

 着弾と同時に真空の刃は巨大な竜巻へとその姿を変え、まるで幽鬼の聖騎士を取り込むかのようにその周囲で渦巻いたのだった。

 その密度、回転速度、規模を見れば、それが以前に精霊獣の発した刃旋風など足元にも及ばない威力だと誰でも理解出来るであろう。

 そしてその様な攻撃を受けているファントム・ロードが、全くの無事である等とは誰も思わなかった……のだが。


「ヴォオオオォォッ!」


「……手強い」


 不気味な叫び声が周囲を震わすと同時に、展開していた竜巻が吹き飛ばされたのだ。

 そしてその場には……ダメージが見て取れない幽鬼の聖騎士の姿が現れたのだった。

 もっとも、身に付けている鎧には無数の新しい傷がつけられている。

 全くの無傷……とは言えないのだが、本体に損傷を受けた様子は見受けられない。

 それを具に見極めたシェキーナは、険しいと言って良い表情でそう呟いたのだった。

シェキーナが再び放った最上級精霊の一撃も、幽鬼の聖騎士には通用しなかった。

戦いは……更に熾烈を極める事となる……。


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