第七十六話 神の願い
目の前のクソ女神は、いったい誰のことを指して言っているのだろうか。
「彼ら?」
「えぇ」
思い当たる人物がいないわけではないが、こいつがこのように悲壮感漂う表情をするほどの人物を俺は知らない。
というか、こいつがこのような表情をすること自体初めてであった。
「この子たちなんですけど~」
そういい徐に何もない空間へと手を伸ばし、何もない空間へと手をめり込ませ、そして何もない空間から突如として三人の男女を引っ張り出した。
それは空間魔法のインベントリみたいな魔法だった。
ただインベントリと違うところは、こいつは生物を入れられるのだろうか。
いや、もしかしたら空間と空間を繋いで引っ張り出したのかもしれないが……。
ともかく、その魔法のことよりも今は目の前の三人である。
「この子たちを頼みたいなって……」
「え、こいつらは……」
そこにいた三人の内、俺は二人には見覚えがあった。
「この双子が結奈さんと怜君が倒した二人で、こっちのちょっと人間やめているのがエレノアさんが倒した人になります」
「こいつが……」
姿は見えていなかったが、まさかこれほど人間をやめている奴がエリーの相手だったのか。
今更ながら、俺が相手をするべきだったなと少々後悔してしまう容貌であった。
「一応元に戻しますね」
「はぁ……?」
その人間をやめているとしか思えない容貌の男は、しかしクソ女神が指をパチンッと鳴らすと同時に、背中に生えている魔物の腕が消えうせ、人間へと元に戻った。
「流石、女神様だね……」
「チーターの親元め……」
神様というだけはあり、何でもありということなのだろう。
「この方々は、この組織で人体実験に使われてしまった者たちなんです」
よく見てみると、三人とも怪我という怪我がなくなっていた。
「人生を全うに歩めなかった可哀想な人たちなので、どうにかしてあげたいって思ったんです」
先程指を鳴らした時に、三人の傷を一緒に癒したのだろう。
どうして傷まで治すのかは、傷心しているその表情と言葉が物語っていた。
「んで、俺たちがするのは何なんだ?」
「ただ、彼らと友人になってほしいのです」
「……それだけ、ですか?」
「それだけです」
それでいったいどんなお願い事乃至命令をされるのかと身構えていたが、言われた言葉はただ『友人になってほしい』だった。
「社会の方は私が色々と根回しをしていくので、あなた方はただ彼らを友人として補助してほしいのです」
「……まぁ、それくらいなら?」
「ありがとうございます」
頭を下げ、感謝を述べている神様。
俺たちはそれぞれ複雑な心境の中、しかし女神の言う願いを叶えることには全員賛成することにした。
そこで転がっている結奈は除いて……。
「……一つ、質問いいか?」
「なんでしょうか?」
だがしかし、俺はこいつに聞かなければいけないことがあった。
「なんであんたはこいつらに肩入れしてんだ?」
この世界には、こいつら以上に悲惨な目にあっている奴だっているだろうし、助けるにしても優先順位としてはあまり高いとは言えない。
「あんたは基本傍観主義だろ?」
俺たちの場合は、このクソ女神の責任で死んでしまったため仕方がないが、こいつらは違う。
ただこの組織で真っ当に人生を送ることが出来なかっただけだ。
「なのに、こいつらだけってのはなんでだ?」
こいつらが転生者というなら話は別だが、こいつの顔を見るにそう言うわけではなさそうであった。
そんなことで、こいつはその思い口を開いた。
「……この組織が、私のせいということなのです」
「はっ?」
クソ女神の口からポツリと一言。
ただそれ以降に何も語らず、切り替えるように伸びをして歩き始める。
「ん~、さて……彼をどうにかしないとですね」
「あ、おい!」
俺の制止も聞かずに、クソ女神は時間の止まっている空間を歩き、そして俺が倒そうとした先生の元まで向かった。
先生の肩へと手を置き、いつも通りの口調で話しかける。
「全く、この転移魔法は人間には分不相応なんですよ~?」
「あれ、俺たちは?」
「神の使徒だし、いいんじゃない?」
しかし語り掛けられている先生はというと、時間が止まっているため返答するどころか認識さえできていない。
そんな人へと向かってクソ女神は、指先に何やら青白い魔法陣を浮かび上がらせ、それを眉間へと当てる。
「よっと……そしてデコピンっと」
ついでとばかりに軽くデコピンをお見舞いし、再びこちらへと戻ってきた。
「これで大丈夫ですね」
「今の何だったんだ?」
「さぁ……」
時間が止まっているせいで先生に全くの変化が見られなかったが、恐らくは何かをしたのだろう。
それが何かはわからないが、今俺たちが聞いたところでどうにもならない。
それに、特に興味がないしな。
「それでは、私は戻りますね。やることがありますので」
「はいはい、じゃあな」
「さようなら」
突如としてやってきた嵐は、直ぐに去っていくようだった。
とても安堵すると同時に、しかし俺にはまだやり残したことがある。
「あ、最後に一ついいか?」
「なんでしょう?」
この世界へと来た時とは違い、空間に穴をあけているクソ女神を呼び止める。
「これは、俺からあんたに送る……」
「それは?」
自身の右手を強く握りしめ、その拳を見つめる。
そしてどす黒い魔力を纏わせ……。
「怒りの拳じゃあぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「まだ諦めていなかったんですか!?」
「誰が諦めるかぁ!」
本気で殴りかかった。
だが残念ながら躱されてしまったが、そんなことで俺が諦めるはずもなく。
今度は殴りかかるのと同時に蹴りも加え、フェイントなどを駆使して怒涛の連続攻撃をお見舞いする。
「もう私帰りますね、それじゃあ!」
「あっくそ、待て、逃げるなぁ!!!」
クソ女神は空間に開けた穴へと全力で駆け込み、直ぐにその穴を閉じてしまった。
「いつか必ずぶん殴ってやる……!!!」
「すごい執念だね……」
絶好のチャンスを逃してしまったことはとても悔しい。
正直屈辱的なことだとさえ思っているほどだ。
今度はいつ殴ることが出来るかわからないが、その時が来た時は必ずこの怒りの拳を叩き込んでやろう……!
「僕も、必ず殺す……!!!」
「うわっ、こっちもすごい……」
「動けるようになったのか」
「まぁね……」
ゆっくりと立ち上がった結奈は、いつも通りに無表情ではあったが、その瞳に宿る憎しみの炎は消えてはいなかった。
俺以上に、結奈の方が屈辱的な思いをしたのだ。
その憎しみは俺以上のものであることは想像に難くない。
「それで、一旦あのクソ女神のことは置いておいて、これからどうする?」
「時間が止まっているんじゃあねぇ……」
未だに怒りは収まっているわけではないが、いない相手のことを考えても仕方がない。
俺たちはこれからのことについて話し合おうとした。
だが……。
「うぉ!?」
「な、なに!?」
「先生が吹っ飛んだ?」
時間が動き出したのだろう。
先程まで止まっていた先生が吹き飛んでいったのだ。
そして殆ど静寂だった空間に、クソ女神が来る前の喧騒が戻ってきた。
「すごい威力ですね……」
「流石翔夜……」
それと同時に、沙耶とエリーは俺がやったと驚いているようだった。
時間が止まる前に俺が先生につかまっていたから、先生を吹き飛ばしたのだと思っているのだろう。
だが、それは違う。
「デコピンだよな……?」
「デコピンだね……」
あのクソ女神が、軽くデコピンをしただけなのだ。
子どもにやるくらいに、本当に軽くやっただけなのだ。
「俺もあれくらいできるしぃ!?」
「張り合わなくてもいいでしょ」
流石は腐っても女神。
いや、今度会ったときに筋肉だるまとでも言ってやろう!
「あれ、先生は?」
そういえば俺たちは死闘を繰り広げていた最中であった。
それを思い出して、俺は身構えようとしたのだが、先生は起き上がって来ず、再び静寂が漂う。
「返事がない、ただの屍のようだ」
「いや、気絶しているだけじゃない?」
油断なく近づいて行くと、先生から発せられていた魔力は消えうせ、まるで俺たちと初めて会ったときと同じくらいの状態であった。
「ねぇ、これって……」
「あぁ、俺たちの勝ちだな」
沙耶がおずおずと先生を見に来たが、本当に倒したのか気になったのだろう。
沙耶を安心させるため、俺は笑顔で沙耶に勝利したことを告げる。
「はぁ、緊張が解けて疲れがどっと来ちゃった……」
「そうですね、今になって体が震えて来ましたよ……」
その言葉を皮切りに、沙耶とエリーは崩れるようにその場へと腰を落とす。
今までは戦いの場であったから気を張っていたのだろうが、その戦いが終わったと知り安心してしまったのだろう。
気が抜けて全身の筋肉も弛緩してしまったのだ。
「そこの男……子二人とも、先生を縛ってきて」
そんな二人に歩み寄る結奈は、俺たちの方を向き指示を出してきた。
別に使われることに異論はないが、なぜ自分はしないのだろうか?
「お前はどうするんだ?」
「メンタルケア」
「あー、了解」
俺たちはあのクソ女神に会っていたからというのと、自分自身が神の使徒であるということから、二人ほど緊迫状態にあったわけじゃない。
そのため忘れていたが、彼女たちはまだ高校生になりたての女の子なのだ。
こんな危険な場所にずっといたのだ、そりゃあメンタルのケアが必要だろうな。
……元医療系大学に通っていた俺がどうして気づくことが出来なかったのか、己を恥じるばかりだよ。
「ねぇ、今どうして男子って言うのを迷ったの? どうして僕を見て迷ったの? ねぇ!?」
「ほら、怜行くぞ」
「納得いかない……!」
自身の恥を素直に受け入れて拘束に向かうが、怜は結奈の発言に苦言を申し立てていた。
一々そんなことを気にしていたら進まないから、俺は怜を引っ張って先生の元まで向かった。
「不本意ながら、今回は俺たちの勝ちか……」
「勝ったのに不本意なの?」
いつもの如く、俺はインベントリから縄を引っ張り出し、先生の手足を拘束していく。
「だってよ、これはあのクソ女神がやったんだろ?」
「そうだね」
俺が足を、怜が手を拘束していく中、俺はため息がこぼれる。
「それはつまり、アイツのおかげってことじゃん」
「……それが嫌なの?」
「なんか助けてもらったっていう形なのがムカつく」
「別に気にしなければいいのに……」
あのクソ女神に助けてもらったということが、俺の中にあるプライドが許さなかった。
他人ならいざ知らず、まさかあのクソ女神に助けられるというのは、どうしてかすんごい屈辱的だった。
「まぁ、一応は感謝しておくか」
「それがいいね」
それでも、あのクソ女神が俺たちを……というか最終的には沙耶とエリーを助けてくれる結果になったのだから、そこは感謝しておかないとな。
これ以上長引けば、二人の精神に負担がかかりすぎていたかもしれない。
本当にそこだけは、感謝の念を持っておこう。
「だが必ず制裁は与えてやる!」
「そこは変わらないのね……」
俺の代わりに、今度は怜がため息をこぼした。




