第七十五話 憤懣やるかたない
その神々しい姿とは裏腹に、あまりにも親しみやすい口調で現れた女神。
「は~い、私……降臨っ」
その姿に、動くことが出来る俺たち三人も、動きを止めざるを得なかった。
なぜなら、目の前にいるのは俺たちをこの世界へと転生させた、女神その人なのだから。
ずっと会いたかった人に出会ってしまうと、人とはこうも行動を停止してしまうものなのか。
「久しぶりですね」
俺たち三人を視界に収めて、女神は微笑む。
見惚れてしまうであろうその笑顔に、俺も満面の笑みを向け、そして……。
「死ねぇぇぇぇぇクソ女神がぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!!!」
「えっ、ちょっと、会って早々に殴ろうとしないでくださいよ!」
「うるせぇぇぇぇぇぇぇぇ死ねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
俺は、手加減という言葉など忘れてしまったのだろう。
全力も全力の力で、女神の頬を目がけて殴りかかった。
「うわっと!」
「避けてんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
はち切れんばかりの声量で殴りかかるも、目の前のクソ女神は躱す。
拳による風圧がクソ女神の後ろの壁にぶつかり、かなり広範囲に抉り取られてしまった。
だが人は巻き込んでいないので問題ない。
「くっそぉ……!!!!!」
俺たちが例え神の使徒だったとしても、目の前にいるのはその上位互換、女神であることに変わりはなかった。
ならば、俺の全力の拳が当たらないことは必然であった。
「大人しく殴られろぉぉぉぉぉぉぉぉぉぉ!!!!!」
「嫌ですよ!」
だがしかし!
そんなことで、俺の中にある怒りが収まるはずなど全くない!
「死ね……!!!!!」
「何故かこちらからもすんごい攻撃が来たんですけど!?」
そして、その怒りを覚えていたのは、俺だけではなかった。
結奈はどす黒い魔力を纏った拳で殴りかかった。
しかし当然と言うべきか、その攻撃は余裕綽々と躱されてしまい、後ろの壁を俺以上に抉り取ってしまった。
……同じ神の使徒なのに、どうしてこうも差が生まれるのだろうか?
まぁそんなことよりも。
「お二人とも、私何かしました!?」
「色々とやらかしてんだろうがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」
まずこいつには、自分のやらかしてしまったことを鑑みるべきである。
前世の俺たちにあの槍を落としてしまったこと。
次に俺の顔を前世と同じくしてしまったこと。
そして『神の槍』を俺に落とし、十五年ほどの記憶を失わせたこと!
「ちょ、ちょっと落ち着いて———」
「いやぁ、この時をどれほど待ちわびたことか……!!!」
こいつに会えるなんて思いもしなかったが、ずっと願い続けてみるもんだな……。
そしてついに、不遇の運命を与えられた人々からの願い乃至お告げのようなものが来たのだ。
「くたばれぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「ちょっと!」
こいつに制裁を与えろ、と!
「だから避けんじゃねぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!!!」
「そりゃあ避けますよ!」
だがどうしてだろう。
これほど思い続けてきたというのに、このクソ女神に一発も当てることが出来ない。
これほど悔しいことは今までなかった。
「『カタストロフィ……!!!!!』」
結奈も怒り心頭なのか、俺が使ったカタストロフィをこのクソ女神目がけて放った。
手加減など全くしていない、全力全開で……。
「ホントそんなものを私に撃たないでください!」
しかし、その魔法がクソ女神へと当たることはなかった。
「当たれや!!!!!」
「ヤですよ!」
今度は躱すようなことはせず、ただ右腕を振るっただけだった。
それが原因なのだろう。なんと結奈の魔法が発動しなかったのだ。
「何をした……!!!!!」
「流石に消させて頂きましたよ!」
「消し飛ばすんじゃねぇよ!!!!!」
「消し飛ばさなかったらここら一帯が消し飛ぶでしょうよ!」
「知るかそんなこと!!!!!」
「理不尽!」
発動しなかったと思われていたそれは、クソ女神が当たる前に消しとばしてしまっていたからだった。
しかし何でもありだな、クソ女神のくせに……。
「と、とにかく落ち着いてください!」
どうやってこいつに手傷を合わせるか熟考する。
目の前のクソ女神は落ち着くように言っているが、そんなことは無理に決まっている。
お前は、大罪を犯してしまったのだからなぁ……。
「これからの東雲沙耶さんにも関わることなんですよ!?」
「……沙耶に?」
だがそんな俺に、無視できない発言が飛び出してきた。
「ようやく落ち着いて———」
しかしクソ女神が安堵しかけたのもつかの間。
「くれませんかねぇ!?」
結奈は全く落ち着きを取り戻しておらず、その禍々しい魔力を纏った右手で殴りかかった。
文句を言いつつ、しかししっかり危なげなく躱すクソ女神は流石だろう。
不本意ながら褒めてしまったが、結奈の攻撃は俺が躱せるかわからないほど速かった。
「もう何でそんなに私を殴ろうとするんですか!?」
「恨みがあるからに決まってる……」
それほど速く、そして殺傷能力の高い魔法を躱すことが出来るのは、神以外にはいない。
そしてその神は、ただ中身が少々欠如していたのだった。
「この世界で記憶を取り戻した時、前世と何ら変わって———」
「あぁ、胸ですね!」
結奈の憎しみがこもった発言を遮って、クソ女神は思い出したかのように、嬉しそうに笑顔で言ってしまった。
そしてその瞬間、ピシッと……何かに亀裂が走る音がした気がする。
「いやぁすみません、ちょっとこちらの手違いといいますか……そのせいで織戸結奈さんの胸を、前世と同じ大きさの『貧乳』にしてしまいました」
ピキピキと……何かが連続して亀裂が走る音がしたした気がする。
「でも安心してください、あなたはそのままでも十分なのですから」
プチプチと……何かが切れそうな音がした気がする。
「だって、貧乳はステータスなのだから!」
ブチッと……何かが切れる音がした気がする。
いったい先程からしているその音の正体は、何なのだろうか……。
「くっふふふふふ……」
「あ、あのー、織戸さーん?」
「もしもーし……」
あぁ、予想はしていた。
前にも聞いたことがあったため、もしかしたらそうなんじゃないかと思っていた。
そう、幻聴だと思いたかったあの音は、結奈の堪忍袋が切れてしまった音だったのだ。
「よし、殺そう……!!!!!!!!!!!」
結奈があんなに笑顔になって笑うところは初めて見た。
「ちょっと待ってマジで待ってホント待って!!!」
「このままじゃあこの辺りが吹き飛んじゃうって!」
今までコントロールしていた魔力が、一気に結奈の体から噴き出した。
まるでダムが決壊したかのような、いやそれ以上の魔力量が噴き出し、暴風となって荒れ狂う。
「えっ、私何か言いました?」
「この鈍感ぜい肉クソ女神がぁ!」
「ぜい肉関係ないですよね!?」
この現状を生み出した当の本人は、だが無自覚なのか気づいておらず、只々疑問に思っているだけだった。
「私結奈さんより胸が大きいだけで、痩せていますから!」
「あぁもう平気でそう言うこと言っちゃうんだからバカァ!」
もう頭を抱えたくなってきた。
どうしてこいつは火に油を注ぐのだろうか……。
この星、大丈夫かなぁ?
「ふっふっふ……!!!!!」
「怖い怖い怖い怖い怖い!!!」
どす黒くとても禍々しい魔力は、右腕だけにとどまらず、結奈の全身を包み込んでいく。
「なんかどす黒い魔力が集まってきているんだけど!?」
「しかも赤黒いから余計に怖いんですけど!?」
クソ女神は狩る対象だが、今だけはその恐怖に同情してしまう。
あれほど怒り狂っている結奈を見るのは初めてだし、それにあれほどの魔力を間近で感じたのも初めてだ。
ぶっちゃけ今すぐにでも沙耶たちを連れだして逃げたい。
「ですが、こういう時こそ女神の力を発揮する時です!」
「こういう時のためにあるんじゃないだろう! だがありがてぇ、早くしろクソ女神!」
「頼む相手になんて言い草なのでしょうか!」
「うるせぇ早くしろ!」
「わかってますよ!」
結奈をこうしてしまった元凶であると同時に、とてもぶん殴りたい相手で、そして頭の弱い奴だと思いつつも、しかし目の前のクソ女神は腐っても神なわけで。
「これぞ、神の使徒も動きを止めざるを得ない……」
結奈をどうにかして落ち着かせるため、クソ女神は懐からあるものを取り出す。
それは『神の槍』のような、この世界にある物とは違いすさまじい効果を発揮するものに違いないだろう。
いったいそれは、何なのか。
「筋弛緩剤・改!」
「まさかの現代文明!」
取り出したそれは、よく予防接種などで見ることがある、透明な液体が入った注射器だった。
「もう女神の力とか全然関係ねぇ!!!」
「何言っているんですか、これは神の使徒にも聞くように私が改良してあるんですよ?」
「いや知らんがな!」
一応は、俺たちにも聞くように改良してあるようだった。
だが、見た目がただの注射器のそれと同じなため、内心すんごく不安であった。
……それ、ホントに効くんだよね?
「というか、早く結奈をどうにかしろって! あいつもう理性なくなりそうだぞ!?」
「文句が多いですね~……」
目の前にいたクソ女神は、ふっと消えた。
いや、消えたのではない。ただ移動したのだ。
結奈の背後へと。
「はい、これでいいのでしょう?」
転移魔法ではない。
魔法を発動すれば多少なりとも魔力が発生するため、わかってしまうのだ。
だが今は、魔力が全く使われなかった。
もしかしたら、結奈の荒れ狂う魔力によって早々に消えてしまった可能性もあるし、魔法以外の能力があるのかもしれない。
どちらにしても、結奈の首筋に注射器を指すことが出来たのは、神であるクソ女神だから出来たことなのだろうな。
「……ぁ、っ……!!!」
「言葉も全然発せないでしょ?」
「そのドヤ顔ムカつくな」
注射を刺されたその瞬間に、結奈は全身の筋肉が弛緩したのか、崩れるように地面に倒れこんだ。
そんな結奈の分まで殴ってやりたいと思うドヤ顔だが、ここは我慢である。
沙耶に関することを言うのだから、その後でも構わないだろう。
「全く、大事な話をしようとしているのに、こんな暴れられたら話せないでしょうに……」
「元はといえばお前のせいだろうが!!!」
どの口がそんなことを言うのだろうか。
クソ女神が無駄なことを言わなければもう少し穏便に話が進んだのかもしれないのに。
「もしかしたら纐纈さんの話かと思ったのですが、そちらは違ったようですね~」
「え、俺がなんだって?」
「……ぅ……ぁ……っ!!!!!」
力が入らない中、結奈が必死に何かを訴えかけてくる。
しかし筋弛緩剤が効いているのだろう、懸命に藻掻こうとするも一向に動くことは叶わなかった。
というか、それは俺が関わってくることなのか?
「あぁ大丈夫ですよ、そのことは言いませんから~」
「おい、なんだよ!?」
「言いませんよ~」
しかし本当にそのことに関しては言わないつもりなのだろう。
ムカつく笑顔でしらばっくれている。
「……ぶっ殺してやりてぇなぁ」
「今すんごい物騒なこと言われたんですけど!?」
殺意さえ湧く笑顔であるため、本当に殺人鬼になってしまいそうである。
いや、相手はクソ女神はだから殺神鬼か?
「そ、それで! 大事な話ってなんですか?」
「あぁ、忘れていました! えーそれはですね……」
話が進まないと判断したのだろう。
怜が少々声量を大きくしてクソ女神に尋ねた。
そして言われて思い出したクソ女神は、時折見せる真面目な顔つきになり、俺たちも真面目に聞く体勢に入る。
「この世界に来ていただいたあなた方に、お願いがあって参りました」
「俺たちに、お願い?」
そういえば転生するときに、俺たちにお願いするかもしれないって言っていたな。
「はい。とはいっても、ちょっとした事なんですけどね」
どうしてだろうか、何やら申し訳なさそうな表情をしているように見える。
いや、表情というよりも、瞳がそう訴えかけているように感じた。
それはいったい、どういった内容なのだろうか。
「彼らのことを、頼みたいなって……」




