第六十一話 妖精の怒り
『出てくるのが遅れてゴメン……』
「ううん、ありがとう。来てくれて嬉しいよ」
転移されてきてから味方というか、それ以前に知り合い自体がこの場にいなかったため、かなり怯えていた。
そこに主人公の如く現れた使い魔の妖精である由乃は、まさに読んで字の如く勇者であった。
なお、現れたのが翔夜であった場合は抱き着いていただろうが。
『先程から聞いていれば、好き放題言ってくれるね……』
沙耶を捕まえようとしていた男たちに向き直った由乃は、その小さな体から漏れ出ている荒ぶる風が怒りを表していた。
例え見た目が小さく可愛い魔物だとしても侮るなかれ。
これでも上位種と呼ばれる魔物の中でも、さらに上位に君臨している魔物なのだ。
そんじょそこらの魔法師や魔物では歯が立たない妖精である。
『だれが、そんな暴挙を許すと思っているんだい……?』
沙耶に風の結界を張り、自身は沙耶の前へと出た。
今まで必要がなければ言葉を発することがなかった由乃。
しかし、自分の主が怯え、震え、下衆な男どもに慰み者にされそうになり、あまつさえ涙していたのだ。
そのような状態の主を見て、流石に黙っているわけにはいかないと憤怒し、目の前の男どもを汚らわしいものを見る目で見つめている。
「いってぇ、痛ぇよ……!」
『先程から五月蠅いな……。どこも傷ついていないだろう……』
「えっ、あれ!?」
目の前で片腕を無くしたと思い込んでいた男は、しかし自分の手があることに驚いた。
確かに沙耶を引っ張っていた手が地面に落ちるところを目撃していた。
他の者も、当然沙耶も目撃していた。
ではどうして腕から切り離された手が再びくっ付いているのか。
『ただの幻覚に喚くな……』
「げん……かく……?」
そう、これはただの幻覚だったのだ。
妖精は元々いたずらで遊び好きな存在として人々を惑わす生き物であると認識されていた。
それを行った相手が少々本気になって魔法を発動したに過ぎない。
もちろんこのような幻覚魔法は沙耶でも発動することは出来る。
しかし、先程のように視覚だけではなく、痛覚や聴覚も同時に発動するとなると話は別だ。
それほどの高等テクニックが行えるのは、一握りの魔法師か、上位種か最上位種の魔法に長けている魔物か、はたまた神の使徒くらいであろう。
『僕は沙耶と契約を交わした時、必ず守ると誓ったんだ……』
今までは翔夜と結奈という、何が何でも守ってくれる存在がいたため、自ら出てくることはなかった。
しかし、その二人が駆けつけることのできない状態であったため、今回は主の危険に馳せ参じたのだ。
この世で最も大切な人物、沙耶のために。
『それを脅かそうとしている君たちは、必然的に敵ということになる……』
その大切な人物を傷つけようとしていた男たちは、由乃の魔力と殺気に当てられて腰を抜かしていた。
『沙耶に手を出そうとしていたのだから、死ぬ覚悟くらい出来ているんだろうね……?』
口ではそう言っているものの、実際には男たちを殺したりはしない。
由乃は極力沙耶の迷惑にならないようにいろいろ配慮している。
ここで殺人を犯してしまっては、もしかしたら沙耶に迷惑が掛かってしまうかもしれない。
そう考えて、ただ脅すだけにとどまっている。
本当は、ただ沙耶の目の前で人が死ぬ姿を見せたくないと思っているだけだが。
そのため、ただ男どもを気絶させようと適当に突風の魔法を発動しようとした。
しかし、男どもの後ろにある扉がゆっくりと開いたため、魔法の発動をキャンセルした。
「いやはや、まさか世にも珍しい妖精を従えているとは……」
そこから入ってきた人物は、どこかやつれた様な印象を受ける細身の男性だった。
スーツに白衣を羽織るという、違和感しかない格好をしており、しかし目だけは力があり沙耶と由乃を視界に収めていた。
「おぉ、これは驚きを禁じ得ないな」
『貴様、何者だ……?』
今目の前で腰を抜かしている人物とは明らかに別系統の危うさがあるようだった。
その自分の直感を頼りに、由乃はやって来た男に問いかけた。
「この部屋を別室で見ていたが、実際に見てみるのでは受ける印象が違うね」
『何者かと、聞いている……!』
しかし男は由乃からの質問を無視して二人のことを観察してぶつぶつと何事か呟いていた。
「しかも先程のは『幻覚魔法』かな。人間の五感に偽りの情報を与える、かなり高度な魔法だね」
『どうやら、早々に死にたいそうだな……』
由乃からのさっきにも臆さず、不気味な笑みを浮かべて観察することをやめない白衣の男は、ようやく自分が本当に殺されそうになっていることに気が付いた。
「おっと、これは失礼した。私はこの組織に手を貸している者でね……」
それでもその顔に恐怖した様子はなく、寧ろこのような状態にあることを嬉々としているようにも見えた。
「他の者からは『オーナー』と呼ばれている。ぜひ、妖精殿にもそう呼んでもらいたいね」
『寝言は寝て言え……。貴様が僕の敵であることに変わりはないだろう……』
「おぉ、怖い怖い」
別室から様子を伺っているだけでは我慢が出来なくなって出てきてしまったこの男は、見た通り戦闘などできるはずもない。
由乃が軽く吹っ飛ばしてしまえば、それだけで行動不能に陥ってしまうほどに弱い。
しかし彼の知識欲の前には、いかなる問題も問題とはなり得なかった。
由乃が脅しているのにも関わらず、彼は笑みを崩さず観察を続けていた。
「しかし、どうして魔法無力化装置があるのに魔法が使えるのやら?」
「確かに……」
「そういえば……」
ここにいる当の本人以外が気になっていたこと。
魔法無力化装置が発動している中で、どうして魔法を普通に発動することが出来るのか?
その事実に興奮し、予測を立ててここへと来ていた。
知識欲は時に恐怖すらも上回ることもあるのだ。
「その程度のもので僕を抑えることが出来ると、本当に思っているのか?」
「ふっふっふ、なるほど……」
自分が考えてきた予測は、おおよそ当たっていたと思い、白衣の男は不気味に笑った。
「確かに強大な魔力を持っている者や魔力の扱いに長けている者にはあまり効果がない」
あらゆる国が所持している魔法無力化装置。
しかし、どんなものにも弱点のようなものは存在する。
学校が占拠された際に翔夜たちが魔法を使うことが出来ていたのは、そういう弱点があったためである。
とは言いつつも、沙耶ほどの強大な魔力をもってしても抑え込んでしまう装置を気にせず、高度な魔法を扱う由乃は相当手練れであることが窺える。
「いやはやまさか、その弱点を突く存在が使い魔になっていたとは……」
未だに腰を抜かしている男どもと、先程とは違った意味で恐怖している沙耶。
この双方のことはもう白衣の男には向いていなかった。
沙耶には要請を使い魔にしているということで興味を持っていたが、しかし直に観察してみてただの少女のようだと判断して、視界にはもう入っていなかった。
その事実は由乃としては嬉しくもあり、嫌悪感もあった。
由乃を見る目がストーカーのそれであるのだ。対象が自分に映ったことはいいものの、流石の上位種でも嫌悪感を抱いてしまうのも仕方がない。
「だが、如何に強大な魔力を持っていようと、魔力の扱いに長けている珍しい妖精だったとしても、これには手も足も出まい」
そういい、彼はおもむろに懐からキューブ状の黒い手のひらサイズのものを取り出した。
白衣の男を気持ち悪いと思い始めてきた由乃は、しかし取り出された何の変哲もない黒いキューブに何かしらの危うさを感じ、気を引き締めた。
「さて、そこの君。これが一体何かわかるかね?」
「えっ……えっと、色と形状から察するに、小型の魔法無力化装置でしょうか?」
「半分正解だね」
「半分……」
問われた男は、突然のことで驚きはしたが、それでも自分の知識を総動員して答えを出した。
だが、その回答は半分が不正解であった。
「これは、最近私が開発した魔力霧散装置だよ」
「魔力……霧散装置……?」
その意味を理解することは出来るが、具体的にどれほどの効果を生み出すのかわからなかったため、疑問形で返してしまった。
「以前あった魔法無力化装置は先程も述べたような弱点があった。しかし今回の魔力霧散化装置は、この装置の周囲の魔力を対象として、一定範囲内に存在する魔力を霧散させる機能があるのだよ」
まるで演説でもするかのように嬉々として説明した。
研究者である白衣の男は、その装置の弱点に早々に気が付いていた。
そのため、自分で装置を最適の状態に持っていこうと研究を重ねていた。
そして出来上がったのが、今男が手にしている「魔力霧散装置」である。
持ち運びも簡単で、いつ何時でも、誰にでも発動することが可能であるこの装置は、それだけであらゆる人間から求められるだろう。
「おぉ!」
「それでは……!」
「そう、例え優れた魔法師であろうとも、珍しい上位種の魔物であろうとも、この装置の前には無力なのだよ」
正確には神の使徒には効かない。
どれだけ魔力を使おうとも枯れることのない膨大な魔力を持っており、そして本気を出せばこの星を破壊するに至るほどの魔法を放つことが出来るのだ。
そんな相手にたかが人間が作ったもの程度で、どうこうできることはないだろう。
「さて、もう発動しているので、沙耶ちゃんを拘束するだけではなく妖精も捕縛しておきなさい」
装置を発動したからだろう、由乃が無意識にも起こしていた風がパタリとやんだ。
そして風がやんだと同時に腰を抜かしていた男どもは立ち上がった。
「わかりました!」
「それがあるなら怖くもなんともねぇ!」
「欲も俺たちをコケにしてくれたな!」
先程まで腰を抜かしていた男どもは、今白衣の男が手にしているものの威力を理解したため、顔に笑みを浮かべて再び沙耶と由乃に近づいてきた。
しかし、未だに怒り心頭の由乃がそんなことを許すはずもなく。
『それがどうした……』
「「「ぐはぁ!」」」
自らが生み出した暴風により、近づいてきた男どもを漏れなく壁へと吹き飛ばした。
『たかがそんなもので、僕が無力化されるわけないだろう……』
「なんと……!」
流石の白衣の男も、今目の前で起こった出来事には驚きを禁じ得なかった。
「いやはや、まさかここまで強大な力を有していようとは……」
自分が作ったからこそわかる。
従来までのものとは桁違いに強化してあったものだ。
それが相手を弱らせることもなく、難なく魔法を使われてしまった事実に、白衣の男は興奮し、吹き飛ばされた男どもは慄いていた。
『一度痛い目を見なければわからないのだろうな、貴様らは……』
「ま、待っ———」
『狂飆……!』
何人たりとも抗うことを許されない、荒々しい暴風が翔けた。




