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第五十九話 怒りの矛先


 よく異世界に転生や転移をされた人たちは、多かれ少なかれ故郷を惜しむだろう。


 大切な人を残してきた。やり残したことがあった。等々、人それぞれ理由は存在するが、誰しも前世へ帰りたいと一度は思うだろう。


 そして懐かしさに思いを馳せている。


 俺だって前世でやり残したことだって多くある。


 しかし、俺はそこまで思いを馳せることもなければ、嘆いたり悲しんだりすることもない。


 理由は単純明快。


 沙耶という存在がいる為である。


 元々、前世では両親とはそこまで親しく接することもなく、友人と別れたことは多少寂しいと思うが、人間関係で言えばそこまで思うものもない。


 しいて言えば、高校の時の恩師に挨拶をしておけばよかったなと思うくらいである。


 前世の記憶の中にあるもので、唯一俺に好意的に接してきていたからな。


 今世では沙耶がそれに当てはまるのだが、しかし沙耶は俺にとって生きる意味である。


 恩師は恩師でしかなく、さほど大切かというわけではなかった。


 沙耶は俺が目を覚ました時に涙してくれた。自分のことのように喜んでくれた。そして抱き着いてくれた!


 初めてだった。家族ではないにもかかわらず俺のことで涙を流して心配してくれた人というのは。


 この命に代えても守りたいと思える存在が、二十年ほど生きてきて初めで出来た。


「くそがぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁぁ!!!」


 そのため、沙耶が目の前でいなくなってしまったということは、俺にとって耐えがたいことであった。


「ちょっと、落ち着いて」


「おいてめぇ、沙耶をどこにやった!?」


 俺は沙耶がいなくなった元凶であろう細沼とか言う奴の胸ぐらをつかんで持ち上げた。


 結奈から解放されて逃げ出そうと地面を這っていたが、そんなこと俺が許すと思っているのだろうか。


「ちょ、ホントに落ち着いて」


「ぐ、ぐるじ……!」


「言えぇぇぇ!沙耶をどこにやったぁぁぁ!?」


 もう俺にしっかりとした理性なんてものは残っていない。


 あるのは、沙耶のことが心配ということと、転移させたことに対しての怒りだけである。


 結奈が落ち着くように言ってくるが、そんなことを言われて落ち着けるほど、俺は大人にはなりきれていない。


 今までにないくらい殺意が湧きでて、そして焦燥感が半端ではなかった。


「落ち着いて!」


「ぐへぁっ!」


 しかし結奈に落ち着くように言われても聞かなかったのがいけなかったのだろう。


 結奈は腕を振りかぶって、俺の頭へと拳を叩き込んできた。


 そのため、俺は掴んで持ち上げていた手を放してしまい、次いで地面に叩きつけられることになった。


「熱くなっちゃだめだよ」


 いや、確かに熱くなっていたことは否めないけど、それでも先程のシルバーアントよりも強く殴ることはなかったんじゃないかな?


 全身が地面に埋まるなんてことはなかったけどさ、これは爆弾が落ちてきたと言っても信じられるほどに大きな穴が出来たぞ?


「……まぁ、一応は落ち着いたな」


 それでも、一応はそのおかげで多少なりとも落ち着くことが出来たので、そこまで怒りはない。


 普段であったら確実にぶん殴っていたところであろうな……!


「まったく、強く殴りすぎだっての……」


 立ち上がって見上げると、結奈が俺を見下ろしているのが目に入った。


 あまり怒ってはいないが、それでも文句の一つは言いたいものである。


 そのため服についた汚れを落として、ジャンプして穴の外に出た。


「うわぁ……」


 先程取り乱してしまったせいか、怜がこちらを見て少々引いていた。


 確かに無理もない。今まで俺は先程のように我を忘れて怒り狂うなんてことはなかった。


 怒ったとしても、結奈に馬鹿にされたときに少し怒るくらいだろう。


 俺は大抵笑っているので、怜が俺を見て引いているのは致し方無いことだ。


 これは謝ったほうがいいのかな?


「クレーターを作って落ち着かせる人初めて見た……」


 いや違う。結奈が俺をぶん殴ったことに対して引いているだけだった。


 そりゃあそうだよな。普通落ち着かせるためにぶん殴ったりしないわな。


 しかも俺や怜じゃなかったら死ぬレベルの力で殴るんだもん。


 そりゃあ誰だってドン引きするよな。


「安心させるために言うけど、僕が渡したこのお守り覚えてる?」


「ん?あぁ、森に入る前に渡していたな」


 怜の発言が聞こえていないのか、それとも聞こえないふりをしているのか、全く気にした様子がない結奈が俺に近づいてきて、手にしているお守りを見せてきた。


 確か沙耶とエリーに渡していた、あの手作りだっていうやつだろ?


 それが一体何だというんだ?


「あれは、僕が作った『あらゆる攻撃から守ってくれる』お守りなんだよ」


 神の使徒である俺たちは、様々な魔法……というより、すべての魔法を使うことが出来る。


 実際にすべての魔法を使えるか試したことはないが、しかし想像をするだけで魔法を使うことが出来るので、不可能ということはないだろう。


 そのため、結奈は恐らくお守りに結界魔法を使ったのだと思われる。


「……つまり、沙耶に傷をつけることは出来ないってことか?」


 結界魔法を構築するときに、『あらゆる攻撃を遮断』などといった感じで組み込めば、その制作者の魔力に応じて威力を発揮してくれるものだ。


 結界魔法は何度か使ったことはあったが、お守りにしてやるなんてことは想像していなかった。


 そのため、今俺の心には多少なりとも安心感がでてきている。


「まぁ、しばらくは……」


 しかしそれでも、自分で作っていたとはいえ、少々不安に思っているようであった。


 確かに神の使徒である結奈が作ったとしても、流石に限度があるのだろうな。


「それは、どのくらいだ?」


 結界魔法は大抵一時間も持たない。


 それは一般的な魔法師に当てはめたときにそう判断するが、神の使徒の場合はどれほど持つのだろうか。


 一日くらい持てばいい方かな?


 その結界が持ちこたえている間に助け出さなければいけないな。


「常時攻撃されたとして、大体一ヶ月は持つかな」


「……結構安心するな」


「さっきより落ち着いてよかったよ」


 先程よりもかなり安心することを聞けた。


 まさか思っていたよりも何十倍も効力を発揮してくれていて、とても落ち着てきたよ。


 流石は神の使徒兼魔法高校の首席だな、恐れ入ったよ。


「だがよ……」


 しかし、沙耶の安全が少し保障されただけで、なにも問題は解決していない。


 沙耶はいったいどこに行ったのか。


 沙耶をさらった目的は何なのか。


 俺たち以外に転移魔法を使える人物がいるのか。


 シルバーアントが出てきたことと何か関係があるのか。


 等々、考えるべきことは山ほどある。


 そして目の前にも問題が一つ。


「こいつどうする?」


「や、やめろ!放せこの野郎!」


 俺は今にも逃げ出そうとしている細沼の襟首をつかんで引き戻した。


 そして近くにあった太い木に向かって放り投げた。


 よくもまぁ、こんな状態で逃げようとしたものだよ。


 こんなデカい穴を作るやつと、それに耐える奴から逃げられると思ったのか?


「……マジで東京湾に沈める?」


「あ、それ本気なの?」


 あの時の場の状況から、確実にこいつが関わっていたことは明らかだ。


 沙耶の安全が確保されているからと言って、俺の怒りがなくなったかと言えば否である。


「だめだよ、まずは沙耶のいる場所を聞き出さないと」


 結奈の言う通り、今すぐにでも俺はこいつを尋問して沙耶の居場所を吐き出させてやりたい。


 少々非人道的なこともいとわないと考えてしまっているが、流石に俺はそこまで我を見失っていない。


 一応は沙耶に言ってもひかれないくらいのことで収めるつもりである。


「僕もこう見えて怒っているんだ」


 そうはいっても、表情の変わらない結奈を含めて、みんな思っていることは同じである。


 怜もエリーも、沙耶がいなくなってしまったことに苛立ちだったり焦燥感があるのは表情を見れば明らかであった。


 ここにいる四人全員が、目の前にいることの元凶であろう彼から沙耶の居場所を吐き出させたいと願っている。


 そして結奈はこの中で俺の次に苛立っているのだろう。


 今度は俺に変わって結奈が彼の胸ぐらを掴んで持ち上げた。


「だからね、どこに沙耶を転移させたのか教えて」


「……し、しら……ない……!」


 しかし往生際が悪いのか、それとも本当に知らないのか、彼は答えようとはしなかった。


 彼が転移の魔法を使えたとは考えにくいが、それでも転移先くらいは知っているだろう。


「……流石にこれ以上は我慢できないんだけど?」


「ほ、ほんとだ……!俺は、何も……知らない……!」


 胸ぐらを掴んでいる手に力がこもっていくのがわかる。


 段々と魔力も集まってきており、目に見えて結奈が怒っていると理解させられるだろう。


「もう一度痛めつければ話したくなるかな……?」


 もう傍から見ればカツアゲをしているのではないかと思われるようなシチュエーションだが、今はそんなことを気にしていられない。


 安心したとは言っても、心のどこかでは焦っているのだ。


 今すぐにでも沙耶のもとに駆け付けたいと、この場の全員が思っていることだろう。


「そこにいるのは誰?」


 結奈は唐突に、シルバーアントの屍骸がある方向へと目を向けて言い放った。


 その方向には本当にシルバーアントの屍骸しかない。


 いったい誰に向かって言っているのだ?


「よく私がいる場所がわかったね」


「えっ?」


 シルバーアントの手前の、本当に何もないその場所から、空間が歪んだようにして黒装束の人物が現れた。


 フードは被っておらず、顔を見ることが出来たのだが、現れた人物は俺の知っている人であった。


「琴寄さん?」


「久しぶりですね」


 なんと、沙耶と一緒に訪れた薬局のところで働いていた、琴寄さんであった。


「どうしてここに?というか、今の魔法はいったい?」


 沙耶がいなくなったと思ったら、琴寄さんが現れるとは思わなかった。


 彼女はいったいどうしてここにいるのだろうか?


 先程使った魔法はいったい何なのだろうか?


「ここへ来た理由は後程。先程の魔法は空間魔法の応用の『隠密』です。こちらの魔法についても後程説明します」


「は、はぁ……」


 他にもまだ気になることがあるが、今優先しなければいけないことは沙耶のことである。


 あとで説明してくれるっていうし、その時に気になったことを聞いておこう。


「ぐへっ!」


「それで、あなたは何しに来たの?翔夜の知り合いっぽいけど、ただの中学生ってことはないよね?」


 苛立っているからだろうか、結奈は細沼を近くの木へと放り投げた。


 そして土魔法で手足を拘束して、それを見届けることなく琴寄さんに向き直った。


 そんなぞんざいに扱うことはないんじゃないかなって思うんだけど、まぁ今回は仕方ないだろうな。


「……あなたたちが心に余裕がないことはわかります。しかし、年上である私に中学生というのは些か無礼ではないですか?」


「えっ、年上?」


 ブスッとした顔で、自分が中学生であるということを否定してきた。


 そして尚且つ、自身は年上であると言ってきた。


「はぁ……翔夜さんが敬語を使ってこなかったので、もしやとは思いましたが……」


 今度は額に手を当てて呆れた様子で言ってきた。


 彼女はどう見ても中学生のそれである。


 見た目が少々幼いなりをしているのだろうけども、流石に俺たちよりも年上というのは些か信じられるものではなかった。


 だが、彼女は次の瞬間驚きのことを発言した。


「私はこれでも、二十六歳です」


「……は?」


 えぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!?!?


 いやいやいやいや!それは嘘だろう!だって本当に見た目は誰がどう見ても中学生なんだよ!?


 それが二十六歳!?前世の俺よりも年上じゃねぇかよ!


 流石の俺でも今の発言には驚きを隠せないぞ!?いったいどうしたらそんな中学生みたいななりをして大人ということが出来るんだ!?童顔というレベルのものじゃないぞ!?


「そいつが言っていることは本当。何も聞かされていないよ」


「あ、話を進めるんだ……」


 俺は驚いていたのに、そんなことといった様子で話を進め始めた。


「……どうしてそういうことがわかるの?」


「あれこっちも動じてない?」


 そしてこっちもこっちで気にした様子もなく、先程の神妙な面持ちで会話を進め始めた。


「だってそいつは、体のいいトカゲの尻尾だもの」


「二人から無視されると辛いものがあります……」


 大事な話をしているのはわかる。


 俺だってこいつが知らないなんてことを言っていることに腹を立てているんだから。


 だけどな、女子二人から無視されて会話させるとな、悲しくなってくるんだよ。


 沙耶のことが心配であることに変わりはないけど、それでも今泣きそうだよ……。


「……もう一度聞きなおす。どうしてそういうことを知っているんだ?」


「それは、私が……私たちが調べ上げたことだから」


 とはいっても、話が進んでいくので俺が気にしていても仕方がない。


 あとで沙耶に慰めてもらおう……。


「調べ上げた?」


「そう」


 しかし、細沼のことをいろいろ知っているし、今回この場に現れたことといい、いったい琴寄さんは何者なのだろうか?


「あなたたちは、いったい何者?」


「えっ?」


「あ~、やっぱり僕のことも気が付いていたんだね」


 結奈が複数形で聞くからどうしたものかと思っていると、先程琴寄さんが現れたときと同様にして、黒装束をまとった人物が現れた。


 しかもまた俺の知っている人物で、顔をあのマスクで隠していた。


 確か、なか……中……。


「ペストさん……」


「翔夜君もその呼び方やめて!?」



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