第百七十話 実習先、というより就職先
実習へ向けて、俺は全くといっていいほど準備をしていなかった。
ぶっちゃけ、普通の学生が必要な物品は殆ど必要ないのだ。
煙を出す魔石、身を守る魔法陣付護符、疲労を一時的になくしてくれる食べ物等々。そのほかに、俗にいう回復アイテムというものもある。
だが俺は神の使徒である。どのような状況であろうとも全て魔法で代用できる。
そのため俺は何も準備せず、殆ど手ぶらで実習先へとやってきていた。
俺と沙耶は、実習先である父さんと母さんの職場に来ていた。
「ここかぁ……」
見上げるほどに大きなビルに、俺は開いた口が塞がらなかった。
沙耶も一緒に同行してきたのだが、指定された場所が高層ビルだったのだ。
「大きいね……」
「母さんと父さん、どんなところで働いてるんだ……」
両親が魔法師として働いていることは知っていた。それでも職場までは知らなかったのだ。
まさか見上げるほどの高層ビルが実習先だなんて思わないだろう。
「こっちだよ~!」
そんな俺たちに、手を振って駆け寄ってくる人がいた。
「母さんがお迎えって……」
「気合入ってるんだと思う。ほら、息子の前ではカッコつけたい、みたいな?」
「そういうもんかね?」
周りの目を気にせず走ってくる姿に、俺は思春期ならではの恥ずかしさが出てきた。
中身は大学生でもあるわけなのだが、それでもあんな全力で走り寄ってくることはないんじゃないのかな。
「ようこそ、私の職場へ!」
「……母さん、仕事は?」
「これも仕事よっ」
「……俺たちの迎えが?」
「もちろん!」
「……手の空いてる人に———」
「私が一番手が空いていたの!」
「あの、お母様……」
「お母様なんて堅苦しいこと言わないでっ。普通にお母さんって呼んで?」
「えっと、お母さん……?」
「……結衣もいいけど、沙耶ちゃんもいいわね。ねっ、翔夜?」
「俺に同意を求めないでくれない? というか、周りの人がさっきから見てるじゃん。すんごい恥ずかしいんだけど?」
「そう? じゃあ私の部署に行きましょ」
まるで嵐のような人だった。俺の母さんなわけなんだけど。
母さんはそういって先程までのことがなかったかのようにビルの中へと入っていった。
「いつもよりテンション高いな……」
「やっぱり翔夜が自分の職場に来てくれるのが嬉しいんだと思うよ」
「だとしても、だ。沙耶にお母さんって呼ばせるのはどうなんだよ……」
「で、でも……将来的には呼ぶかもしれないし……」
「そ、そうだな……」
嬉し恥ずかしな返答に思わず目を背けてしまうが、ここでは周りに注目されてしまっている。
あまりそういった雰囲気にならないようにしなければ。
「さぁ、こっちよ」
俺たちを急かして母さんがエントランスから呼びかける。
「うっわ、ご立派……」
「だね……」
外から見ても驚愕していたが、エントランスに入ってさらに驚愕した。
なんと入ってすぐにドラゴンの剥製がおいてあったのだ。
「あーあれ? 私が実験で作ったやつ。うまく出来たから飾ってもらってるのよ」
「えっ……おう……そうか……」
「翔夜のお母さん、ホントにすごいね……」
「いやマジでな……」
母さんは何気なく話しているが、そんなありふれたものではない。
勿論魔物の剥製がないわけではない。だがそれは、専門の方が長い期間をかけて作っているものなのだ。それを一魔法師が作ったというのはおかしい話なのだ。
「私たちも、将来はこういうところで働きたいよね……」
「あれを見てそう思うのか?」
「いや、えっと、凄い人がいるところで働きたいねっていうこと!」
「あー、なるほど」
確かにおかしなことをしていると感じてしまうかもしれないが、視点を変えればとても高い技術を持った人がいると見ることができる。
母さんだけではなく、他にも優れた魔法師の方々がいることだろう。そういった環境で働くのは、俺たちにとって成長につながることだろう。
「えっ、働くでしょ?」
「「えっ……?」」
何を言っているのと、母さんは俺たちを見つめる。
「だって二人とも強いだろうし、寧ろ来てほしいくらいなんだけど?」
「マジのヘッドハンティングじゃん……」
「一年生で就職先決まっちゃったね……」
結構軽く言われていたから、まさか本当に推薦されているとは思わなかった。
就職先はまだ考えなくてもいいかと考えていたが、この頃から就職先が決まっているのは就活に困らなくていいな。
「あーでもでも、無理強いはしないわよ? 大学に行きたいなら行ってもいいし、他の道に進みたいならそっちに行ってもいいし」
俺としては就職先が決まるのは嬉しい。しかもここは見るからに大手だろうから福利厚生もしっかりしていそうだ。
だがそれでも母さんは俺たちにしっかりと選択肢を与えてくれた。
「まぁ私が言いたいのは、魔法師になるなら一緒に働けたら嬉しいなってこと」
沙耶も母さんの言葉に嬉しく思っているようだった。
沙耶も将来的にはここで働く気で入るのだろう。その前に、俺は確認しておかなければいけないことがある。
「因みになんだけど、給料の方は……」
「ん~、初任給で……」
「えっ!?」
母さんは五本の指を立てていた。
つまりそれは、初任給で五十は貰えるということだろう。
初任給でそれだけもらえるのは何か裏がありそうで逆に怖かった。
「しかも臨時報酬とかあるから、実際はこれよりも多いと思うわよ」
「なっ!?」
母さんの言葉にさらに驚く。
恐怖とか裏があるんじゃないかとか、もうどうでもよかった。
「今後ともよろしくお願いいたします!」
「お金で決めちゃうんだ……」
お金で決めるんです。
母さんが進めてくるのだから環境もいいはずである。それを信じてのお願いなのだ。
「お金は大事だぞ!? 子どもを育てるのに一千万はかかるって言うんだからな!」
「こ、こここどこど……!?」
「あっ、いや、言葉の綾と言うか……いや間違ってないんだけど……!」
「あらあら」
興奮して思わず言葉にしてしまった。
例として挙げたものは、将来を考えさせるものだった。そのせいで俺たちは黙り込み、お互いに顔を赤らめることになった。
俺も母さんに似たのだろう。周りの目を気にしなくなり俺と沙耶だけの世界を作り出そうとしてしまった。
そんな俺たちを静観していた母さんだったが、流石にずっと見ているわけにもいかず、俺たちを自分たちの部署へと案内した。
「ここが、私たちの所属しているところよ」
「なんか見たことあるような?」
「有名なところだよ。この間だってニュースに出てたし」
「……マジ?」
沙耶に言われて思い出した。この部署は、上位種と呼ばれる魔物を専門的に狩る部署だとニュースで見たことがある。
道理で見覚えがある場所だと思ったわけだ。
「香織さん、この子らが?」
「ええ、そうよ。今日から一週間、ここで実習をすることになった学生よ」
俺たちが感心していると、ガタイのいい男性が母さんに話しかけてくる。
「珍しいですね、香織さんが学生をとるなんて」
「ヘッドハンティングよ」
「……強いんですか?」
「勿論。私が保証するわ」
「……なるほど、確かに強そうだ」
「なんで俺の顔を見て判断されたんだろう?」
「ま、魔力を見たんじゃないかな?」
その男性は母さんの言葉に信じられないといった表情をし、だが俺の顔を見て納得した。
沙耶は魔力を見たといったが、確実に俺の顔を見て判断したよな。強面で悪かったなこの野郎。
「あー紹介するわね。彼はわたしの部下のリキちゃん」
「剛力です。学生の前でその呼び方はやめてください……」
「いいじゃない。かわいいのに……」
「だからそこです……」
二人は何やら楽しく話していたが、俺箱の方が母さんの部下ということを聞いて急いで挨拶をする。
「初めまして、いつも母さんがご迷惑をおかけしております!」
おっと本音が出てしまった。