第百六十二話 ひと段落
クソ女神が去ったことで、辺りには静寂が訪れた。
「へっへっへ……」
ただし、一人だけおかしくなってしまった人物はいる。
虚空を見つめ、普段ならば笑うことなどない結奈が、不気味に笑っていた。
「やばい、結奈が見たことない顔で笑ってる……」
「泣きながら笑ってない?」
それは、クソ女神に裏切られたことに対しての怒りか。はたまた豊胸出来ないことに対しての絶望か。
それは俺にはわからない。
わかることは、現在結奈が正気ではないということだ。
「取り敢えず、あそこに転がってる男の身柄を確保しよう」
「そうだな」
この場には俺たち三人しかおらず、ほかの者たちは吹き飛ばされたままである。であれば、逃げられる前に俺たちで男を縛っておく必要がある。
勿論、男は逃げられる状態ではないだろうが、一応である。
「キヒヒッ……!」
「やべぇよマジで怖ぇよ……!」
先程よりも口角が上がり、三日月のように口が笑っている。
だがそれと反比例するように、眼の光がなくなっているように見える。
あのような目で見られたらと思うとゾッとする。
「ああいう時はそっとしておこう……」
「そ、そうだな。下手に刺激したらこっちに被害が及ぶだろうからな……」
触らぬ神に祟りなしとはよく言ったものだ。正確には神の使徒だが、あれはもう邪神といっても過言ではないだろう。
めっちゃ怖いもん。
「この男の人、気を失ってるね」
「あれだけ暴れていたのにな」
荒れた惨状を見渡し、この男との戦いで発生したものだと考えると、規模で言えば今までで一番かもしれない。
島の所有者である怜には申し訳なく思ってしまうが、それと同時にクソ女神が呆気なく片づけたことで少々不満もある。
「ぶっちゃけ、もっと戦いたかったな……」
「これ以上島を破壊されても困るんだけど」
「まぁそうだな~」
男を縛り上げながら、俺は先程の戦いを思い出し零すように話す。
「そこは理解しているんだよ。だけど、実際俺たちと渡り合った初めての相手なわけだから、残念に思っちゃうんだよ」
「愛する人に被害が及んじゃうかもしれないのに、暢気なこと言うね~」
「そ、そうだった!」
こいつは人の弱みに付け込んだりするクソ野郎だった。危うく沙耶を危険な目に合わせてしまうところだったよ。
「……翔夜、何してるの?」
「何って、逃げられないように縛っているんだが?」
怜が指さして、まるで汚物でも見るかのように険し気な表情で言ってくる。
「なんか前にも見たことあるよ」
「デジャブだっけか」
「あのさ……犯罪者は全員亀甲縛りにしないと死ぬ呪いにでもかかってるの?」
「逃げられない状態にし、且つ精神的ダメージを与えるにはこれが一番だろ!」
完成させたそれを怜に見せ、俺は豪語する。
目覚めたときにこんな格好をしていたら、俺だったら恥ずかしくて死にたくなるね。
「いや、まぁ、敵だし……いいのかな?」
「いいだろ」
「……考えないようにするね」
そう言って怜はどこかへ行ってしまった。
恐らく吹き飛ばされた者たちを探しに行ったのだろう。
俺もこいつを適当なところに放置して探しに行かなければ。
そう思って振り返った正面に結奈が立っていた。
「ねぇ……」
「ぅおビックリした!? 急に現れんな!」
「どうして、私は小さいの……?」
「どうしてって……」
自身の胸を見て憔悴した様子だった。
つい今しがたまで狂気に笑っていたとは思えないほどの豹変ぶりである。
「あの女神は、僕から胸を奪った……」
「奪ったわけではないが……」
「だから僕思ったんだ……」
「……な、なにをだ?」
憔悴しきっていると俺は勝手に思っていた。
それは間違っていたと言わざるを得ない。この表情を見てしまったら。
「ないなら、奪えばいいじゃないかと」
「う、奪う?」
「そういえば、あの女神サマはご立派なものを持っていたなと」
「……一応聞くけど、どうやって奪うんだ?」
「えっ、どうやってって……こうやって」
そう言って見せたジェスチャーは、何かを握ってむしり取った。つまりは、そういうことだろう。
「マジで怖いよ、お前が」
「ねえ翔夜、私になくて沙耶にあるものって、なに?」
「唐突だな」
「いいから」
いきなり関係のないことを聞かれたが、恐らく真面目な話をしているのだろう。
精神的に不安定な結奈をどうにか平常に戻すには、俺の言葉にかかっているというわけだ。
「……取り敢えず、その武器から手を放してくれないか?」
「やだ」
「じゃあせめて俺に向けるのをやめてくれない!?」
真面目な話はしよう。
だけど、俺へと刃の先端を向けることはやめてほしい。
少し突き出しただけで俺に触れてしまいそうなほど近くにあるのは恐怖してしまう。
「そうしたら瞬時に殺せないじゃん」
「思い切り八つ当たりじゃん! 俺全然悪くないじゃん!! 悪いの全部クソ女神じゃん!!!」
「ほら、早く」
「くそったれぇ……!」
たとえどれだけ叫ぼうが、その声は結奈に届かなかったようだ。
そのため俺は殺されないために、必死で思考を巡らせた。
沙耶にあって結奈にないもの。それはまぁ身体的なものは直ぐに浮かぶ。
だがそれを言ってしまったら俺は死ぬ。何なら拷問される可能性さえある。
だから、内面的なものを答えなければいけなかった。
「そうだな……『見える』優しさかな」
「見える優しさ?」
「ほら結奈の優しさってわかりにくいじゃん? だから察しの悪い俺だとそれが結構わからないときがあるんだよ。それに比べて沙耶は優しさがわかりやすい」
何言ってるんだろうなという自覚はある。
でも誰も傷つけずにこの場を収めるのはこれしかないと思ってしまったんだ。
結奈、これに納得してくれ。ぶっちゃけ沙耶が俺のどストライクだったから、差異なんて全然わからないんだ。
「それが結奈にはないもの、かな?」
「……ふ~ん」
納得してくれたのか、俺に向けられていた矛を収めてくれた。
「胸って答えなかったから殺さないで上げる」
危なかった。
本当に危なかった。
そのすぐ後に、仲間たちを引き連れた怜がこちらへと戻ってくるのが目に入ってきた。
もう少し早く帰ってきてほしかった!