ツイ 参
陽乃杜大社は和守町のほぼ中心に位置する、森それ自体を御神体として奉っている。町内外に多くの分社を有し、数千年の歴史を持つ由緒ある神社だ。
二つ目の鳥居をくぐり、長い参道に入る。参道は木々に囲まれていて涼しく、閑静で清らかな空気が満ちている。両脇に並ぶ石灯籠は所々苔をたたえている。
参道を抜ければ、開けた空間の眼前に社が構えられており、その向こうには木々に覆われた山がそびえ立っている。その山こそが陽乃杜大社の御神体だ。
手水舎で手と口を清め、二人揃って社に参拝する。ツイは毎日のことで慣れたものだが、露葉は作法は知ってはいるが、どこかぎこちない動きだった。
「さて、この時間だと社務所かな」
ツイが呟く。露葉もあとについて行こうとスーツケースを持ち上げようと持ち手を短くした。それをツイが横からひょっいと持ち上げると、社務所の方へと歩き出す。露葉は慌てて礼を言いながらツイを追いかけた。
「さっきは気づかなくてごめんね、砂利道は引きずれないな」
「いえ、あの、大丈夫です! 自分で持てますから」
「誘ったのはこっちだし。あ、燈火さん!」
社務所の前、神主の装束に身を包んだ人物をツイが呼び止める。その人はくるりとこちらを振り返り、ツイを認めてゆったりとお辞儀した。
「ツイさん、お待ちしておりました。ご苦労様です」
「いえいえ、こちらこそいきなりすいません。相変わらず、來の人使いが荒くて……」
ツイの愚痴にもふふ、と柔らかく笑って対応する燈火は、見た目は高校生ぐらいに思われるほど幼さを残しているが、その実ツイより年上である。
「ところで、そちらは?」
燈火が露葉の方を伺って問う。
「楢丘露葉、学園の新入生です」
「はじめまして、楢丘露葉です。ツイさんに、道に迷ってるところを助けて頂いて」
ツイの紹介に続いて自己紹介した露葉に、燈火は少し驚いたような顔をしたが、すぐにやんわりと笑んで露葉の方を向いた。
「そうだったんですね。私は春杜燈火と申します。陽乃杜大社で禰宜を務めております。宜しくお願い致します」
お互いに深々とお辞儀を交わしたところで、ツイが懐から風呂敷を取り出して燈火に差し出した。燈火はそれを両手で受け取り、包みを解いて中身を確認した。
「はい、確かに。新しい綴じ紙をお持ちしますね、少々お待ち下さい」
そう言って、燈火は社務所の中に入っていった。燈火を見送って社務所の方を眺めていると、不意に背後から派手な音がして、ツイが前につんのめった。
「お、やっぱりツイじゃねーか! 元気にやっとるか?」
「いったい! 痛いっておっちゃん! 何で足音消すかな!」
背中を大きな手のひらで思いっきり殴られたツイが、殴った張本人を振り返って怒鳴る。
「そりゃお前、癖だわな! ってお前何だ? えらい別嬪さん引っ掛けてんじゃねーか」
「そういうのセクハラって言うんだぞ……。新入生にんなこと言ってるって笹崎先生に知れたらおっちゃん首だからな」
「それは困る! 割合こそ少ないが貴重な収入を失うわけにはいかん」
ころころと表情を変えるおっちゃんを見ながら事態を飲み込めずきょとんとしていた露葉に、ツイは苦笑してみせる。
「露葉、このおっちゃんは左京碧って言って、元白斗で今は和守学園の特別講師。一応、先生」
「露葉だな、俺のことはおっちゃんじゃなくて碧先生って呼んでくれ。あと、さっきのことは忘れてくれな!」
着流しの懐に突っ込んだ左手を出そうともしないまま、碧は露葉に右手を差し出した。露葉はそれに応え、宜しくお願い致しますとまたお辞儀した。
「碧先生、ご無沙汰しております。こちら、綴じ紙です」
いつの間にか社務所から出てきた燈火の両手には、『羽遠屋』『安芸津』と表紙に書かれた紙束がふたつずつ乗っていた。
「ありがとうございます」
「おぉ、うちの分も。流石燈火さんは察しが良くて助かる。有り難く」
各々それを受け取って風呂敷に包み、懐に仕舞う。
「ツイは今日は仕舞か?」
「うん、露葉を寮まで送って帰る。……そうそう、おっちゃん、さっきの忘れて欲しかったら花見弁当宜しく」
「恩師を脅迫たぁ全く、どこで教育間違ったかねぇ……。まぁいいさな、来週にゃ桜もいい頃合いだろ、三丸のぼっちゃんも連れて来な!」
じゃーな、ともう一つツイの背中をしばいて碧は引き返して行った。いてて、と碧の方を睨みつつ背中をさするツイを、露葉が大丈夫ですかと苦笑いで気遣う。
お花見ですか、良いですね、と微笑む燈火は、相変わらず少しズレている。しっかりした人だけど天然は抜けないよな、とはツイの言葉だが、燈火に会う度にそれを思い知る。
「それじゃ、そろそろ行こうか。燈火さん、ありがとうございました。また」
「はい、また。露葉さんも、お気をつけて。」
「はい、ありがとうございます」
ツイと露葉、燈火は会釈しあうと、燈火は社務所へ、二人は参道の方へと歩き出した。
「陽乃杜の白斗には会わなかったけど、おっちゃんに会えるとは。あんなだけど、腕は確かな白斗だし、あれでも左京家の人だから、何かあれば頼って良いと思うよ」
「ツイさんは、その、碧先生……? と、仲良いんですね」
「一応、白斗のイロハを叩き込んでくれた人だからね」
やれやれ、とでも言いたげにツイが呟く。不本意そうではあるが、まんざらでもなさそうな。こういうのをつんでれっていうんだっけか。
「恩師、みたいな?」
「うーん、恩師というよりかは年の離れた兄貴……みたいな?」
「確かに、碧先生って先生っぽくないですよね」
控えめに思い出し笑いをする露葉は、何となく打ち解けた雰囲気を醸し出している。
「元々根っからの白斗だったしなー。先生って感じしないよな」
「先生って、元々先生じゃなかったんですか?」
「おっちゃんは元白斗だよ。引退した時に学園に話を持ちかけられて、先生になったんだってさ」
先生にも色々いるんですね、と露葉がつぶやく。経緯はどうにせよ、おっちゃんが特殊であるだけのようにも思うが、言わずとも露葉はこれから学園に入学するのだ。身をもって知ることになるだろう。
そうこう話しながら歩くうち、道路の向こうに長い生け垣が見えてくる。生垣沿いにしばらく歩いて道路を一本渡った所に、学園の寮はある。学園の敷地とは目と鼻の先だ。
ガラガラと引き摺っていたスーツケースを立て、寮の正門前で二人は立ち止まる。
「よし、着いた。それにしても久しぶりだなー」
門の向こうを見ながらツイが言う。ツイは学園周辺にあまり来ることはない。それこそ、卒業以来片手で事足りる程度にしかこの辺りへ来たことは無かった筈だ。
「今日はありがとうございました。沢山お話が聞けて良かったです」
「こちらこそ。露葉と話が出来て楽しかった。今度は学園の話を聞かせてくれると嬉しい。何か力になれることがあったらいつでも連絡して」
「ありがとうございます。心強いです」
露葉はポケットの上に手を添える。多分、ツイの名刺を仕舞ったところだ。
それじゃ、と軽く手を振ってツイが踵を返す。露葉は最後にまた頭を下げて、しばらくツイの背中を見送った後、スーツケースを引きずって門の中へと消えていった。
「晩御飯買って帰るか」
町を赤く染める夕日に目を細めつつ、ツイは一人呟いた。パーカーのポケットから携帯電話を取り出して時間を確認する。家の近くまで戻るころには、行きつけのスーパーのお弁当やお惣菜に値引きのシールが貼られる頃合いだ。
「……ん?」
歩きながら帰宅後の段取りを考えていると、ふと嫌な予感を覚えて、帯締め代わりに腰に着けた小さなポーチを探る。本来その中にあるべきものがない。財布を取り出してもう一度手を突っ込んで隈なくその中を探すが、無い。
「家の鍵、置いてきた……」
いつもならまだ、來がいる時間なのだが、今日は早上がりすると言っていた筈。來はプライベートでは全然連絡を確認しない奴なので、電話してもメッセージを送っても、リアクションは期待できない。
ダメもとでメッセージを送信し、電話をかけてみるもやはり一方通行で、いとも容易く万策尽き果てた。