屋形舟で、神様たちの大宴会!?
◆ ◆ ◆
「おい小娘! そなたも主様の宴に出たくはないか? うまいものがたんと食えるぞ!」
「えっ」
つい反応してしまった。
美味しいものを、食べさせてもらえる?
宴ってことは、宴会料理だよね。
松阪牛のステーキに北京ダック、数種類の中華料理に、ケーキとデザートの山……。
この平安風な異世界にそんなものはなさそうだけど、それなりの御馳走やお菓子はあるはずだ。
期待につい瞳を輝かせてしまったあたしに、ナマズたちが口々に言う。
「身も心も蕩かす美酒に、焼きたての肉!」
「煮込んだ肉、炙った肉、漬けた肉、血の滴るような生の肉」
「獣の肉。蛙の肉。禽の肉。舌が蕩けるほど旨い、孕の肉もあるぞ」
「赤い肉に黄ばんだ肉、白い肉~、黒ずんだ肉~」
「黒い肉? ねえ、それって腐りかけなんじゃない?」
思わず突っ込むと、『生』男がしみじみと頷いた。
「そこがまた、格別うまいのだ」
「……は?」
「いやいや、冗談じゃ! 冗談に決まっておろう? な!?」
大ナマズが、中ナマズの背中をバンと叩いて笑う。
不自然なほど大きな口を開けて笑ったので、ギラギラ輝くとがった歯が丸見えとなった。
あれ、ナマズって肉食だっけ? あんなに鋭い歯をしてるってことは?
「なーんだ、冗談か! おじさんたち、面白いね」
「ふはははは! 漫才なら我らに任せておけ! 小噺に狂言も得意じゃぞ」
肩を組んで笑う二人組を見ていて、ふと気づいた。
もしかしてこの二人、『生』と『頭』の入れ墨は、ナマ・ズと読ませたいのかも?
体を張った芸だなぁ。
「惑わされるな。人の子は、この世界にいてはならぬ」
きっぱりと白蛇が言ったが、ナマズたちは引き下がらない。
白蛇を押しのけ、あたしの前に進み出ると猛アピールを始める。
「宴に出れば、歌や踊りはもちろんのこと、愉快な遊戯もあるぞ!」
「隠れ鬼に、相撲大会、一階まるごと使った大双六、それからえーと何じゃった?」
「目隠し鬼! 指ぬき! 神封じ!! 油こぼしに、赤壺青壺……それからそれから」
「主様がくださる、大当たり福引大会~!」
可愛い声で、小ナマズが叫んだ。
「おお、それもあったな!」
「人の子よ、優しき主様はな、参加者全員に贈り物を下さるのじゃ!」
「遊びに疲れたら、見目良き女たちの膝で疲れを癒すもよし。逞しき男たちと一夜の夢を見るもよし」
「わしのような色漢があちこちにおるから、相手には事欠かぬ」
「このわしを指名しても良いぞ、小娘!」
ナマズ男二人は、左右の上腕二頭筋を見せつけてくる。
すごい力こぶだ。でも正直言って、あたしは筋肉を見せびらかすタイプの男性はちょっと……。もっと知性とか気品がある人の方が好きだな。
──べっ、別に白蛇が好みのタイプだって言うわけじゃないけどね!
反射的に白蛇の方を見ようとしたが、ナマズたちが邪魔で袴しか見えない。
「小娘にはまだ真の男の良さは分からぬか! ならば、力や名誉はどうじゃ?」
「尊き御方の目に留まれば、栄誉も褒美も思いのままぞ」
「霊力の宿る宝玉に、絹の打掛、寿命を伸ばす金の盃は欲しくないか?」
「何より、あの方ご自身が、世に比類なき麗しきお方……」
ほう、とナマズたちが嘆息する。
まるで思い出すだけで胸が一杯だと言わんばかりに。
「あなたたちの御主人様って、そんなに綺麗な人なの?」
「人の子には想像もつかぬほどに」
「かの方こそ、この世界で最も強く麗しく、高貴で賢く、溢るるほどの色香に満ちた御方」
「金銀財宝もあの方の前では色褪せる」
「人の子! かくも高貴なる宴に招かれたのじゃ! 寿ぎの一つでもして行け!」
「して行け~」
小さいナマズが嬉しそうに、あたしの頭上で舞い踊る。
可愛いなぁ。
「これより始まるは、神々の集う宴」
「つまらぬ人生を飾るまたとない誉なれば、歌のひとつも歌ってゆけ!」
「音痴でなければ、歌ってゆけ~」
えっ……神様の集まる宴?
白蛇は、ここは神隠しの世界だって言ったけど、本当に神様がいるの?
どんな宴なんだろう?
日本神話の神様みたいな人たちが集まるの? それとも……、ここは海だから、竜宮城で鯛や鮃の舞踊りみたいな?
少しだけ、見てみたいかも──。
「ならぬ。人の子を誘い込むのは約定を違える」
一層厳しい声で、白蛇が言った。
ナマズ男の後ろから白衣の腕が伸びたかと思うと、『頭』の入れ墨がある大男を軽々と押しのける。
あたしの腕を引っ張ると、奪い返すように背中の後ろに隠した。
ナマズたちから守るように白蛇の腕が伸ばされ、あたしは廊下と白蛇の背中の間に閉じ込められる。
まるで大切な宝物を守るような仕草に、鼓動が跳ねた。
「これは祝いの宴ぞ! 堅いことを言うな、白蛇」
「少しくらい目をつむれ」
「目をつむれ~」
白蛇とナマズ男らの言い争いが始まった。
ナマズたちは次から次へと言い訳を考えだし、「見たところで、どうせすぐ忘れる」とか「腹が減っては人の子が哀れだ」とか、「人の子を見るだけで、主様が喜ぶ」などと懐柔しようとする。
白蛇は何を言われても固く拒絶し、あたしを守り続けている。
あたし、さっさと帰った方が良いの……?
所在なげに海辺に視線を送ると、波間に、綺麗な満月が映し出されていた。
先ほど白蛇が形を変えてくれた新月は、もうすっかり元通りだ。
呪文の効果が切れたのだろう。
全部、やり直しだ。
……すごく、申し訳ない。
白蛇は、水面の月を動かすのにとても苦労していた。小さい太陽を作るのは、あっという間だったけど。
続けて何度も大仕事をさせるのは気が引ける……。
帰りたいは帰りたいけど、そんなに急いでいるわけでもない。
どうせ一から道を作り直すのなら、もうちょっと後でも構わないんじゃ?
それに──。
生頭たちは、神様たちの宴が始まる、って言ってた。
そんなのあたし、見たことも想像したこともない。いやアニメでなら見たことあるけど。
それがこれから始まると言われると、ちょっと……かなり心をそそられる。
ほんの少しだけ、覗いてみたい。
美しい神々の集まる、華やかな宴。
幻想的な屋形舟で、白蛇みたいに美しい装束を纏った神様たちが、宝物の交換をしたり、舞を披露したり。
竜宮城の乙姫様みたいな、綺麗な女神様があちこちで微笑みかけてくれる。
テーブルには、見たこともない御馳走やお菓子、瑞々しい果物がずらり。
神様たちのお召し上がりになるお菓子だから……、きっと、氷の中にお花が咲いているような不思議な和菓子とか、雪ウサギみたいなふっくらしたお餅の、可愛いお菓子があるんじゃないかな。
飲み物だって、一口でお肌がつやつやになるような素敵な果物ジュースがあったりして。
それで帰る頃には、三割増しで美人になってたり──いやそれはさすがに期待しすぎか。
うわあ、想像するだけでドキドキしてきた!
これを見ないで帰ったら、一生後悔するかも。
……ほんの五分だけなら、いいんじゃない?
おとぎばなしの『浦島太郎』は、竜宮城で二、三日過ごしただけで、現実では三百年も経ってしまった。
だから念には念を入れて、五分だけ。
ちょうど一曲歌うだけの間だ。
あたしは後ろから白蛇の袖を引っ張る。
「一曲くらいなら、歌って行ってもいいかなって思うんだけど……。そんなに音痴じゃないし、せっかく誘ってもらったから。
あたしが行きたいって言っても、だめ?」
「神の宴に、人の子など入り込むものではない」
白蛇はきっぱりと言った。
……そっか、そうだよね……あたしなんかじゃ役不足だよね……。
明らかな拒絶に、肩を落とした瞬間。
落雷のような轟音が辺りに響いた。生暖かい強風が、髪や制服のスカートを乱したかと思うと、ざざざざざ、と海面が荒波立つ。
はっと息を呑んだ白蛇が、素早く海を見る。
その直後、ぐらり、と大きく足元が揺れた。
「きゃ…!?」
壁に手をついて体を支えながら、辺りを見る。
──舟の内装が一変していた。
長い廊下を照らしていた蒼白い燈籠の光は、一斉に鮮やかな緋色の灯へと変わり。
釣り灯籠に施された八芒星の透かし細工は、いつの間にか、中央に『神』という字を抱いている。
廊下の端まで続く、神、神、神……そして火、火、火。
ゆらめく影、影、影。
別の空間に変わったかのように、強い力に満ちている。
舟べりの手すりを支える柱には、折紙にも似た緋色の幣と榊の枝が飾られ。
その間を、白黒の注連縄が隙間なく繋いでいる。
まるで結界──舟の内と外の行き来を禁じる呪具のよう。
そのせいか、どんなに海が激しく荒れても、一滴たりとも飛沫が廊下を濡らすことはない。
まじまじと見つめていると、再び足元が大きく揺れた。
「わわっ!?」
高く上へと揺らいだ足元が、今度は深く下がる。
海に振り落とされそうになって手すりに抱き付く。──いや、漆塗りの手すりに抱き着くつもりが、寸前で強く腰を抱き留められる。
嗅いだことのない上品な香りが、ふわりと鼻先をくすぐった。
恐る恐る顔を上げると、鼻筋がすらりと通った綺麗な顔が目の前にある。
白蛇、だ。
「!」
名も知らぬ美少年の右腕に抱きかかえられている。
恥ずかしさと、驚愕に息が止まった。
細いけど、意外と力があるんですね。
白蛇は眉一つ動かさない冷静な表情をしているけど、あたしの心臓は狂ったように早鐘を打ちっぱなし。
と……ときめきとかじゃないから! これはびっくりして! それでドキドキしてるだけだから!
自分に言い聞かせて、冷静さを取り戻そうとする。
それにしても白蛇って、体温は普通なんだ……。手とか時々すごく冷たいから、蛇みたいな低体温なのかと思ったけど、胸も右手もとても温かい。
首も普通に脈打ってるし。それにしてもこのいい香りは一体何だろう……。もうちょっと深く嗅いでみたい……。
と彼の首筋に頭を寄せようとして、はっとした。
な…何をやってるの、あたし! 早く離れなきゃ!
手を放そうとしたが、白蛇が強く抱きしめていて、ぴくりとも動けない。
その間にも、また足元が上がっては下がりの繰り返しが続く。
「少しの辛抱だ、じきに収まる」
落ち着かせるように、白蛇が囁いた。
小さく頷き返した時、少年の肩の向こうで、何か黒いものが蠢くのが見えた。
形のない煙のようなモノが。
影だけど、影じゃない……?
釣り燈籠から漏れる朱の光に照らされ、無数の『神』という字影が廊下で踊っている。
まるで生き物のように伸び縮みする影から、次々と黒い泡が生まれては、ぼんやりした獣の形となって、壁の中にすぅっと消えていく……。
影が、勝手に歩いている。
壁をすり抜けて。
舟のあちこちを、彷徨っている。
ぞぞぞぞぞ、と鳥肌が立った。
残された方──影を無くした『神』の燈籠は、八芒星の枠の影だけを床に落としながら、そ知らぬ顔で明々と燃え続けている。
さも当然のことのように。
「なっ、なに今の…! 文字から、ううん、文字の影からお化けみたいなのがいっぱい出てきたよ……!?」
「そなたに害はなさぬ。あれは船玉に仕える者たちだ」
淡々と説明されたが、背筋がぞくぞくするような寒気は収まらない。
神々の世界では、『神』という文字の影すら独り歩きするのか。いやそれとも、あれは付喪神、もしくはそれになりかけの神もどきみたいなモノなのか。
怖くない怖くない害はない、と自分に言い聞かせるが、二の腕の鳥肌は収まりそうもない。
あれと接触するかもしれないと思うと、泣きそうな気持ちになる。
「だから帰れと言ったのだ。──神の世界は、人には計り知れぬ」
嘆息交じりの白蛇の言葉に、あたしは深くうなだれた。
帰す言葉もございません。
落ち込むあたしをよそに、ナマズ男らが勝ち誇った様子で叫んだ。
「ふはははは、船魂が目覚めた!」
「主様のお越しじゃ! 舟が出るぞ……!!」
舟が出る……? さっきまで家みたいに安定してたのに、急に揺れ始めたのは、フナダマが目覚めたから?
『神』の明かりが灯って、影の生き物が現れたのも、出航の合図?
「──時は満ちた。残念だったな、小娘!」
「是より、宴が始まる。もはや誰も、この舟を降りることは叶わぬ」
「神々の祝宴が終わり、いずこかの国の岸辺に着くまでは。何者であろうとも、御方様の前から逃げることは叶わぬ」
「くく……はぁっはっはっは……!」
どうしてそんなに嬉しそうなの?
戸惑って見上げるあたしに、白蛇は悔し気に眉を寄せて呟いた。
「ナマズどもの言う通りだ。──そなたはもう、元の国へは帰れない」
端正な唇から流れ出た冷たい言葉に、あたしは凍り付いた。