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和装の美少年は○○を愛用する。(内緒にしてください)



  ◆  ◆  ◆



「忘れよ。全て。ここで見たことは、何一つ、決して、誰にも漏らすな」


 ささやく美少年の眼差しは、凍るように冷たい。


 あたしは直感した。

 ──厠とおまるの事ですね。

 クールな顔をしてても、やっぱり恥ずかしかったんだ。

 わざわざ追いかけてくるくらいだし、そんなこと言いふらされたら男子の一大事だもんね。


「約束するなら、そなたのために帰り道を作ろう。──ここは、日の欠けた国。人の子が踏み入るべき処ではなく、容易く帰れる処でもない」


「えっ……あの、これは夢じゃないの? 帰れないって……二度と夢から醒めないってこと?」


「夢ではないと言っている。古くは『神隠し』と呼んだ。異なる者の国に紛れ込み、戻れなくなった者たちのことだ」


 神隠し!! 

 考えもしなかった言葉に、あたしは両目を見開いた。

 そんなの起こりっこない──と思いかけて、いくつもの意地悪な笑い声が頭に響く。


 あんたなんか消えちゃえ、消えろ消えろ、もう学校くんじゃねーよ! とあいつらは笑ってた。

 神隠しが起こると噂の、暗いほこらの外側から。

 祠に閉じ込められたまま日が暮れた──。


 でも、あたしはその後、祠から逃げ出してちゃんと家まで帰った! 

 だからこれは、ただの夢だ。

 夢に決まってる。


 …………そう思いたいけれど、少しだけ不安が残る。


 あたしはどこから夢を見てたんだっけ?

 部屋を出て、階段を下りて、トイレに行った。

 後ろを振り向いたら、ドアがやけに古い引き戸に代わっていた。

 そこまでは現実だと信じていたけど、それも夢だったとしたら?


 つまり、祠を壊して家に帰った──というのも全部、夢で。


 本当のあたしは今も、一人きりで祠の中に閉じ込められている。

 

 ──嘘だ、やめてよ!!


 ぞっとした。

 寒気が走る体を、抱きしめる。

 信じたくない! でもたぶん間違いない……だって、あの古い引き戸。

 トイレの出口にあった引き戸は、よく思い出してみると、祠の戸にそっくりだ。

 

 あたしはまだ、家に帰ってない。

 祠の近くでうろついてる……もしくは、さらに深い奥の世界に踏み込んでしまっている。


 ──そっか! だからこんなにトイレに行きたいんだー。放課後以降ずっと行ってないんだもんね!

 

 なんてのんきに分析してる場合じゃない!


「家に帰りたいです! 何でもしますから、帰り道を教えてください!」


 焦って美少年を拝むと、冷静な声が降って来た。


「──約束を。そなたがすべきことは、それだけだ」


 感情を無くしたような冷たい少年の声を聴くと、混乱していたあたしの心も少しだけ鎮まった。


 ええと、確か、『ここで見たことは何一つ他人に漏らすな』って言ってたよね。

 特に、厠とおまるの件を。

 そうすれば、帰り道を作ってくれる……って。

 

 白い水干をまとう美少年を、あたしはもう一度見つめた。

 平安時代の人かなって勝手に思っていたけど、もしかしてこの服、そういう意味じゃなかったのかも。

 神社で巫女さんが緋袴を着ているけど、それの男性版みたいな意味で。

 何か不思議な力を持っている人を表わしているんじゃない? 神様の使いみたいな……。


「わたしの力が信じられぬか? 堕ちたとはいえ、その程度の力はまだある」


 感情のこもらない声で呟いた少年は、灯火を持ち替えて右手であたしの手を取った。

 灯を持っていたせいか、とても暖かな手で、傷だらけの両手を開かせる。


 斜めに血の色が滲んでいる傷口の上に手をかざすと、いくつかの言葉を囁いた。

 柔らかな金色の光が、手全体を優しく包む。


 とても温かい、安らかな気持ち……。

 何も恐れることはないような。

 見えない大きな力に守られていると、確信できるような。


 冷たい無表情の少年の手から生まれているとは信じられないほどに、穏やかで柔らかな光が手のひらに溢れる。


 彼が手をどけた時には、あたしの両手にあった傷は、跡形もなく消えていた。


 本当に、ない。

 触ってみたけど、痛みも裂け目もない。すべすべた。

 

 ここがどこかは分からないし、何が起きているのかもよく分からないけど、彼のことは信じていい気がした。


「お約束します。さっき見たことは、絶対に誰にも話しません。──怪我を治してくれてありがとう」


 なんだか不思議な気分だ。

 親友に裏切られて傷だらけになったけど、見ず知らずの少年がその傷を癒してくれるなんて。

 冷たそうな顔をしているけど、優しい人みたい。

 誰かに裏切られた悲しみが、誰かの優しさで少しだけ癒えた気がした。


 少年は約束の証に小さく頷く。暗い廊下の、壁面としか思えない一角に手をかけた。

 何かを外す動作をすると、外側に押し開く。


 ぎぎぃぃ、と重たい音がして、壁の上部が開いた。


 さらにどこかの掛け金を外して、下半分も押し開けた。

 蔀戸しきみど──お寺なんかでたまに見かける、昔の扉だ。


「うわぁ、満月だ……!」


 向こう側から澄んだ月光が差し込み、あたしは歓声を上げた。

 見慣れた満月よりも、濃い影を作っている。

 光が強い──大きさも、一回り大きい。

 美しい銀色の満月は、辺りの風景を、夕刻かと思うほど鮮やかに映し出す。


 縁側の軒下に沿って並ぶ、透かし細工のある美しい釣り灯籠。四角をずらして重ねた八芒星の透かし細工の奥には、やはり蒼い炎が揺らめいている。

 

 等間隔に並ぶ円柱は黒と朱塗りで、柱の間を組木細工の優雅な手すりが繋いでいる。ところどころ金に塗られた手すりの向こう側には、銀色に光り輝く玉石の庭園がある──と思いかけたが。

 

 よく見るとそれは、水面に月光がキラキラと反射する、海だった。


 ほのかに鼻に届く磯の香り。

 ざぷっざぷっと繰り返す波音。

 間違いなく、そこにあるのは大海原だ。


「ちょっと待って!? この家、海の真ん中にあったの!」


 ここはかの有名な厳島神社か。夢にしても畏れ多い!

 あたしの驚きなど気にも留めず、美少年は濡れ縁へと続くきざはしを降りていく。


「家ではない。これは、舟というものだ」


 小さな子供に説明するような声だったが、気にしないことにする。


「そうなんだー。舟なら、海の上でも全然おかしくないね……っておかしいでしょ!? 足元、少しも揺れてないもん!」


 陸を歩いている時のように、地面はまっ平らだ。

 しかも、舟と呼ぶにはここは広すぎる。


「まだ船玉が眠っている。この屋形舟は、汃天哈咒神の命でのみ動く。そなたがどれほど暴れても動かせぬ」


 いや、動かしたいわけじゃないのよ。動いてないから舟じゃないって言いたいわけでもなくてね、ゆらゆら揺れるくらいは揺れてもいいんじゃない? って思うだけなんだけど……。ああ、もういいや。

 神隠しって、夢のような世界なんだなぁ。


 舟は揺れない。

 太陽は欠ける。

 おまけに、和装の美少年は、おまるを愛用してる。


 見上げた夜空では、やたらと大きな満月が煌々と輝いている。

 でもあれは本当にお月様? 姿形は似ているけれど、まやかしに誑かされているような気がしてくる。

 ただの壁だと思っていた場所が、本当は扉だったように。

 月に見えても、本当は月じゃないかも。

 人に見えても、本当は、人じゃない何かかも。


 ──この少年も。


 人じゃなかったら、いったい何だろう? 

 並はずれて美しい、この不思議な力を使う少年の正体は?


 声もなく見守るあたしの前で、美少年は片膝をついて海面に手を浸した。

 波間で戯れる満月をすくい取るように、手のひらをくぐらせる。


 綺麗な唇から、聞いたことのない呪文がこぼれ落ちた。

 英語でも外国語でもない。これはまじないだ、とはっきりわかるのは……音の区切り方があまりに違うから。

 そして、はっきり聞き取ろうと集中すると、頭の中がぐらぐらするような威圧感があるから。

 言霊。

 それがざわめいているのを感じた。


 船酔いのような眩暈をこらえて見つめていると、少年の右手の先で、海に映った満月が、ほんの少しずつ細くなっていく。


 月が、新月に近づいてる……!


 驚いて頭上を見るが、空にかかった月は、満月のままだった。

 欠けているのは、水面の月だけだ。


 水面の月が半分まで欠けた時、少年は深く息をついた。

 厄介そうに目を細めて呟く。


「力が足りぬ。……今宵はあまりにも、あの方の力が強い……」


 ──あの方って、誰?

 さっきの、ナントカ神とは違う人?

 名前を呼ぶのもはばかるような人……なのかな。


 少し考えた後、意を決したように少年は袖を上げる。

 もう片方の手も、水面の月に添えた。


 歌のような不思議な呪文は、あたしみたいな門外漢でも分かるほど、さっきよりも強い力を持っていた。

 呪文酔いで、視界がぐらつき始める。視界全体が歪んでいく……。


 そのせいなのか、少年の白い袖に描かれた水草が妖しく揺れ始めた、ように見えた。

 波間に揺蕩たゆたう海藻のように。

 まるで自分まで海中に引きずり込まれたような気がする。


 ……これ以上聞いたら、おかしくなりそう……。

 

 あたしは両耳を押さえて、じっと少年の手元を見つめた。


 水面の月はどんどん細くなる。

 三日月になって、弓のように細くなり、とうとう線のように儚くなり──。


 消えた。


 少年の左手の中に、どこへ続くともしれない闇が現れる。

 フッと息を吹きかけると、右手の上には太陽のような小さな閃光が浮かんだ。


 偽物の太陽を作るよりも、水面の月を動かす方が難しいらしい。

 少年は海の中から両手を引き上げると、左右のてのひらに浮かぶ闇月と陽を混ぜ合わせようとする。


 その瞬間、視界を青黒いものがよぎった。

 水干の袖に描かれた水草模様の間を、魚影が泳ぎぬける。


 あっと思う間もなく、『それ』は、甲板という名の廊下に飛び出した。


「おう白蛇! 何の術を使って遊んでおる?」

「もうすぐ出航ぞ!」

「白蛇~!」


 少年の絹織物の袖から飛び出したのは、長いひげを持ったナマズだ。

 大、中、小、と三匹。

 何か食べている最中だったらしく、むごむごと口元が動いている。多分、するめかな。吸盤のついた足が一本、口から飛び出している。


「む? 月陽を動かしておるのか? ははあ、恋人とでも密会するつもりじゃな?」


 白蛇と呼ばれた美少年の陰になっているせいで、ナマズからあたしの姿はよく見えないらしい。


「どこの女子おなごじゃ? ワシらにも見せろ!」


 大ナマズと中ナマズは、瞬く間に、つるっとした坊主頭の大男に変わった。長いひげがナマズだった時と同様、ハの字に生えている。

 時代劇のごろつき風の短い袖なし浴衣を纏い、大きく開いた襟の向こう側──ちょうど心臓の真上辺りに、それぞれ傷跡がある。


 人の形に化けたナマズたちは、白蛇の背を遥かに越える大男だった。

 白蛇の後ろで驚いて見上げるあたしと、ナマズ男のぎょろっとした目が合う。


「むむっ!!」

「ひ、人の子じゃあ!?」


 よほど驚いたのか、二人のナマズひげに、びりびりと震えが走った。

 よく見れば、二人のナマズ男の胸にあるのは傷ではなく、朱の入れ墨だった。

 崩れた草書体で、それぞれ『生』、『頭』という文字に見える。

 どういう意味だろう……もしかすると、ここでは坊主頭のことを『生頭』って呼ぶのかな。『ハゲ頭』とか呼ぶような感覚で。


「ちっ…違います!! あたしたち、恋人とかじゃありません! 今日出逢ったばかりの清い関係です!」


 全力で否定するあたしを無視して、ナマズ男二人(と小ナマズ)は、白蛇を取り囲む。

 その姿はまるで、美少年を恐喝するヤクザにしか見えない。


「おう白蛇、主様の祝いの宴に人の子を招いたのか?」

「白蛇もとうとう悟りを開いたか! これはめでたい!」


 満面の笑みで白蛇の背中を叩いたり、肩を揺すったりしている。

 恐喝どころか、絶賛しているようだった。


 少年が白蛇白蛇と連呼されるのを見て、あたしはちょっと納得した。

 確かに彼は白蛇っぽい。

 ぬめったナマズが禿頭の大男に化けるなら、彼が化身するのはきっと蛇だ。


 クールな雰囲気とか、涼し気な横顔とか。懐いたり群れたりする可愛い犬猫系じゃなくて、ひんやりして気品のある生き物。

 表には出さないけど実はプライド高そうなところとか、想いや言葉を眼差しの奥に秘めていそうなところとか。

 孤高で美しい、純白の蛇を思わせる。


 べたべた懐いてくるナマズ男たちの腕を払いのけ、白蛇は不愉快そうに一歩後ずさった。


「招いたわけではない、迷い込んだだけだ。すぐに元の場所に帰す」


「はっはっは! 人の子が、この舟に迷い込むなぞあるものか! 誰かが招いたのであろう」

「人の子は祭りの主客にぴったりじゃからのう! 帰すなぞもったいない!」

「人の子、生暖かい~。初めて見た~」


 嬉しそうに、変身できない小ナマズがあたしの髪の毛をくわえて引っ張る。くすぐったいけれど、可愛いので許してしまう。

 牛蛙のオタマジャクシくらいの大きさに、藍色の丸々とした体、つぶらな瞳。ヒゲもまだ短くて、少しくらい悪戯されても憎めない。


「本人が帰りたがっているのだ。邪魔をするな」


 不機嫌そうに白蛇は言うが、ナマズ男たちは動じない。

 白蛇の頭上越しに、『生』と彫られた大男がやたら大きな声であたしに話しかけた。


「おい小娘! そなたも主様の宴に出たくはないか? うまいものがたんと食えるぞ!」



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