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これが噂の神隠し!?



  ◆  ◆  ◆




 その夜が新月──月のない闇夜だったことだけは、しっかり覚えている。


 それが、全てのはじまりだったから。




  ◆  ◆  ◆



 ……そうだ、トイレに行こう!

 

 何度も寝返りを打った末に、あたしはベッドに起き上がる。


 鼻水をふいて、顔も洗ってさっぱりしよう。

 そうすれば、今度こそ眠れるはず。


 電気はつけず、ひっそりと手探りで廊下に出た。

 深夜一時を過ぎたとはいえ、家族の誰かが起きている可能性がある……中二の弟とか。


 あいつ(弟)は意外とお姉ちゃん思いだから、顔を見たら、どうしたのかって聞いてくるだろう。

 なんで泣いてたの? って。


 原因となった事件が脳裏に蘇り、また目頭が熱くなる。

 

 ──もう泣かない! 涙はもう充分、流した。

 気持ちを切り替えるんだ。


 自分に言い聞かせると、最後にもう一度、目元をぬぐって階段を下りる。

 廊下の右側にあるトイレへ……。


 まだ新しいドアの前で、あたしは首をかしげる。


 誰か、入ってる?

 淡い明かりが、小さな窓から漏れている。

 

 ……うーん、でもトイレの電球にしてはかなり暗いよね?

 あれかな。トイレの向こうにあるお隣さんの明かり。

 お隣さんには受験生がいるから、いつも夜更かしなんだよね。


 あたしはうつむきながら、ドアを開けた。

 万が一、誰かが入っていても困らないように。


 ギギギギ……。


 妙にきしんだ音が響く。

 新築一年目の家にしては、変な音だ。


 中は真っ暗だった。

 さっきまで明かりがついていた気がするのに……。

 

 電灯をつけようと右壁に手を滑らせるが、……ない。

 一歩踏み込んであちこち触ってみるが、板壁の手触りしかない。

 

「暗すぎて、全然わかんない」


 いったん廊下に出ようと振り向く。


「えっ?」


 新築一戸建て(築九カ月)にあるとは思えない、古い引き戸があった。

 えーと、これは前のお家ですか?

 いやいや、こんなに古くなかったよ! 


 なんで? どういうこと?


 古ぼけた戸を睨みつつ、冷静に考えてみる。


 ──もしかしてあたし、既に寝てる?

 寝る前に気分転換しようとトイレに来たけど、実はもう熟睡してて、夢の中でトイレを探しに来ているだけじゃ?


 夢の中だと、トイレが見つからないとか、明らかに使えない場所にあって困ることがよくある。

 壁の仕切りが一つもなくて丸見えだとか、なぜか押入れの中に便座があって入れない、とか。

 きっと無意識が「これは夢だから、やったらマズい!」って警告してるんだろう。


 つまり、これは夢なんだ!


 トイレに行きたければ、起きなきゃダメ。

 ……けど、そもそもあたしの目的は、寝ることだったよね?

 安眠するために、トイレに行ってリラックスしようと思っただけ。もう寝てるんなら、別に無理して起きて行かなくても……いや、やっぱり行きたい。


 となると、まずは目を覚まさないと。


「あたしは起きる。この戸を開けたら、目が覚める。……この扉は、現実の世界に続く扉……」


 自分に言い聞かせて、引き戸に手を伸ばす。

 夢なんだから、強く思えばその通りになるはず。


 あたしは大きく息を吸いこんで、古びた引き戸を思いきり開けた。

 目に飛び込んできたのは、異様な光景だった。


 漆黒の壁と柱、低い天井──やたら圧迫感のある密室で、奥の壁には巨大な人食い鳥の絵が描かれている。

 小部屋の四方で揺れる行燈の青い火に照らされて、車座になった化け物たちの姿が浮かんでいた。


 大きなガマガエルの頭に、人の体。

 鹿の頭に熊の体、古ぼけた着物。

 猿の顔をした化け物に、魚頭のもの。

 人の影をいくつも重ねて目鼻をくっつけたような化け物……。


 蒼い灯火に照らされて、ゆらゆら揺れる大きな影が、ますます異様さを演出する。


 魔物じみた姿の男たちが、顔を突き合わせるようにして、おまるに座っていた。


 御用たし中の男たちが、一斉にあたしを凝視する。

 射殺さんばかりの凄まじい眼差しを浴びたあたしは、冗談ではなく心臓が止まりそうになった。


 凍り付いて動けない。

 化け物たちの黒い影の向こうで、一人の男が立ち上がるのが見えた。

 しゃらりと鳴った衣擦れの音で、ハッと我に返る。


「──し、失礼しましたっ!!」


 叫ぶと、あたしは扉を閉めて全力疾走する。

 ここがどこかも分からないが、とりあえず廊下が続く限り、息が続く限りにひたすら走った。


 結構な距離があった……運動場二週分くらいは、軽く走ったと思う。

 息が上がるまで走り、一人きりになると、壁に手をついて息を整える。


 さっき見てしまったものが、脳裏にフラッシュバックした。


 ……何だったの、あれは! 男性用のお便所!?

 というか、妖怪専用……?


 どう見ても人間じゃなかった! 人間みたいに服を着てたけど、化け物にしか見えない──あ、でも一人だけ、人間がいたっけ。

 最後に立ち上がった人。

 水干っていうのかな。百人一首で見るような、昔の貴族たちの装束をまとっていた。

 すらっとした若者で、白い服の袖が優雅にたなびいていた。袴は浅葱色で……。


 考えかけて、あたしは思わず頭を抱える。

 

 ──あの人も、おまるだった。

 和装におまるなのは当然かもしれないけど、美少年がおまるを使う姿を思い出すと悶絶しそうになる。

 

 ああ本当に、見ちゃいけないものを見てしまった!


「ううう…。……これは夢、夢だから大丈夫! だいじょぶ……にしてもあたし、こんな夢見るって何考えてるの……」


 よほどトイレに飢えていたのか。


 壁に向かって独白していると、ぽん、と肩に何かが乗った。

 蜘蛛でも落ちたか、と思うほど軽い感触なのに、ひやりと冷たい。


「──静かに」


 耳元に囁きかける、低い男性の声。


「っ!!?」


 ぎょっとして振り向く。

 手燭の明かりで、ぼんやり見えたのは、切れ長の瞳の美少年があたしを覗き込んでいるってこと。


 平安時代を思わせる貴族めいた装束に、後頭部で束ねた艶やかな黒髪。

 水干の白い袖には青い水草模様があり、いつの間にか、その両腕と壁の間に閉じ込められている。

 美少年が壁についた手の片方には、さっきの行燈と同じ、青い炎を上げる蝋燭が揺れていた。


「ご、ごめんなさい! 見るつもりはなかったんです……! ちょっとトイレを探していただけで」


 とりあえず謝ろうと頭を下げる。

 まさか、追いかけてくるとは思わなかった。


「本当に悪気はなかったんです! 迷い込んだだけで、のぞくつもりも、勝手に使うつもりもありませんでした!!」


 精一杯の謝罪の言葉を述べて、相手をうかがう。

 まだ両腕に囲まれている……逃がさぬと言わんばかりに。


 深く澄んで青みがかって見える少年の双眸が、じっと睨むようにあたしを見下ろしている。

 中性的で綺麗な顔……。少し冷たそうな表情だけど、笑顔だったら美少女でも通りそうな顔立ちだ。

 涼やかだけど、細すぎず鮮やかな二重の目元とか。すっと通った鼻筋だけど、高すぎず少年らしい柔らかさの残る頬とか。

 美少年の見本のような人。

 背は少し高いけど、あたしと同い年くらい……かな。

 これで大人になったら、近づくのも怖いほどの美形になりそう。


 あたしが相手を観察している間に、相手もあたしを観察していたらしい。

 小さく嘆息して、腕を片方だけ下ろした。


「やはり、人の子か。自らこちら側に来たようには見えぬが、誰に連れて来られた?」

「連れて……? あたしは夢を見ているだけで、誰かに連れて来られたとか、そういうのじゃないと思うんだけど」

「これは夢ではない。──そなたに馴染みの現実でもないが」


 夢でも、現実でもない? 

 夢じゃないなら、これは一体何なの? まぼろし? 


 不思議そうに見つめ返すあたしに、美少年は声を抑えて囁く。


「ヒとツキを覚えているか。それが分かれば道を作ろう」

「ひとつき……?」

「太陽と月の形だ。そなたの世界では、どれだけ欠けていた?」


 それならはっきり覚えてる。朋佳が言っていた──「今日は新月なんだって。だから×××の祠に行くと、怖いことが起こるって」

「怖いこと? お化けが出るとか?」

「ううん。神隠しだって。……人が消えて、行方不明になっちゃったりするらしいよ」

 

 思い出すと同時に、ズキリと胸に痛みが走った。



 忘れようとした記憶が鮮やかに蘇る。

 親友だと思っていた朋佳に、暗い祠の中に突き飛ばされたこと。

 委員長と取り巻きたちの嘲るような笑い声。投げつけられた、いくつもの酷い言葉。

 最後にあたしのカバンが投げ込まれて、木の閂をかけられた。

 一人になって出ようとしたけど、どうしても扉があかなくて……。ボロボロの扉に何度も体当たりして、壊してやっと外に出れた。

 夕暮れ空はまだ少しだけオレンジ色で、暗くなっていく山道を駆け下りた。

 一人で。

 行きは、親友と二人だったけど。

 親友はもういない。

 家に帰るとあたしは部屋に閉じこもって、ご飯もお風呂も無視して泣き続けた。

 ──あいつらはしょうがない、でもなんで朋佳がって。

 裏切られた心が悲鳴を上げて、一睡もできずにいた。



 無意識に両手のひらを見ると、突き飛ばされた時にすりむいた生傷があった。

 かすり傷だから手当もしていない。痛むほどの怪我じゃない。

 でも思い出すと、全身が痛みと悲しみにわなないてくる。

 またにじんできた涙で、手のひらがぼやけた。


「だいたいでもいい、思い出せ」

 

 白皙の美少年に急かされ、あたしは手のひらを握りしめた。

 考えるな、今は忘れろ。

 爪が傷口に食い込んでかすかな痛みを訴えたけれど、無視して冷静な声で答える。


「新月、でした」

「陽は?」

「お日様……? 欠けてない。っていうか、太陽って滅多に欠けないよね?」


 日食なんて、数年に一度も起こらないものだ。

 ニュースで、どこか遠い地球の裏側……『エルサルバドルで皆既日食!』とか『アフリカで金環食』とか、チラッと見聞きすることがあるくらい。


 本当に体験したのは、子供の頃に一回だけ。

 だんだん日が欠けていって、あたりが夜みたいに暗く、肌寒くなっていくのに驚いた。

 怖い、と思った。

 ほんのちょっと太陽が欠けただけで、こんなに暗くなるんだって。

 半分までしか欠けない日食だったけれど、それでも、記憶にしっかりと焼き付くくらい怖かった……。


 ああいうのがしょっちゅう起きたら、怖いよね。情緒不安定になりそう。


 あたしにとってはそれが普通の答えだったけど、少年にとってはそうじゃなかったらしい。

 彼は小さく息をのんで、驚いたように瞬きを繰り返した。


「……ああ、そうだった……。日処ヒトの国では、日は欠けぬのだった」


 忘れていた自分を責めるように、ぎゅっと目を閉じる。


 ──えっ。人の国では、日は欠けない? じゃあ、ここでは普通にお日様が欠けるっていうの? 

 そんな馬鹿な! 

 えーと、日食って確か、お月様が重なって起きるんだよね? ということは……なんかおかしな軌道で、太陽と月が回ってる? 


「あのう、この国?って言っていいのかな、ここではよく日食が起きるんですか?」

「……」


 美少年は顔を上げたものの、その唇は閉ざされたまま。

 もの言いたげな顔で、こちらをじっと見つめるだけ。

 しみ一つない彼の白い顔を見ていると、あんまり紫外線に当たらないからそんなに肌が綺麗なのかな、なんて余計なことが思い浮かぶ。


「──日の神の力があまりに強いゆえに、そなたらの国では、日は欠けぬ。……ヒトはあらゆることを忘れ、そのミオヤの名さえ忘れ、恵みに気づきもせぬ。だが他の神の国では、日は、よく欠ける。丸い姿を見ることさえ、稀なるもの。わたしはもう、長い間見ておらぬ」


 なんだかとても悲しげに聞こえて、あたしは戸惑った。


 ここでは、本当に太陽がよく欠けるんだ……。

 その原因は、神様がどうのじゃなくて、地球と太陽の軌道がどうのっていう科学的な理由だと思うけど、平安時代の少年にはきっと、そういうことは理解できないだろう。

 詳しく説明しろって言われても、あたしにもよくわかんないし。


「ええと、つまりここは地球じゃないってことね! 異次元の夢の世界っていうか、 あなたの言い方を借りると、他の神様の国──っん!?」


「問うてはならぬ」


 素早く伸びた美少年の白い指が、あたしの唇を抑えて言葉を殺した。


「忘れよ。全て。ここで見たことは、何一つ、決して、誰にも漏らすな」


 真剣なまなざしは底知れぬほど深い。

 触れる指先も氷の塊のように冷たくて、思わず身震いしそうになるほどだった。







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