社会貢献とは
それから5日が過ぎた。その日は珍しく風邪をひいていた。大したことはなかったが、鼻水がひどかった。特に急ぎの仕事もなかったので休暇を取り、行きつけの病院へ行った。ティッシュ箱持参で。
医者に勧められるまま、血液検査や鼻水の検査をした。インフルエンザではなく単なる風邪だと診断された。薬だけもらうつもりだったが、検査のお陰でえらく時間を食った。
それは検査後の診察を待っているときだった。小学校1年生くらいの女の子が母親に連れられてきた。母親の押すベビーカーには赤ちゃんもいた。「大変だなあ」僕は思った。
母親は女の子をいすに座らせ、ベビーカーを押してその先の小児科の受付へ行った。女の子は、僕の席から2つ離れた横の席に、しんどそうにうつむいて座っていた。
「この子が調子悪いんだ」 僕は思った。
母親はまだ、受付でベビーカーを揺らしながら話しをしていた。僕はそれを遠目に見ながら、
「こんな時、ベビーカーと抱っこひもどっちがいいんだろう?」 そんなことをふっと考えていた。
突然、女の子から「ううっ」という声がした。見ると口を手で押さえ、その手はぬれていた。
「大丈夫?」僕はそう言いながら、もっていたティッシュで口と手を拭いてあげた。女の子の目は涙ぐみ、しんどそうだった。
母親が急いで帰ってきた。「のぞみ どうしたの?」
「ちょっと、吐いたようです。」 僕はそう言って、ティッシュ箱を母親に渡した。
「ありがとうございます」 そう言って母親はティッシュで女の子の口と手を再度拭いた。
ベビーカーの赤ちゃんはいつしか、泣きだしていた。
「まだ、吐きそう?」母親が聞くと女の子は「うん」とうなずいた。
「トイレ行こうか」母親はそう言って、女の子を抱えて立たせた。
「すいません。ちょっとこの子見ててもらえますか?」 母親がベビーカーの方を目で示した。
「いいですよ」 僕がそう言った時だった。女の子がまた「ううっ」という声を出し、今度は大量に吐いた。女の子の服から床にかけて嘔吐物が飛び散った。わかめらしきものが多く混じっていた。
「うわっ」 母親はそう言いながら、ティッシュで女の子の顔や服を拭き始めた。
「ちょっと看護婦さんに言って来ますね」 僕はそう言って受付へ行き状況を説明した。
すぐに、清掃員さんがやってきた。「床は大丈夫ですから、これでお子さんをふいてあげてください。」
そう言って厚手のキッチンペーパーのようなものを母親に渡した。
「まだ、吐きそう?」母親が聞くと、女の子は「あ~すっきりした」と言った。 母親は苦笑いをしながら、服をふいていた。
看護婦さんもやってきた。
「着替えましょうか?」 そう言って子供用の入院服とビニール袋を差し出した。
「すいません」母親はそう言って、女の子と共にトイレに行った。 途中、母親が振り返り僕を見た。
僕がだまってうなずくと、母親もまたうなずいた。
残された僕は、少し移動してベビーカーを揺らし始めた。母親がしていたように。
清掃員のおばさんが、手際よく床やいすを掃除していた。
いつしか、赤ちゃんの泣き声も止み、気持ち良さそうに僕を見ていた。服の色からしてたぶん男の子だと思ったが、女の子を思わせるようなきれいな顔立ちだった。この子はきっと男前になるな。僕はティッシュで鼻水をふきながらそう思った。
それから10分くらいして、母親と女の子は着替えを終え戻ってきた。もう掃除も終わり、元のきれいな待合室に戻っていた。
「ありがとうございました」母親が会釈してベビーカーを受け取った。
女の子も「ありがとう。おにいちゃん」と言った。
おじちゃんと呼ばれなかったことが何よりもうれしかった。「どういたしまして」僕は答えた。
「さいとうのぞみちゃん」 ほどなくして女の子は呼ばれた。きっと順番を早めてくれたのだろう。
母親は僕に会釈して、ベビーカーを押して女の子と診察室へ入っていった。途中女の子が僕にバイバイっと手を振ったので僕も手を振った。
「やっぱり抱っこひもの方が良いのかな?」そう思っていると、僕も内科によばれ診察を受けた。
検査結果は問題無かったので、通常の風邪薬と鼻水止めを出してもらった。
待合室に戻ると、例の親子は居なかった。まだ診察中のようである。時計を見るともう11時半になっていた。けだるい疲労感が襲ってきた。
「帰って寝よう」 僕は支払いを終え病院を後にした。
家に帰ると、母が昼ごはんを作って待っていてくれた。「遅かったね。大丈夫?」母が尋ねて来た。
「大丈夫。ただの風邪だって」僕が答えた。持って帰ったティッシュ箱は殆ど空になっていた。
「食べるでしょ?すぐ焼くね。」そう言って母は、台所へ行った。
僕はリビングで少し横になっていた。ふとテーブルを見るとTOYOTAの封筒が置いてあった。
「届いたんだ」 僕は封筒を手にした。ずっしりと重かった。
「何が入っているんだろう」早速開けようとも思ったが、開けると熱が出そうなので今日はやめといた。
「できたよ」母が台所から呼んだ。
僕は台所へ行って、ステーキを食べた。病気の時はやっぱり肉だ。元気が出る。
「封筒、机の上に置いてたでしょ」母が言った。僕は食べながら頷いた。
「父さんは?」僕が聞くと、「今日は、テニスよ」 母が答えた。 父は週一回、市主催のテニス教室へ通っていた。他にも将棋教室にも通っていた。市主宰教室は安いし、いろんな人と交流できて視野が広がると父は言っていた。
食事を終え、僕は薬を飲んだ。鼻にスプレーする薬も出してもらったがこれがすごく良い。鼻が通るようになった。
「おやすみ」そう言って僕は2階へあがり昼寝をした。しっかり寝るために、耳栓とアイマスクをした。目が覚めたのは夜の11時頃だった。1階に降りると母がテレビを見ていた。父と姉はもう寝たようだ。
「良く寝たね~死んでるかと思ったよ」母が笑った。
「よく寝た。薬が効いたのかな」僕は言った。
「お風呂どうする?」母が尋ねた。
「入る入る」僕は言った。鼻水はでるが、風邪自体はだいぶ良くなっていた。
「ステーキもう1枚あるけど食べる?」母が尋ねた。「食べる食べる。でも明日があるんでにんにく無しでお願い」僕は言った。
お風呂を上がり、再びステーキを食べた。体調が戻ってきたのか、味覚が冴え昼よりも美味しく食べた。
食べながら、今日病院であったことを母に話した。
「あんた優しいね、母さんうれしいよ」母が言った。
「たまたまティッシュ箱を持ってたからね」僕が言った。
「しかし大変だね。その人。下の子を見てくれる人がいないだね」母が言った。
「姉ちゃんが病気になったとき、母さんはどうしてた。」僕が聞いた。
「お爺ちゃん、お婆ちゃんが、あんたを見ててくれたよ。父さんもすぐ休暇を取ってくれた。
知美の病院にわざわざあんたを連れて行くことなんて1回も無かったよ」母が言った。
「恵まれていたね」僕が言うと。
「ああ本当に恵まれていたよ」母が言った。
「でもね、それは人生の岐路で拘った結果だとも思っているんだよ」 そう言って母が語り始めた。
話が長くなったが、結局母が言いたかったことはこうだ。人生で大変且つ有意義なことは子育てである。
子育てには「手間」と「お金」がかかる。「手間」は子供が小さい時に特にかかり、「お金」は大きくなるに従ってかかってくる。母が拘った人生の選択とは、「大学を卒業したら地元へ帰り、地元の人と結婚すること」だったそうだ。
そうすれば、子育てに関して両方の親からの助けが得られると。
「地元へ戻るのは自分の意思でできるけど、地元の人と結婚するっていうのは相手もいることだしね~」僕がそう言うと「地元の人でないと、結婚相手として見なかったよ」母はそう言った。
「そして父さんと出会ったんだね。すんなり結婚できた?」 僕が聞くと母は得意気に言った。
「父さんは、人柄も良かったし、安定した仕事についていた。こんなチャンスは二度と無いと母さん思ったよ。だから母さんの方から積極的に誘っていろいろ遊びに行ったよ。」
「昔はやった肉食系女子ってやつだね」僕が言った。
「でもね、1年たっても父さんなかなか結婚しようって言ってくれなかった。それでね、母さんが怒ったんだよ。私のことをどう考えているのかって。そしたら、父さんうちの両親に挨拶に来て結婚の話が動き始めたよ」
「へえ~母さん怒ったんだ」 僕は驚いた。
「嫌われるかもしれないと思ったけど、今言わななきゃ駄目だと思ったんだよ」 母は懐かしそうに言った。
「今の話、姉ちゃんにもしたことある?」 僕が聞いた。
「何度もしたよ。地元で嫁げばいつでも助けてあげられるよって。ただあの子結婚に全く興味が無いって感じで気がつけばもう33歳でしょ。半分あきらめてたよ。それなのに急に会わせたい人がいるっていうから驚いたよ。」
母が思い出したように言った。
「あれから、姉ちゃん何か言ってきた?」 僕が聞くと、母が顔を横に振った。
「地元の人じゃないのかな・・・」 僕がぽつりと言った。
「ところで健志はどうなの。付き合っている人はいないの?」 母が聞いてきた。
「同期の連中とよくグループで遊びに行くけど、今のところ、特定の人はいないかな?」 僕が答えた。
「健志も31歳なんだから、そろそろ結婚も考えないとね」 と母が言った。
「結婚っていわれても相手がいないとね~」と僕が言うと、
「さっきの同期の女の子だけど、ただ遊ぶんじゃなくて、結婚相手としてどうか一人づつじっくり見てみなさい。それでいないようならお見合いね」と母が言った。
「分かった。そうするよ。」 僕はそう言って2階へ上った。もう日付が変わっていた。
やはり眠れない。10時間近く昼寝したせいもあるが、体調がだいぶ戻ったせいでやっぱり気になる。
気がつくと例の封筒を開けていた。
ずっしり重かったのは、クラウンのカタログと法律集が入っていたからだ。
結局読んだのは「クラウンの購入にあたって」という6頁の資料だった。その中にはクラウン購入に至るまでの3段階の審査と社会貢献について記載があった。
①申込書の提出・・・これは結局のところ履歴書であり、運転免許書のコピーが添付要となっていた。
②筆記試験・面接・・・書類審査をパスしたものが、トヨタ本社に集まり、筆記試験と面接を行う。筆記試験は日本の社会保障についての一般常識。面接は、「日本の社会保障費削減のために何ができるか」についてであり、試験の合格者がクラウンの購入権を得る。
③社会貢献度査定
③―1 これまで(これから)、日本の社会保障費削減のために何を実施したか(するつもりか)について、内容及び計算書を提出
③―2 トヨタにて提出資料を基に調査を行い、社会貢献金額(α)の査定を行う。
その結果、α>車の見積金額 であれば、 購入金額は見積金額 つまり通常購入となるが、
α<車の見積金額 であれば、 購入金額=見積金額×2 ―α
※(見積金額 ―α)はトヨタから国へ納付
と記載あった。つまり、僕の場合、見積りが約500万円だったので、国の社会保障費を500万円削減するような貢献をすると通常購入になる。
もし貢献度0円の場合、通常価格の2倍の1000万円出さないとクラウンが購入できないことになる。
ちょっとこれは難しいな。正直そう思った。
説明書には引き続き、社会保障費の説明があった。社会保障費とは、国民が安心して生活していくために必要な「医療」、「年金」、「福祉」、「介護」などの公的サービス費用のこと。
このうち、「福祉」とは生活困窮者、身寄りのない老人・児童、身体障害者など、社会的弱者に対する保護および援助費用のことで、生活保護法・児童福祉法・母子及び寡婦福祉法・老人福祉法・身体障害者福祉法・知的障害者福祉法などの法律のもと国や地方公共団体や社会福祉法人などが行う・・・・とあった。最後に、「福祉」の分野での社会貢献の例が記載あった。
(例1)生活保護を受けている身寄りのない老人(女性67歳)を引き取って一緒に暮らし始めた。
α=支給額73,540円×12ケ月×(平均寿命87歳―67歳)=1,764万円
(例2)母子家庭のための公営住宅建設事業に寄付をした。
α=寄付金額300万円
単なる人助けでは駄目ということがはっきり判った。「はあ~」僕は深いため息をつき、ベッドに横になった。ちょっと眠ったのか、気がつくと、外はもう薄っすら明るくなっていた。時計を見ると6時過ぎだった。
1階におりると、母と父はすでに起きており、母は台所で朝ごはんの準備をしていた。父は新聞を読んでいた。
「おはよう。みんな早いね」僕が言った。
「おはよう。ごはん食べようか」そう言って母は、僕と父のごはんを準備してくれた。
「風邪は大丈夫なのか?」父が言った。
「うん大丈夫。昨日ゆっくり寝たので良くなったよ」僕が答えた。
「ステーキのお陰もあるだろう」父が笑って言った。 僕は「うん」と言った。
そういえば、家族の誰かが病気をすると、父はいつもステーキを買ってきてくれた。
小学生のころは、はっきり言って体調悪い時にステーキなんか欲しくなかったが、「食べてみろ。元気になるから」という父の言葉にのせられて頑張って食べた思い出がある。本当はステーキを食べなくても病気は治っていたのだろうが、当時はステーキのお陰で早く治ったと思っていた。親の影響力はやはり大きい。
今や、石倉家では、病気の時にステーキを食べるのは当たり前になっているが、よその家ではそんなことはしないだろう。でも、病気の時にステーキを食べる習慣は嫌いじゃない。父がステーキをわざわざ買ってきてくれることもうれしい。
僕も誰かのために、何かができるようになりたいな~ そう思いながら、いつもよりも1時間以上も早く家を出た。