はじまりはクラウン
2036年 日本は緊縮財政を推し進めるも、年金・医療費等増え続ける社会保障費に打つ手がなく、今年度も約70兆円の国債を発行し、国の負債は2,500兆円を超えた。
国債の買い手も海外が30%を越え、海外の投資ファンドの動き次第で、国債が暴落し、財政破綻する可能性が現実味を帯びてきた。
IMF(国際通貨基金)からも再三、財政改善勧告を受け、増税、社会保障費や公務員の給与削減などを実施したが、2040年度までに実現を約束した「国債を発行しない財政の健全化」にはほど遠かった。
ついに日本政府は、当時、2,000兆円とも言われた国民の貯蓄から直接搾取する政策へ舵を切ることを決断した。
しかし、貯蓄税の導入等数々の法案が国会へ上程され審議されたが、可決されることはなかった。
ただその中で唯一可決された法案があった。「社会貢献推進法」である。
この法律は「経済的に豊かな人は、心も豊かに」という理念の元、豊かな人の貯蓄を社会へ還元させ、国の借金を減らすことを目的にしたものである。
とある心理学の大学教授の提案がきっかけであったが、強制力が無い法律のため効果は期待されていなかった。
この物語は、「社会貢献推進法」により大きく人生の舵を斬ったある男の物語である。
ぼくは、健志(31歳)。石倉家4人家族の第二子長男。地元市役所勤務。独身。
父 恭介(66歳)。同じく地元市役所を昨年定年退職。若いころから資産運用をし、十分な財を築いていた。但し、生活は堅実。
交通の便の良い石倉家には、父のカローラが1台あったが、週末にぼくがたまに使う程度で日頃使うものはおらず、気がつけば15年ものとなっていた。先日、トヨタ営業マンより車の買替え提案の電話があった。今なら、補助金もあり、4月からの消費税UP前がお勧めと。
父は車を買い替えることに決めた。おそらく最後の車になるだろうと思ったようだ。父はクラウンを買うと言い出した。家族はみな不思議な顔をしたが、特に反対もしなかった。その後、父に呼ばれ、僕がクラウンを買いに行くことになった。
「父さんは恐らくあまり乗らない。ほとんどお前が乗るだろう。だったらお前の好きな色、グレード、装備にしておいた方が良い。お金は出すから好きなクラウンを買って来なさい。名義も健志にしておけと。」
その夜、ネットでクラウンを見た。おじさん臭いイメージを持っていたが、スポーティーなグレードもあり安心した。内装も豪華である。色、オプションなど検討していくうちに本当に欲しくなった。ただ肝心の値段が書いておらず、「お問い合わせください」となっていた。ほかの車種には価格が記載してあったのに・・・・
週末、1人でトヨタの販売店へ行った。車を買うのは初めてだ。電話をくれた営業マンを呼ぶと丁寧に挨拶してくれた。早速、車の買い替えの話をし、クラウンを検討している旨伝えた。
その後、営業マンはわざわざ店長を連れてきた。クラウンは店長しか売れないって聞いたことがあるがどうやら本当のようだ。
店長から不思議な質問を受けた。「社会貢献推進法」ってご存知ですか? と。
はっ?と一瞬思ったが、名前は聞いたことあるが、中身は知らないと答えた。
「そうですよね」そう言って店長は社会貢献推進法とクラウンとの関わりを説明してくれた。
社会貢献推進法は、「経済的に豊かな人は、心も豊かに」という理念の元、豊かな人の貯蓄を社会へ還元させ、国の借金を減らすことを目的にしたものだそうだ。その中の第31条が製造メーカー(今回の場合トヨタ)に関わるものである。これまで、製造メーカは各製品に価格を設定し、その金額を支払ったものに製品を納めてきた。当たり前のことである。
この法律では、各メーカの製品のうちフラッグシップ的なのものについては、 その人の社会貢献度も考慮して販売するというものである。つまり、お金を出しても、社会貢献をしていない人には売らないことができるというものである。
「もしかして、クラウンがその対象?」 僕がそう言うと、店長はにっこりうなずいた。
そんなことをしたら、クラウンの売上げ台数が減るのでは?・・・
トヨタに何の得があるのだろう?・・・ 僕は思った。
店長は言った。「私も詳しいことは知らされていないが、国もこの法律の第31条に賛同するメーカは出ないだろうと予想していたようで日本を代表するメーカとしてトヨタに参加の要請があったようです」
その後社内でかなりの議論があったようだが、最終的にはトヨタが社会貢献をすることによりそのブランド力を更に高めるという位置づけで社長から参加の指示が出たようである。
「ところで、社会貢献度はどうやって調べるのですか?」 僕が聞くと、店長は困った顔をして言った。
「実は、社会貢献度の査定は国から基本指針が示されているものの、具体的な方法・基準は各メーカに任されています。
現在、本社で取りまとめ中で、もうすぐできると聞いています。申し訳ありませんが、それまではクラウンは買うことができません。
ただ、試乗や、参考見積りは可能ですので是非見ていってください」
何とも拍子抜けしたが、せっかくきたので気を取り直して実車を見てみた。
ちょうど検討していたスポーティーグレードが展示してあった。実に堂々として高級感あふれていた。
ただそれ以上に驚いたのは内装である。ネットでは分からないのは当然であるが、「風合い」というか「質感」というか、乗り込んでみると、この空間だけは別世界であり、自分もまた別人物になったような錯覚を覚えるほど圧倒されるものだった。
しばらく座っていると、色んな雑念が取れ、眠っているかのような不思議な感じに落ちていった。
「試乗されますよね?」 店長の言葉に、ふっと我に返り、無意識に「はい」と答えていた。
その後、コーヒーをはさんで、試乗車に乗った。外装はいっしょだったが内装は先ほどのブラック系ではなくベージュ系であった。
これはこれで良い雰囲気であった。
店長から簡単に操作方法を聞き、早速市街地へ乗り出した。
初めは、車の運転に神経が集中していたが、次第に慣れ、景色や、乗り心地などを味わう余裕が出てきた。
「贅沢だな~」 思わず口から出ていた。
ちょっとバイパスに乗ってみましょうか? 店長が言う通り市街地を抜けるバイパスに乗ってみた。よく使うバイパスだ。
そんなに踏み込んだつもりはないが、十分なスピードが出ていたのか本線との合流もスムーズであった。
その後しばらく、店長と雑談しながらバイパスをドライブした。見慣れた景色も何だか新鮮で、遠くから自分を呼んでいるようなそんな気がした。「今何キロスピードが出ていると思いますか?」 店長が尋ねて来た。いつもと同じ60~70kmの感覚で走っていたつもりだったが、ふとメーターを見ると100kmを超えていた。
「うわっ」思わず声を出しながら減速した。
店長が言った。「体感速度って言うんですけど、クラウンの場合このようなバイパスでは100km、高速道路では120km出しても、スピードを出している感覚が全くありません。車内の音、振動、揺れが極めて小さいためです。」そういえば、うちのカローラは何だかしんどそうな音というか振動がしてくるので、高速でも100km出すことはなかった。
その後バイパスをおり、市街地をしばらく走って販売店へ戻った。
30分程度の試乗だったがクラウンのすばらしさを味わうには十分だった。
販売店に戻ると、女性店員が紅茶とお菓子を出してくれた。「また、乗りたいな」 僕はそう思いながら紅茶をすすった。
しばらくすると店長が、カタログを持ってやって来た。
エンジンやら、安全性やら剛性の高さやらクラウンの素晴らしさにについて色々説明してくれた。
車に詳しくない僕はただ聞くばかりだったが、「先ほどの乗り心地はそれらの集大成なんですね」と僕が言うと、「そうなんです」 店長はうれしそうに言った。
その後、グレードやオプションなど僕の希望を聞いて、参考見積りを作ってくれた。
諸経費を入れて500万円少々の値段になっていた。
さすがに高いなあと驚いて眺めていたが、それ以前の問題を思い出させる文言が記載されてあった。
「重要この見積りはあくまで参考見積りであり、購入価格とは異なります。購入価格は、社会貢献推進法第31条に基づき弊社基準により査定した社会貢献度に基づき決定します。尚、弊社基準に満たない場合は購入をお断りします。」
「そうだった」 僕は呟き、ため息をついた。
もう日も暮れはじめ、展示車も夕暮れの太陽を浴び別の表情になっていた。何だか寂しげな感じがした。
最後に店長に質問した。愚問だと分かっていたが。「僕、クラウン買えると思いますか?」
店長は答えた。「可能性はあると思いますよ。是非、あなたに買ってほしい」と。
詳しい資料ができましたら送付します。店長はそう言って、スタッフ共々僕を見送ってくれた。
久々に刺激的な日だった。心地良い疲れを感じながら車を運転していると、ふと携帯の着信履歴に気づいた。母から「焼き豆腐を買ってきて」というメッセージが入っていた。そういえば朝、すき焼きの話をしていたっけ。
急いでスーパーで焼き豆腐を買い、家路に着いた。もう夜の7時を過ぎたところだった。
「ただいま」っとドアを開けた瞬間、姉(知美33歳)の声が響いた。「遅いよ健志」 そう言って僕が買ってきた焼き豆腐を持って台所へいった。
食卓を見ると、すき焼きはすでに始まっており豆腐も入っていた。
「なんだ、豆腐あったんだ」僕が言うと、母(香代62歳)は「健志が遅いんで、仕方なく普通の木綿豆腐で始めたのよ」と言った。
姉が台所から戻ってきた。切った焼き豆腐をうれしそうに鍋に入れていた。
そして、僕にすき焼きをついでくれた。木綿豆腐大盛りで。
「で、どうだった」 父がビールをついでくれた。
「良い車だったよ」 そう言って、今日のことを父に話した。もちろん、社会貢献推進法のことも。
父は黙って聞いていた。時折笑みを浮かべながら。
母と姉はすき焼きをおいしそうに食べていた。時折、不思議な顔をしてこっちを向いた。
「で、お前どうするつもりなんだ」 父が言った。
「チャレンジしてみようと思う」 僕が言った。
「そうか」 父はちょっとうれしそうに笑った。
「もしクラウンが買えなかったら、またカローラを買って、浮いたお金でハワイにでも行かない?」 姉が言った。そして母が笑った。
「姉ちゃん。クラウンとカローラは全然違うんだよ。焼き豆腐と木綿豆腐以上に違うんだよ。クラウンを知ったら、もうカローラって
わけにはいかないよ」 僕が言った。そして父が笑った。
「それにしても車に500万円なんて高いわね。お父さん大丈夫なの?」 母が言った。
「大丈夫。知美の結婚資金が要らないようなのでそれを使おうと思っているんだ。」 珍しく父が冗談を言った。僕が笑った。
母は嫌な顔をして、姉を見た。
「実は、会って欲しい人がいるんだけど」 姉がポツリと言い出した。
「知美、あなたそんな人がいたの。何で早く言わないのよ。いつから付き合っているの?どんな人?どこで働いているの?
実家はどこ?歳は?長男なの?・・・・」 母が機関銃のように質問し始めた。姉は案の定と言った顔をしていた。
「まあまあ、母さん」 父が止めた。 「知美。お父さんたちはいつでも良いよ。都合のいい時に連れて来なさい」父が言うと、「分かった」 姉はそう言ってそのまま自分の部屋へ行った。
その後、母が姉を追っかけて行こうとしたが、父がとめた。
「やめときなさい。自分から言って来るから。今日だって、自分から言い出したじゃないか。そっとしておきなさい。」
「そうだけど・・・」 母がしぶしぶあきらめた。
「なんだか、今日は盛りだくさんな1日だったな! よーし。明日からまた頑張って働こう!」 僕がそう言うと、父が笑ってうなずいた。そして「健志も一応行政マンなんだから、例の法律を少し勉強しておきなさい」と言った。