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帝国にて

作者: アヤリョウ

 情景描写から入るのはやめだ。なにせ語るべきことがない。

 僕は車を運転しており、車は僕に運転されながら荒野を往くが、眼前の荒野は荒野と呼ぶにしてもあまりにもなにもなさすぎる。もはや地面があるのかどうかさえ怪しい。最後に立ち寄った民家に人影はなく、表札にははるか昔にこの大陸を闊歩したという先住民族の名があった。

 現状についてなにかしらの記述を要するとすれば助手席にいる妻についてだ。妻は身重で、もう長いこと眠りこけている。多分ここ十年ほど。


 かつて帝国があったのだという。

 帝国に叛旗を翻す王国があったのだという。

 王国には王様がいてそれなりの支配体系を持っており、帝国には皇帝がいてそれなりの正統性があったという。

 王国が擁する最大最強の軍艦『紀州・重秀丸』が帝国の防衛線をくぐり、無敵要塞『カルサ』に対し『雨夜手拍子』なる多弾頭核ミサイルを撃ち込んだのが大戦の発端だという。

 重秀丸は遠い外国の軍艦であるのに、なぜ僕のよく知る言語で名づけられているのかについては諸説ある。漢字が格好よかったから、軍の幹部がサムライの子孫だったから、あるいはサムライの先祖だったから、未来からワープしてきた船だから、あるいは過去からワープしてきた船だから。どれもありそうにないが、上に述べた順で人気があり、その人気にはかなりの得票差がある。


 漢字の格好よさ。

 よく飲みの席で話題に挙がる「北斗百烈拳なる武術が実在したか否か」が思い出される。バラエティ番組の題材として北斗百烈拳が取り上げられた際、お道化役の出演者は、VTR内で示された否定的見解の悉くを無視したうえで「ありまぁす!」と言い放ち、そのほうが浪漫があるからと続けた。彼の率直な心情であり、視聴者の声を代弁をしたものでもあるだろう。ウェブではとっくの昔から、胸に七つの傷を持つ男の擦り切れて不鮮明な映像が、確たる証拠として流布している。動画の終盤に於いて、かろうじて判別できる『北斗百烈拳』の文字列。なるほど格好いい。多少ひねくれた者となれば、北斗はなくとも南斗はあったたたたたたはずであると返すのが定番だ。これも無根拠ながらそれなりの支持を得ている。


 当然、心ある者は反論する。

 SNSにおいてその筋の学者が素人相手に激昂しながら開陳した、曰く学会の定説によれば、「北斗はかつてあった星座の名前であり、星座とは夜空の星をあっちこっち結ぶ遊びであって、北斗座はなんらかの種類のクマを指す。かつてヒトとクマが仲良しだった証拠である。また、百烈拳は大陸において妖怪退治に用いられたとの記録があるが、独立した武術としては確認されておらず、クマとは特に関係ない。文法的には技の名前とも取れる」とのこと。

 しかしこの件における学者のあまりの激昂ぶりに閉口した者は多く、定説の支持者をむしろ減らす結果となった。


 もちろん史実も真実も、いかなる支持やその多寡とも無関係に厳然と存在するはずで、支持などという無粋なもので決まるのは政治の世界のことだけでよい。ただしほとんどすべての人間にとって、気分の問題を乗り越える気分になることは稀だ。

 かつて史実だの真実だのが多数決で決まる時代があったという。あるいは浪漫で。格好良さで。そんな古き良き時代を取り戻すには地上を一度更地に戻す必要がある。もっともそれはすでに起こっており、地上は一度更地になったともいわれている。


 助手席の妻を見やる。

 膨れた腹にいるのはおそらく僕の子供だろう。まだ出てくる気配はない。眠り続ける妻の腹にいて、十年間もなにをしているのだろうか。妻は長い眠りに就く前に「動いた」「足で蹴った」と言っていた。その後の音沙汰はない。

「胎児よ 胎児よ なぜ踊る 母親の心がわかって おそろしいのか」

 大昔の流行歌だそうだ。節は伝わっていないので出鱈目に歌うしかない。母親の心が判って恐ろしいのなら、父親の心が判らなくて恐ろしいということもありそうに思える。僕は妻の腹にいる子供に自分の心を伝える術を持たない。

 雨が降る。土砂降りだ。視界が霞む。どうせ荒野にはなにもないので、なににぶつかる心配もない。僕はアクセルを踏みつつ妻の寝顔を眺めて時間をつぶすことになる。


 かつてあった帝国は、今はもうないのだという。

 叛旗を翻す相手を失った王国も、既に存在をやめたという。

 大戦の緒戦において、伝説の軍艦はバコバコのボコボコのドコドコに集中砲火を受けたうえ、姦計に嵌められ沈んだという。カルサ要塞は多弾頭核ミサイルによって、わんこそば一杯が平らげられるほどの間に蒸発したという。戦火は野放図に拡大し、無茶な火力で満遍なくチンされた地球は、ほかほかふっくらに仕上がり、帝国も王国も消えたとされる。


 当時の技術力ではそんなことは全然できなかったのではと疑問視する向きもある。

 滅亡時の帝国はウランのウの字も核融合のカの字も識らず、石の弓やら木の棒を並べるのがせいぜいだったというのである。

 その場合、帝国は全然まるで違う理由で滅んだことになる。

 どこぞの首領同士が手下を引き連れ、互いの頭を搗ち割り合って、勝った者が勝ったと言い、負けた者もある意味勝ったと言い、限りある地面を隙間なく分捕る、などというやり方が、かつてはあったのだという。それはいつからか無効になったのだという。

 人権、犬権、猫権、鯨権、神権、地球権、宇宙権、地域振興権、火中天津甘栗権、日光東照宮大権現。これらは人類が石器とともにうっかり発明したわけでなく、歴史上のいずれかのタイミングで、帝国の支配体系を解体する目的で開発されたというのである。イヌを引き連れマンモスをひっぱたいていたころに犬権がなかったと考えるのは難しいが、だいたい稲作の開始と同時期に人権が定着したとするのがこの説の眼目だ。


 ではそれまで、帝国は一体なにを根拠に統治を行っていたのだろうか。人民に人権がないのなら、皇帝は人民を苦しめ、皇帝にさえ人権がないのなら、民衆にすぐさま殺されてしまうのではないだろうか。まるで想像が及ばない。それでも帝国を滅ぼしたものがミサイルではなく、ある日決まった決まりごとであると考えるのは、浪漫はなくとも、少し楽しい。

 もっとも、支配の在り方は姿形を変えただけで、帝国は細かく砕かれ切り刻まれて、ほかほかの地球に満遍なくふりかけられ、絡まりながらモザイク状に存続しているとする説もある。この説によれば、王国は今日も元気に叛旗を翻していることになっている。

 つまり帝国はもはや皇帝を戴かず、魔王ですら職を失って久しい。


 『カルサ』の跡地とされる遺跡を、若いころ、妻と二人で訪れたことがある。近くの海には帝国の猛反撃を受けて沈んだ重秀丸が、千を超す乗員とともに眠っているというが、未だ見つかってはいない。伝説はあくまで伝説だ。サイカマゴイチの名で親しまれる、過去にも未来に於いても最大最強の軍艦。子供のころから幾度となくその雄姿を想像してきた。存在しないとされたことを悲しく思ったりした。存在する可能性があるとされたことを嬉しく思ったりもした。

 カルサ要塞は幾度も再建され、その度ごとに破壊されたのだという。跡地に残るのは、銃眼を備えたいくつかの櫓と、緑まぶしい公園と、厳しいフォントを採用した石碑である。園の外周には堀が廻らされ、露店が軒を連ね、歴史に無関心な妻を食において大いに満足させた。妻の大荷物を担ぎながら、僕は夢中で写真を撮った。

 帰りがてら港町をぶらぶら散策する中で、妻はうつむき加減に「子供ができた」と告げた。

 男なのか女なのか、男でも女でもないのか、僕は未だ知らずにいる。


 叛旗を翻し続けてきた、もはや王なき王国が、切り刻まれて不可視となった帝国に、有史以来最大の叛旗を翻したという。報せを聞いて混乱する者は少なくなかった。いや少なかった。少なくともそのうち一人が僕だった。帝国につくか王国につくか。それが問題だった。

 帝国は僕を管理している。そうとは見えないやり方で。王国は僕を解放するだろうか。あるいは新たな支配体系が創られることによって、今より悪いことになるのだろうか。

「逃げよう」僕は妻に言った。

「逃げましょう、あなた」妻は時代がかった言い回しで同意した。


 僕の運転する車は荒野を往く。雨は上がったが特になにも見えはしない。目的地も判らない。ここはまだ帝国だろうか。脱出できた気はしない。王国は敗れたのだろうか。知る由はない。

 助手席で眠る身重の妻は、もうとっくに死んでいるのかも判らない。授かった子供もろとも。

 この荒野に、二輪車で追いすがるならず者どもが現れてくれれば良いなと思う。あるいは王様が。皇帝が。

 僕はならず者の追撃をかわすだろう。首魁を討つだろう。王様を火あぶりにし、皇帝を断頭台に奉じるだろう。教皇を呪うだろう。大陸の頭目を失脚させるだろう。しかし未だ追っ手はかからず、よって僕はいかなる者からも逃れられない。

 あるいはこの車のエンジンが止まったとき、僕はようやく妻の寝息を聞くのだろうか。いつかこのブレーキを踏み、ルーフに積んだ機関銃を構えることがあるのだろうか。そして僕は言うのだろうか。

「これなるはサイカマゴイチ。カルサ殿、姿を見せませい」

 地平線は地平線のままで、僕の目の高さではとても、地球の丸さまでは見えてはこない。

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