9 再会
あれよあれよという間に、先生と会う日が決まった。
明日の昼一時、リブリブの一階の喫茶店。先生の医院もその時間はお昼休みだからって。
口調は穏やかだけどこっちに有無を言わせない感じで、「それじゃあ、また明日」って電話は切れた。
明日って。急すぎない?
先生ってこんな・・・強引だっけ?
でも、久しぶりに会えるのは、本当に嬉しい。楽しみだな。
明日は何を着て行こうかな。
ちょっと寝室の奥のウォークインクローゼットを見に行こうとソファを立ち上がると、携帯にメールが届いた。
『遅くなるから、先に寝ていて。
朝方までかかったら、そのまま泊まってく。』
またこのメール。今月に入って何度目だろう。
これが来た時は、ほぼ帰って来ない。
何処かで寝て、そのまま会社に行くらしい。ちゃんとご飯は食べてるのかな。
次の日の深夜に無理して起きてるとようやく会える。
あなたは私の顔を見ると、疲れた顔を一層曇らせて、こう言う。
「こんな遅くまで、無理して待ってて起きてなくていいよ」って。
言い方は冷たいけど、先に寝てていいんだよって言ってくれるのは優しさだって思ってた。
毎晩、遅くまで大変だなって、身体壊さなければいいけどって心配してた。
早く忙しい時期が終わればいいのにって、話す時間もないほど忙しいのは今だけなんだからって、そう思ってた。
・・・ホントに、そう、思ってたの。
疑ってなかった。疑いたくなかった。
お仕事頑張ってる旦那さんを、信じたい。疑うのは失礼だよって、思ってた。
でも・・・・、あんなの見せられたら、もうダメ。
今まで自分で自分に言い聞かせてきた、疑わしいもの全てがあれに繋がっちゃった。
今まで、言えずに何度も言葉を飲み込んできた。
ねえ、いつもどこに泊まってくるの?
そこにはお花の香りのするボディソープが置いてあるの?
夜は電話しても繋がらない。
メールは忘れた頃に返ってくる。絵文字も顔文字もなにもない、素っ気ない言葉だけで。
どこからどこまでが本当で、どこから、いつからがそうなの?
ずっとなの?
違うよね? ずっとなの?いつまでのあなたは信じて良かったの?
・・・もう、考えるの、疲れたな。
いつもは『了解しましたー! がんばってね(^O^)/』とか、何かしら返すメールを、今日は送れなかった。
夫婦の寝室のベッドは広すぎてさみしいから、スヤスヤ寝てる千沙の布団に無理やりお邪魔した。
子ども用のマットレスは硬めで小さくて寝心地なんか全然良くないんだけど、抱きしめたらすり寄ってくるのが堪らなく可愛い。
小さなぬくもりに癒されて、私も眠った。
*****
十何年ぶりだろう。先生に会うのは。
ドキドキしながら、待ち合わせの喫茶店に向かう。
天気もいいから散歩がてら歩いて行った。
時間のギリギリまで悩んで、ちょっとフェミニンな大人っぽい服にした。
髪もきちんとブラシをかけて、お化粧も丁寧に。
だいぶ早めに付いてしまった。時計をみると、十二時半。
カフェラテを頼んでゆったりした一人がけのソファに座ってそわそわと先生を待った。
時計を見たり、メニューを開いたり、携帯をいじったり・・・。
そんなことをして時間をつぶしていると、男の人が一人、お店に入って来た。
白いシャツにグレーのジャケット。清潔感のある髪型、細い黒フレームの眼鏡。
「先生!」思わず立ち上がって手を振ると、先生はこちらを見て片手をちょっと挙げ、爽やかに笑った。
「やあ。遅くなってごめんね。待たせちゃいましたか?」
「いえ、私が早く来ちゃっただけです。先生、全然変わってませんね。
昔と同じで、驚きました」
お世辞でも何でもなく、ホントに変わってない。服の色使いも髪型も眼鏡のデザインも、笑った顔も、記憶にある塾での先生そのまんま。
ある意味すごい。
私の向かいに座って、先生はじいっとこっちを見てくる。
「な、なんですか」
「いやあ、女の子は変わりますね。本当に、すっかり綺麗な女の人になって。
びっくりですよ」
これでもかってくらい直球な褒め言葉に、私は恥ずかしさで首をすくめた。
そうだった。思い出したけど、遠慮なくジロジロ見るのは昔からの先生の癖。
高校の時。
初めてネイルをした時や、つけまつげを付けてみた時、編み込んだ凝った髪型をした時も、ピアスの穴を開けた時も、「どうなってるんですか? それ?」って、気が済むまで観察された記憶がある。
「も、もう! 人のことジロジロ見るのは失礼だって言ったでしょ!
先生、そんなとこもちっとも変わってないんだから!」
ちょっと睨んで言ってやると、先生が眼鏡の奥の目を細めた。
あ、これは、すごく嬉しい時の顔だ。
「ああ、のんちゃんだ。本当に久しぶりですね」
先生は、ちっとも変わってない。
記憶にある、やさしい先生のまま。