8 電話できない
次の日、先生に電話は出来なかった。
その次の日も。掛けようと思うんだけど、尻込みしてしまって手が止まる。
だって何て言う?
旦那に浮気されてショックで大泣きしちゃったのって?
ダメダメ。絶対ヤだ。そんなこと言いたくないし知られたくないし、先生だってそんな話聞いたってどうしようもないから嫌でしょうよ。
先生から電話はかかってこなくなったけど、代わりに毎晩短いメールが届く。
『こんばんは。落ち着いたかな? 電話して下さいね。』
『こんばんは。大丈夫ですか? 怪我してませんか?』
『こんばんは。何か事件に巻き込まれたりしてませんか? 元気な声を聞けないと安心できません。』
電話は普通に話せる自信がないから掛けれないけどメールなら大丈夫だから、返信する。
『こんばんは。もう大丈夫です! ご心配かけてすみません。電話はまた今度、落ち着いてからにしますね。』
『怪我なんてしてませんよ。元気です。娘も元気すぎて今日も公園で引っ張り回されてくたくたです。今日はもう寝ちゃいますね。』
『こんばんは。メールもいいものですね! 楽ちんです。』
『こんばんは。先生って絵文字とかけっこう使う人なんですね。さっきのクマさん、可愛いです!』
今夜もメールを送信した。
ふう、と一息つくと、手の中で携帯が震える。
わ、わ、わ。
慌てて通話のマークを押してしまった。・・・しまった。
どうしよう。でも、今さら切れないし。
おそるおそる耳に近づけると、私の名前を呼ぶ声。
「・・ちゃん? のんちゃん?」
「ハイ。そうです。のぞみです」
なんだそれ。変な受け答えをしてしまった。
くすっと笑い声が聞こえる。「のんちゃんですか。よかったです」
ほっとしたような声。少し困ったように笑う先生の顔が頭に浮かんだ。
「・・・ごめんなさい、先生」
「僕の方こそしつこく電話してごめんね。・・・声が聞けてよかったです」
優しい先生。でも今は、優しい言葉をかけないで。
この前の電話であんなに泣いたのに、また泣きたくないよ。
「これだけ答えて下さい、のんちゃん。
今、ケガとか病気とか、身体に異常はないですよね?」
「・・・うん」
「事件に巻き込まれたりもしてないですか?」
「うん」
「緊急の助けが必要とかいう状況では・・?」
「うん。大丈夫だよ」
ふう、と大きく息をつく音がした。
「なら、いいんです。とりあえずは、安心しました」
「ごめんなさい、先生。心配かけて。迷惑かけて、ごめんね」
「うーん。心配はしましたけど、迷惑ではないですよ。
ほら、よく言うじゃないですか。手のかかる子ほどカワイイって。あれですよ」
そんな風に冗談めいて言ってくれる。ずっと、電話くれても無視してたのに。
「理由は・・・話せますか? 聞かない方がいいですか?」
「う・・ん。超個人的なことだから。先生が聞いたら、そんなことかよーって笑っちゃうよ」
明るく言うと、「笑いませんよ」と返された。
すごく、真剣な声で。
「のんちゃんが泣くほどツラいことを、笑ったりなんかしません」
ああ、だから。ダメだってば。
返す言葉に詰まると、先生が明るく切り出した。
「ね、のんちゃんの娘さん、ひまわり幼稚園だって言ってましたよね?
もしかして、お家、朝日町とか、竹豊町ですか?」
「え? あ、うん。うち、朝日町だよ」
「本当に? リブリブショッピングモールの近くですよ。僕の働いてる医院」
「ええ!?」
驚いて思わずソファから立ち上がってしまった。
だって、リブリブは家から自転車で十分くらいのところにある、いつも利用している大型ショッピングセンターなんだもの。
「すごい偶然。へえー、すごい」
「会えませんか? のんちゃん。久しぶりに会って、話したいです」
ええーーー!?
叫びそうになった口を慌てて手で抑えた。




