41 好きなひと
先生が好き。
そう一度口にしてしまったら、なんだか日常生活でも意識してしまう。
目が合った時、手が触れた時、にっこり微笑まれた時、・・その度にドキンと私の心臓が跳ね上がる。
落ち着け、落ち着け。いつも通り、いつも通り。
えっと、いつも通りってどんなんだっけ。私、どのくらいの距離感で、先生のそばにいたっけ? そんな風に考え始めるとわけがわからなくなる。
落ち着けって自分に言い聞かせても、顔が赤くなってる気がして恥ずかしい。
恥ずかしい、・・けど、つい先生を目で追ってしまう。
そして、そんな時に限って先生は私を振り返る。もちろんばっちりと目が合うわけで。そうすると先生は、おやって一瞬目を丸くして、でもすぐに目を細めて笑う。
きゃあ! ヤメテ!
そんな私の変化に真っ先に気づいたのは、カンの鋭い千沙だった。
小さくたって、いっちょまえの女のコ。
二人で夕飯を作っている時、にへーって笑って私をつついてきた。
「ママ、せんせいといると、おかお、あかい! せんせいに、こいしちゃった?
らぶらぶー?」
「んなっ・・・」
まさか幼稚園の年少さんに、恋しちゃったの?なんて言われるとは思ってなくて、唖然とした。
現代っ子はマセてる・・・! おそろしい!
それを聞いたトシ君が焦った声を出す。
「お、おいおい、千沙! おまえ、パパの味方してくれねえのかよお!」
「ちさは、ママのみかただもん! ママがいちばんすき」
えっへんと胸を張る娘と、うな垂れる父親。おもしろい。
「ちぃちゃん、ありがと。ママもだいすきよ」両手を広げれば、千沙がぽふんと抱きついてくる。
「千沙、ぱ、パパは? パパも好きか?」
不安気な顔で真剣に質問してるトシ君。千沙は膝をついてるトシ君の頭をポンポンと優しく撫でる。
「さいきんのパパは、すっごく、すき!」
「・・・! ありがとう! 千沙っ!」
「でも、ママがすきなのはせんせいだから。ジャマしちゃダメよ。パパ」
「ガーン!」
あなたこそ、キャラ変わってるわよ、トシ君。
ある日の夕方、コンコンと珍しくノックが聞こえてドアを開けると、トシ君が一人で立っていた。
今日は診察はナシだそうで、先生より先に一人で来たんだって。
ちょっと緊張した顔で。
手にはここらで有名な洋菓子店『リボン』のケーキの箱をぶら下がっている。
私の目がそれに釘付けになったのを見て、トシ君は笑う。
「のぞみ、先生が言ってた通りのカオしてる。ここのケーキの箱見たら、のんちゃんは目をキラキラ輝かせますよーってさ」
うう、図星です、先生。
「俺は、お前がスイーツ好きだってことさえ知らなかったもんな。どんだけ俺の前で我慢してたんだよ、全く。そんなことぐらいで、俺は何か言ったりしないっつーの。
・・いや、言ってたか。イライラしてたもんな、俺。・・ごめん」
急にしんみりと謝られて、私も焦ってしまう。
「う、ううん。もういいのよ。終わったことだし」
「終わったこと、ね。
お前の中では、俺のことはもう、過去のこと、なんだな・・」
「あー、パパッ!」
「おー、千沙。ケーキだぞー」
千沙が顔を出すと、トシ君は声を明るくしてケーキの箱を掲げた。
「いろんな種類の、買ってきたんだ。のぞみはどんなのが好きなのか、俺にも教えてくれよ」
なあ、と手を取られる。優しい手つきで、とてもじゃないけど振り払えない。
その時。
ガチャとドアが開いて、「ただいま」と先生が帰って来た。その視線は私達の繋がれた手に向けられる。
「お、おかえり、先生」
私は慌てて手を離した。宙に浮いてしまったトシ君の手を、千沙ががしっと掴む。
「おかえり、せんせー。パパは ちさと あっちいこっ!」
そしてそのまま、千沙はトシ君を引きずってリビングの方に行ってしまった。
「どうやら千沙ちゃんは僕の味方みたいですね。心強いなあ」
ふふふと笑って、先生は私の手を取り一緒に廊下を歩く。
さっき、トシ君が握ってた方の手を。
「あ、あのね、先生。トシ君が『リボン』でケーキ買ってきてくれたって」
「おや、さっそくですか。昨日話してたんですよ。のんちゃんの好きな、イチゴのケーキもあるといいですね」
キュンとした。いやだ、女子高生みたいなこの思考。恥ずかしい。
でも、嬉しいものは嬉しいんだもの。
先生は当たり前みたいに、私の好きなものを分かってくれてる。
パフェが好きでも、わたがしが食べたいって言っても、子どもっぽいなんて馬鹿にしたりしない。
それが私だって、丸ごと受け止めて、認めてくれる。
そう分かってるから、安心してそばにいられる。そばにいたいって、思える。




