18 震える身体
身体がだるい。というか、痛い。
おまけに昨夜は、ちっとも眠れなかった。
あのヒトはすぐにマンションを出て行って、身の危険は去ったのに。
・・まあ、あの後でぐーぐー寝れたらオカシイ気がするし、まだ私はマトモなんだって思うことにしよう。
「のんちゃん、なんだか調子悪そうですね。風邪ひきました? ん、唇どうしたんです?」
ちょっと声を張り上げていつもより元気に挨拶したのに、いきなり見抜かれた。
「ちょっと乾燥して切れちゃっただけ。大丈夫だよ」
さすが、医者の目は誤魔化せないってことですか。
「 今日はお休みでもいいですよ? まだ時間もあるし、車で送りましょうか?」
優しさでそう言ってくれてるんだろうけど、正直、あの部屋に一人で居たくない。
「大丈夫、だいじょうぶ。あ、でもツラくなったら仮眠もらっちゃうね。
昨日映画観てて寝るのが遅くて、寝不足なだけ。ありがとう、先生」
こんなちょっとした私の変化に気づいてくれるなんて。
・・あのヒトは、私が熱でフラフラの日にも「行ってくる」って横を通り過ぎて行ったっけ。
ううん、もう、考えない。
ぶるぶるっと頭を振って、気持ちを切り替える。
なんとか昼までの診察を乗り切り、最後の患者さんが帰るのを見送ってドアを施錠する。
ホッとしたらかくんと膝の力が抜けてその場にしゃがみこんでしまった。
「のんちゃん、どうしました!? 辛かったら休んでって言ったじゃないで・・」
先生が私の手を取り立たせようとして、ハッと顔を強張らせた。
先生の視線の先にあるのは私の手。
「・・・っ」
慌てて手を振り払い、袖で手首の痣を隠した。
しまった。こんな目立つものなのに忘れてた。何のために夏なのにカーディガンを羽織ってきたのか。
「のんちゃん、それ・・・誰が? 誰に・・やられたんですか?」
先生の声が震えてる。
どんな顔して私を見てるのか、見たくなくて顔を伏せたまま、考えた。
言い訳を。嘘を。どうやって言えばこの痣を誤魔化せれる?
「・・・ご主人が、それを? 無理矢理、・・乱暴されたんですか?」
先生がしゃがんで、さっき振り払った私の手を両手で包む。
自分でも気づいてなかったけど、私の手はガタガタ震えていた。
こんなんで、誤魔化せれるわけ、ない。
浅はかだなあ、私。そう思うとおかしくもないのに笑えた。へらっと口の端を上げる。
「だ、大丈夫だよ、先生」
先生がさすってくれて、手の震えも収まった。だから私は大丈夫。
「何が大丈夫なんですか? 夫婦間でも同意なく行為を強いれば、罪になります」
きっぱりと強い口調で言う先生が、正し過ぎて今は煩わしい。
「わかってるよ。でも、いいの」
「どうして?」
しつこく聞かれてイラっとした。
「そういうの、いいんだってば。先生には関係ないことだから」
「でも、きちんと訴えれば・・っ」
「あのヒトが犯罪者になったら、千沙が悲しむでしょ。
犯罪者の娘になっちゃうでしょ。ダメに決まってるじゃない、そんなの」
俯いて、ポツポツと言葉を発する。
「もういいの。
夫婦間のちょっとしたトラブルよ。
ああ、でももう、夫婦じゃなくなるんだ。
リコンするから。
だからもういいの。たいしたことじゃないわ」
自分に言い聞かせるように呟いた。
「たいしたことじゃないなんて、そんなわけないでしょう!?」
先生の手に力がこもる。それに反射のように私の身体がビクリと震えた。
私はぶんぶんと首を振る。
「・・・私は、先生が思ってるような純粋な女の子じゃない。
色んな人とお付き合いしたし、結婚だってした。子どももいるのよ。
こんなことで騒ぐような年齢じゃないわ。別に、大丈夫。何ともな・・」
「それでも! ・・・あなたはか弱い女性です。男に力で乱暴されて、怖かったでしょう?」
「・・・っ」
顔を上げたら先生の目が、突き刺さるくらい真っ直ぐに私を見つめていた。
先生は辛そうに顔を歪ませ、今にも泣きそうな顔をしてる。
なんで? どうして? 先生がそんな顔をするの?
抑え込んでいた何かが溢れ出す。
指が、震えて、先生の白衣をぎゅっと握った。
「・・・こわかった」
言葉と一緒に、涙がすうっと頬をつだう。
「怖かった! 怖かったよ・・・!」
吐き出すように私は叫んだ。
「押し返してもビクともしないし、やめてって言ってるのに、ちっともやめてくれなくて。痛くて、い、いっぱい痛くて・・・!」
思い出しただけでも全身が強張る。
力で押さえつけられることが、あんなに恐ろしいことだって知らなかった。
力では男に敵わない。女はなんて無力なんだろう。
自分の意思を伴わない行為が女にとってどんなに苦痛か、きっとあの男には
分からないんだ。
アイシテルって言えば何でも許されるって思ってるんじゃないの?
「のんちゃん」
先生がそおっと、そっと私を抱き寄せる。
私は先生の白衣を握りしめたまま、先生の胸元に顔を伏せた。
「う、うう・・・っ、うー・・」
涙はどんどん出てきて、もう私は子どもみたいに泣き喚いた。
「ごめんね、助けに行ってあげられなくて。ごめんね・・」
先生は悪くないのに、ずっと私の背中をさすって謝ってた。




