17 アイシテルって何?
*夫婦間ですが、無理矢理な表現があります。ご注意ください。
しばらく穏やかな日々が続いた。
三ヶ月があっという間に過ぎて、仕事も慣れてきたように思う。
毎日、楽しくってしょうがない。
掃除をするのも、お花の世話をしたり、掲示物を貼ってみたり患者さんとのおしゃべりもすごく楽しい。
こういう仕事って私に向いてるのかな、なんて自分でも思えて嬉しかった。
先生といろいろ話すのも楽しいし、一緒にお昼ごはんを食べるのも楽しかった。
旦那は相変わらず帰って来ないか、深夜にいつのまにか帰って来て朝ごはんも食べずに出て行く。
もう、そういうものだと思うことにした。
いつ帰ってくるのかと待つのを止めたら、少し気持ちが楽になった。
仕事でたくさんの人と話して、笑うことがすごく増えた。
娘にも「ママ、にこにこになってうれしい。ごきげん!」って言われた。
娘の千沙は今日もとびきり可愛い。
*****
ある夜、夜中の十二時に近い時間、旦那が酔っ払って帰って来た。
ガタンと音がしたから、ベッドを起き上がると、リビングで旦那がソファに突っ伏していた。飲んだらいつも泊まってくるのに、帰ってくるなんて珍しい。
そう思いつつ、声を掛けた。
「お帰りなさい。ねえ、こんなところで寝ちゃ駄目よ。風邪、ひくわよ」
旦那はうーんと唸るばかりでまともに返事を返さない。
どうやらかなり酔っているようで、お酒の匂いがプンプンする。
それに、いつものキツい香水の匂い。
「ねえ、あなた」ともう一度声をかければ、「ああ」と短い答えが返ってきた。
仕方ない、水でも持って来ようと立ち上がろうとした時、いきなりガッと左の手首を掴まれた。
驚いて旦那を見る。
「ちょ、痛い。やめてよ」
そう言っても、大きな手での締め付けは緩むどころかギリギリと力を増した。
「やめて。痛いってば! は、離してっ!」
引きつった声でそう訴えたら、旦那がハッとしたように私を見た。
「のぞみ、お前は、俺のだろ?
なんで、俺を拒否するんだよ! なんで俺から離れてくんだ・・っ」
目の前で叫ぶように吐き捨てられ、私は意味が分からず呆心してしまった。
なに? なにを言ってるの?
「行くなっ、俺を置いて、行くなよ! のぞみっ!」
唇が重なる。舌が私の中を動き回る。情熱的どころか、私の呼吸を奪うような苦しいキス。
旦那が私を床に押し倒し、のしかかってくる。
頭を床で打ち付け、視界がチカチカした。
私がその体を押し返そうとすると、片手で力づくで私の腕をひとまとめにされた。
もう片方の手が、私の身体中を動き回る。
「のぞみ、のぞみっ・・」
過去にこの人と、愛し合う行為は何度もした。
でも、こんな、荒々しいのは初めてだった。
恋人同士の時は会う度に求めて来て、ひたすら優しくて甘くて。
夫婦になってからはそれなりに。
・・・子どもができてからは、めっきり減って。
最後にしたのはいつだったのかも思い出せないくらい。
それなりに慣れた行為だったはずなのに、怖くて、体の震えが止まらない。
腕が、体が、足が、ビクとも動かせられない。
「いやっ! やめて、やめてよ!」
必死に叫んでも、私の声なんてまるで聞こえないよう。
私の名を呼びながら、私の身体を揺さぶる旦那。
私の名を呼んでいるのに、私の声は届いていない。
やめてって言ってるのに
なんでやめてくれないの?
・・ああ、私、どうしてこの人がすきなんだったけ。
激しく奥をガンガン突かれて、生理的な声は出るけど、痛みしか感じない。
痛い、苦しい、もう、止めて。
懇願しても、聞き入れてもらえない。
返ってくるのは「アイシテル」っていう言葉だけ。
アイシテル? アイシテルって何?
早く終われ、とそればっかりを願いながら、時間が過ぎるのを待った。
抵抗する気力もなくなってくると、ようやく手を解放された。
「のぞみ・・」
「い、いいかげんにしてっ! 痛いって言ってるでしょ!」
力を振り絞って両手でばちんと旦那の頬を挟んだ。
旦那がハッと息を詰め、目を見開き、みるみるうちに青褪めた。
「・・・どいて」
掠れて聞こえないくらいの声だったけど、旦那は飛び退いた。
呼吸を整えようとしても、浅くしか吸えない。息が苦しい。
身体中痛くて堪らない。
手も腕も足も腰も、お腹の奥も、どこもかしこも痛い。
薄いラグが敷いてあるだけのフローリングに押さえつけられて、背中もヒリヒリする。
「・・あ、す、すまない」
私の身体に残った指の痕を見て、なのか、冷静に自分のやったことがわかったのか、旦那は謝罪の言葉を口にしてがくりと項垂れた。
そのままでいたくなかった私は、怠い体でなんとか服を着た。
ソファに座ると、旦那が語り出す。
「実は、以前交際していた人が、悩みがあると言って・・もうずいぶん前から、相談にのってるんだ。彼女は、その・・積極的な女性で・・。
何度か彼女と夜を過ごした。
・・・なあ、のぞみ、気づいていたんだろ?」
なに言ってるの? このヒト。
あっけにとられて私は絶句してしまう。
そんな内容のことを、何故、妻である私に聞かせるの?
酔って訳が分からなくなっているの?
だからなんなの、と言いたくなる。
腹が立った。
さっき私にあんなことをしておいて、普通に他の女の話をしてくることにも。
私のことなんかこれっぽっちも眼中にないと言われているようで。
実際そうなのかもしれないけど、あんなヒドい扱いをして、普通もうちょっと、罪悪感とかあるもんじゃないの?
何も言わずに唇を噛み締めていると、旦那は大袈裟なため息をつく。
「・・・離婚しよう。俺たち、もともとそんな大恋愛って訳じゃあないしな。
千沙の養育費はちゃんと払うから、お前が育ててくれ。俺は・・・」
何か喋り続けているようだけど、すごく遠くから話しているようでうまく聞こえない。
・・もう疲れた。
「わかったから。もう、いいわ」力無く返事をする。
こんな仕打ちで別れを切り出すなんてサイテー。
でも、今はとにかく私の視界からいなくなって欲しい。
「詳しいことはまた連絡する。・・・乱暴にして悪かったな。俺、お前に・・、いや、・・今更か。それじゃあな」
旦那はさっさと立ち上がり、出て行った。
遠くで玄関のバタンと閉まる音がした。
悪かったなんて、簡単な謝罪、聞きたくない。
何に対して? さっきのこと? 浮気のこと? 千沙のこと? 結婚したこと?
身体が震える。
ぐっと唇を噛むと、血の味がした。




