12 パート
先生の後をついて歩いて到着したところは、ホントにリブリブから歩いて五分くらいのところだった。
「ここです」と言われて足を止める。
大きく掲げられている『榎本医院』という看板。
シンプルでスタイリッシュな看板は先生らしい。
建物はそんなに新しくない。でも古いって感じでもない。
「前院長が、看板は僕の名で新調してくれたんです。あとは古いままですが」
先生は入り口のガラス戸の鍵を開けて、「どうぞ」と私を招いた。
ごくごく普通のクリニック。
長椅子の並んだ待合室は、殺風景で、ちょっと寂しいかなという印象。
「こんな感じです。どうですか?」
振り返ると、白衣姿の先生が!
「わあ、先生、似合う! かっこいいー!」
メガネで白衣。優しい笑顔。似合いすぎ! ステキ!
私がきゃあきゃあと褒め称えると、先生は顔を赤くした。
「・・・褒めすぎです、のんちゃん」
「えー、本当に素敵だよ。すごく、優しい笑顔の先生にピッタリ」
「・・見過ぎです、のんちゃん」
あは。ついじーっと先生みたいにガン見しちゃった。
先生ってば、自分は見るくせに、見られるのは恥ずかしいんだ。おっかしいの。
ふと下を見ると、足元に落ちていた飴の包み紙のゴミに気づいてた。ひょいと拾えば、先生が慌てて私の手の中のゴミを受け取った。
「すみません。なかなか、掃除が行き届かなくて・・」
そう言われてみると。
パッと見は綺麗に掃除されてるけど、すみっちょに少し埃が・・・って私は小姑さんかっての。私の視線に気づいたのか、先生も苦笑いしてる。
「これでも頑張ってるんですけど、毎日の掃除は大変ですよね。
本当に、それだけでくたびれてしまって。始まる前から疲れちゃうんですよ。
早くお手伝いしてくれるパートさんを雇おうと思っていまして」
先生が私を見ながら、顎に手をやる。
「・・・ところで、のんちゃん、昼間は何かお仕事を?」
「う、ううん。今は、何も。
春からようやく娘が幼稚園に行ってくれるようになって。これからどこかにパートにでも、行こうかなって・・・」
先生が目を輝かせて私の手をとった。
「それは、ありがたい!! 是非ともうちに来て下さい!」
「え!? えええ??」
「こんなチャンス、そうそうありませんよ。パートさんを雇いたいとは思ってましたけど、よく知らない人を自分のテリトリーに入れるのは抵抗がありますし。
かと言って、早くしないと僕も限界ですし」
「え? ちょ、待って、先生っ」
急な展開に目を見張る。
ちょっと医院を見学させてもらうつもりが、どうしてこんなことに?
「ね? お願いします。
悪いようにはしません。時間も娘さんが幼稚園に行ってる間だけでいいですし、休みなんかも都合に合わせます。保険なんかも・・・」
「ちょ、ちょっと待って、待っててば、先生」
一気に加速してる先生にストップをかける。
ちょ、このままだとどんどん話が進んじゃう。
「すぐには決めれないよ。ちょっと考えさせて」
「ああ、それは勿論です。ごめんね。ちょっと想像したら、もうのんちゃんしかいないって、思ってしまって。先走ってしまいました」
先生は奥の診察室に招いてくれて、コーヒーをいれてくれた。
応接セットなんかはあるはずもなくて、診察用のお医者さんの椅子と患者さんの椅子に座ってコーヒーをすする。
なんだかおかしくて笑ってしまった。
「なんか変なの。こんな椅子に座ってコーヒー飲むなんて」
「ごめんね。来客用の椅子が一個もないことに今気づきました。
ここには患者さん以外、他の人が入ることがなかったので」
先生はなんだか申し訳なさそうにするので、余計に笑ってしまった。
「ううん。なかなか面白い体験だわ。この回る椅子でコーヒーを飲める人はそうそういないと思うもの」
足でそっと蹴ってくるーりと回転させて見せると、先生も笑った。
帰る前、先生はかなり真剣な顔で私の両手を握った。
「本当に、絶対に前向きに検討して下さいね。のんちゃんは優秀だったから、事務作業とか早そうですし、いつもにこにこ笑顔でいてくれるから患者さん達にも喜ばれそうですし、僕も・・・えっと、とにかく、お願いします。
電話、してください。待ってますから」
・・・。無意識なんだよね、先生がこういうこと言うの。
人を喜ばせるのが上手いと言うか。褒め上手なところは変わらないんだね。
こんなふうに言われたら、もう断れる気しないよ。
でも普通に考えても、他でパートを探すよりかなりの好条件。
やっぱり子どもいると、急な風邪とか熱とか出すし、幼稚園の行事も予想以上にあるし、休みとか都合をつけてくれるところじゃないと。
どうしようかなー、なんて口で言いながらも、心ん中ではもう決定かなって思ってる。
旦那にも了承を得ないと、かな。
パートに出たいって行ったら、あの人なんて言うかな。
何も、言わないか・・。
私が日中なにしてるかなんて、聞いてきたことないもんね。




