第92話 悲しみの夜間飛行
あれから一週間が経過した……。
伯爵閣下がヴァルカンを呼び止める。
「おい、ヴァルカン! 侯爵夫人らは解放してよいぞ!」
「……取引は終わったって事か?」
「フォフォフォフォ! そうだ! おかげで大儲けじゃ!」
「ふむ……。思ったより簡単に話が着いたんだな?」
「侯爵閣下ご自身が交渉に立ち会われるようになったのが大きいな。ワシらが禁じ手を使わざる得なかった理由や、公爵夫人らが無事である事も確認でき話が進んだようじゃ。本来ならば侯爵閣下と親交のあるワシが赴くべきではあったのだが、ワシは名目上特領府の囚われの身じゃからの。こちらの配慮不足である事を持ち出したのだが、侯爵閣下はそれを突っ撥ねおった。その代わり、言い値で融通可能なだけ食料を買う事と、ガトリール地方でやっとるジャガイモの生産技術の提供を交渉材料としてきおった。後者はワシの一存では承諾できんが、鵺が協力してくれる事になった。おかげで、大儲けした上に早期に交渉が妥結したと言う訳だ」
「ふむ。聞いてた方針と違う気がするが……食料を放出して良かったのか?」
「分かっとらんのぉ、フォフォフォフォ! ワシは「融通可能なだけ」と言っただろうに?」
「汚え取引じゃねえか……。だが、侯爵の奴が技術提供を付け加えてきた辺り、奴も侮れねえなぁ……」
「その通りじゃ! 我が宿敵でありながら天晴れな奴じゃ!」
上機嫌な伯爵閣下とは対照的に、ヴァルカンは話がうまく行き過ぎている事に疑念を感じていた。
「話がうまく行き過ぎてねえか? 侯爵の奴には計画の事は話してねえんだろ?」
「話しとらんな。ワシの調べでも侯爵領は困窮する状況でもない」
「……一杯喰わされたって事か?」
「機転を利かせたというのが正確じゃろうな。昔、侯爵閣下が商人をしていたという話は知っておるか?」
「いや。貴族が商人をするなんて聞いた事もねえ話だぞ?」
「珍しい話ではあるが、昔はワシと同じく商人見習いをやっておったんじゃ。駆け出しの頃は何度も煮え湯を飲まされておってのぉ……。今となっては苦い昔話にしかならんが、その経験が「タダでは起きぬ」という商人魂のような物になっておるのよ」
「って事は、こちらの思惑も筒抜けって事か?」
「奴は切れ者だからのぉ。大凡予想はできてるはずじゃ。じゃが……その先までは読めぬだろうな……」
「それは俺たちも同じじゃねえのか? 俺たちは計画の目的は知ってるが、鵺の口から「どんな馬鹿話」が飛び出すかまでは予想しようもねえからな」
「確かにその通りじゃ! フォフォフォフォ!」
ヴァルカンのツッコミに高笑いをしていた伯爵だったが、その表情が変わる。
「ところで……ヴァルカン」
「急にどうした?」
「お主、鵺をどう思う?」
「……ここに来て裏切りか?」
「フフフ、そうではない。この計画の結末に「どんな理想」を口にするかという話だ」
「まぁ……鵺の知略は侮れねえ。そこに強大な戦力が加われば国を乗っ取るのも可能な話だ。だが、鵺はそれを望んでいねえ。単純な理想論を唱えるための計画でもねえしな……」
「そこが問題なのだ。計画は良い提案ではあるが、不足が目立つ。純粋な理想論を口にするだけならば、それこそ見限る相手になる。だが、鵺は一筋縄でいかぬ相手だ。奴がどう振舞うかですべてが決まると言っても過言ない。奴は……どうするつもりなのだろうな?」
伯爵の不安めいた言葉に、ヴァルカンは呆れるほどアッサリと答える。
「さぁな!」
「……よくもまぁ……呆れるのぉ。お主、それでも鵺の右腕か?」
「俺はそんなんじゃねえよ。左腕って意味でもねえからな?」
「では、お主は何だと言うのじゃ?」
「そうだなぁ……。今は戦友ってところじゃねえか? 鵺が本気で王を目指すってんなら、それこそ下っ端で構わねえ。だが、鵺が王座に踏ん反り返ってるのは、どうやっても想像できねえんだがな? フフフ……」
「フォフォフォフォ! 確かにな! 工房に籠りっきりになってそうじゃ!」
「にしても……アンタにしては随分と弱腰だな?」
「それは仕方ない話じゃ。計画が単なる目論見ではなく、現実味を帯びてきたからじゃ。問題は増える一方だしな」
「交渉に応じない奴らか?」
「うむ。主に公爵を中心とした貴族共になるが、交渉どころか相手にすらして来んな」
「……戦争になりそうだと?」
「フォッフォッフォッフォッ! お主は愚か者か? 誰を相手にすると言うのだ?」
「そりゃあ……俺たちをか? だが、各地で動いてるのは地元の有力商人たちだ。奴らを標的にすれば「商売をするな」という意味になる。それに、所在も分からない守る物もない俺らを相手にすれば、泥沼の戦いになる上、緊張状態の隣国が攻めて来るだけだぜ?」
「そういう話ではない。やり口の問題だ」
「やり口?」
「奴らには「法」という最強の一手がある。鵺の企みは法を犯すまでには至ってはいないが、法が変われば話は別じゃ。犯罪者として仕立てるのも良し。高い税を掛けるのも良し。奴らのさじ加減一つで状況が一転する話なのじゃ」
「犯罪者は別にしても、税だけでは痛くも痒くもねえと思うけどな? それに税率の低い領地に人が集まるだけだぜ? 自分で首を絞める事に何の意味がある?」
「フォッフォッフォッ……。法なんて物は何とでもなる。自分らに都合のいい法を作れば済む話じゃ」
「ふむ……」
最強の切り札「法律の改定」は、特定の個人に対して施行できる物ではない。
だが、それは一般論に過ぎない。
この国には統一した法もあるのだが、それは領地間での揉め事を回避する意味が強い。
そして、各領地で制定された法の方が優先される事が多い。
つまり、法律の改定により鵺を犯罪者にする事も可能であり、鵺に関わっただけで処刑を実行する事も可能なのだ。
高い税率を掛けるという方法も、息の掛かった商人だけを除外する事も可能だ。鵺を抹殺するまでの限定的措置も可能である。
更に言えば、複数の領地で同様の法を立ててしまいさえすれば、不自然さを誤魔化せる上、正当性を問うのも難しくなる。
つまり、「領主にとって都合のいいルール」。それが現行の法解釈なのだ。
「鵺の計画はまだまだ折り返しじゃ。悟られぬよう気を付けるのだな」
「分かってるさ。……だが、分かったところでもう遅いと思うけどな?」
「当たり前だ! ワシは勝算のない戦いに投資する馬鹿ではないぞ!」
話を終えると、ヴァルカンは婦人らのいる部屋へと向かう。
部屋の前に着くと、「コンコン」とドアをノックした。
すると、中から返事が聞こえ、ケリーヌがドアを開けた。
不思議に思われるかもしれないが、囚われの身である婦人らの部屋には鍵が掛けられていない。
鍵を掛けていないのは婦人らが協力的であるという事もあるのだが、担当であるヴァルカンの意向で決められた事なのだ。
「ヴァルカン様。ようこそいらっしゃいました」
「突然すまねえな。アンタらは解放だ」
「解放……ですか?」
「ああ。アンタらの親父さんが事を丸くを収めてくれたおかげだな」
「それは……良かったです……」
「ご婦人にも話をしたいんだが……今居るか?」
「お母様はエステに出向いています。ここのエステが大変気に入ったご様子でした」
「そうか……。じゃ、また来るわ」
「あ、あの……」
「ん? ……そういや、約束が果たせずにいたな?」
「あの……。ヴァルカン様は、いつもあんな風に自由に飛んでいらっしゃるのですか?」
「いや、あれは秘密兵器だからな。おいそれと使える物じゃねえんだわ」
「では、それは「計画」というのにも関わるのですね?」
「まぁそうだな……。でも安心しろ! 俺たちの計画はアンタらを貶める事柄じゃねえ! ……って言っても、見方によっては否定もできねえが……。まぁ悪党のやる事だ! それなりの被害は仕方ねえな!」
ケリーヌは突然笑い出した。
何も変な返しをしていないのに笑われ、ヴァルカンは自身の回答の不自然な点を探し始める。
「フフフ。ヴァルカン様は本当に面白いお方です。私は「ここの所在」と「秘密兵器を見た事」が、計画に支障がないかと伺っただけです。ここまで言ってもお見逃しになるのですか?」
「見過ごすも何も、アンタはそんな事しねぇだろ?」
「妹をお救い頂いた恩義はありますが、それを理由にお父様の足を引っ張る事だけはしたくありません。領地に戻れば私たちは敵同士になります。ならば、口を割る事も仕方ない事だと思えるのです」
「それはもっともだし、そうすべきだとも思う。だが、今は無事に帰るためにも言葉を慎むべきだと思うぜ?」
「……分かりました。では、私を連れ去ってください」
「…………何を言ってやがる? 言ってる意味……」
ヴァルカンはケリーヌの真剣な眼差しに言葉を止めた。
「冗談ではない」そう思わせる瞳である。
ヴァルカンは背中を向けると、一言だけ言う。
「行くか?」
ケリーヌは部屋で寝ているマリアーヌを見ると、嬉しそうに返事をした。
◇
夕日が地平線に沈むと、空が赤と紫に染め上げられ、次第に黒くなっていく……。
上空には星々が煌き、地表は家々から漏れる灯かりで綺麗な光の列を作っている。
二人は、夕暮れの空を飛んでいた。
ケリーヌは毛布に包まりながらも、ヴァルカンの背に抱き付いている。
会話と言える会話はせず、ただ静かに飛び続けている……。
「お伺いしても良いでしょうか?」
静寂を破り、先に口を開いたのはケリーヌだった。
「……ああ」
「あの……」
「ハッキリ言え。ここには俺たちしかいねえよ」
「はい。いつもご一緒されている女性は……ヴァルカン様のお連れ様なのでしょうか?」
「スピネルの事だろ? アイツとはそういう仲じゃねえよ。幼馴染みって奴だ」
「そうでしたか……」
「やっぱ、アンタは変な奴だな?」
「……何がでしょうか?」
「俺は言ったはずだぜ? 「火傷する」ってよ」
「はい。承知しております」
「俺は手当たり次第女を口説き落とす男だぜ?」
「はい」
「裏の家業もしてるし、昔やった罪でお尋ね者だぜ?」
「はい」
「アンタは貴族だ。俺はただのゴロツキだ。この差をどう埋めるつもりだ?」
「差などありません。ただ立場が違うと言うだけで、一人の男性としてお慕いする事に何の問題もありません」
「アンタは家を継ぐんだろ? だったら――」
「継ぎません!」
「女だからか?」
「……はい」
「ふぅ……。それ、その内無くなるぜ?」
「……どういう事でしょうか?」
「簡単に言うと、「この国のやり方を変える」のが計画だ。女だから爵位を継げねえってのも変えるし、風習や礼節ばかり気を取られ、肝心の統治が後回しになっているのも正す。だから、アンタに都合が悪い面もあるにはあるが、前よりやり易くなる提案なんだぜ?」
「その話……私が聞いて良かったのでしょうか?」
「そうだなぁ……いいんじゃねえか? アンタはいい領主になりそうだしな。そうなると、増々俺と付き合うのは無理になるな」
「なら、私は領主に成る事を棄権致します」
「馬鹿言うんじゃねえよ!? いい領主がいるから庶民も安心して暮らせる! 仕事は大変かもしれねえが、誰でも成れる仕事じゃねえ! それこそ、俺たちが目指す物の逆の結果だ!」
「ですが……この胸の高鳴り、どうしろと言うのです!?」
「…………忘れろ。一時の気の誤りだと思うんだ」
「嫌です! 気の誤りではありません! 本心からあなた様をお慕いしてるのです!」
「……くっだらね! やっぱアンタは、世間知らずの箱入りお嬢様だな? 外の世界に飛び出し現実を知って、たまたま優しくしてくれた相手を好きになる。夢見がちがお嬢様そのものじゃねえか!」
「夢を見て何が悪いのです!? 世間知らずかもしれませんが……私が決めた事です! それがどういう結果を生もうとも、私が決めた結果なのです!」
「あー……分っかんねーかな? 面倒くせー女は嫌いなんだよ! 俺に構うな!!」
「…………分かりました」
ケリーヌがそう言うと、フッと背中が軽くなった。
後ろを振り向くが……そこにケリーヌは居ない。
ケリーヌは……地面に向かって落下していた。
ヴァルカンはすぐに方向を変えると、全力で落下中のケリーヌの元へと向かう。
あと少しで地面に激突という時、ヴァルカンはケリーヌを受け止めた。
しかし、受け止めた衝撃でバランスを崩してしまい、勢いがあり過ぎた事もあって木々の中を低空飛行してしまった。
ヴァルカンはケリーヌを庇うように飛行していたが、やがて地面に着地した。
「ヴァルカン様……。なぜ私を――」
――バチン!
ヴァルカンはケリーヌの頬を叩いた。
頬は赤く腫れ、ジンジンと痛む。
「簡単に命を秤に掛けやがるな!!」
「だって……私の想いが伝わらないのであればと……」
「俺がアンタを好意的に思うのは、「家族のために」と直向な姿勢のアンタだからだ! 今のアンタは、アンタらを追い回していた野盗となんら変わらねえ! クソ以下だ!!」
ケリーヌは何も言い返せず、その場に泣き崩れてしまった……。
ヴァルカンが連れて帰ろうとするが、ケリーヌは掴んできた腕を振り払う。
「放っておいてください……」
そう言い、背を向け顔を見せようともしない。
「その態度は、「俺と向き合うつもりがない」って捉えればいいんだな?」
「そうではありません!」
「なら、こっちを向きやがれ」
ケリーヌは袖で涙を拭うと、振り返る。
だが、平静を装うにも目元は赤く腫れ上がっており、今にも泣き出しそうな目をしている。
「アンタは上玉のいい女だ。胸はデケーし、腰はキュっとなってていい形だ。その上、申し分ない整った綺麗な顔をしてやがる。それこそ、連れ去ってやりたいと思うほどだ」
「では、なぜ!? なぜ私を突き放すのですか!?」
「言っただろ? アンタが面倒くさい女だからだ」
「…………」
「俺はなぁ、好き勝手やってる軽薄野郎だが、相手の領分には踏み入らねえようしてる。人妻や娼婦なんてのはその辺分かってるからやり易いが、アンタみたいな純粋や奴は面倒臭くて仕方ねえ。それにな、アンタには家族がいるんだろ?」
「…………失礼ですが、ヴァルカン様のご家族は……」
「そんな昔の事は忘れたさ。今はスピネルと弟分の二人だけが家族だ」
「鵺様はご兄弟ではないのですか?」
「違うぜ。友人だな」
「不思議なご関係なのですね……」
「おいおい、羨ましいだなんて思うなよ!? アイツとは友人として頼みを聞いてやってるだけだ! それに、アイツは超が付くほど『バカ』なんだからよ!」
「でも……羨ましいです」
「知ってるか? 鵺の奴がここまで大事やらかしてるのは、「家族を守るため」なんだぜ」
「ご家族のために?」
ヴァルカンはケリーヌに手を差し出す。
「アンタには家族がいるんだろ? だったら、家族を一番に想ってやれよ」
ケリーヌはヴァルカンの言葉に何か納得をすると、手を取り立ち上がる。
「はい。私、とても大きな間違いをしていたと思います」
「フフ。いい顔になったな。ソラッ! 連れ去ってやる!」
ヴァルカンはケリーヌを抱き抱えると、ボードに飛び乗る。
そして、顔を真っ赤にしたケリーヌを抱えたまま飛び立った……。
次回、水曜日2015/4/22/7:00です。