第62話 賭けの代償
俺たちが準備を進める中も、刑の執行は続けられた。
伯爵側は高額な報酬を提示し刑の消化をしているが、刑の執行を始めた頃より身代わりを受けたがる者は大幅に減っている。
その代わり、慰謝料狙いの亡者たちが押し寄せつつある。
罰金総額が金貨1万枚を超えたためだろう。
対応策として、僅かばかりに集まる小銭狙いの者に狙いを定め、一人当たりの鞭打ち回数を制限することで凌いでいるという感じだ。
男爵側の状況も芳しくない。
男爵側の鞭打ち回数の合計は、男爵領の領民の数を数倍にするほどの量だ。
領民全員が3~4回……いや、5回は刑を受けないと消化はできないだろう。
このままで行けば……両陣営ともに破綻をきたすのは、時間の問題だ。
この状況を見守る民衆も、彼らの切迫した状況に気付き始めているようだ。
しかし、誰一人として声を挙げない。
国の代表たちが決めた判決内容ということもあるが、自分たちもそれに同意してしまっているからだ。
状況が一方的に悪くなっていくことを、ただただ見守ることしかできずにいた……。
そこに、勇気ある者が現れる。
「おいおい! この裁判はいつになったら終わるんだ?」
それは、サーヴェント。
黒いマントを羽織り、赤み掛かった髪をなびかせながら堂々と叫ぶ。
カーネリアとビードラも側にいる。
「お前ら、なぜ黙り込む? なぜ声を挙げない? この裁判は『俺たちの行動の正しさを証明する裁判』なんだろ? 単にいたぶって殺すだけなら、さっさと殺すか、石でも投げさせればいいって話だ!」
すかさず特使殿が反論する。
「黙れ! これは内戦を引き起こした罪に対する裁判である! 貴様の憤りを満たすための裁判ではない!」
「なら聞くけどよ? そいつらが生き残って、俺たちにどんな利を与えてくれる? そいつらが死んで新たな領主が来たとしても、俺たちにどんな利を与えてくれるって言うんだ?」
「それは新たな領主次第ではあるが、例えバリスデン候、ガトリール候が生き絶えようとも、十分な力量を持った領主を選定する!」
「へぇ? いつから血縁者以外が領主になれるようになったんだ? 男爵側は知らねえが、伯爵の息子のリグルドってポンコツは殺人常習者だぜ? そんなクソ野郎を任命してみろ! アンタらは越権行為だとほざき、何の手を打てやしねえ! アンタら国の代表は『本気で俺たちに応える気』があるってのか!?」
サーヴェントの意見に応戦していた特使殿ではあったが、痛い所を突かれて的確な回答を出せずにいる。
この展開は事前に打ち合わせをしていた訳ではない。
サーヴェントが独断で引き起こした事態だ。
だが……都合がいい。
「特使殿、抑えてください」
「……はい。ですが、折角の準備が台無しになってしまいました。ここからどうやって収めましょうか?」
「考えがあります。ただ……先ほど述べましたように『完全な賭け』です。9割方失敗するとご覚悟下さい」
俺は前に出ると、大声を張り上げる。
しかし、声が小さ過ぎて民衆には聞き取れないようだ。
親方さんが手筈通り拡声器を渡してくれる。
それを使い、話し始める。
「アーアー……コホン。私は商人であります、マサユキと申します。一商人である私がこの場に立つことを許されているのは、英雄で在らせられるゼア様とアンバー様より、相談役としてご指名を頂いたからでございます。特使殿に代わり回答させて頂きます」
親方さんは衛兵を呼び付け、予備の拡声器をサーヴェントに届けさせる。
「アー……。コイツはスゲエな。って、誰でも構わねえ! この裁判の目的を教えてくれ!」
「この裁判は『領主の資質』を見極めるための物でございます。付け加えますと……領民の方々にどれほど信任を得られているかの評価付けのためでもあります。方や金を使い、方や命を賭して刑罰を受けています。皆様がこの状況をどう評価されているかは分かり兼ねますが、私としては……どちらの領主様にも、現状『資質なし』と評価しております」
民衆はざわめき立つ。
この評価には、特使殿や男爵様たちも驚いている。
特使殿にとっては事前に話していた内容と話が食い違っているからであり、男爵様たちにとっては裏切られた気分なのだろう。
「なら、さっさと処刑しちまえばいいんじゃねえか? 伯爵側は金をバラ撒いてくれる格好のカモだが、見守る俺たちにとっては単なる時間の無駄だ!」
「それは構いません。刑罰を決めたのは我々でございますが、それを了承したのは、ここにおられる皆様でございます。そのご意見に賛同されるのであれば、我々としても異論はございません」
民衆は大きく揺れる。
急展開を迎えるだろう事態に、受刑者たちは覚悟の様相を見せ始める。
「ただ……一時の感情や決め付けで、安易に判断して頂きたくないとも考えております」
民衆は静まり返り、皆の視線が一点に集中する。
これだけの人間に見詰められるのは……怖い。
これから起こるだろうことを考えれば、余計に。
「まず、伯爵領を統治されますバリスデン伯爵閣下でございますが、20万を越える領民を抱える都市としては珍しく、餓死者がほとんど出ておりません。また、街角に彷徨う孤児も少なく、職にあり付けない者も少ない。意外とも感じぬ事柄のように聞こえるかもしれませんが、国内においては毎年数万人もの餓死者が出ており、孤児や低所得者層は冷遇されているのが実情でございます。この状況は一見良き成果に思われますが、意図的に仕組まれた政策でございます。人は生きるためにパンを買い、服を買う。それは経済面での消費という金の動きになり、この数が多ければ多いほど経済を掌握する者にとっては都合がいいのでございます。つまり、あなた方は……統治者や上流階級の者に『搾取』されているのです。私腹を肥やすために意図的に生かされているのです」
伯爵閣下は青ざめている。
伯爵側の面々も同様だ。
もう彼らは、刑罰を全うしたとしても厳しい現実しかない。
「一方、ガトリール男爵閣下の場合、自分の無能さを棚に上げ、必要な政策を十分行えていませんでした。領民の約三割は貧民。つまり、伯爵領の低所得者層より貧しき者を多く抱え、領内の経済は決して豊かとは言えませんでした。しかし、男爵閣下は領民たちに大変慕われております。それは十分な支援を行えずにいる貧民たちからもです。現在はいくらか改善の兆しを向けつつありますが、それは一時の事になるでしょう。その理由は、男爵閣下に経済を成長させる『才』が無いからでございます。戦争で勝ったのは男爵閣下でございますが、勝ち取った利益は無しに等しい。領民は各地に分散し、街は壊され、本来優先すべき食料自給率の改善もままならない状態で、厳しい冬を迎えねばなりません」
男爵様は項垂れる。
事実だからだろう。
夜の繁華街は繁盛していたが、同じことを始めれば男爵領だけが潤うということはない。
ジャガイモ畑はまだ小規模であり、冬の備蓄としては不十分だからだ。
優先すべきことをせず、見切り発車で戦争を始めてしまったことが問題なのだ。
民衆はガヤガヤと騒ぎ出す。
実情を理解し、危機感を覚えたのだろう。
「さて……」
俺の言葉がスピーカーを通して広場に木霊する。
この間は意図して用意している訳ではなく、覚悟をするための間である。
ここからは『賭け』。
どう転ぶかは、賽を振ってみなければ分からない。
「ここまで色々と補足させて頂きましたが、我々執行者にとって……こんな事柄はどうでも良いのです。ただ単純に、戦争を引き起こした罪を裁いているに過ぎません。そして、あなた方が期待する結末をお膳立てするつもりもございません。これは伯爵側、男爵側の両陣営が共倒れしようとも変わらない事実であり、現実でございます。あなた方はこれからも『飼い殺しされ続けるか』、『政治的支援のない厳しい現実で生きていくか』の、どちらかを選ばざる得ないのです」
一瞬吸い込まれるかのような静けさの後……一気に、怒りが噴き出した!
まるで、火薬庫に火種を放り込んだかのように、激しく爆発する!
これは当然の結果とも言える。
俺の客観的分析は、現実であり実情なのだ。
そして、彼らを救う思い切った改革を打ち出せないことも、事実だ。
俺は国王陛下にある提案をしていた。
『特区構想計画』という、既成概念を打ち破った自治制度である。
このアルテシア聖王国は貴族制の階級社会だ。
国王陛下を中心とする権力体制であるものの、各領地の自治に対して口出ししにくいのが実情だ。
領主は領地運営のために条例を制定する権利を有するが、領主毎にやり方や方向性が異なる。
そのため、条例の食い違いによるトラブルが多発する。
俺の提案は、『近隣の領地をひとまとめにし、統括する機構を設立する』ことだ。
日本で言う所の『都』に当たる。
各領地を行政区画、つまり区とし、区を統括する都庁を設ける。
それだけでは芸がない。
なので、各行政区画には方向性を持たせた都市計画を作らせる。
例えば、歓楽街など商業目的の商業都市、魔法研究や農業研究などの研究都市、学業や専門技術習得の学園都市という感じだ。
それぞれの都市に方向性を持たせることで競合を防ぐことができる上、発展の相乗効果もある。
都市間の交流は容易になるので、物資の融通や技術の供与、治安維持の共同作戦も可能だ。
すべてが良い方向に進むとは思っていないが、領地間の無用な争いは減らせると思っている。
ただ、この提案は階級社会にとって、猛毒だ。
今まで好き気ままに利権を貪っていた連中には、害以外の何物でもない。
当然、承認を得るのは難しい。
理想的であっても実現できない。それが人間社会の現実だ。
仮に、ここにいる民衆を説き伏せたとしても、国家権力によって握り潰されるだろう。
ならば……強引に成立させてしまえば良いと考えた。
民衆を暴徒化させたのもそのためだ。
暴徒化した彼らは、国家にとって敵でしかない。
しかし、この原因を作り出したのは国家の統治者たちだ。
彼らが兵を出すということは、搾取していたことを認めていると同義である。
もちろん、暴徒が暴れ回って好き放題し始めれば、暴徒鎮圧という名目で派兵もするだろう。
そうなってはすべてが台無しだ。
逆に、そうなる前に暴動を止められれば活路が見えてくる。
だから、『賭け』だと言っていたのだ。
警備に当たる兵たちが必死に暴徒たちを抑えているが、その勢いは止まる様子がない。
次々に石やら物などを投げ、怒りの矛先となる俺に容赦なく降り注ぐ。
ガンガンぶつかる石や物で体中は痛み、血を吹き出すが……俺はそれらを避ける気がない。
これは自分が引き起こした結果であり、試練だか……。
――ザクッ!
炎で形作られた矢が……俺の胸を貫いた。
血が服を伝って溢れ出し、炎を纏った矢は服や肉体を焼いて黒い煙を上げている……。
……どこから放たれた?
射線から……遥か向こうの山か?
「掛かれ!!」
近くで護衛していた兵が叫ぶと、10人……いや、もっとだ。
結構な人数が襲い掛かってくる。
ガルアが応戦するために飛び出そうと……。
――ザッ!
飛び込んで来た兵士たちの首と胴が、分断された……。
目にも止まらぬ速さでアンバーさんが斬り込んでいた。
攻勢は続く。
次々と目を赤く光らせた兵士たちが襲い掛かってくる。
――ドドドーン!
親方さんの振るう斧が炎を撒き散らす。
民衆を巻き込まないよう出力はかなり抑えているようだ。
俺は燃え上がる炎の矢に手を掛け、引き抜こうとする。
早くこの矢を引き抜か――
遠く離れた対面の山。
そこに隠れ、炎の矢を放った者が叫ぶ!
「死ね! 起爆!」
炎の矢は一瞬小さく収束したかと思うと、大きく膨らんだ風船が破裂するかのように、爆発した!
血と肉片と内臓を飛び散らせ、後ろに吹き飛ばされる……。
息が……。意識が……もう……。
「マサユキ様!」
「マサユキ!」
メルディは駆け寄り、ガルアは山に向かって駆け出そうとした。
次の瞬間――
正面の山の方でパッと何かが弾けた。
そして強烈な光を放ち始めると、途轍もない轟音と強風が後からやってきた。
轟音と強風はあらゆる物を吹き飛ばす。
スピーカーを設置していた塔が薙ぎ倒され、テントが吹き飛ばされる。
民衆は泣き叫びながらも、必死に地面にへばり付く。
光が弱まり、轟音と強風が収まって来ると……異様な光景が広がっていた。
正面にあった山々が……消えている。
少し曇っていた空模様も、丸く円を描くように晴れ渡っている。
伯爵軍の先発隊と男爵軍がぶつかった戦場にあった大きな溝とは、規模も破壊力も違う。
まるで……隕石が衝突したかのような大きなクレーターとなっているのだ。
距離はかなりあるものの、所々に見える赤く鈍く光る地面からは熱気さえ感じ取れる。……そんな異様な光景が広がっている。
マサユキを攻撃しようと迫ってきた兵士たちの様子も変だ。
まるで、砂の城が風に煽られ風化していくように飛散していく……。
呆気にとれらていた親方さんは、リンツ様に肩をポンと叩かれると我に返る。
そして、斧を床にドンと突き立て、叫ぶ!
「貴様ら!! 静まれええええ!!」
拡声器を使っていないにも関わらず、親方さんの叫びは広場に響く。
その叫びは英雄としてではなく、完全な恫喝。
力を見せ付け、強引にねじ伏せたという感じだ。
燃え上がっていた怒りの炎は爆風とともに消えていたが、その一喝で、異様な静けさが広がる。
あとはリンツ様や特使殿が……。
目がかすみ、意識が遠のく……。
何かにそっと抱きしめられた感覚があるが、もう……。
◇
「マサユキ様! しっかりして下さい! マサユキ様!」
メルディはマサユキに呼び掛けるが、マサユキの反応はない。
胸は大きく抉られ、背中側まで貫通した穴となっている。
駆け付けたラミエールが治療を始めようとするが……すぐに手を止める。
それを見て、ガルアが怒鳴る。
「ラミエール!! どうしたんだよ!? 早く治療しやがれ!!」
「…………無理」
「……どうしてだ!? 今までだって――」
「そうじゃないの! 心臓が……心臓や肺、他にも臓器が大きく抉り取られてるの……。私の治療では……薬では……」
「……ク、クソォオオオオオオオ!!」
ガルアはどうにもできない悔しさを叫ぶ。
ラミエールは大粒の涙を流し、自身の無力さを呪う。
ローブを着こんだ魔術師たちが駆けてきた。
「治療魔法を試みます! 離れてください!」
魔術師たちは詠唱を始める。
地面に青い魔法陣が浮かび出し、魔術師たちも青く輝き出す。
しかし……。
「どういう事だ!? なぜ効かない!?」
「おいアンタ!! さっさと治療しろよ!!」
「やってます! 私たちは上級治癒魔法を掛けました! しかし効果が見受けられません! こんな症状……初めてです……。も、もう一度試します!」
「やめるんだ」
声の方を振り向くと、リンツ様がいた。
「これはかなり珍しい状況だ。上級治癒魔法で反応すらないとすれば、最上級治癒魔法でも結果は変わらないだろう。恐らくだけど、聖女様の復活魔法でも無理だろうね」
絶望感が辺りを包み込む。
メルディは涙を堪えつつも、足掻く。
「リンツ様。私の……私の心臓や臓器を移植することでは解決できないでしょうか?」
「それを彼が認めると思う?」
「では、できるのですね!?」
間を置かず切り返すメルディの聡明さに、リンツ様は驚く。
そこにラミエールが割り込む。
「メルディさん待って! 移植は不可能です! 移植には血液型や相性も必要なんです! それに、ただ移植し繋いだだけでは意味がありま――」
「不可能ではないよ」
ラミエールの反論を遮り、リンツ様は平然と言い放った。
「では、私の心臓をお使いください!」
「駄目だね」
「どうしてです!?」
「「絶対認めない」。彼はそう言ってるよ」
「マサユキ……様が?」
「さっきまでなかった魔力輻射が見て取れる。赤く強く輝いて、そんなこと認めないって言ってる」
「……マサユキ様」
メルディはマサユキを抱きしめる。
騒ぎを聞き付け、ミイティアが来た。
しかし……マサユキの変わり果てた姿に力無く座り込む。
「に……兄様? ……兄様起きてください。冗談、でしょ? 兄様……兄様!!」
ミイティアは涙で頬を濡らしているが……その表情は笑みを浮かべている。
マールを失い、親愛なるマサユキを失った悲しみは……彼女の心を静かに蝕んでいた。
ミイティアの静かなる狂喜が、あらぬ形で動き出す……。
次回、水曜日2014/10/22/7時です。