第2話 黒と金の殴り合い
「もう3ヶ月経つのかぁ……」
脳内考察を切り上げると、手元の本へと目を向ける。
歴史関連の本だ。
この世界の生い立ちを知ろうと、始めたことなのだが……
ハッキリ言って、まったく読めない!
ダエルさんやリーアさんに教えを請いながら、少しずつ読み進めている状況だ。
目を擦りながら、ため息を漏らす。
「ふぅ……」
基本的な文字は少し分かってきたので読めるには読める。
だが、この作業はかなりの苦痛を伴う作業にしか思えない。
とはいえ、諦めるつもりはない。
この世界で生きていくと決めたのだ! しかも肉体は若返っている!
やりたいことをやり直すには、十分に時間がある!
だから、焦る必要はないだろう……。
「よし! 気分転換、気分転換!」
本を机に置き、部屋を出た。
◇
1階に降りると、台所の方では料理を作る音といい匂いが漂ってくる。
そろそろお昼時だからだろう。
玄関を出て、側に積み上げられていた丸太をいくつか抱える。
1つを切り株の上に載せ、斧を持ち、一呼吸いれてから大きく上に持ち上げる。
軽く力を入れ、斧の重さを利用して丸太に叩きつける。
「カッ!」
丸太に斧が突き刺さり、半分くらいまで亀裂が走る。
薪割りである。
日課として毎日やってはいるが、未だに上手く割れない。
斧が刺さったままの丸太を持ちあげ、切り株に何度も叩きつける。
何度か繰り返すと……
ガガッ! パキッ!
やっと割れた。
割れた丸太をもう1度切り株に乗せ、さらに小さく使いやすい大きさにする。
薪割りの作業は、無理を言ってダエルさんに教えてもらった。
何もしないでいることに耐えきれなかったからだ。
最初の頃は斧をうまく使えず、失敗を繰り返した。
「そんなに力を入れなくていい! 斧は切る道具じゃない! 叩きつける道具だ!」
と、ダエルさんは言う。
最初は言っている意味が解らなかった。
だが、コツを掴むと、それなりの結果がでるようにはなってきた。
とはいえ、未だにダエルさんのようにうまくはいかない。
腕力が足らないせいもあるのか、斧が真っ直ぐ丸太に入らないのだ。
なので、やや歪な形の薪というより……木片を絶賛量産中である。
「うまくいかない。これは奥が深い……」
しばらく、黙々と薪割りを続ける……。
上の方から声が聞こえてきた。
「おにーちゃーん! お兄ちゃーん!」
どうやらミイティアの声のようだ。
声の方に振り向く。
あれ? いない……
玄関の方から足音が聞こえ、ミイティアが勢いよく家から飛び出してきた。
「お兄ちゃん! いつまでも薪割りなんてしてないで、遊びに行きましょ!」
「俺は、お世話になってるから仕事を手伝ってるんだよ」
「お兄ちゃんは、いーーーっつもそんなこと言う! たまには私にも構ってよ!」
プンプン怒るミイティアに、俺は顔を引きつってばかりだ。
「分かった分かった。お昼までまだ時間あるし……」
ちょっと考える。
「算術でもしようか?」
「えぇぇぇぇええ!? お勉強は嫌よ!」
まぁ、普通の子供ならそう言うよね。
「算術を使えるようになると、買い物したり、商人みたいに物を売ったり買ったりもできるようになるんだよ。偉い大臣さんにもなれるよ」
「そんなこと分かってるわ! 私はお兄ちゃんのお話が聞きたいの!」
うーん。
この世界の学問はかなり閉鎖的らしいから、覚えておいて損はないのだが……
イマイチ重要さが伝わらない。
というより、計算は嫌いなようだ。
しょうがない!
実際的な方法を取り入れて算術を教えるとするか。
「分かった。じゃあ、後片付けして授業に入ろうか」
「ぶぅぅ!」
ミイティアは納得がいかない顔をしている。
俺が半ば無理やり授業をさせるのは、重要性を理解して欲しいというのもあるが、先生をやってみたかったということもある。
2人で一緒に後片付けをする。
ミイティアには小さな木片を集めてもらっている。
「ミイティア。ささくれには注意してね」
「うん!」
2人で薪を薪置き場に積み上げる。
片付け終わったら、服についた木くずを払ってあげる。
そして、ミイティアに手を差し出す。
「さあ。ミイティア行こうか」
ミイティアが俺の手を取り、手を繋いで一緒に小川に向かって歩き出す。
◇
小川に着くと、土が露出した少し広い場所に向かう。
適度に湿った土や小石があるからだ。
倒木を即席の椅子にしてミイティアを座らせ、近くにある岩をテーブル代わりに俺が反対側に立つ。
「では、授業を始める。――起立! 礼! 着席!」
さながら青空教室であるが、紙もペンもない。
だが、これでも授業はできるのだ。
「センセイ! 今日は何を教えてくれるの?」
ミイティアの言葉遣いがなんか変だが……気にしない。
とりあえず、授業に入れたのでホッとした。
「今日は、数の足し算を教えます」
「前に教わったわよ?」
「うん。紙の上だとやり辛そうだったからね。今回は物を使って教えてあげるね」
近くの地面から小石をいくつか拾い、岩の上に乗せる。
「ミイティア。これは何個だ?」
小さな指を動かしながら、数を数える。
「5個よ!」
「よし正解だ。指はそのままね」
また地面から石を2個拾い、5個の石と少し離して2個の石を置く。
「さあ、全部で何個だ?」
せっかく5個数えた指を崩し、また指を動かしながら数を数える。
「7個!」
「よくできました。では、これを文字にします」
俺は小枝を掴み、地面に文字を書く。
幸い数字はなんとか覚えた。
この世界での一般的な算術がどういったものかは分からないが、基本さえ押さえれば大丈夫だろう。
「この文字は5。この文字は2。合計は7だ。分かるかな?」
「……うん」
「よし! それではコレならどうだ? 小石を使っていいぞ」
2+3と書いた。
ミイティアは俺の指示を無視して、指を使いながら数える。
「5!」
「正解だ」
ミイティアは嬉しそうな顔をしている。
最近は、こんなやり取りばかりを繰り返している。
算術に限らず、草花の構造や水の性質、雲や雨が降る原理など、なるべく目で見て分かり易い物に絞って教えている。
説明は大変だが、普段気にも留めないような知識を教えられると嬉しそうに喜ぶ。
今さらながら……学生時代にもっと勉強しておけばと悔やんでしまう。
そんなゆったりとした時間が流れる……。
◇
ミイティアと授業を続けていると……小川の向こうに、3人の子供たちが現れた。
「おう! お前ら、またそんなことやってるのかよ?」
ぶっきらぼうなセリフを吐くのは、近所の子供のガルアだ。
金髪で健康そうに日焼けをしている、ややイケメン風の男の子だ。
彼はこの辺のガキ大将でもある。
側にいるのは、ひょろっとしたメーフィスと赤毛がかわいいラミエールだ。
「そんなことじゃないわよ! とっても大事な授業よ!」
ミイティアはプンスカ怒る。
「ジュギョウ? んーなの、いらねーだろ! そんなことより木登りしようぜ!」
「私は授業をしたいの! 勝手に登ってればいいじゃない!」
2人がバチバチと火花を散らす。
別にどっちでもいいんだけど……できれば授業を邪魔されたくない。
それに、変に喧嘩売って揉めたくもない。
「おい! そこの黒髪!」
俺のことだよね?
彼に自己紹介してから、一度も名前を呼ばれたことが無い。
やっぱ、わざとだよね?
「お前も一緒に来い!」
うーん。お昼前だし、後にしたい。
「そろそろお昼だから、あとにできないかな?」
ガルアはどうも俺のことが気に入らないようだ。
顔が段々険しくなっていく……。
「お前、俺に楯突こうってのか!?」
ヤンキーかおどれは?
「だから、お昼のあとで……」
小川を飛び越え、勢いよく殴り付けてきた。
――が、拳は空を切る。
ギリギリ反応して避けられた。
1発目を外したせいか……更に顔が怖い。
「なろぉ!」
なんでこうなるのかなぁ?
仕方ない。殴り倒しても後が厄介だが……護身術を使うしかないか。
俺は昔、古武術を習っていた。
俺の習っていた古武術は、対人戦を想定した実践的な武術だ。
洗練された動きで相手を投げ飛ばす――合気。
相手の武器の有無を問わず投げる。絞める。折る。という――柔術。
そして、真剣を使った――剣術だ。
物心付く前からジイちゃんに教えられてきた。
ほとんど強制に近かったが……。
技を一つ一つ理解し、身につけていくことは、何にも代えがたい喜びだった。
とはいえ、実践では使ったことはない。
私闘での技の使用は禁じられていたからだ。
なんたって、『殺人術』だしね。
それに喧嘩を買えば、後々問題が大きくなるということもある。
相手を制するのは簡単だが、使い道を誤れば実刑判決物だ。
ガルアは強そうだけど……所詮は子供。
古武術は相手を殺す技だし、まともにやりあったら怪我を負わせてしまう。
合気で打ち負かしても、きっと納得しないだろう。
なんとか抑え込んで、ギブアップを取らせるしかない。
とりあえず……この辺の地面は石やら岩やら木片やらで危ないから、移動するとするか。
草の生い茂る広い場所を探すように、駆け出す!
後ろの方から、
「まてやコラぁ!」
と、ガルアが叫びながら追い掛けてきている。
おいおい! 完全にヤンキーに絡まれてる絵図だろ?
◇
広い草原地帯に着いた。
この辺なら草が十分クッション役になるし、多少石は転がっているが避ければ問題ないだろう。
遅れてガルアが到着し、遠くの方にミイティア、メーフィス、ラミエールが走ってくるのが見える。
「いい度胸じゃねえか! もう逃げなくていいのか?」
度胸も何もない。
俺からしたら、別に脅威でもなんでもない気がする。
まぁ、手加減できるか分からないけど……。
「いくぞコラァ!!」
ガルアが猛然と襲い掛かってくる。
ガルアの攻撃はボクシングでもなく、格闘技でもない。
単なる力任せの殴りつけだ。
腕でガードを固め、直撃を喰らわないように防御を固める。
何度も連続して殴ってくる!
一撃一撃が重たい。
致命的な一撃はもらってないが……長期戦では不利だろう。
防戦一方な状況だが、冷静にそして静かにガルアの動きを観察する。
暴れるように殴りつけていたガルアが、その目線に気付き一瞬怯む。
――その瞬間を逃さなかった!
ガルアの懐に一気に飛び込む!
ガルアは素早い反応で、大振りで右腕を突き出し――
突きだしてきた右腕の外側に回り込む。そして左腕でガルアの右腕を掴む。
掴んだ腕を下に押し込むと、ガルアの上体が傾く。
腕を下げたことで顔面がガラ空きになり、そこから右手をねじ込み首元を掴み――押し込む! 同時に左足を更に踏み込む!
ガルアは上体を崩され、右腕に押し込まれ、俺の左足に引っ掛かり、地面に向かって勢いよく、叩きつけられる!
だが、俺の攻撃はまだ終わらない。
左手を握り込むように回転させ、掴んだ右手をガルアの脇腹の下にもっていき、関節を極め右手を封じる。
右膝で鳩尾のあたりを押さえ、右手でガルアの右肩の布を掴み、右腕の側面に体重を掛けて喉を圧迫する。
ガルアは必死の形相を浮かべ……足をじたばたさせ、左手で俺を退けようともがく。
固い地面なら、失神レベルの技だ。
一応手加減はしたし、喉の圧迫も本気ではない。
だが、ガルアは思いのほか暴れる! 腕力も強い!
俺も抑え込むのに必死だ。
――ガッ!
という音とともに、頭に激しい痛みが走った!
痛む頭を押さえるように倒れ込んだ。
頭から生温かいものを感じる。
手を見ると……真っ赤に染め上がっていた。
ガルアを見る。
左手には拳サイズの石を持っていた。
遠くの方からは悲鳴が聞こえる。
ミイティアとラミエールの叫びだろうか。
ゆっくり立ち上がり、ガルアを睨みつける。
ミイティアが駆け寄って叫ぶ。
「もうやめて!」
その声に反応せず、ずっとガルアを睨んでいた。
ガルアは自分がやったことの重大性を理解したのか、手に持っていた石を投げ捨てた。
「ミイティア! これは男と男の勝負だ! 納得いくまでやらないと終わらない!」
「わかってんじゃねーかよ! 見どころあるぜ!」
ミイティアは反論できず、見守っているようだ。
我ながら臭いセリフだ……。
そして俺たちは、殴り合った……。
◇
――いつのまにか夕方になった頃、2人は大の字で寝転がっていた。
殴っては殴り返されて、また殴って。
そして最後は……2人とも地面に倒れ込んだ。
青春漫画の喧嘩シーンまんまの状況だ。
「ハアハアハア……おまえ……やるじゃねえか」
「お前もな」
「これは……俺の勝ちだな」
「……倒れてるお前には、言われたくない」
しばらく、沈黙の時間が過ぎた。
「おい! 立てるか?」
ガルアはいつの間にか立ち上がっていて、手を差し出してくる。
顔は酷くボコボコなのにいい表情をしている。
俺もきっと酷い顔なんだろう。
「ああ……」
彼の手を掴み、起き上がる。
しばらく無言で向き合い、ガルアは言う。
「俺はガルアだ」
目は真剣だ。
何か納得した目をしている。
「俺はマサユキ」
手には力が込められていくのを感じる。
その後も無言の時間が流れた……。
言葉がなくても分かる。
お互いに健闘を称え合うような雰囲気だ。
完全に青春漫画だわ~
と、頭でツッコミを入れる。
◇
ガルアと別れ、ミイティアと一緒に家に帰る。
少し体は痛いが……腕と体が痛い程度だ。
頭の出血は止まってる。
ちょっと血が派手だったけど、表面部分を切っただけだろう。
ミイティアが俺の顔を覗き込んでくる。
「お兄ちゃん、手を抜いてたでしょ?」
「抜いてないよ。最初は抑え込みでなんとかなると思ってたけど……ガルアは強かったよ」
「そんなのウソよ! お兄ちゃんはずっとガルアが怪我しないように……心配してたし……」
少しバレてるな。
でも、本当にガルアは強かった。
殴っても殴ってもへこたれないし、倒れても何度も立ち上がってきた。
でも、そんなことはどうでもいい。
今は清々しい気持ちでいっぱいだ!
明日、ガルアの両親に会ってちゃんと謝らなければな……。
◇
家に着くと、リーアさんとメルディが駆け寄ってきた。
「あらまあ、ずいぶん男前になったわねぇ。フフフ」
「すみません。結構強敵だったので……」
「とにかく、坊ちゃま。お怪我の手当てをしましょう」
「分かりました。でも、その『坊ちゃま』はやめてもらえませんか?」
「坊ちゃまは坊ちゃまです! 黙ってついてきなさい!」
メルディはいつも俺のことを『坊ちゃま』と呼ぶ。
坊ちゃまって……どこのボンボンだよ?
ってツッコミみたい。
まぁいいか。今はゆっくり体を休めたい。
手当が済み、水浴びをした後、食事もとらずに泥のように眠った……。