第24話 銀色の魔獣
いつも通りの見慣れた天井。
不思議と安心する場所だ。
視点を横へと向けると、なぜか2人の美女の寝顔。
これには苦笑いだ。
昨晩、風呂を上がるとベットに雪崩れ込んだ。
少しひんやりとしたシーツが、火照った体に心地いい。
力が抜け、そのまま入眠……。
という時、2人がベットに潜り込んできた。
狭いベットなため、必然的に2人とは密着してしまう。
暖かくしっとりとした肌が、薄い布越しに張り付く。
スベスベとした柔らかい足が、程よい重みで絡み付く。
理性が飛んでしまってもおかしくない状況だったが……
その心配はなかった。
眠気に負けたからだ。
おぼろげに覚えている記憶はそんなものだ。
恐らく、2人もそのまま眠ってしまったのだろう。
ただし、今は別だ。
下手に意識してしまうと、理性が飛びそうで困る。
さて、起きるとするか。
なるべく2人を起こさないよう、静かに起き上がる。
静かにベットを降りた所で、メルディが起きてしまった。
メルディも起き、2人で部屋を出る。
◇
まだ朝早い。
外は明るくなりつつあるが、まだ日は昇っていない。
夏場なためか、この時間でも十分温かい。
まずは柔軟体操を念入りに始める。
柔軟体操を終えると、腕立て伏せなど筋肉トレーニングと、伏せと起き上がりを素早く繰り返すサーキットトレーニングを始める。
いい感じに体が温まってきたら、ダッシュとジョギングを交互にしながら走る。
緑色の葉が生い茂る畑の脇道を走る。
畑で育てられているのは、大豆とキャベツだろうか?
元気に成長し、実りを大きくしているようだ。
所謂、豊かな自然に包まれた田舎の風景なのだが、
俺はこの風景が好きだ。
とても落ち着く。
もう畑仕事に精を出している人がいるようだ。
軽く手を振って挨拶し、ゆっくり走る。
一頻り走り終えて家に戻ってくると、
家の前でミイティアが朝稽古をしていた。
「おはよう、ミイティア」
「おはようございます兄様。私も起こして欲しかったです」
「気持ち良さそうに寝てたからね。起こしたら悪いと思ったのさ。それより少し打ち合わない?」
「はい! お願いします!」
木剣を用意し、稽古を始める。
――結果は、完敗だ。
ミイティアの攻撃は素早かった。
一旦受けに回ると、一方的な展開となった。
なんとか反撃するも、ひらりと躱す。
少し強引にミイティアの体勢を崩しても、難なく反撃して来る。
『変幻自在』という言葉が相応しいと思うが、
飛び抜けたバランス感覚と、空間認識能力をフルに使う戦い方だった。
木剣の当たった個所を摩りながらミイティアと稽古を続けていると、メルディが朝食の準備の出来た事を伝えてくる。
リーアさんも加わり、4人で楽しい朝食タイムとなる。
◇
朝食を終え、授業の準備を始めていると、子供達が登校してきた。
みんなで一緒に準備を進める。
その日は、語学の授業だった。
俺も読み書きを習得したいので受ける事にする。
授業内容はすごく洗練されていた。
4年も続けていた事で教え方がうまくなっている。
教材も改善されている。
あっという間に午前の授業が終わってしまった。
昼食を取り終える頃にはガルアもやってきた。
剣術の訓練のためだろう。
昨日倒した魔獣の肉と、血抜きの作業で出た魔獣の血も壺に入れて持ってきてくれていた。
肉は工房への差し入れに半分くらい持って行くつもりだ。
血は研究に使うつもりだ。
血の研究は完全に手探りだが、謎が多いほど面白い。
オンラインゲームをやってた時もそうだが、誰も検証してないような謎に挑むのは楽しみで仕方ない。
肉は元々4~5mあった物の半分くらいを持って来たようだが……かなり量が多い。
というより重い。
更に半分にしても、かなりの重量だ。
これだけ重いと、いざという時後手に回ってしまう気もする。
まぁガルアが見回りしてるし、大物は倒したし、当分安全だろう。
と、思ってたら、ガルアが肉を運んでくれると言い出した。
ミイティアも手伝うと言うが、2人も学校から抜け出すと、子供達の指導や護衛的に不安があるので、頼み倒してミイティアに残ってもらった。
肉はガルアに持ってもらい、俺は血の入った壺を運ぶ。
トレーニングを続けているとはいえ、壺だけでも運ぶのに必死だ。
対してガルアは、重い剣と大きな肉塊を持っている。
どう見ても重そうに見えるのに、余裕な顔である。
なんか悔しい……。
◇
工房に着くと、ガルアは休憩室まで付き添ってくれた。
休憩室には親方さんがいた。
「こんにちわ。親方さん」
「よう親方!」
「おう! 坊主にガルアも一緒か。その肉はどうした?」
「昨日400~500ケトルくらいの魔獣が出ましてね。その戦果のお裾わけです」
「ほー」
「かなりデカかったぜ。へへへへ」
「そうそう。ガルアがほとんど一撃で倒しましたよ。さすがガルアだよ」
「…………」
「そうか。怪我人が出たって聞いたけどよ? どうなんだ?」
「シルリアが大怪我をしました。無事手術が成功して、今は自宅で療養中です」
「朝、シルリアの様子を見てきたけどよ、元気そうにしてたぜ。ラミエールとお前のおかげだな」
「そんな事はないよ。子供達が冷静に応急手当をしてくれたおかげだよ。教育が良かったんだ。ガルア、お前のおかげだ」
「…………」
「まあいい。他の怪我した奴はどうなんだ?」
「オルドとゲルトが怪我しました。幸い2人は軽症で済みました。2人は怪我しても、魔獣にまったく恐れず立ち向かってましたからね。やっぱり教育が良かったんです。ガル――」
「――おい! もう止めろ! ……俺ばかり褒められても嬉しくないぜ」
「分かってるって。でも事実だろ?」
「…………」
「ガルア。良くやった」
「……ありがとうございます」
「ところで坊主。そいつは何だ?」
「ええ。これは……ん?」
なんだか工房の裏手の方が騒がしい。
勝手口からビッケルさんが駆け込んで来る。
「親方!! 魔獣です!!」
「すぐ行く!」
親方さんは斧の置いてある部屋に向かい、俺とガルアはビッケルさんに連れられ、魔獣のいる方向に走る。
◇
現場に到着すると、既に何人かの工房員達が剣や道具などを構え、魔獣を牽制していた。
魔獣は銀色の毛並みが美しい、大きな狼だ。
俺も戦線に加わりナイフを構える。
だが……ガルアの様子が変だ。
「おい! ガルア!?」
「……アイツは俺が探していた奴だ。みんな下がってくれ!」
工房員達はガルアの実力を知っているのか、あっさり引き下がる。
だが、俺には納得がいかない。
ガルアは剣も構えず、魔獣を眺め、ただ突っ立っているからだ。
「ガルア……まさか1人でやるのか?」
「…………」
ガルアは魔獣に対して、殺気や覇気を覆っていない。
どういうつもりなんだ?
そこに大きな斧を持った親方さんが来る。
「……あれは銀狼だ」
「シルバーウルフ?」
「ああ。魔獣の中に、たまに銀色の奴が生まれるらしい。そいつは知性が高く賢い。下手に相手すると怪我人が出ちまうぜ」
親方さんは斧を構え、戦線に加わろうとした時、ガルアは親方さんに言う。
「親方……アイツは俺に任せてくれないか?」
「……いいだろう」
そう言うと、ガルアは銀狼をジッと見詰めた。
親方さんは少し離れ、地面に腰を下ろす。
俺も親方さんの隣に座り、状況を見守る。
◇
あれから……何時間経っただろうか?
工房員達は疲れて、ほとんどの者が仕事に戻ったり休憩所の方で休んでいる。
俺も親方さんも、ガルアと銀狼のやり取りに目を離さない。
もちろん、いつでも動ける準備だけはしている。
ガルアが沈黙を破り、重い口を開ける。
「持ってきた魔獣の肉と、桶に水をもって来い!」
え?
「どういう事だ?」
彼の発言の意味が分からない。
「アイツは子供を守っているだけだ。それに……あの傷はこの前の魔獣にやられた物だろう。動けないから逃げないんだ」
言わんとする事は分かる。
だが……なぜ肉と水だ?
ガルアが食うのか?
「いいから持って来い!」
ガルアの大声に、遠くで見守っていたビッケルさんが休憩所に向かって飛んでいく。
ホントあの人は……みんなのパシリだなぁ……。
いや! 気が利く男と言い直すべきか。
◇
しばらくすると、ビッケルさんが肉と水を持ってきた。
それをガルアに渡し、すばやく逃げていく。
どうやら魔獣が怖いようだ。
ガルアは肉の状態を確認し、生肉のまま食べる。水も少し飲んでいる。
やっぱり食うのか。
すると、ガルアは銀狼に向かってゆっくり歩を進めた。
武器も持たずに!
「なっ!?」
俺は立ち上がろうとしたが、親方さんに止められた。
親方さんはガルアの意図が分かっているのだろうか?
仕方なく座る。
もちろん、即時動けるように銀狼の動きには注意を払っている。
人の殺意や挙動はある程度分かる。
だが、臨戦態勢の魔獣となると話は別だ。
表情が読みにくく、常に殺気を発している。
いつ飛び掛かって来てもおかしくないのだ。
ナイフは納刀しているが、手が掛かりっぱなしだ。
ガルアは強靭な肉体の持ち主だが、あのサイズの銀狼だ! 襲われればそう長く持たない!
銀狼が襲い掛かれば、走り出すつもりでいる。
ガルアが近付くと、銀狼は座っていた態勢から立ち上がり、唸り、ガルアを睨み付ける。
そしてガルアは……銀狼にかなり接近すると、止まった。
ゆっくり地面に肉と桶を置き、11歩ずつ、ゆっくり後ずさりする。
そして剣が置かれた位置まで来ると、座り込んだ。
……まさか!?
親方さんはニヤついている。
あとは任せても大丈夫だろうと判断したのだろうか?
立ち上がり、俺や残った工房員達を引き連れて休憩室に戻る。
◇
休憩室に戻ると、親方さんは酒を持ってきて、コップに酒を注ぐ。
そして、いつもと同じ調子でグビグビ飲み干す。
「親方さん。ガルア1人で倒せると思ったんですか?」
「…………」
「親方さん!?」
「ガルアは山の事をよく知っている。例え魔獣であっても、襲って来ない奴は相手にしねえんだ」
「いや、だからって……あれはかなり大きいですよ?」
「坊主。銀狼ってのはな、賢いんだ。言葉は話せねえが、ワシ達の言葉は分かっている。ガルアが何をしてえのかも分かっているはずだ」
「そうは言っても……」
「気持ちは分かる。だが、ワシはあいつに任せた。だから助けを呼ばん限り、助けたりはしねえ」
親方さんはまたコップに酒を注ぎ、グビグビと飲む。
もう夕方か……。
ガルアは午後の授業を放ったらかしにしてしまったな。
ミイティアが工房の様子を見にやってきた。
「兄様? 何かあったのですか? ガルアも戻って来ないし、何か胸騒ぎがして急いで来ました」
「うん、魔獣が出てね……」
「誰か怪我をされたんですか!?」
「いや……まだというのかな? 今ガルアと睨み合ってるはずだよ」
「どういう事ですか!? みんなも座ってお酒なんか飲んで!? ガルアが危ないじゃないですか!?」
「いや……まだ戦闘になってないよ。大きな銀色の狼なんだ。親は怪我をしていて、側には子供の銀狼もいた。今ガルアが餌を与えて、どうにかしようと――」
ミイティアは『銀色の狼』と聞いて、表情が変わった。
何かを探すような素振りをしている。
そして、ゆっくり勝手口から外へ向かう。
俺も気になって付いていく。
ミイティアには銀狼のいる場所を教えていない。
なのに、なぜかそっちに向かって歩いて行く。
◇
現場に着くと、ガルアはまだ銀狼と向き合っていた。
銀狼も、与えた肉にも水にも手を付けていないようだ。
お互い微動だにせず、ただ睨み合っている。
ミイティアは、その状況に顔色一つ変えない。
とても静かで落ち着いている。
銀色の髪がゆっくり揺れ、凛とした顔が美しい。
ミイティアはガルアの横まで来た。
ガルアはチラっとミイティアを見たが、また目線を戻す。
そして……
ミイティアが銀狼に向かってゆっくり歩み出す。
えっ!?
俺は呆気に取れていた。
声が出ない。動けない。
ミイティアからは、銀狼に対する威圧感はまったく感じられない。
ゆっくり1歩ずつ進む。
銀狼は座った姿勢から立ち上がり、攻撃態勢に移った。
ミイティアはそれを見て一瞬足を止めたが、再び歩き出した。
銀狼は唸りを上げ、ミイティアを威嚇する。
そして……ミイティアは銀狼の目の前まで来て、止まった。
手を伸ばせば届く距離。
何が起きても、手遅れな距離だ!
ミイティアは優しく語り掛ける。
「大丈夫よ。毒は入っていないわ。心配しなくていいのよ」
ミイティアは優しく語り掛けるが……銀狼は警戒を緩めない。
銀狼の後ろでは、小さな銀狼が隠れるようにしている。
ミイティアは何度も「大丈夫よ」「安心して」と声を掛け続け、ゆっくり近づき手を伸ばす。
次の瞬間!
「ガアアア!」
銀狼が噛み付いた!
肩口を噛まれ、血はだらだらと滴り落ちる。
俺は瞬時に駆け出した。
しかし、ガルアに腕を掴まれ、引き止められてしまう。
「離せ!! 離しやがれ!! このやろ、邪魔だあああああ!!」
「うるせえ!! 黙って見ていやがれ!!」
ガルアは大声を張り上げ、強引に俺の意見を捻じ伏せる。
荒い息を立てガルアを睨みつけるが、ガルアは冷静な目をしている。
訳が分からない。
俺はもがく。
だが、ガルアの腕力からは抜け出せない。
俺は持っていたナイフに力を込め、腕目掛けて振り下ろす。
しかし、それもガルアによって止められた。
ナイフに込められた力を利用し、俺を投げ飛ばし、俺を後ろ手にして抑え込む。
「くっそおおおおおっ!! 離せええええっ!!」
ガルアは分かっていた。
そのナイフは俺の腕に向かっている事も、防ぐだけでは簡単に抜け出す事も。
だから、完全に制圧したのだ。
力強く強引ではあったが、冷静さを欠いた俺では返し技をする余裕はなかった。
騒ぎに気付き、親方さんも来た。
しかし……親方さんは何もせず、平然と見守っている。
「なぜだ!? なぜ……」
この状況を理解してないのは……俺だけのようだ。
現にミイティアは噛まれている。血も出ている。
全然意味が分からない。
俺の気持ちと裏腹に、ミイティアは優しく銀狼を撫でる。
「大丈夫よ。怖がらないで。あなたは子供を護りたいのよね?」
そう言って、優しく撫でる。
しばらく声を掛け続けていると、銀狼は……
噛み付きを止めた。
そして、ミイティアの傷口を舐め始める。
俺には理解できない事態だ。
魔獣が人間と分かり合う?
考えられない! これはどう言う事だ?
ガルアがやっと抑え込みを解く。
そしてゆっくり歩き出し、肉と桶を拾う。
それを銀狼の側に置くと、その場に座り込んだ。
一言「食べろ」とだけ言う。
大きな銀狼は、肉と水を鼻で嗅ぎ。
安全だと分かったのか、小さな子供の銀狼に合図を送る。
なかなか食べ出さない子供を見て、鼻で押し出すように肉の前に追い出す。
子供の銀狼は親銀狼を見詰め、何かを感じたのか勢いよく肉にかぶり付いた。
勢いよく食べる姿を見て、ガルアは笑い出した。
ミイティアはゆっくり大きな銀狼を撫でている。
これは映画か? 夢なのか?
俺の呆れ返っている姿を見て、親方さんは語る。
「こうなる事はなんとなく分かっていた。だが……本当にやるとはな」
「どういう事ですか?」
「ミイティアにはエルフの血が流れているのだろう。伝説に近い話なんだが……あの長い耳はエルフの特徴だ。エルフは森の護り人と呼ばれ、森の木や動物達と通じ合えるらしい。だからミイティアと通じ合う事が出来たのだろう。だが、ガルアは違う。あいつの場合は単に性分なんだろうな」
「エルフとか……完全におとぎ話ですよ? でも、あの姿を見れば……分かる気もします」
何度も顔を舐められ、嬉しそうに銀狼と戯れるミイティアを、
遠くからただジッと眺めていた。
◇
ミイティアの治療を済ませ、俺は現在説教中である。
訳も説明されず、ただ見守る事しか出来なかった俺が悔しかったのもあるが、言われていても納得しなかっただろう。
だから、単に鬱憤晴らしだ。
「ミイティア! もうあんな事をしてはいけません! ガルアもちゃんと説明しろよ!」
「いいんです! こんなに可愛い子なんですから、仲良くしたかったんです!」
「むうううう。まさか……飼うとかは言わないよな?」
「家で飼います! なんと言われようとそうします!」
「うちに置いてやってもいいぜ」
「ガルア……お前まで……。まったく!」
なんと言うか……どうやっても飼う事にはなりそうな気がするが……
魔獣って飼えるのか?
それよりも、さっきから母銀狼の目が……怖い。
大きな銀狼が母で、小さい子は男の子らしい。
俺はなぜか嫌われているらしく、唸られ、飛び掛かられそうになる。
すかさずミイティアが抑えるが、俺はただの肉の塊にしか見えないのだろうか?
「と、とにかく! 俺には魔獣を飼って良い物なのか分からん! 分からない物は飼えない!」
「大丈夫だと思うぞ?」
親方さんが話に割り込んでくる。
「昔うちでも飼っていた。銀狼みたいな希少なやつではねえがな。小さな魔獣を拾って育ててたんだ。獰猛さでは負けねえな」
「はぁ。これが普通の状況って言うんですか?」
「……言えねえな! ガッハッハッハッハ!」
俺の反応を見透かされている気もする。
飼えるなら飼ってもいいけど……どうやら俺は嫌われているらしい。
今まで野生として生きてきた銀狼だ。
ミイティアが銀狼をしっかり手なずけられない限り、外にも連れ出せないだろう。
俺の事はどうでもいいが、下手に暴れて怪我人が出たら困る。
やはり……そこら辺から対処せねばな。
「ミイティア。どうせ俺が何を言っても、「飼う」の一点張りだと思うから、これ以上言わないが――」
「いいの!? 兄様ありがとう!」
「まだ話は終わってないぞ! 今まで野生として生きてきた銀狼だ。人間社会に慣れるまではしっかり訓練させないと、外すら連れて歩けないぞ?」
「大丈夫だもの! この子は賢いもの! ねー」
ミイティアが銀狼達を撫でながら、顔を埋めるように頬擦りをしている。
俺もあのモフモフに顔を埋めたいが……噛みつかれそうだ。
「1週間やる! 試験してやるから、それまではここに置いときなさい!」
「えーー!」
「ガルルル……」
「おい! 銀狼さんよ。俺はアンタのために言ってるんだ。アンタができなければミイティアの願いは聞いてやらない。分かったか!?」
唸りながら、俺を威嚇する姿勢を変えようとしない。
「とにかく1週間だ! ここに俺の使っていた部屋がある。そこで1週間泊まり込みをして訓練させろ。ミイティアいいな!?」
「……はい」
「ガルア。勝手に話を進めてしまったが、授業には影響ないか?」
「ああ問題ない。……そうだなぁ。お前が先生やれよ? どうせ暇なんだろ?」
「暇じゃないんだが……」
親方さんがまた話に割り込む。
「いいじゃねえか! あとはこっちで残りの作業をやっとくぜ。書簡も出来上がってるし、あとは送るだけだ。学校に行っても大丈夫だ」
「まぁそうなんですが……」
「グダグダ考えるな。それでいいなら決まりだな! よかったなミイティア。あとで部屋に案内するからよ」
「ありがとうございます。親方様!」
2人とも満足げな顔をしている。
唯一俺だけが……
「分かったよ……」
不貞腐れた返事をし、俺はその場を後にする。
もう日が暮れていたが、ミイティアもガルアも喜んでいたし、あの雰囲気の邪魔はできない。
一人で帰るには心許ないが、もう魔獣もいないだろうし……。
俺はビッケルさんを探し、確認する。
「ビッケルさん。前にお願いしていた『刀』って、出来上がってます?」
「うん。注文通りに完成してると思うよ。持ってこようか?」
「お願いできますか?」
ビッケルさんが刀を持って来た。
刀を少し抜き、確認する。
刀には「壱式改」と彫り込まれている
「ありがとうございます」
俺は刀を腰に下げる。
そして、暗くなった夜道を逃げるように走り、家に向かった。
◇
家に帰ると、息が……。
「ゼエゼエ……こんな恐怖の夜道は……もう嫌だ。怖過ぎる……」
後になって、松明を持ってくれば良かったと反省してしまった。
「ただいま……」
小さく落ち込んだ声だったが、気付いたメルディが奥から出てきた。
「お帰りなさいませマサユキ様。どうかされたのですか? それに……ミイティアは?」
「当分、工房にいるだろうね」
「何かあったのですか?」
「ああ……」
食事を取りながら、リーアさんとメルディに事情を話す。
「まぁあの魔獣をねぇ。さすが私の娘だわ!」
「そうですね奥様。さすが私の妹です!」
「……俺も「さすが俺の妹だ!」とでも、言えと?」
「そうよ! あの子がやりたいって言い出したんでしょ? やらせてあげなさい」
「とは言ってもなぁ……。噛まれてたし、俺なんてずっと銀狼に睨まれてたし……うまくやっていける自信がないよ」
「マサユキ様。そう仰らずにミイティアを信じましょう。1週間後には分かる事ですし、ね」
「うーん……」
俺は魔獣と3回戦っている。
だからこそ、魔獣の怖さを身に染みて分かってるつもりなのだが……。
この4年の間、みんなは何度も魔獣と戦ったのだろう。
つまりは実践経験の差? ……なのだろうか?
う~む、わからーん。
この納得の行かない鬱憤を晴らすためにも、風呂に入る事にする。
さっさと服を脱ぎ、風呂場に入る。
◇
風呂はいいなぁ……
モヤモヤしていた気持ちが落ち着く。
あの事を忘れるためにも、これからやる事を考えて気持ちを紛らわす。
とりあえず、石鹸の方は美容化粧品に合わせて調整したから、効果は絶大なはずだ。
美容化粧品も特注品と一般品に分けて同封したし、説明書も付け加えた。
念のために紙で封をし、すり替え防止と品質保証を兼ねたセキュリティ効果も追加しておいた。
あれなら嫌がらせで中身をすり替えられる心配はないが、抜け道はいくらでもあるだろう。
当面は王家との直接販売のみに絞り、
その後、受注販売に移行していくと思う。
とりあえず、これは状況を見守るしかない。
今回も錬金術師達への検証を依頼した。
石鹸は、既に検証させた事がある品目なので、比較的簡単に検証に入れるだろう。
化粧品の方は時間は掛かるだろうが、
近所の奥様方の検証結果が付いているので、結論を出すまでには時間が掛からないはずだ。
あとは、あっちでどう納得するかだ。
残りの問題は、価格か?
一応、希望小売価格は設定した。
不当に値切るつもりだったら生産は行わない。とも書いた。
石鹸は既に一般にも流通しているし、当初予定していた1本金貨100枚は、さすがにないだろう。
それでも1本金貨50枚の値を付けたい。
逆に化粧品は、安く売るつもりはまったくない。
化粧品とは、美容液と保湿パックのことだ。
美容液は、エイジングケアといった肌の状態を改善する美容化粧品である。
小さな瓶ではあるが、1瓶で大体一月使える量に設定してある。
生成方法は確立したものの生成が面倒なため、
1瓶あたり最低でも、金貨50枚は貰わないと作る気すら起きない。
保湿パックも同様だ。
こっちは薬草の収穫状況次第で生産すら行えない場合がある。
大量生産には向いてないし、高く設定せざる得ない。
今回のターゲットは貴族達だし、ギャフンと言わせるためにも
簡単に手に入るような値段にはするつもりはないのだ。
ここまでの話は貴族向けの話だが、一般向けの品もある。
こちらは俺の能力を使ってない代わりに、特級品と同じ製法で作られた物だ。
ただ、化粧品だけは、薬草の収穫量次第では作る余裕がない。
検証に参加してくれた奥様達への提供が、販売と同時に途切れるのは好ましくない。
薬草栽培の目途が立つまでは難しいだろう。
薬草の栽培方法は検討中だが、奥様達に担当させてみるのがいいかもしれない。
それなら社員割引みたいに提供できるし、秘匿性も保たれる。おまけに仕事にもなる。
一石三鳥だ。
ちなみに計算してみる。
石鹸1本で、1人で1年間使えたとする。
1家族あたり4人だとして、年間4本。
仮に1個金貨50枚として、金貨200枚。
次に美容液だが、
1家庭に奥様が1人はいるとしよう。
一月で1瓶使ったとして、年間12瓶。
1瓶金貨50枚として、金貨600枚。
保湿パックも同様だから、年間12個で金貨600枚。
これを1セットとして、合計金貨1400枚。
現世の価値で……4億2千万か……。
まぁいい。貴族達には苦しんでもらおう。
一応最低価格は設定してるし、前回の事もあるだろう。
下手に安い値段で売られるなら、欲しい人に勝手に売るし、他国にも輸出してもいいかもしれない。
色々悶着付けられそうだが、他の人がやっていない判断を任せているんだ。
文句があるなら売らない。ただそれだけだ。
あとは、どれくらい売れるかだが……
どこかの金持ちが1セットでも買えば、少しは村に還元できるだろう。
それにもし大金が手に入ったら……
そうだ! 指名手配犯の奴に懸賞金を掛けてやろう!
嘘を見破るために何か仕掛けを用意したりして、後ろについている奴まで全員あぶり出してやる!
クックックック。
アンバーさんが帰ってきたら、葉巻とお香、ソーセージやハム、ベーコンとかの加工品を作ってもいいな。
植林をして、いい香りのする薪を量産してもいいかもしれない。
まぁどっちにしても、時間は掛かるだろうが……少なからずお金にはなるだろう。
あとは、お茶とか楽器というのもいいだろう。
お茶は村の名前を付けた銘柄にしたりすれば、村を知ってもらう役割も果たす。
楽器は既に物はあるのだろうけど、
前世にあったような何億もするような名器なら別に量産する必要はないし、必要なだけ作ればいい。
あーでも、これは作る技術と音楽センスを問われそうだ。
ある程度技術が要求されるから面倒くさいな。
うーむ。
そんな夢を頭を巡らせていると、メルディが裸で入ってきた。
不意打ち過ぎて、勢い余って湯船の角に頭をぶつける。
「大丈夫ですか?」
「痛ったたた……。いやー、メルディがそんなに大胆だと俺も戸惑うよ」
「もうすぐ私を娶ってくれますので、いいのです!」
「うーん……。まぁいいか」
「ありがとうございます!」
「え? あ? そ、そう言う意味ではないのだけど! ……そうだね」
逆プロポーズを掛けられたが……以前から考えていた事だ。
今さらどうこう言う事じゃない。
問題は……ミイティアをどうするかだ。
俺の悩みは尽きないのであった。
◇
現在、朝のランニング中である。
今日も天気が良くて、空気もおいしい。
昨晩はメルディと2人で寝た。
風呂場では喜んでたし、2人っきりの状況だから押し倒されるのかと思ったが……何もなかった。
なんていうか、夜の営みに関してもそうだけど、未体験な夫婦生活に不安があるんだよね。
ブンブン頭を振って、変な考えを忘れる。
今日は久しぶりの授業と訓練だ。
それを考えるだけで、ウキウキしてくる。
昔は勉強を苦痛としか思わなかったけど、必要になると思えば苦痛も一つの快楽だ。
新しい物を生み出そうとする時、知識がないと発想さえ浮かばない。
石鹸がいい例えだ。
石鹸の作り方は知っていたが、苛性ソーダは一から作る必要があった。
前世なら薬局で購入することも可能だが、作るとなると別次元の話となる。
化粧品だってそうだ。
ラミエールが土台を作っていたおかげで、完成させられた訳だ。
『知っている』と『知識として持っている』では、まるで意味が違う。
色々な巡り合わせが成功に繋がったとは思うが、単に知っているだけでは意味がないのだ。
そう考えると、一つの事に特化した考え方ってのも悪くない。
職人を雇ってアドバイスすれば、何かしらを生み出してくれるかもしれない。
会社の社長ってのは、こんな気持ちなのだろうか?
と言っても、俺は経営してるわけじゃなくて、この村を再建したいだけなんだけどね。
ちょうど頭の考えが纏まった所で家に着いた。
もう朝食は出来ていたようで、軽くお風呂で汗を流してから朝食を食べた。
◇
現在、授業中である。
久しぶりのメルディによる授業だ。
朝食を取った後に洗濯と畑仕事を手伝い、メルディの負担を減らせたおかげで授業が出来る事になったのだ。
生徒達も久しぶりのメルディ先生の強弁に興奮している。
案外モテてるのかもしれない。
この教室の子達は勉強に熱心だ。貪欲と言ってもいい。
魔獣襲撃で親から心配されると思っていたが、全員普通に登校してくる。
もう慣れっこなのかもしれない。
実力は午後の剣術授業で確認すれば分かるか。
授業は語学だった。
俺の一番習得したい技能の一つである。
だが……相変わらず俺は一番成績が悪いようだ。
これは……いつも通り、俺が後片付けすることになりそうだ……。
まぁいい。
俺は新入りだ。周りにいるのは先輩方だと思えばいい。
平和でのどかな授業の時間がゆっくり流れる。
◇
やっとお昼である。
例の如く、俺が片づけ当番である。
適当に提案した事ではあるが、ちょっと感心した。
みんな俺の事をずっと見ているけど、視線が何やら違う気がする。
珍しいのだろうか?
よく分からないが、成績が悪かった事に意外? というような視線が気になって仕方ない。
これは……やはり挽回せねばならぬ!
片付けが終わると、みんなでワイワイ言いながら食事を取る。
天気もいいし人数が多い事もあって、
外にテーブルを出し、そこに鍋と皿を置き、みんな適当にそこら辺に座って食べる。
食べながら普段の授業についてだとか、将来何になりたいとか話を聞いた。
みんな立派な夢を持っているようだ。
教える側もこういった事が奮起に繋がる気がする。
◇
お待ちかねの逆襲タイムである。ウシシシシ。
が……しかし……ガルアは「弓の練習をする」と言い出した。
前回、魔獣との戦闘で矢がうまく当たらない子が多かったからだ。
前衛に立つ人を避け、隙間を縫うように打ち込むには、求められる要求はかなり高い。
体格もそうだが、弓を引くには、力が劣る子供達には難しい事なのかもしれない。
しかし、戦力という面では大人も子供も関係ない。
だからこそ……と思いたいのだが……
この提案はガルアの悪だくみにしか思えない。
俺の弓の技術は、どうしようもなく素人である。
まったく的に当たらない。
真っ直ぐ飛ばないし、届かない。
弓の仕組みがよく分からないのだ。
みんなには笑われ、俺の株は落ちる一方だ。
こんな事なら投剣の方がよっぽどマシだ。
という事で、
持っていたナイフを投げ、見事的の中心に命中させる。
「オー」という歓声があがり、すこしばかり株が上がる。
次は木剣を使った訓練である。
みんななかなかいい動きであるが、やっぱり子供だ。
力は十分とは言えない。
一応、急所を狙った剣捌きは出来ている。
だが、まだまだ狙いが甘い。
木剣を振る速度も足りてない。
相手に打たせてばかりでは成長がないので、適当に反撃を加える。
「オー」という歓声が沸く。
得意げな顔をしてしまったが、
この分野なら30年近いキャリアのある俺なら余裕なのだ。
それに眠りから覚めて、筋肉が衰えた事で得られた極意もある。
相手が何をしたいのか、小さな動き一つで行動の先読みができるようになった。
授業は格上の相手を想定した対人訓練へと変化したが、これにはガルアも目を見張ったようだ。
彼の場合、テクニックという概念はいらない気がする。
だが、何かを得ようと貪欲なのだ。
授業は大体こんな感じで進行し、お迎えが来た所で終わる。
俺は、分からなかった所をメルディ先生に個人レッスンしてもらう。
◇
そろそろ1週間経つ。
俺はベットに潜り込み、明日の予定を確認する。
明日、銀狼の訓練度合いの確認しようと思っている。
そう言えば……
俺は「1週間後」とは言ったが、通じたのだろうか?
1ヶ月と勘違いされてはないだろうか?
まぁいい。行けば分かる。
問題は……俺が襲われて食べられたりしないかだ……。
今夜だけは寝れそうにない。
気分を紛らわすように、この1週間を思い返す。
ここ1週間は毎日同じ事ばかりしていた。
朝一のトレーニング、洗濯と畑仕事の手伝い、授業を受け、剣術訓練をする。
授業を受けなくていい日は工房に行く。
特級石鹸の生産と、ラミエールに準備してもらった材料で化粧品の生産。
箱詰めと封印の準備、余裕があれば鍛冶の練習もした。
あとは、寝る前に気付いた事や不便に感じた事などをメモし、寝る。
それだけの毎日を送った。
だが、今夜は特別だ。
なんたって、明日はミンチになるかもしれない。
俺は恐怖を押し殺し、無理やり寝た。