第18話 狂気なる爪と牙、そして・・・
茜色に染まった空は端から黒く塗り潰され始め、夜の帳が下りてくる。
この世界の夜はとても暗い。
そして……とても怖い。
夜道を照らしてくれる照明は、一切ない。
完全に『闇』である。
松明など明かりがなければ、
自分の居る位置どころか、平衡感覚さえ不安定になる。
『夜道』といえば、暗くて怖いイメージがあるが、
ここではそれ以上だ。
『手探りで闇の中を歩いている】感覚である。
心が弱い方に流れれば……
恐怖に侵食され、発狂してしまうかもしれない。
だが、
この世界の夜は芸術的でもある。
夜空には数多なる星が煌めき、夜空というキャンバスに壮大な星の大河を描いている。
眺めているだけで、夜空に吸い込まれてしまいそうな錯覚さえ感じてしまう。
そよ風で草木が静かな音を立て、様々な虫の音が鳴り響く。
まさに、自然が奏でる天然オーケストラだ。
こっちの世界に来てから、朝、昼、晩と時間を問わず景色を眺め、一人愉悦の時間に浸ることが多い。
会社を定年退社した老夫婦が、挙って不便な山奥に住みたがる気持ちも……今なら分かる気もする。
この世界には、車やバイクといった大きな音の出る物はほとんどない。
だから、余計に自然を直に感じ取れる。
人にも寄るが、一種の理想とも言える世界なのかもしれない。
もちろん……色々と不便ではあるが……。
さて、現実に戻ろう。
現在、『その不便さ』と格闘中だ。
――ズバリ!
人力で走ること!
この世界での便利な乗り物と言えば、馬くらいだろうか?
なのだが、夜道を平然と走れる馬は存在しない。
それに、村の中の移動にわざわざ馬を使う人もいない。
馬は高価で貴重な存在であり、昼間限定で使える荷運び中心の乗り物なのだ。
そんな訳で……
俺はアンバーさん宅に向かって、「か・な・り」頑張って走っている。
持ち運べる時計がないからハッキリとは分からないが……走っても30分は掛かる。
加えて、この闇だ。
足元はよく見えないし、暗過ぎて方向感覚さえも狂う。
星を頼りに山容から進行方向を定め、
昼間の記憶から、目印となる木や岩などを頼りに走る。
さらにこの上に、『魔獣』という命を脅かす危険性があるとなると……
苦しいと弱音を吐いている余裕すらない。
毎回こんなにも手間取るようでは、日が短い冬はもっと大変だろう。
そういえば……
ここでの冬は、どんな感じになるのだろうか?
やはり、一面銀世界の深い雪に覆われるのだろうか?
冬までには湯船を作って、みんなでゆっくり体を温めたいものだ。
あとでメルディに聞いてみようかな……。
そんなことを考えながらも、脆弱な体に鞭打って必死に走る。
◇
やっと……やっとアンバーさん宅が見えた!
家の内側から光が漏れ、家の前が少しだけ明るく照らされている。
その光を見ていると、段々安心してくる。
「光が、こんなにも安心する存在だったとは……」
今さらながら、光の偉大さを感じる。
安心したせいか、お腹がギュルリと音を立てる。
緊張が解けたためだろうか?
家の煙突からは煙が立ち昇り、夕飯のいい匂いが漂っている。
「さっさと用事を終わらせよ!」
呼吸を整えてからドアをノックする。
すると、奥さんが出てきた。
「マサユキ? さあ中にお入りなさい」
アンバーさんはまだ仕事中だったようなので、家に入り椅子に座って待つ。
奥さんは調理場に戻り、なにやら大きな鍋でグツグツと何かを煮込んでいる。
とてもいい匂いだ。
またお腹がギュルリと鳴く。
あんな大鍋で料理をするのは大変そうだけど……
この前、お昼をご馳走になった時も、すごい量だった。
アンバーさんもガルアもよく食べから、あの鍋の大きさは当然なんだろうけど……
エンゲル指数は高そうだな。ハハハ
親方さんが言っていたけど、
アンバーさんの金銭感覚は信用にならない的な話って、コレが理由だったりするのかな?
常人の4倍は食べてるとして……大体9~10人前か。
それを普通と捉えているなら、納得せざるえないな。
俺もあれくらい食べれば、ガルアみたいに力が付くのだろうか?
ないな。
胃もたれしそうだ。
親方さんも大酒飲みだから結構食費は掛かってそうだけど、あれは経費で落としてたりするのかな?
出された果物ジュースを飲み、色々想像を巡らせながらゆっくり待つ。
しばらくすると、アンバーさんとガルアがお腹を空かせた様子で帰ってきた。
「おっ! マサユキいらっしゃい」
「お邪魔してます」
「…………」
ガルアは何も言ってこないが……まぁ、いつも通りだ。
「今日は依頼していた湯船の支払いに来ました」
「もう用意できたのかい? さすがだねぇ」
「手持ちは少ないですが、湯船の代金だけお支払いだけできればと思っています。湯船の代金はいくらになりますか?」
「そうだなぁ……。設計図通り作るとしたら、金貨8枚ってところだろうね。思ってたより大きくなりそうだしね」
あぅ……8枚か……。
でも仕方ない。特注品だし、値切るわけにもいかない。
幸い払える金額だし、いい仕事してもらうためにもケチらずしっかり払いたい。
この際だ! 残りの依頼料も払えるか聞くとしよう。
「分かりました。
あと、黒板と椅子、チョーク挟みに洗濯板、洗濯バサミと、えーっと……
依頼中の洗濯バサミをたくさん使った、物干しの見積もりも出せますか?」
「んー……」
アンバーさんはしばらく考え込む。
「そうだね。黒板や椅子なんかは全部合わせても金貨1枚くらいで、残りはまとめて金貨1枚で収まるだろうね」
合計で金貨10枚か……。
残りでメルディの給料を支払うつもりだったが……仕方ない。
すまないメルディ。しばらく給料は待ってくれ。
彼女はいらないと言いそうだが、これは俺のケジメだ。
時間が掛かっても、必ず払うからな。
「値切るつもりはないのですが、アンバーさんも親方も、金貨単位で支払い計算をよくされますよね?
銀貨があまり話に出てこないのは、何か理由があるんですか?」
「銀貨でも問題はないよ。暗黙の決まりって訳ではないんだけど、細かい計算は面倒だからね。
近所付き合いってのもあるから金貨で支払ってることが多いだけだよ。
それに、買い物はまとめ買いの方がお得だしね!」
「なるほど……。納得しました」
「それはそうと、金貨10枚になるけど、持ち合わせは大丈夫かい?」
「大丈夫です。ちょうど金貨10枚持ってます」
金貨10枚をアンバーさんに渡す。
「さすがだね。こんな大金を持ってるなんて、すごいよ」
「工房に石鹸を買取ってもらって手に入れたお金です。
本当は家族のために使いたかったのですが、アンバーさんにはいろいろ融通してもらってますし、俺も後ろめたかったのでお支払いできて良かったです」
「そうかい? 何か悪い気もするけど……」
「いいんです。これは正当な報酬です。受け取ってください」
「……分かったよ」
「これで、ガルアにもお小遣いが出せますね」
「そうだなぁ……。ガルアは無駄使いしそうだな! ハッハッハッハッハ!」
「しねえよ! それに家のためになるなら、いらねえ!」
「ガルアは本当に家族思いのいい奴ですね」
「うるせえ!」
「ハッハッハッハッハ!」
奥さんが、てんこ盛りの料理を大きな皿に乗せて持ってくる。
「さあ、お待ちどうさま。マサユキも食べていきなさいよ」
「いえ。家ではきっと作ってますし、あまり遅いと魔獣にも出会ってしまいそうですしね」
「そうね……。分かったわ」
奥さんが思い出したかのように話を切り出す。
「そうそう! この前貰った石鹸だけど、すごいわね!? 洗い物がすごい綺麗になるわ!」
「ありがとうございます。また持ってきますので、遠慮せず使ってください」
「まあ! ありがとう! 近所の皆さんにもお伝えしたいわ!」
「あー……。そのことなんですが……」
家でみんなに話した『石鹸の出所を秘密にする』話と、工房で『石鹸が機密指定になった』話を伝えた。
「なるほどねぇ。そんなことになっていたとはねぇ」
「最重要機密か。すごいなマサユキ」
「家族を守るためです。止む得ない選択です。……なので、どうかご協力頂けないでしょうか?」
「分かったわ」
みんな納得してくれた。
「まだ確定ではないのですが、いずれ工房で石鹸を買えるようにしてもらう予定です。村人ならお手頃な値段で購入できる予定です」
「まあ! それはいいわね! それなら近所の皆さんにもお話ができるわ!」
「話は販売が始まってからお願いしますね。じゃないと、辻褄が合いませんから」
「分かったわ」
「あとアンバーさん。工房で鏡の製作依頼を出したので、外枠をこちらに依頼しに来ると思います。
工房の人たちは仕事が早いですからね。明日にも使いが来るかもしれません」
「分かったよ」
支払いも終わったし、重要な連絡事項も伝え終えた。
あとは……忘れ物はないかな?
また同じことを繰り返したら嫌だもんな。
思いつかないので簡単に挨拶を済ませ、家に向かう。
無事に家に着き、いつもと同じく騒がしい食事を取る。
その後、少し書き物をしてからベットに入った。
そうそう! メルディに聞いたのだが、冬はやはり一面銀世界になるらしい。
この世界での雪とは、どんなものなのだろうか……
きっと綺麗なんだろうな~。
まだ半年以上先の話ではあるが、ワクワクとした気持ちを抑え、眠りに着く。
◇
あれから、ひと月程経った。
夏も近づき、本格的な暑い夏がやってくるのを肌で感じる。
日課の洗濯を手伝い、青空教室を開く。
今日は俺が教鞭を振るう番だ。
メルディから文字を教えてもらって、簡単な文章なら読み書きができるようになった。
とはいえ、「This is a pen」程度である。
俺も精一杯頑張って覚える努力をしているが、
文字の種類や使い回しのパターンが多く、ひと月程度ではなかなか習得できない。
同様にみんなも苦戦していた。
なので対策として、絵本を参考にした。
視覚的に文字を認識できる点に注目したのだ。
効果はすぐに現れた。
今では俺よりガルアの方が語学を理解している。
この差は、単純に物を知っている知識量の差だろう。
この世界に来てまだ半年程度ということもあるが、
実物を知らない。これがどれだけ無知なのかを実感する。
例えば、小麦といえば小麦粉を想像するだろう。
だが、加工前の原材料の状態までは知らない。
俺の認識は、せいぜいスーパーの陳列棚程度だったと改めて知ったのだ。
木の名前や草花の名前、薬草においても、皆が当たり前に知っていることすら知らない。
だから会話として成立しても、実物を交えた話となると混乱する。
とにかく、覚えることが多くて大苦戦しているのである。
そんな訳で……
俺はこの青空教室の生徒の中で、一番成績が悪い。
そうそう、子供たちの人数が増えた。
増えたと言っても数人程度だが、俺たちのやっていることが少しずつ認知されつつある。
人数が増えたこともあり、送り迎えも村人たちでローテーションを組んで送り迎えをすることになった。
順調。その一言である。
ただ……俺の株はやや下がり気味である。
特に生徒としての場合に限るのだが……。
なので、教鞭を振るうことで威厳をなんとか維持しつつ、いずれは取り戻すつもりだ。
◇
今日は算術の小テストをしている。
事前に準備し、紙にいくつか数式を書いた問題用紙を渡し、時間制限をつけて解かせている。
やはり勉強には、程良い緊張感と反復が肝心だ。
みんな頭を悩ませながら計算を進めている。
ちなみに、テストの点数が最下位の者が教室の後片付けをすることになっている。
テストのない日は全員で行うことにしている。
これはテストの場合だけの特別ルールなのである。
このルールを言い出したのは俺だ。
現状、メルディの授業のテストでは俺が『片付け王』となってしまっている。
ガルアには笑われ、メルディやミイティアたちが手伝おうとしてくることもあったが、断固として断った。
この罰は、授業に対する集中力と緊張感、そして競争意識を持たせるための手段だ。
もちろん、ミイティアみたいに非力な子の場合は重い黒板だけは手伝うことにしている。
壊すと被害もすごいしね。
運ぶものは黒板と台座、椅子と小さな黒板、筆記用具、それと机だ。
もちろん、運ぶだけじゃなくて綺麗に拭き掃除も行う。
机は勉強に支障がでないようにちょっと大きめサイズにしてもらった。
なので、ミイティアみたいに非力な子が運んだりすると、重くてフラフラしてて見てるだけで危なっかしい。
ちなみに、この罰を受けている最中は全員で見守ることにしている。
魔獣対策の意味もあるが、連帯感を養うためだ。
罰を一人に押し付けるのではなく、全員で見守るのだ。
体の弱い者は、みんなから励まされながら片付けを頑張る。
片付けが終わったら、必ず全員でお礼を言う。
こうすることで罰を受ける者の劣等感も薄まる。
罰としての片付けは大変だが、達成感と連帯感を感じられる。
その状況に甘んじてしまう者も出るかもしれないが、
自分以外の誰かが罰を受けている姿を見れば、より一層親近感が沸くだろう。
この考えの原点は、学生時代の掃除当番である。
大抵の学校には、掃除当番というルールがある。
だが、いくら綺麗に掃除しても、誰からも褒められたり称賛を受けることはなかった。
そうするとみんなはやる気を失い、掃除も段々適当になって行く。
真面目な人や掃除好きな人は一生懸命やるが、そうでない者はサボるばかりだ。
ましてや、今は1人に片付けを任せている。
他の者たちが自由に寛ぐのを見て、強烈な劣等感を感じない者はいないだろう。
だが、それを見守りすべてをやり終えた時、周りから小さくても称賛の声があれば、達成感を感じることができる。
勉強の得意不得意はあるだろうが、みんなのために頑張ろうと考えれば苦労も軽減される。
今のところは罰を『後片付け』ということにしているが、慣れでダレてしまわないような対策は必要だろう。
この方法でみんなも納得してくれた。
ガルアは余裕そうなので、彼だけ特別に『最下位になったら稽古をしない』というルールを追加した。
この話をした時は相当不服そうにしていたが、「ハンデだよ」と言ったら、アッサリ納得された。
なので、ガルアはテストにすごい集中している。
ちなみに俺への罰は、一番点数の高い人が決めることになった。
大抵はメーフィスになってしまうのだが、触発されてミイティアが頑張るようになった。
その内、「私をお嫁さんにして」とか無茶な要求をしてきそうで……怖い。
◇
算術のテストを一番最初に仕上げたのはメーフィスだった。
さすが将来接客をやると言っただけある。
正確な上に、なかなかの速度だ。
一つずつチェックをし、正解に丸を書いていく。
うん。全問正解。
メーフィスには簡単過ぎたのかもしれない。
なので、
「メーフィス。次の問題にいくかい?」
「もちろんです」
新しい問題用紙を渡すと、メーフィスは席に戻る。
このやり取りは恒例化しているので、みんな気にしない。
時間内に早くテストが解けた者は、次の問題用紙を受け取れる。
ただし、制限時間は変わらない。
その上で正解率を点数化し、みんなと競わせている。
例えば、問題用紙1枚あたり10問問題があったとして、1枚目が10問正解。2枚目が5問正解だとする。
つまり、15/20で正解率は75%となり、75点として換算される。
ただ、これではあまりにも不利なルールになるので、「止め」の合図までに解けた問題を点数として算出する。
例えるなら、1枚目が10問正解。2枚目が5問まで解いて5問正解だとする。
つまり、15/15で正解率は100%となり、100点なのだ。
これなら正確に計算することに集中できるし、2枚目を挑むことにリスクは少ない。
テストの点は1枚目に提出した点数が暫定的な順位点になり、100点にならないと2枚目には進めない。
2枚目に挑むかどうかは1枚目の結果と、本人の意思次第なのだ。
メーフィスは教えれば、しっかり学習してくる。
教え甲斐がある生徒なのだが、反面、授業の準備は大変だ。
他の子たちとは別に問題用紙を用意しなければならない。という意味ではない。
計算ドリルのように単調な繰り返しでは、『習得』という面において意味が無いからだ。
知識の習得。
それは、単に足したり引いたりする計算ができることではない。
『知識を応用できて』初めて習得したと言う。
彼だけに言えることではないが、ここで学ぶことが将来に大きく影響すると分かっているからこそ、準備が大変なのだ。
一応、今後教える内容はメモ書きにして大量に用意してある。
他にも、今後作ってみたい道具の設計図や、興味半分の実験計画書。将来実現してみたい夢など、思いついたことを書き出している。
それらには考えや説明を書き残し、部屋の棚にギュウギュウに詰め込んである。
男の部屋だし、散らかっていることは良くあることなのだが……俺の部屋は、完全に書類の山となっている。
明かりのカンテラには火が灯るので、火事だけには注意しているが……いずれ整理をせねばならないだろう……。
ちなみに、紙はそこそこ高い。
工房では紙は作っておらず、行商に依頼して購入している。
お金はカンナの売上代金の報酬から捻出している。
とはいえ、お金が余っている訳ではない。
石鹸の販売は王様からの返信待ちのため、まだ大っぴらに販売できずにいるのだ。
それに、工房に依頼していた治療道具の支払いが思いのほか高く、受け取った報酬では支払えなかった。
なので、小額ずつの分割払いにしてもらっている。
分割払いにしてもらったことでいくらか手元にお金が残り、それを使って大量に紙とインク、ペンを買ったのだ。
それにしても……テスト中は暇だ。
この後の予定はテストの採点をし、ミスの原因について解説をする。
状況を見て次回教える内容の触りを講義して、お開きとなる予定だ。
日時計を見る。
まだお昼までには時間がある。
まぁ……ゆっくりやろう。
◇
今日の授業は終わった。
結果、最下位はミイティアだった。
彼女はケアレスミスが多いようだ。
黒板は何も言わずにガルアが片付けてくれた。
アイツも点数は悪いが、最下位にならなくて済んだことに後ろめたさがあるのだろうか?
黒板以外の残りはミイティアに頑張ってもらう。
華奢な体で重い机を運ぶ姿は……見ているだけで痛々しい気分になる。
だから、声を掛ける。
「ミイティア頑張れ!」
みんなも口々に声を掛ける。
みんな同じ気持ちなんだろう。
声を出さないと心が痛むのだ。
ひと月も経ったし、みんなも慣れていい感じに授業にのめり込んでいる。
オンラインゲームをやっていた時も思っていたが、連帯感を持って挑むレイドは楽しくて仕方なかった。
それに、ゲームにのめりこむ奴ほど成長が早かったし、強かった。
だが、俺みたいに仕様まで突っ込んで考える奴はいなかった。
それだけは残念だったな……。
俺が仕様に対して詳しいというか、ゲームをプログラムの一種だと思えるのは職業柄だと思っている。
ゲームとはプログラムソースの集合体……と言っても分かりにくいだろうな。
プログラムに対して免疫があると得することと言うと、動作の規則性が分かることだ。
俺が得意としていたアイテム強化も、プログラムの規則性を利用したものである。
簡単に言うと、用意されたプログラムの規則性を読んで、成功確率が高い方法を模索したに過ぎない。
だが、一歩誤ればチート扱いなのだ。
チートとは、主にデータ改ざんや不正な方法でアイテムを増殖させる行為である。
プログラムには必ず穴ができる。脆弱性とも呼ばれる。
あまりいい例ではないが、「アイテム欄から物を取り出す」という動作をプログラム化すると、
・アイテムAを選択
・アイテムAを移動先にコピーし、仮にこれをアイテムA’(エーダッシュ)とする。
・アイテムAを削除
となり、単純な説明だがアイテム移動が完了する。
ここで頭のいい奴は「アイテムAを削除」という項目を『何かしらの動作』で無効化する。
そうすると「アイテム増殖」という現象で、アイテムAとアイテムA’というように、1つのアイテムが2個に増殖するのだ。
これは完全にアウトの悪質行為である。
状況にも寄るが、刑事裁判に掛けられる。
データはサーバー上で管理している場合もあるし、個々のPC上で管理している場合もある。
チーターはその隙を突くのだ。
俺はそこまで非道をするつもりはないが、知識としては持っていた。
ゲームが好きでやっているわけで、悪質な行為をしてまでゲーム内通貨やアイテムを得ようとは考えない。
あくまでゲームの仕様をベースとし、その範囲内でやれることを模索しているに過ぎない。
何かを得ようともがくのは、成長という面では良いことだ。
しかし、不正をして得た物で得られる感動は微々たるものだろう。
俺は自分の力を最大限利用して、何かを得るのが好きなのだ。
それをミイティアにも、子供たちにも教えてやりたい。
一生懸命机を運ぶミイティアを眺めながら、そう心で思った。
◇
昼食を終え、みんなで小川の近くで剣術の訓練をした。
今はのんびり小川に足を浸け、休憩中である。
メーフィスも体を鍛えるために参加するようになり、メルディとミイティア、ラミエールは付き添いで付いてきている。
休憩をしながら、剣術の教えを説いていると……
空気が変わった。
これは……『覚えのある感覚』だ。
ガルアを見る。
ガルアも何かを感じている顔をしている。
他のみんなは不思議そうな顔をしている。
「ガルア!」
「ああ! 近くにいやがるな!」
みんなに指示を出し、支度をしてすぐに家に向かう。
◇
もうすぐ家に到着するという時……
奴らが現れた!
形状は前と同じ、狼タイプ。
片目が潰れた奴や、黒い体から血をダラダラと流した奴もいる。
どうやら、どこかで戦闘があったようだ。
苛立っているようで、息が荒い。
それよりも、数が多い!
1,2,3……6匹!
俺とガルアが子供たちの前に出る。
ガルアは大きな木刀を持っているが、致命傷を与えるのは難しい気がする。
メーフィスは剣術を始めたばかりで、戦闘に参加するにはかえって危ない。
俺がやらねば!
ガルアに指示を出す。
「俺が前に出る! ガルアは漏れた奴を牽制してくれ!」
「おう!」
「メルディ! 子供たちを連れて遠回りで家に向かってくれ!」
「分かりました」
2人の返事を聞くと、魔獣に向かって飛び出した。
剣を振りまわし、奴らの注意を俺に集中させる。
俺の不利は否めない。
戦術的にも無策と言っていい。
だが……後ろにはメルディと子供たちがいる!
引き下がれない!
奴らの動きは機敏だ。
殺すことを狙った振り回しではないので、無策で振り回す重い剣はカスリもしない。
それを見兼ねたのか、ガルアが俺の指示を無視し、突っ込んできた!
奴らの意識が一瞬逸れ、ガルアを睨んでいる。
その一瞬を見逃さなかった!
一気に飛び込み、1匹の魔獣に剣を突き立てる!
心臓を一突きだ!
すぐさま向きを変えて、2匹目に飛び掛かる!
ガルアの振り回しの一撃で、奴らが吹っ飛ぶ!
すぐさま標的を変え、吹っ飛んだ1匹を剣で刺し殺す!
これで2匹。
しかし、その瞬間――
1匹が子供たちに向かって走り出していた!
俺も追い掛けるが……
クソ! 追いつけない!
まるでスローモーションのような感覚だ。
そして……飛び掛かった奴の鋭い爪で――
引き裂かれた布と、鮮血が空中に飛び散る……
メルディが子供たちを庇ったのだ。
メルディは悲鳴を上げながらも魔獣を睨み付ける。
魔獣は怯み、少し後ずさりをする。
その怯んだ隙に、全力で背中を斬り付けた!
血飛沫を上げて、奴はのたうち回る。
まだ浅い!
即座にとどめを入れ、メルディに駆け寄る。
「大丈夫です。魔獣を……」
辛そうな顔をしながらも俺の服を掴み、前に押し出す。
向きを変えて、戦闘中であろうガルアを見る。
ガルアも血だらけだ。
爪や牙で体中を引き裂かれながらも、必死に木刀を振りまわしている。
俺は……
無心で駈け出した!
無心というより、怒りで何も考えられない。
何も考えずに振るう剣は空を切る。
息が上がり、1分にも満たない時間が長く感じる。
長い長い攻防が続いている感覚だ。
そこに1本の矢が「ヒュ」という音を立てて、魔獣の頭に突き刺さった。
目を向けると、大人たちが遠くから駆けて来ている。
大声を張り上げ先頭を走っているのは……ダエルさん?
俺もガルアも魔獣たちに向かって全力で剣を振りまわす。
大人たちと俺たちの勢いに押されたのだろうか? 魔獣たちは林の奥に逃げ出した。
大人たちはそれを追うように林に入って行く。
声が遠退いて行く……
疲労と緊張で呆然としていたところに、リーアさんの声が聞こえた。
「マサユキ! ガルア! 大丈夫かい?」
「俺は大丈夫です。ガルア大丈夫か?」
「ああ、かすり傷さ」
思い出したかのように後ろを振り向く……
メルディが………倒れている。
ミイティアが血だらけになりながら、必死に呼び掛けている。
メルディに急いで駆け寄った。
背中には魔獣の爪による大きな傷があり、大きく裂けた傷口からは血がボタボタと浸み出している。
すぐに治療の準備に取り掛かる。
腰に下げた鞄から布を取り出し、傷口を強く圧迫する。
布はみるみる血で赤く染まっていく……
このままでは危険だ!
「ガルア手伝ってくれ! 家までメルディを運んでくれ!」
ガルアは返事もせず。ゆっくりメルディを背負う。
俺は傷口を抑え続けた。
◇
家に入り、メルディをソファーに寝かせる。
メルディは意識があるものの、痛みに耐え、息が荒い。
「リーアさん救急箱を! それと強いお酒とお湯を! ガルアは小川から水を汲んで来てくれ!」
ガルアは勢いよく外に飛び出した。
リーアさんが急いで救急箱とお酒を手渡す。
そして、暖炉に火を付け始める。
近くにミイティアたちがいた。
みんな心配そうにメルディを見ている。
「ミイティア。みんなを連れて部屋に行っててくれ」
「イヤ!」
「我ままを言わないでくれ」
「私も手伝う!」
ミイティアの顔は泣いているが、力強い決意の目をしている。
メーフィスもラミエールも同じだ。
「分かった。みんな清潔な服に着替え、体を石鹸で清めてくれ。それからミイティアは、メルディの手を握ってあげてくれ。メーフィス、ラミエールはカンテラを持って照らしてくれ」
「うん!」
「分かりました!」
「はい!」
3人はそれぞれ動き出した。
俺は布を抑えながら、少しでも痛みが引くようにイメージを送る。
これからする治療は激痛を伴う。
俺の能力は不完全で地味だが、石鹸では出来たんだ!
腕の治療もできた!
俺はできる!
自分に言い聞かせるように、手から力を送り込むイメージを続ける。
ガルアが水を汲んで帰ってきた。
リーアさんも火を起こし終え、鍋を持ってくる。
鍋に水を満たし、火に掛ける。
治療道具を中に入れ、沸騰消毒する。
その間に服を着替え、頭巾とマスクをする。
石鹸で爪の隙間から腕まで丁寧に洗い、ガルアに手伝ってもらって洗い流す。
リーアさんに指示を出し、ガルアの治療を任せた。
準備が完了した。
大きく深呼吸をし、気持ちを落ち着かせる。
俺は、ただの『一般人』だ。
これからやるのは……テレビドラマで見た医術の真似事。
だが……これはドラマじゃない。現実だ!
俺の持てる能力を持って、必ず救ってみせる!
ナイフを持ち、メルディの服を裂く。
抑えた布を取ると、大きく背中を抉るような爪痕が姿を現す。
流血は収まったとはいえ、まだ流れ出している。
水筒の水で血を洗い流す。
溜まった水を小さな布に吸わせ、傷口を確認する。
傷は数本の並行した爪痕となっており、中でも中央の深く大きな傷が深刻だ。
傷口の奥の方から血が浸み出してくるのが見える。
太い血管が傷ついているのか?
目を凝らして、手探りでそれらしい所に指を突っ込む。
メルディが声を押し殺して、唸る!
指先に集中し、イメージを送りつけるように念じる。
太い血管。傷ついた部分。そこから血が流れ出ている。
これを段々出血が止まるようなイメージ……。
太い血管の傷が元にゆっくり戻るイメージ……。
顕微鏡で見るように細胞一つ一つを想像して、裂かれた血管が端から少しずつ修復されていくイメージ……。
しばらくすると、流血は止まった。
小さな布で血溜まりを吸わせる。
大きな出血を止めることができたが、傷は筋肉にまで達し大きく切り裂かれている。
小石や木片など小さな破片がないか丹念に調べる。
……特に無さそうだ。
小さな布に酒を含ませ、傷口周りまで広めに消毒する。
魔獣の爪は細菌の温床だ。
消毒により治りは遅くなるが、下手に2次感染で炎症を起こすよりマシだ。
小さな針に極細の糸を通し、ピンセットで針を掴む。
まずは筋肉の縫合だ。
慣れない手付きで大きく縫い、筋肉を繋ぎ合わせていく……。
◇
すべての縫合が終わった。
縫合中に何度もメルディが呻き声を上げ動いたが、ガルアに抑えさせ、何とか乗り切った。
だが、まだ安心はできない。
メルディは背中の激痛に苦しんでいる。
傷口に薬を塗り、当て布で軽く押さえる。
太い血管だけでも俺の能力で抑えられているのなら、乗りきれるはずだ。
みんなを休ませ、ガルアの傷の状態やみんなの傷も確認し治療を施す。
あとは持久戦だ。
彼女の傷を覆うように軽く手を当て、イメージを手に込める。
傷ついた血管、筋肉、そして皮膚。
理科準備室にある人体模型のイメージ……。
細胞が活性化し、分裂を繰り返すイメージ……。
綺麗で美しい背中のイメージ……。
とにかくイメージを続け、何度も繰り返す。
2日目に入ってやっと安定したのか、メルディが眠った。
ダエルさんに手伝ってもらいベットに移し、布を取って傷口を確認する。
まだ痛々しい傷跡が残っている。
こういう平行した複数の傷は治りにくい。
治りが遅いのは、俺のイメージが悪かったのだろうか?
いや、俺の能力は不完全だ。
なんでも思い通り行くわけじゃない。
太い血管からの出血が止まったのは偶然じゃないと思う。
だが、俺の能力が短時間しか有効でなかったり、自分にしか有効でない場合もある。
できないと思うのではなく、可能性がある限り続けよう。
再び傷口に乗せた布に手を当て、念じ続けた……。
それから更に5日経ち、7日目の夕方。
外はシトシトと雨が降っている。
メルディは静かに寝息を立てている。
長時間の看病の疲れたのか、眠気に襲われウトウトし始める。
自分が眠りそうだったことに気付くと、その場で筋トレを始める。
息が上がるほど動くと眠気を誤魔化せるからだ。
そして、再び念を込め始める。
傷口はまだ痛々しい。
傷口周りの紫色をし血色は良くないが、これは治りつつある兆候だったはずだ。
あとは、傷が消えて見えなくなるイメージを強くしよう。
彼女にとっては余計なことかも知れないが、この傷で後々まで後ろめたさを感じて欲しくない。
静かな時間だけが過ぎていく……
微かに聞こえる小さな声が、
「マ……様……。マサ……」
何か声が聞こえる。
「マサユキ様……」
やっとその小さな声の正体に気付いた。
「メルディ!」
俺は涙が止まらなかった。
安心したせいなのか……
嬉しそうに俺を見詰める彼女の顔が段々暗く……
優しく頭を撫でられる感覚とともに、俺は眠りについた。
◇
「う、うーん……」
随分熟睡して長い夢を見ていたようだ。
目を開けると、いつもの天井だ。
日も高く昇っていて、もうお昼頃だろうか?
それにしても……暑い! もう夏か?
体を起こそうとすると……妙に体が重い。
それに筋肉が軋むように痛い。
しかも、体全体がだ。
眠気を覚ますために、かなり無茶な筋トレを続けていたせいだろう。
つまりは、単なる筋肉痛だ。
32歳の時は1日遅れでやって来てたが、12歳の肉体では当日か翌日には筋肉痛が来ていた。
今回もそれだろう。
それにお腹はペコペコだ。
胃の中が空っぽで、空腹感というより胃が痛い気もする。
1週間近く飯をろくに取ってなかったし、そのせいな気がする。
さて、下に降りてモリモリご飯を食べるぞ。
軋む体をゆっくり起こし、立ち上がってみる。
視点が……おかしい?
視点が妙に高い気がする……。
それに……髪の毛が……長い?
異変を感じ、体を確認する。
体が異様に痩せ細っている。
どういうことだ?
力の使い過ぎで痩せてしまったのか?
いやいや! 冷静になれ!
目を閉じ一端落ちついてから、客観的に自分を観察する。
服は今まで着ていた物と少し違う。
痩せ細った体は、以前より手足が長くなったようにも感じる。
髪は長く成長している。
前は短かったが、今は目に掛かる程度だ。
ひと月で1cmは伸びたとして、1年くらいの成長か。
だが、この身長の伸び具合は……12~13歳の成長とは思えない。
……まぁいい。
他には……特に変化はないか。
「いや……。まさか……なぁ?」
俺がこっちに来た時みたいに、小さくなったことの反対が起きてるわけじゃないだろうな?
ズボンの中に手を突っ込む。
すこしボサボサしているが、あまり大きく変化したようには感じない。
この確認方法もどうかと思うが、外見的違いを把握するには手っ取り早いのだ。
単にこれしか思いつかなかったとも言う。
部屋を確認する。
何やら見たことがない物がたくさん置かれている。
机にはたくさんの本と、細かく指摘が書き込まれた授業用の書類の山が整然と並んでいる。
花瓶には花が飾られ、風でゆったり揺れている。
書類だらけの部屋は整理され、本棚が置かれている。
本棚には本がぎっしり詰まっていた。
ボーっと変わり果てた部屋を眺めていると、後ろでドアが開いた音がした。
そして、桶と水が床に落ちた大きな音がする。
後ろをゆっくり振り返る。
綺麗な女性が口元を押さえて、俺を見ながら涙目で立っている。
そして、抱きついてきた。
彼女は大声を上げ、胸元で泣いている。
俺はやさしく彼女の髪を撫でる。
髪は随分伸びたようだ。
もう、俺は完全に悟った。
俺は……
「マサユキ様。おはようございます」
顔をこちらに向けて、涙を流しながら声を掛けてくる。
「ずいぶん長い間心配を掛けさせたね。ありがとう。メルディ」
彼女を抱き締める。
前とは違い、ふっくらとした膨らみを感じ取れる。
そう、俺は……長い間眠っていたのだろう。
どれくらい眠りについていたのか分からないが、きっと考えもつかないほど長い時間だろう。
彼女の温かな体温を感じながら、やさしく髪を撫で、しばらく抱き合っていた。