第12話 思わぬ異変
目を覚ますと、見慣れない天井だった。
戸惑いながらも、落ちついて周りを確認する。
ガランとした物が少ない部屋。
そうだった。ここはメルディの部屋だ。
メルディの姿は……ない。
布団からは……彼女の香りが僅かに香る。
「そうか、昨日は……」
俺は枕に顔を埋めて、彼女の残り香と温かさを探すようにしばらくゴロゴロとする。
さあ、起きよう。
起き上がり、布団から出る。
服は……昨日の晩に着替えた物だった。
あのメルディが眼の前に出された獲物を逃すわけがない……とは思うが、彼女なりの配慮なのだろう。
昨晩の彼女との会話を思い出しながら、布団を正す。
靴を履き、改めて部屋を見回す。
彼女には失礼だと思うが、今は少しでも彼女のことが知りたい。
この部屋は本当に何もない。
クローゼットの中身を確認するわけにはいかないが、きっと服も少ないだろう。
1つ目標が出来た。
「メルディに服を買ってあげなきゃな」
そのためにも石鹸製作は重要だ。
手に職を持ってるわけでもない。
昨日は剣1本あれば生きていけるなんて思っていたが、本当の意味でこの世界で通用するかは分からない。
出来るか分からない物に期待を持つのも間違っていると思う。
今は、1つずつやれることを増やしていくしかない。
「よし!」
そう気合いを入れ、部屋を出る。
◇
1階の方に降りていくと、奥からは朝食の準備の音といい匂いが立ち込めていた。
ソファーには、ダエルさんが座って資料を読んでいた。
「おはようございます。ダエルさん」
「ああ、おはよう」
ダエルさんの対面のソファーに座り、朝食が出来るのを待つ。
「昨日はうまく行ったか?」
「ええ、メルディとは仲直りできたと思っています」
「そうか……。良かったな」
「はい。ありがとうございました」
ダエルさんは満足そうで安心した顔をしている。
そして、視線が俺の右腕に移る。
「そういやお前。腕を怪我したんだったな?」
「ええ。無我夢中でやったことでしたし、大した怪我ではないです」
「ちょっと見せてみろ」
そう言うと、俺の前まで来て腕の包帯を取り始める。
「ほう! 見事な治療だな。もう瘡蓋が付いているぞ」
ん?
「聞いてた話だとナイフが深く刺さったらしいが、大した事がなかったようだな」
……あれ?
腕の怪我を確認してみる。
傷が塞がって瘡蓋が付き始めている。
少し痛みは残っているが……
これは異常だ!
俺の見立てでは、全治1カ月程度だったはずだ。
この世界では傷の治り方が違うのだろうか?
「あの……ダエルさん?」
「ああ」
「この世界での治療って……案外万能だったりするんですか?」
「何に対して万能と言うか分からんが。すり傷でも1週間は掛かるぞ?」
前世と変わらない気がする。
とすると……この傷の治り方は異常だ。
俺の体質なのか?
いや、俺は脆弱だし、魔法も使えない。
それらしい能力は持ち合わせていなかった……はずだ。
「万能って言えば、万能薬ってのはあるな。だがあれは、かなり高価で希少品だ。あとは治療魔法だな。こいつも使える者は限られてる。王家に仕える者くらいだ」
「ということは……俺の体質か潜在的に存在する魔法の可能性はないでしょうか?」
「そうだなぁ……。肉体強化の魔法には近い気がする。肉体強化は極めれば即時に傷が治る者もいる。ただ俺の見る限り……お前にはその才能がないな」
「うっ。……その肉体強化の魔法というのは――いえ、才能がないとする根拠を教えてください」
ダエルさんはニヤついた顔をする。
「そりゃー単純だ! お前の体は貧弱だからだ! 薪を割るにも四苦八苦してる奴が肉体強化なんて使える訳がないからな! フッハッハッハッハ!」
「……な、なるほど……ハハ」
俺に肉体強化の才能がないという事実は痛いが、この傷の治り方には説明がつかない。
頭が余計に混乱する。
「まぁ、治りが早いってのはいいことじゃないか」
「そうですね。元々そんなに大した事ありませんでしたし」
「大した事ないって程でもないだろ? この傷の入り方からして骨まで逝ってたんじゃないか?」
「えーっと……(メルディには内緒ですよ。骨に刺さってました)」
「おいおいおめえ、よくそれで治療できたな? あれはかなりの激痛だったろ?」
「ええ。聞いてた話以上ですね」
「フ、フフ……フッハッハッハッハッハ!」
ダエルさんは大きな声で笑い始める。
「普通はな……ウヒ。そういう怪我してれば、数日は激痛が続くはずだぜ。それを……グヒッ大した事ねえと言いやがる……ウヒヒヒ」
「(シー! 静かに! メルディに聞こえちゃいます! 俺もそう思ってたんですよ。だから戸惑ってるんですよ)」
ダエルさんは声を押し殺しながらも、腹を抱えて笑っている。
俺は苦笑いと困惑と馬鹿にされた気持ちが混ざり合い、複雑な気分だ。
この世界に来て、初めて目にするファンタジー現象だしね。
「あんまり笑わないで下さいよ。一番戸惑っているのは俺なんですから」
「ンーンー……ゴホン! すまなかった」
「(あまり大事にすると、メルディが責任を感じて悲しむので、内緒ですよ)」
「(分かってるって)」
そこに鍋を持ったメルディが部屋に入ってくる。
「おはようございます。マサユキ様」
「お、おはよう、メルディ」
さっきの会話は……聞かれてたかもしれないが、今日の彼女はとてもさわやかだ。
なんというか……今まで感じていた悲壮感のようなものは感じられない。
本来の自然体のように感じられる。
「さあ、食事にしようか」
ダエルさんは立ち上がり、テーブルに向かう。
俺も後を追い、席に着く。
ドタドタと足音を立てて、ミイティアが階段を駆け降りてくると、いつもと同じように席に着き、
「おはようございます。お兄様」
「おはよう、ミイティア」
ミイティアは俺の顔をマジマジと見詰めている。
「お兄様、メルディとは仲直りできたの?」
「うん。なんとか許して貰えたかな?」
メルディの顔を見上げる。
にこやかな笑顔をしてくれる。
再びミイティアに視線を向けて謝る。
「ミイティア。心配を掛けて、ごめんなさい」
「いいのよ! お兄ちゃんの顔を見たら分かったもの!」
ミイティアは満面の笑みを浮かべる。
俺はまたこの家族に救われた。
それを忘れないようにせねば。
俺たちはいつもと同じように、ワイワイ騒ぎながら朝食を取った。
◇
朝食を取り、腹ごなしに薪割りを始める。
今日は雨が上がり、日差しが暖かい。
少しムシムシとするが程良い温かさで、それほど気にならない。
手に持った斧を振り下ろす。
「カッ!」
やはり、うまく薪を割れない。
体を鍛えるためにやってることとはいえ、うまくいかないのはちょっとしたストレスである。
腕はなぜかあまり痛くない。
どうにも不自然なのだが、筋肉はほとんど断裂してなかったみたいだ。
単に運だろうな。
ダエルさんが家から出てきて、声を掛ける。
「おう、やってるな! もうそんなことしていいのか?」
「少し痛みますけど、大丈夫そうです。調子を見る意味もありますしね。明確な根拠はありませんけど、ある程度運動した方が治りが早いんですよ」
「焦ることはないと思うぞ」
「はい。その辺は慣れているんで大丈夫です」
「……前にも怪我したことがあるのか?」
「ええ。バッサリ切られたことがありますね。その時は治るのに半年は掛かりましたけど。フフフフ」
「そうか……。すまんな。子供扱いして」
「いえ。俺は子供ですよ。俺にとって大人の定義は「責任持って、子供を育てる人」ですから。俺には……子供はいませんから、昔も今も子供のままなんですよ。気にせずいつも通りでいいですよ」
「……分かった。だが無理するなよ」
「はい」
俺の体は貧弱だ。
周りの男たちはみんな筋肉隆々の力持ちばかりだ。
それに比べ、俺はなんと貧相な体付きなんだろう。
適正ってのもあるし、子供の体だし……いや、深く考えるのは止めよう。
そういや……ダエルさんは普段どんな仕事をしているのだろうか?
思いついたままに聞いてみる。
「ダエルさんはどんな仕事をされているのですか?」
「ああ、言わなかったか? 俺はこの村の取りまとめ役をやっている。よく出掛けるのもソレだな。あとは近隣の見回りを兼ねてアンバーやゼアとともに魔獣狩りもやっている」
「魔獣狩りですか?」
「まあ、この辺にはほとんどいないがな。たまに入り込んでくる奴もいるんだ」
「それって、俺もやれますか?」
「お前がか……? その体で相手にできるような奴じゃないと思うがな」
「あの、お世話になってながら言いにくいことなんですが。将来世界を旅してみたいと思ってまして……できれば実践経験を積みたいと思っています」
「ほお、旅か! それなら必要になるだろうな。だが……」
ダエルさんは少し困った表情をしながら話を続ける。
「実力を見てやってもいいが、今は怪我してるしな。怪我が治ったら見てやるよ」
「大丈夫です。木刀なら持てますよ」
「おいおい、無理するなって! 傷が悪化するぞ?」
「その時はその時です。本気で相手を倒すわけじゃありませんし、技術を見てもらうだけです。お願いします」
深々と頭を下げる。
ダエルさんは考え込んでいる。
「分かった。一つ実力を見てやろう。ただし、無理はするなよ?」
「分かりました。よろしくお願いします」
いずれ、こちらからお願いしようと思っていた。思わぬ展開だ。
俺は前に作った木刀取りに部屋に戻る。
木刀の持ち手は改良した。
また手が傷だらけになると嫌だしね。
木刀を持って、ダエルさんの元に走る。
ダエルさんは、そこら辺にあった棒切れを拾ってブンブン振り回していた。
「ちょっと移動しようか。ここじゃ色々な物があって邪魔だ」
「俺はここでも構いませんよ」
「強気だな。だが今回は広い場所でやろうか」
「はい」
俺たちは広い場所を探しながら歩く。
適当な広さの広場でダエルさんが立ち止まった。
「よし。始めるか。どこからでも掛かって来こい!」
「はい! よろしくお願いします!」
木刀を正眼に構え、間合いを測る。
ダエルさんは構えというより、単に棒を前に突き出しているだけに見える。
剣先を下に向けながら、同時に走り出す!
狙いは足。強く――振り抜く!
ガッ!
ダエルさんは余裕でそれを受け流す。
「なるほどな。強気になるわけだ。だがこの程度では役に立たないぞ」
俺はステップを踏みながら、角度を変えて今度は籠手を狙う。
しかし、ダエルさんは半身をズラし打ち込みを交わと、すばやく反撃を返す。
ダエルさんの攻撃は鋭い!
反応が間に合わ――
棒切れはピタリと止まり、俺のこめかみ当たりで寸止めされる。
「まだまだだな」
完全に子供扱いである。
その扱いに少し頭にきたので、構えを変える。
間合いを取るように後ろに跳ぶ。
バランスを取るために着いた左手で、さりげなく地面の泥を掴む。
右手に持った木刀を体の左側にねじ込むようにゆっくり動かし、ダエルさんの目線を木刀に集中させる。
同時に不自然にならないように左手を体の後ろに持っていく。
ダエルさんの右側に回り込むように動き始め、緩急を付けて木刀を薙ぎ払うような格好で飛び掛かる。
ダエルさんが反応する瞬間、木刀の動きを止め、左手の泥をダエルさんの顔めがけて投げつける。
怯む隙に懐に飛び込み、両手でダエルさんの胴に木刀を振るう。
当たる瞬間――ピタリと寸止めする。
ダエルさんは驚いている。
「なんで剣を止めた?」
「ダエルさんも手を止めましたよね?」
「そうだったな」
間合いを取る。
2人とも完全に真剣モードに切り替わる。
そして何度も打ち込み合いを続ける。
◇
「ぜぇー、ぜぇー……」
俺は大の字で寝転がっている。
地面は先日までの大雨でぬかるんで汚いが、気持ちは晴れやかである。
2人の勝負は……ハッキリ言って俺の完敗である。
なんども打ち込むが、的確な対応と返し技でほとんど命中しない。
あれは俺が成人して万全の状態だったとしても突破は難しそうだ。
それくらいの実力差があった。
俺の体は返し技で打ちのめされ、体の至る所が痛い。
一番痛いのは右腕だ。
怪我が完治してないのをすっかり忘れていた。
今さらだが、もう少し自分の体を大切にしないとな。
「マサユキ。お前強いな」
「何言ってるんですか? こんなズタボロな俺に掛ける言葉じゃないですよ」
「いや筋はいい。的確に急所を狙ってくる剣は返し技の格好の的だが、最初に見せた土を使った目潰しは使えると思う。だが、まだまだ実践不足だな。それにその程度の力では魔獣に傷一つ付けられない」
「返す言葉もないです」
魔獣とはそんなにも強い存在なのか。
「やっぱり不合格でしょうか?」
「そうだなあ……。俺たちと一緒なら死にはしないだろうが……今のままだと単なる足手まといだな」
その理由は分かる。
絶対的に体力不足なのである。
戦場は常に何が起きるか分からない。
重量のある装備品を抱え、長距離を移動し、万全ではない状態で戦闘をする。
しかも体力がなければ、満足に剣を振るうこともできない。
俺の絶対的な課題なのだ。
「分かってましたけど、俺は弱過ぎますね」
「そうは言ってないが……まだ無理そうだな」
ガルアには偉そうに剣を教えるなんて言ったが、そのうち軽々と俺を超えていきそうだ。
才能の差と言うべきか?
才能のない俺がこの世界で生きていけるのだろうか?
今さらながら惨めな気分になる。
「マサユキ。立てるか?」
「ええ、大丈夫です」
ズキンと右腕が痛む。
たった1日で治る傷ではない。
今さら思い出したかのように痛むとは、どうなってるんだ? 俺の体は。
「帰ろうか。そろそろ昼時だ」
「もう、そんな時間ですか?」
俺たちはゆっくり家に向かって歩き出す。
そう言えば、石鹸の様子が気になる。
「ダエルさん。俺ちょっと小屋に向かいます」
「ああ分かった。先に帰ってるぞ」
俺は小屋に向かって走り出した。
◇
小屋に到着した。
ぜぇぜぇと肩で息する自分の脆弱な体を、心の中で詰る。
小屋に入り、木刀を壁に立て掛ける。
棚から石鹸の入った壺を取り、作業台に乗せ、壺の中身を確認してみる。
「えっ!?」
またしても異常事態である。
石鹸が……固まってる?
「そんなはずは……」
想定より早い速度で石鹸が固まっているのだ。
ぱっ見は白いが、ほんのり黄色味掛かったツルツルとした光沢がある。
指で押し込んでみる。
十分な固さが指から伝わってくる。
試しに少し削り、作業用に貯めた水を掛け、手を擦り合わせる。
泡が立ち上る。
「な……なんだこれ!?」
泡の立ち上がりが異常に多い。
昔作った石鹸と比べようがないほどの泡立ちだ。
泡を洗い落とす。
手はツルツルスベスベとした手触りである。
本来なら「キュッキュッ」と言った油脂が取れたような感触がするはずなのだが……。
なぜかツルツルしている。
例えるなら、リンス入りのシャンプーのような……。
この状況にはまったく納得がいかない。
棚に置いた資料を取り出し、作業工程を一つ一つ確認していく。
配合比率、製作手順、薬品の生成工程、原材料。
何度確認しても……間違いがない。
間違いがないとは決めつけはできないが……一番の可能性としては、手に入れた原材料が現世の物と違うということか?
戸惑いつつもしばらく考え込み……最後には考えるのを諦めた。
「うーん。分かんねー」
もう完全に投げやりである。
だが、完成した喜びが沸き上がる。
「よし!」
一声出すと、壺と木刀を持ち、家へと戻る。
◇
壺は重かった。
小さく小分けにして持ってくれば良かったのだが、取り出す道具もなかったし、石鹸を納める入れ物もなかった。
それよりも、早くみんなに届けたいという気持ちが大きかった。
家に着くと、ミイティアが駆け寄ってくる。
「おかえ……兄様それ何?」
「ただいま。これは前に話してた石鹸だよ」
「石鹸?」
「手を洗ったり、洗濯に使ったりする道具なんだ」
「ふーん」
「まぁ、言うより使ってみれば分かるかな」
ソファーの前のテーブルに壺を慎重に置く。
そして、リーアさんを探す。
リーアさんは台所でお昼の準備をしていた。
「リーアさん。ちょっといいですか?」
「お帰りマサユキ。どうしたの?」
「ナイフとヘラ、あと何か入れ物をお借りできますか?」
「ええ、いいわよ。……何をするの?」
「例の物が出来まして、それを取り出すんですよ」
「例の物?」
メルディが駆け寄ってくる。
「奥様! アレですよ、アレ!」
「アレ?」
「そうです! 石鹸ですよ奥様!」
その答えを聞いて、リーアさんは驚きを隠せないようだ。
「マサユキやったのかい? まぁまぁまぁそれはすごいじゃない!」
「マサユキ様。おめでとうございます」
「ありがとうございます。でも使ってみるまでは、その驚きは取っておいてくださいね」
リーアさんとメルディは、作業そっちのけで準備を手伝ってくれた。
◇
「さてさて、御開帳でございます」
仰々(ぎょうぎょう)しく台詞を言い放ち、作業に取り掛かる。
ナイフを手に持ち、壺の石鹸を縦、横といくつも切り込みを入れる。
多少力はいるが、なかなかいい切れ味のナイフだ。サクサク切れる。
最後に壺の側面に沿って切り込みを入れ、ヘラを使って外側から丁寧に石鹸を取り出していく。
1個、また1個と固まりを取り出し、入れ物に移す。
全部取り出すと、そこそこの量が作れていた。
石鹸の内部も完全に固まっており、小さく切れば石鹸らしくなるだろう。
壺の内壁にこびりついた物が勿体ないので、スプーンを使ってこそぎ落す。
細切れのような粉状の石鹸が取れた。
まだ壺にはうっすら石鹸が付いているが、これは洗濯とかで使えばいいだろう。
石鹸の山から1つの固まりを取り、ナイフで適度な大きさに切っていく。
見た目は不格好だが、見紛うなく石鹸の完成である。
それをリーアさんに渡す。
「リーアさん。大変長らくお待たせしました。これが石鹸です」
「まぁまぁまぁこれが石鹸かい? 白くて油の塊のようだけど、これが噂の石鹸とはねぇ?」
「はい。水で濡らして擦り合わせると泡が立ち上がりますよ」
桶が必要そうだなぁ。と周りをキョロキョロ探す。
メルディが気を利かせて先に動いてくれた。
しばらくして、桶と水が用意される。
「メルディありがとう」
「このくらい当然でございますわ」
「さあ、リーアさん試してみてください」
リーアさんは恐る恐る石鹸に水を少し垂らし、手を擦り合わせる。
たちまち泡が立ち上る。
「「「わああああ!」」」
みんなが歓声を上げる。
「さあ、メルディもミイティアも試してごらん」
2人も石鹸を手に取り、手を擦り合わせる。
2人とも見たこともない感動と興奮し、手をこねくり回している。
ミイティアは無邪気に石鹸を泡立てまくり、腕まで泡まみれだ。
「直接口に入れな……あ"ー! 待って! 口に入れないで!」
説明をしようと思った矢先、ミイティアとメルディが泡に口を近づけていた。
危ない危ない。ちゃんと説明してから渡さないな。
「お兄ちゃん、これスゴイよ! クリームみたいでおいしそうよ!」
「食べられません。食べたらミイティアが泡で溶けちゃうよ」
ミイティアが固まる。
「嘘、嘘! でも本当に食べちゃダメだからね」
「う、うん……」
「マサユキ様。これはどういったことに使うものなのですか?」
「いい質問だ! これは汚れた食器を洗うのに使ったり、洗濯にも使える。体や髪も洗えるんだ」
「まあ! それはすごいですね! さすが『私のマサユキ様』です!」
メルディに褒められ、苦労が吹き飛ぶようだ。
ミイティアが変な顔をしている。
「メルディ? 私のマサユキ様。って何?」
あー……。
説明してなかったな。
どう言えばいいのだろう?
「マサユキ様とは、恋人としてお付き合いさせて頂いています」
「恋人? 結婚じゃないの?」
「そうです。まだ結婚してませんわ」
「お兄様! こんな可愛い私を放っておいて、メルディと恋人ってどういうことなの!?」
「あああ……」
言われるとは思ってたけど、説明に困る。
「ミイティア大丈夫ですわ。ミイティアも大きくなったら、お嫁さんにして貰えばいいのですわ」
「うーん……」
複雑な心境である。
メルディが気を利かせてフォローしてくれるのはありがたいが……。
このままだと本当に……何人も嫁が出来そうで怖い。
「そうね! お兄様! 私が大きくなったら私をお嫁様にしてね!」
「う、うん。頑張るよ……」
ミイティアは嬉しそうに泡塗れの腕で抱きついてくる。
そういえば、俺は泥だらけだ。
見ればミイティアの顔に泥が少し付いている。
「ミイティア、顔に泥がついてるよ」
「えっ?」
ごしごしと拭おうとする。
今度は顔が泡まみれとなる。
「ちょっと待って!」
目に泡が入りそうだ。
石鹸が目に入ると痛いんだよね。
「ミイティア動かないでね。石鹸の泡が目に入ると痛いからね」
メルディが手ぬぐいを渡してくれる。
それを少しだけ濡らし、丁寧に拭ってあげる。
「もう一度言うけど、石鹸は口や目に入れないように注意してね」
「うん」
「さあ、泡を水で洗い流してお昼にしましょ」
「そうね」
みんな珍しさと嬉しさで顔が綻んでいる。
これは早く湯船を作らねば。
◇
食事を終え、眠気と戦う時間である。
ミイティアは相変わらずのお昼寝モードに突入した。
台所では、食器の洗い物をするリーアさんとメルディーの嬉しそうな声が聞こえる。
やはり石鹸は、生活を劇的に変化させる怪物なのだろう。
石鹸を作った過去の偉人に感謝を。
俺は誰とも知れない偉人に手を合わせる。
さて、風呂場の設計に力を注ぐか。
設計図を取り出し、睨めっこを始める。
ウンウン唸っていると、ダエルさんが戻ってきた。
「おう、戻っていたか」
「おかえりなさい。どこかに行ってたんですか?」
「ああ、ゼアの所だ」
「ゼア? ……さん?」
「お前も会ったことがあるはずだぞ? 工房の長だ」
「もしかして、親方さんですか?」
「そうだ」
「親方」としか呼ばれてなかったから知らなかった。
イカツイ体に似合ったいい名前じゃないか。
「何かあったんですか?」
「いや、そろそろ魔獣がでる季節なんだ。見回りについて奴と相談してたわけよ」
「なるほど、魔獣ですか……」
「今回は連れてけないが、いずれ一緒に行こうか」
「はい。その時までにはしっかり鍛え直しておきます」
「うむ」
魔獣退治かぁ。楽しみだなぁ。
いやいや、そんなことだと大怪我をしそうだ。
安直に考えず、しっかり準備せねば。
「そういや、さっきゼアの奴がお前がどうしてるか聞いてきたな」
「俺ですか?」
「なんでも酒に酔った勢いで、無理だの。無茶だの。言い過ぎて、落ち込んでるんじゃないかってな」
「ああ……。それは的確な指摘だったので、むしろ良かったと思ってます」
「そうか。その紙に書いているのがソレなのか?」
「はい。親方さんに言われて自分なりに見直しているんですが、どうにも煮詰まってしまって」
「ほう……。ゼアに相談してみたらどうだ?」
「こんな中途半端な物を見せても、仕事の邪魔になりそうですよ?」
「マサユキ。お前また考え過ぎじゃないのか? 分からないことは分かる奴に聞く方が助けになるはずだ」
「……そうですね。今のままだと先に進めそうにありませんし……。分かりました。相談してみますね」
設計書の束を持ち、出掛けようとする。
思い出したかのように、石鹸を置いた棚に向かう。
「そうだ。ダエルさん」
「ああ」
「コレ、前に言ってた石鹸です。水浴びの時に濡らした布に擦りつけて、泡立ててから体を洗うと体の汚れが落ちやすいですよ」
「ほう、これが!」
「注意は、口と目には入れないようにしてください。もし入っても水で洗い流せば大丈夫です。さっきリーアさんにも説明して使って貰っているので、聞いて貰えば分かると思います」
「そうか。分かった」
「では、行ってきますね」
俺は設計書の束と石鹸をいくつか布に包み、工房に向かう。