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第11話 願いと想いの狭間

 雨粒が顔に容赦なく降り注ぐ。

 俺は大雨の中、荒い息をしながら一歩一歩ゆっくり歩いている。

 目線が安定せず、目の焦点も合わせにくい。


 俺の腕には……まだナイフが刺さったままだ。

 ナイフは小さな物だったが、歩く振動だけでも強烈な痛み放つ。

 血はまだ止まっていない。

 服は血だらけとなっている。

 ろくな止血もせず走り出したせいだろうか? 少し出血が多い。


「はやく止血しないと……」


 辺りを見回す。

 見覚えのある地形だ。


「適当に走っていたつもりが――クッ! ……もう少しだ」


 闇雲に走っていたつもりだったが、どうやら山小屋の近くに居たようだ。




 荒い息を洩らしながら、やっと山小屋に着いた。

 ドアを開け、中に入る。

 中には、大きな作業台と中央には石で囲っただけの焚き火場所。

 棚や壁には実験機材や薪など、必要最低限しか置かれていない。


「まずは……水だ」


 作業台の上には、今朝出掛ける時に持ってきた水筒があった。


「あとは、湯の用意だ」


 そのためには火の準備をしなくては。

 棚に纏めてある設計書を1枚取り、軽く丸めて焚き火場に置く。

 棚から木屑と枝、薪を近くに置く。

 火打石を持ち、激痛に耐えながら火打石を打つ。


 カッ! カッ!


 なかなか火が付かない。

 火打石を打つたびにナイフが揺れ、激痛が走る。


「ダメだ! ここで諦めたら……体が冷えきって最悪死ぬ」


 死の恐怖のような感覚が、腰辺りから胸に向かって押し上げてくる。

 再度試みる。


 カッ! カッ! カッ! カッ!


 やっと小さな火が紙に灯る。

 息をゆっくり吹き掛け、火を大きくし、素早く木屑を被せ、少しずつ強く息を吹き掛ける。

 段々頭が酸欠で朦朧もうろうとしてくる。


「ハァハァ……。もう少しだ」


 火が木屑に乗り移り、煙が強くなる。

 ジワジワと火は大きくなってくる。

 枝と細め薪をくべ、その上に太い薪を重ねるようにくべる。

 あとは自然に待てば、火は完全に燃え広がるはずだ。


 棚から桶を取り、小屋の外に向かう。

 外には大きな樽が置いてあり、屋根の水を溜められるようになっている。

 飲み水としてはあまり使いたくないが、お湯にして煮沸消毒するのに使う程度ならいいだろう。

 桶で水をすくい、中に戻る。

 雨水を鉄製の容器に移し、焚き火に掛ける。


 次は治療だ。

 壁に掛けてあった縄を取り、作業台に置く。


 ビッ! ビ、ビリリッ!


 右腕の裾を強引に剥ぎ取る。

 時折布がナイフに触れ、激痛が走る。


 裾を剥ぎ取り終わると、作業台に置いた縄を取る。

 右腕の付け根に左手と口を使って強く結び付ける。

 腕へ血流量を減らすためだ。

 水筒の水で傷口の血を軽く洗い流す。

 そして、注意深く傷口を観察する。


 ナイフは右腕の中央付近を外側から突き上げる形で刺さっている。

 骨にも達しているだろう。

 辛うじて指は動くから神経は切れてない。筋肉の断裂も少ないだろう。

 たまたまかもしれないが、運が良かった。

 腕の外側だけで済んでいるから、動脈や腱も損傷していない。

 出血は一見派手だが、太い血管と違って大量出血するわけではない。

 皮膚には血が多く集結してるから、出血量からいえば軽微だ。


 観察を終え、治療に入る。

 手ごろな大きさの木片を口に加え、ナイフに手を掛ける。


「フー……」


 ゆっくり呼吸を整える。

 ここで気を抜くと、死ぬことはないが止血前に意識が飛ぶ。

 抜き方次第では傷が悪化する。

 今回のように骨に達する傷の場合、ナイフを抜き取る作業は尋常ではない痛みを伴うからだ。


 緊張の一瞬である。

 意を決して、一気にナイフを――引き抜く!


「うぐううううぅぅぅぅ……」


 加えた木片をがっちり咥え、体を折り曲げ、低いうめきき声を上げる。

 血がボタボタと垂れ落ち、地面に赤い半纏はんてんが浮かび上がる。

 激痛に耐えながらも――水筒を手に取り、水で丹念に洗い流す。


 抜き取ったナイフを使い、剥ぎ取った裾を引き裂く。

 引き裂いた布は雨と血で汚れているが、気にせず少し強めに巻き付ける。

 右腕を心臓より高く持ち上げ、ゆっくり腕に縛り付けた縄を緩める。

 ジワジワと……布が赤く染まる。


 腕を心臓より高く上げるのは、人体のメカニズムとして腕への血流量を減らすためだ。

 出血を完全に止めないのは、血は傷を治す効力を持っているからである。

 もちろん、血がたくさんあれば良いという物ではない。

 傷口に血をとどめることで、初めて効力を発揮する。

 出血が止まるまではこうするのがいい。

 それより今一番の問題は、濡れた体が冷えてしまうことだ。


 切り裂いた布の残りを火に掛けている容器に入れる。

 これは代えの包帯として使う予定だ。

 完璧ではないが、最低限の治療は終えた。


 火の側にうずくまり、右腕をなるべく高い位置に保つ。

 あとは、出血が収まるまで耐えるだけだ。


「大丈夫、大丈夫……」


 そう何度も自分に言い聞かせる。



 ◇



 どれくらい経っただろうか? そろそろ夕方か?

 薪をくべながら思いふける。

 腕の出血は止まっている。


 焚き火に掛けていた煮沸消毒した布を取り、包帯を付け代える。

 血で汚れた包帯を適当に洗った後、容器に入れて煮沸消毒をする。


 服は火に当たり、少し乾いた。

 でもまだ湿っている。

 とりあえず全部脱ぎ、ロープを渡した簡易的な物干に服を干し、火で乾かす。

 壁に掛けられた作業用の皮エプロンを羽織り、作業台前の椅子を持ってきて……焚き火に当たる。


 やっと一息付けた……。


 冷静になったせいか、さっきまでのやり取りを思い出す。

 メルディはとても魅力的で、俺にとっては理想的とも言える女性だ。

 ……それは認める。

 だが、圧倒的な物量による誘惑が彼女への気持ちを邪魔してしまっている気がする。

 それに彼女の生い立ちが、あわれみの感情を呼び起こしてしまう。

 これはきっと気にすることじゃない。

 好きとか愛するという気持ちで打ち消される……はずだ。


 彼女は自分を使用人だと決めつけ、奴隷だと思い込んでいる。

 それに世界が狭過ぎる気がする。

 世の中には彼女のような身の上だとしても、気にせず受け入れてくれる男はいるはずだ。

 そういう男たちを見てもなお、俺に好意を抱いてくれるなら……俺の迷いも少なくなるだろう。

 彼女には、何にも縛られない幸せを掴んで欲しい。

 一人の女性として夫を愛し、幸せな家庭を築いてほしい。

 だから……転がり込んできた俺みたいなのに執着するのは間違っている気がしている。




 昔、道場に通って来ていた女の子がいた。

 年上の綺麗な女性だったけど、俺は好きだった。

 あれは初恋だったのだろう。


 学校には他にも可愛い子はたくさんいたけど、目に入らなかった。

 凛とする彼女を見ているだけで俺は幸せだった。

 メルディは、あの時の俺と同じ気持ちを持っている気がする。


 人を愛するというものは、女性関係がうまくいかなかった俺には良く分からない。

 弱い女性を護るという気持ちなのだろうか?

 いや、俺は年上のあの子とただ一緒に居られれば良いと思っていた。

 だから、違うだろう……。

 家族を養っていくことで自然に思えてくる気持ちだろうか?

 護るという意味では、ミイティアへの想いの方が強い気がする。

 だがあれは、兄妹として幼い妹を保護するという意味あいが強い。


 俺は……メルディが好きなのだろうか?

 ……分からない。


 ぼんやり焚き火を眺め、しばらく色々思いふけっていた。



 ◇



 外が暗くなってきた。

 腹は減っているがここには食べ物はない。


「さて、これからどうやって生きていくか……」


 今まではダエルさんの家でお世話になっていたから、衣食には困らなかった。

 だが、いざ一人になると心許ない。


 家にはもう戻れない。

 リーアさんの言ってることは本気でないにしても、メルディの側に居ると彼女のためにならない。

 ここには何もないが、仕事をしながら生きていくことは可能だろう。

 だが、メルディの俺への想いは断ち切れない。


 村を出て、旅をするしかないかもな……。


 みんなには俺を救ってくれたことや、身寄りのない俺を家族にしてくれた恩はある。

 だから、最低でも挨拶くらいはしなければ余計に心配されてダメだろう。

 メルディとミイティアの悲しむ顔が浮かぶ。


 路銀は石鹸を売れば、それなりの足しになるはずだ。

 まだ完成はしていないが、壺のまま持っていくか完成させてから旅に出てもいい。

 あとは麻袋に物を詰め込んで、ロープで縛って鞄にすればいいだろう。


 そうだなぁ……行くとすれば王都だろうか?

 名前だけは聞いていたが、折角だから城を見てみたい。

 活気ある街並み。重厚な門構え。全身鎧の騎士たち。

 きっと壮観なんだろうな……。

 もしかしたら、俺の腕を見込んで雇って貰えるかもしれない。

 そうでなくても、小さな家を借りて石鹸製作で生計を立ててもいいかもしれない。

 そんな妄想を巡らせていると……


 ドン! ドン! ドン!


 と、ドアを叩く音がする。

 誰だ? ここを知ってるのはアンバーさんと猟師の人くらいだ。


 ドアを開ける。

 そこには、ずぶ濡れのダエルさんがいた。


「…………」


 俺は声が出なかった。

 俯き無言になる。

 ダエルさんは問い掛ける。


「入ってもいいか?」

「……狭い所ですが……どうぞ」


 ダエルさんは小屋に入り、焚き火の前に座り込む。


「どうした? お前の小屋だろ? 座れよ」


 ダエルさんが俺の体を見ながら言う。


「なかなか男らしくなったな」


 はっ!

 裸だったのを思い出した。

 すぐに干してあったパンツを穿く。

 生乾きだが、ないよりいいだろう。

 ダエルさんはその姿を見てニヤついている。


 パンツだけ穿いて、俺も焚き火の前に座る。

 ダエルさんは焚き火に手をかざし、冷えた体を暖めている。


「マサユキ。とりあえず、家の方は大丈夫だ」

「…………」

「ここに来るまで大変だったぜ。リーアやメルディ、ミイティアまで大泣きしてやがったからな」


 ……なんとなく想像はつく。


「なんとか慰めて探しに行こうと思ったんだが、どこに行ったか分からなかった。とりあえずアンバーの所に行って、ここの場所を聞いて来たってわけだ」

「ご迷惑をお掛けして、申し訳ありません……」

「フフフ。お前、まだその流暢な言葉が治らないな」

「……ごめんなさい」


 ダエルさんは薪をくべる。


「なあ、お前はメルディが嫌いなのか?」

「それは違います!」


 少し大声になってしまった。


「じゃあ……なんだ?」

「メルディは俺の姉です。家族です。それに……俺には彼女を養えるものがありません」

「ふむ……。他にも理由わけはあるんだろ?」

「メルディを見ていると……昔の俺を思い出すんです。彼女からは俺しか見えてないと思うんです。視野を広げれば、彼女を愛してくれる男はたくさんいるはずです。たまたま転がり込んできた俺を好きになってしまう状況も、気持ちも分かります。……でも、彼女は自分が奴隷で使用人だと思い込んでいます! 世界を知ろうとしません! 彼女を受け入れ、愛してくれる存在は必ずいるはずなんです! そういう男たちと出会ってもなお俺を選ぶなら……俺は彼女を突き放す理由はありません」

「…………」

「俺は彼女の身の上を知りました。彼女の背負う物の大きさも分かりました。でも……俺は彼女を単なる性欲と憐みでしか見れない。正面から好きだと言えない。こんな不誠実な状態で彼女を受け入れられないんです。……俺の考えは考え過ぎでしょうか?」


 ダエルさんは真面目な顔で考え込む。


「……そうだな。考え過ぎだな」

「…………」

「前に、愛し合うことに理屈はいらねえ。と言ったのを覚えているか?」

「はい」

「お前は、大して好きでもない相手を愛せるか?」

「……どうでしょう? 愛するということが分かりません」

「簡単に分かるもんか! 俺だってリーアに出会うまでは良く分からなかった。あいつは気立てがいいからな。ほとんどあいつ任せだったぐらいだ。俺は仕事で金を稼ぐ。あいつは家を掃除しメシを作る。ただそれだけだな」

「…………」

一端いっぱしに家族を護るとは思っていたが……、ミイティアに出会ってから生活が一気に変わった。……秘密なんだが、ミイティアは俺たちの子じゃねえ」

「えっ?」

「俺も頑張っていたんだがなぁ……。子供に恵まれなくてよ。ミイティアと初めて出会ったのは……かなり昔の話だ。お前が寝ころんでいた草原くさっぱらで出会ったんだ。近くに人もいねえし、村の連中からも聞いたことがない。放ったらかして置いてもいいものじゃねえからよ。うちで面倒を見ることにしたんだ」


「リーアは何も言わずに世話をした。あいつは子供を欲しがっていたからな。嬉しかったんだろう。仕事そっちのけでミイティアをあやしていたよ。俺は子供が苦手だったが……ミイティアを見ていると気持ちが和むからよお。そんなのどうでもよくなった。……その後も親は現れなかった。だから今でもうちの娘として育てているんだ」


 ミイティアももそんな過去があったのか……。


「だからだ! 愛するってのは言葉じゃねえ! 結果だ! 一時の付き合いとするか。生涯共にするか。なんてのは、気持ち次第じゃねえのか?」


 その言葉を聞いて、固まってしまった。


 俺は……バカだった。大馬鹿だ!


 大切な人を愛することは、『護る』とか『恋愛感情』とかそう言うものじゃない。

 ずっと好きでいてもらう努力をすることなのだ。


 俺は……トコトンダメな男だ。

 そんな簡単なことに、どうして気付けなかったんだ……。

 ダエルさんが心を見透かしたような一言を言い放つ。


「納得したみたいだな? だが俺が来なかったら……うちに帰る踏ん切りがつかず、その内この村を出て行ったんじゃないか?」

「……はい」

「……今でもその気持ちは変わらないか?」

「今は違います。でも……まだあの家には帰れそうにありません」


 ダエルさんは焚き火を消し始める。


「ダエルさん何を?」

「帰るんだよ。お前も一緒にな」

「いや……」


 俺の言葉を遮るようにダエルさんは、


「お前は『帰りたくない』とは言ってない。『まだ』と言う。それはつまり『気持ち』の問題だ。俺が先に帰っても、お前はずっと帰れないままな気がするからな」


 俺は何も言えず、消火された焚き火を眺める。


「ほら着替えろ! どうせ外は雨だ。濡れてても大して変わらないぞ」


 渋々着替え始める。

 そしてダエルさんとともに小屋を出た。

 外は雨脚が弱まったとはいえ、まだ止みそうにない。

 憂鬱な気分のままダエルさんの後を追い、家に向かった。



 ◇



 家に着くと、リーアさんが玄関で待っていた。

 堂々と立ちはだかり、俺を見下ろす。


「マサユキ! 今さらどの面下げて帰ってきたつもりなんだい?」

「その……謝罪を……」

「お前はメルディが嫌いなのかい?」

「違います!」

「じゃあ、メルディと仲直りして、あの娘を娶ってあげるんだね?」

「それは……まだ分かりません」


 リーアさんは少し考え込んで、条件を突き付ける。


「なら、今夜はメルディと一緒に寝なさい。メルディはあなたが落ち込んでいた時、あの子なりに助けようと努力したでしょ? 今度はあなたの番よ」


 すごい条件だ……。

 だが、リーアさんの顔は真剣だ。

 

 難しく考えるのは止めよう。

 何ができるか分からないけど、メルディのためだ。


「分かりました」

「よし、入って良し! さあ、ご飯が出来ているわ。その前に着替えなきゃね」


 リーアさんは嬉しそうに台所に戻って行く。

 ダエルさんが頭をポンポン叩いて、何も言わずに家に入って行く。

 複雑な気持ちではあるが、家に入った。



 ◇



 食事を取り終え、ソファーに座って緊張の面持ちで暖炉の炎を眺める。

 リーアさんがコップを持ってきて、


「さあ、飲んで」


 なんだろう?

 一口「ごくりっ」と飲む。


 甘い!


 でもこれは……お酒だ。

 これはハチミツ酒、ミードだ。

 久しぶりに飲む酒の味だが、このタイミングで『コレ』を出してくるとは……リーアさんは思惑を隠すつもりがないらしい。

 だが、酒にでも酔わないと、この複雑な気持ちは紛れない気がする。


 一気に飲み干す。

 お酒は久しぶりだし、12歳の体では飲める量も限られているのだろうけど……既にちょっといい気分だ。

 本当は成人してから飲みたかった。

 酒は成長の妨げになるんだっけな?

 よく分からないけど、俺は脆弱だから体の成長が安定するまで控えたかった。

 リーアさんが俺の飲みっぷりを見て、酒瓶を抱えて持ってきた。


「コレ、全部飲まなきゃ駄目よ!」


 そう言って、ガンガン酒を注ぐ。

 俺も意地を張って飲み干す。

 気のせいか、アルコール度数が妙に高い。


 酒瓶は結構大きかったのだが、1本飲み干してしまった。

 なんかお腹がタプンタプンするし、いい感じに酔っている。

 こんな状態でメルディに謝罪なんて……誠実さの欠片もない。

 そんな苦い気分も酔いで拡散される。

 リーアさんに押されるように階段に連れてかれた。


「さあ、約束を果たしてきてね!」

「はぁ……」


 1歩1歩階段を登り始める。



 ◇



 メルディの部屋に着いた。

 ドアは……やっぱり重そうだ。


 緊張しながらもドアをノックする。

 寝てたらどうしようかな?

 約束だし、メルディの部屋にはいなきゃならないし……。

 酔いで頭の思考回路が少し変だ。


 ドアが内側から開く。

 メルディがあの時の薄い服を着ている。

 薄暗いが美しい体が透けて見えている。


「マサユキ様!」


 そういうと、メルディは泣き始めた。

 目元は真っ赤だった。泣いていたのかな?


「ご無事でございましたか? 腕は、腕は大丈夫ですか?」

「はい。この通り」


 包帯に巻かれた腕を見せつける。

 メルディは包帯をやさしく撫で、こちらを向くと頭を下げてくる。


「申し訳ございませんでした」

「いいーのです。これはメルディを護った男の勲章です。お宝です。あげませんよ」


 何を言ってるのだろう。

 頭で分かってるのに、口から出る言葉が変だ。


「ですが……」

「大丈夫。気にしないで。ゆっくりお話ししたいから部屋に入ってもいいかな?」

「何もございませんが、どうぞ」


 部屋に入る。

 部屋はカンテラが灯って、薄明かりが部屋を照らしているだけだ。

 部屋は女性の部屋としてはさっぱりしてて、物がない。

 ほとんど仕送りしてしまってるのだろうか?


「こちらにどうぞ」


 ベットの上に案内される。

 メルディは椅子を持ってきて座る。


「メルディこっちへ。俺がそっちにいくよ」

「お断り致します」

「じゃ、こっちに座ってよ」


 渋々しながらも、少し嬉しそうにメルディは隣に座る。


「メルディ。俺はやっぱり……最低な男だったよ。メルディの話を聞いて、とても辛い目にあったことも。俺への気持ちも。……俺はあの時、全部撥ね退けてしまった。俺はダメな男だよ」

「そのようなことはありません。あなた様は私のことを考えて『ああ』言ったのでしょ? それに腕を犠牲にしてまで助けてくださいました。……それから、あの時の言葉が今の私を支えてくれています。これだけのことができるお方なのです。自信をお持ちください」

「なんか……俺が励まされてるね。今夜はメルディを慰めるために来たのに」


 メルディの顔が赤くなる。


「メルディ、外の世界に興味はないの?」

「興味でございますか?」

「世の中にはいっぱいいい男がいるよ。俺なんて力も金も何もないから……。そういう人たちを見てほしいんだ」

「もしかして……。私を世間知らずの箱入りお嬢様とご一緒にされています?」

「似た……状況かな? とは思ってる」

「やっぱり! 私はここに来てから行商の方や、工房の方々とお話ししたことくらいはあります。小さかったとはいえ、孤児院にいた時は街によく出掛けて街の人や兵士たちとも話したことがあります。奴隷となってからは馬車の移動ばかりでしたが、大人の男性とは会っているのです。見くびらないでください」

「う、うん……。俺から見れば、メルディが家族以外の人と交流してるのを見たことがなかったんだよ。……そう思うのも自然でしょ?」

「つまり……マサユキ様は私が『男性の見る目がない』と仰りたいのですね?」

「そう……かな?」

「ふぅ……。マサユキ様ほど素晴らしい男性に出会ったのは初めてでございます。ですから、認識をお改めください」

「……失礼致しました」


 思ってもいなかった答えにビックリしつつも、できるだけの誠意を込めて頭を下げる。

 ただ、酔ってしまっているのでできているのかは分からない。


「頭を上げてください。その様子ですと、マサユキ様の女性経験は豊富なようですね?」


 ギクリッ!


「でなければ、この前の夜這にも説明がつきませんもの」

「……そ、そう。俺は昔モテまくりだったんだよ」

「嘘でございますね?」


 やっぱりバレる。


「深くは追求致しません。隠し事の1つや2つ、男性なら持ち合わせていて当然でございますからね」

「……メルディには敵わないなぁ」

「そうでもありませんわ。私はこういう性格ですので大抵の方は話について行けず、しどろもどろになって話を諦めてしまいます。……でも、マサユキ様は簡単には弱みを見せません。話の先の先を読んで話されていますし、話の切り替えも上手いと思います。ですから、私もお話を聞いているだけでいつも感心し、私もなるべく考えて話すようにしています」

「だから、心を見透かしたような台詞せりふが出てくるんだね」

「マサユキ様ほどではございません」

「……ハハハハ! メルディはどう見分けてるの?」

「女の秘密でございます。フフフ」


 メルディの表情が和らいできた。

 あんな別れ方をした後だというのに……。

 彼女の元々持ち合わせている気丈さなのだろうか?


「メルディ。……俺はいつかこの村を出て、世界を旅してみたいと思っているんだ」

「世界を、ですか?」

「うん。俺はこの世界をまったく知らない。魔法という存在さえ初めて聞いた。どんなものなのか興味があるんだ」

「魔法を見るために世界を旅されるのですか?」

「うーん、それだけじゃないかもね。ここは自然が多く水も綺麗だ。こういう場所で平和に暮らすのもいいのだけど、なんていうか……夢を大きく持ちたいんだ」

「どんな夢でございますか?」

「そうだなぁ……。大きな屋敷にたくさんのメイドを雇って、欲望の限りを尽くすとか?」

「私もメイドとして雇って頂けますか?」

「そうだなぁ。メイドたちといやらしいことばかりしてると思うけど、大丈夫なの?」

「私は構いません。マサユキ様と一緒に居られるなら」


 彼女の顔は赤いが、少しだけ困った表情をしている。


「それ、嘘だね?」

「そ、そんなことはございません。……ですが、どうしてそう思われるのですか?」

「男の秘密です」


 俺たちは笑い合った。

 久しぶりに仲の良い関係に戻れた気がする。


「メルディ。この際だからハッキリ言っておくけど……」

「はい」


 メルディの表情が固い。


「ああ大丈夫。引き離すとか、考えを押し付ける……いや、押し付けるかもしれないけど。今までみたいに酷いことにはならない話をしたいんだが……」

「はい。もう2度も同じことがございましたから、3度4度あっても私は大丈夫です」

「そう言われると……また落ち込んじゃうよ」

「ふふふ。マサユキ様はそういったご冗談がお好きですよね」

「んーっと……今すぐ結婚……」

「結婚!」


 話を遮るようにメルディが反応する。

 反応早過ぎだよ……。


「いや、落ち付いてね。俺はメルディと一緒になるのも悪くないかなとは思ってるんだけど、できれば恋人としてお付き合いをした上で決めたいと思っているんだ」

「恋人というのは、許嫁いいなずけや婚約という意味でございますか?」


 目をランランとさせながら聞いてくる。


「そうだなぁ……。俺の中の普通では、好きになった人が愛の告白をして承諾されたら恋人になります。恋人は、お互いのことをよく知るために親密な関係になるって意味かな? それでお互いの気持ちが一致して結婚することを決めて、ご両親から承諾を得られたら婚約かな? その後に正式な結婚式をやって結婚って形になるはずだよ」

「その考えですと、私は恋人以前でございますね。……結婚までは遠いように感じます」

「ちなみにこの世界での結婚って、どういう風に行われるの?」

「そうですわねぇ……。貴族様でしたら、ご両親様同士でお決めになるようです。自由に好きになった方と結ばれるのは希だと聞いています。庶民になりますと、愛を告白し受け入れられたら婚約で、ご両親の承諾は事後承諾の場合が多いと思います。婚約と結婚はほぼ同じ意味でございますので、愛を受け入れられたら大抵結婚となります」

「なるほど。俺はしないと思うけど、離婚ってあるの?」

「離婚はございますが、自ら望んで離婚される方は少ないと思います。生活基盤が失われてしまいますし、悪い噂話などでなかなか再婚しにくいようです。奴隷として売られてしまう方も多いと聞きます」

「旦那が亡くなってしまったりして、未亡人のなった人はどうなるの?」

「その場合は離婚とは違って事情が説明しやすいので、子供がいましても相手さえ良ければ再婚されると聞いています」

「ふーむ……。どうりで俺の話がメルディに通じないわけだ」

「私も同感でございます。マサユキ様が何故あのように断わられたのか、やっと理解できました」


 メルディが起き上がり、水差しからコップに水を注ぎ、俺に手渡す。


「ありがとう。やっぱりメルディは気が利くね」

「当然でございます。私はマサユキ様のしたいこと、されたいことは理解できるように注意を払っていますので」


 したいこと、されたいこと……妄想を巡らせる。


「マサユキ様、ではこちらに」


 布団を整え始める。


「あーいや、まだ恋人になったわけでもないのに……それは」

「では、私と恋人になって頂けませんか?」


 目が真剣で、潤むような瞳を向けて擦り寄ってくる。


「またメルディを泣かせてしまうかもしれないよ?」

「構いません」

「将来、いっぱい女の子といやらしいことしちゃうかもしれませんよ?」

「構いません」

「人をいっぱい殺す悪の帝王になってしまうかもしれないよ?」

「フフフ。構いませんわ」

「何を言っても「構いません」で返されちゃうから、逆に困惑するんだよね」

「マサユキ様はご納得されないと先に進めない方ですよね。でしたら……私をもてあそぶだけ弄び、奴隷のように働かせ、他の若い女の子と遊び呆け、年増になったらボロ雑巾のように棄てて、すがる私を鋭い剣で刺し殺しても構いませんわ」

「……メルディは意地悪だな。でも、確かにその可能性はあると思うよ。俺、大分変わり者だし」

「構いませんわ。あなた様と一緒に居られるこの瞬間のためだけであっても、命だって懸けて見せます」

「命は懸けないでね。どんな状況であっても生き延びてくれるのが俺にとっての幸せだから。だから……」


 俺は考える。


「俺の身代わりになるような真似をするな、と言いたいのだが……。

 メルディの性格を考えると約束しても破りそうで怖い」


「分かっていますわ。「身代わりになるような真似をするな」とでも仰りたいのですね」

「……よ、よく分かったね? メルディは心を読む超能力者かい?」

「普通の庶民でございますよ。それに独り言を言ってましたわ」

「えっ?」

「ですが、私を身代わりにしてでも生き残って欲しいです」

「絶対にダメ! 納得のいかない死に方をしたら、俺は生涯それを負い目に生きていかなきゃならない。俺が死ぬなと言った手前、俺は自ら命を絶つことはしないようにはするけど、危険なことはしないで欲しい。いざとなったら、片腕を失ってもメルディの元に行くよ」


 やっぱりメルディは賢い人だ。

 俺の意図を正確に把握している。

 とても嬉しそうな顔をしている。


「メルディ。俺は君のことをもっとよく知りたい。お付き合いをする中で君を怒らせたり、不都合なこともすると思う。できるだけ相談はするけど……。不満や意見があれば必ず相談してくれるかい? これは対等な関係を保つ意味でのお願いだ」

「はい。私もマサユキ様の手となり足となり微力ながらお助け致します。私は強情っ張りなところがございますが……。できる限りお伝えするように努力致します」

「メルディ……。俺と付き合ってくれるかな?」

「はい。喜んで」


 口づけを交わし、ベットに倒れ込んだ。


 彼女を抱きしめ、胸元に顔を寄せ匂いを嗅ぐ。

 干し草のような香ばしさ、花のような甘い香り、そして彼女のほのかな汗の匂い。

 あの時と同じ匂いだ。

 あの時と違って、とても安心する……。


 メルディが優しく俺の髪を撫でる。

 とても気持ちいい。なんだか眠く……。


 俺の意識は、段々遠退き、眠りにいざなわれていく。


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