第115話 白い巨煙
「どうしたと言うのだ!?」
「ハッ! それがこの者が言うには「全軍を止めろ」との事です。この期に及んで何事かと思いますが……」
「それはいい。どうして全軍を止めねばならぬのだ?」
黒フードの者は兵士を押し退け侯爵閣下の元に来ると、静かに説明し始めた。
「主からの命です。「まもなく仕上げに入る。巻き込まれぬよう近づくな」との仰せです」
「ふむ……それはどういう意味なのだ? まさか魔人を葬ったとでも言うのか?」
「それは我らにも分かり兼ねます。ただ一つ言えるのは、ご覧になれば納得せざる得ない。っといった所でしょうか」
「貴様! 何を意味の分からん事を……」
黒フードの者のよく分からない話に兵士が掴み掛かった。
だが……状況が一変する。
森がざわめくような……地響きのような……直感としか言いようのない何かが遥か迫って来るのが感じ取れる。
――ギャ、ギャギャ!
突然、森から動物たちが飛び出してきた。
人の存在さえ無視し、まるで何かから逃げるように雄叫びを挙げながら駆け抜けていく……。
黒フードの者のは叫ぶ!
「来ます!! 陣形を整え備えるのです!!」
「……何が起きているか分からんが、全軍停止!! 直ちに防御陣を築け!!」
号令で兵士たちは一斉に動き出した。
用意していた土嚢を壁として積み上げ、最前列に頑丈な大盾を備えた装甲兵を並べる。
弓兵や魔術師は後列に配し、盾や土嚢に身を隠すようにして衝撃に備える。
すべての準備が終わった頃、それは……一気に襲ってきた!
――ゴ、ゴゴ……ゴゴゴゴゴゴゴ!!
一瞬瞬き程の閃光が走ると……地響きと轟音が駆け抜け、少し遅れて突風が横殴りに吹き付ける!
草木は薙ぎ倒され、石や折れた枝、砂、水滴などが突風に煽られ吹き飛んでくる!
大盾に石や枝などがガンガンと大きな音を立ててぶつかり、兵士たちの悲鳴が響く!
……風の勢いが収まってきた。
少しシトシトと小雨が降っている……。
土煙と木の焦げた臭い。高い湿気の湿った水気の臭いにドロの臭い。
それらは濁った空気となり、辺りに漂っている……。
恐る恐る前方を伺うと……そこから広がる光景に息を呑んだ。
ありとあらゆる物が薙ぎ倒され、大地は抉られたかのように荒れ果てている。
空を見上げると、雲が吹き飛ばされ、隙間から覗かせる青空がまるで空が裂けるかのようである。
そしてその中心には……一際目立つ「巨大な柱」が聳えていた。
それはモウモウと天高く立ち昇る「白い巨大な煙」。
そう、煙は「白い」のだ。
通常木材などを燃やせば黒い煙が立ち昇る。
だが、目の前に見える煙は「白い」のだ。
およそ人が扱う煙の量でもなく、山火事といった類の煙でもない。
理屈にも経験則にも当てはまらぬ「異質」としか言いようのない光景……。
「何が……何が起きた? ……おい!? お前たち説明し……」
事情を聞こうと黒フードの者たちを探すが、その姿は忽然と消えていた。
まるで、突風と一緒に吹き飛ばされてしまったかのように……。
「探せ!! 奴らを探せ!!」
慌てて出された捜索の指示を侯爵閣下が止める。
「待て!!」
「ですが閣下!?」
「良い! 奴らは仕事を全うしたのだろう! ゆえに捜索も追跡も不要だ!」
「ハッ!」
「念のため偵察隊を組織しろ! 状況が確認でき次第、我らは帰還する!」
侯爵閣下の号令で兵士たちは動き出した。
一段落着くと、土埃を払い落とすケリーヌの元へ向かう。
「ケリーヌ怪我はないか?」
「はい」
「そうか……。ケリーヌ、あれは何が起きたのか分からないか?」
「いえ。ですが……」
「何か思い当たるのか?」
ケリーヌには心当たりがあった。
それは、ヴァルカンが乗っていたボード。
あの発想を実現できる技術があれば、この状況を作り出せる「何か」作り出せるのではないかと……。
だが、あのボードは秘密であり、ヴァルカンとの約束を反故にしてしまうため言い出せずにいた。
「……いえ。何でもありません。私は怪我をした者の治療を手伝って参ります」
「分かった。事態は収束に向かっていると思われるが……気を緩めるでないぞ」
「はい」
ケリーヌはその場を逃げ出すかのように駈け出す。
侯爵閣下はケリーヌの後ろ姿をしばらく見ていたが、再び白い煙の柱へと目を向けた。
「それにしてもあの力は……」
侯爵閣下は畏怖していた。
魔人を葬っただろうあの強大な力に……。
それだけでも十分畏怖に値する力ではあったが、腕の立つ独自の私兵を持ち、噂ではバリスデン伯爵までも丸め込む知略を兼ね備える、「鵺」という人物に畏怖していた。
「まるで……国家などいつでも落とせると主張するかのような……」
何かを悟ったのか、侯爵閣下は踵を返す。
「直ちに隊長格を招集せよ!! 最優先だ!! ……我らに時間は残されているのだろうか……」
◇
「ふぅ……一体いつまでこんな事が続くんだろ……」
「何だゲルト? お前ジジ臭えな?」
「いやだって、まるでイタチごっこだよ? どう考えてもおかしいでしょ?」
「グダグダ言ってても仕方ねえだろ。……ガルアさんはどう思います?」
ガルアはオルドの呼び掛けに反応しない。
目を閉じ、静かに座り込んでいる。
ここは荷馬車の中。
作戦依頼を完遂し、帰投中である。
ガルアらがこの状況にあるのは、「ある事情」が問題となったためである。
ガルアたちはミゼル隊長が移送できるようになると、特別自治領に戻っていた。
心配していたメルディの安否が確認できたものの、聞き捨てならない報告が入る。
マサユキ……いや、
「鵺が村々を襲っている」と。
先の件で鵺に対し不信感を募らせていたガルアは動いた。
報告に挙がっていた襲撃地点に向かい、問題解決と情報収集をする。
日増しに報告は増え、報告の度に出撃する。
そんな事を繰り返していた。
だが、どこに向かっても鵺の姿はなく、捉えた野盗の話は一律して「鵺の指示」と言うばかりである。
特別自治領に駐留する教会の者たちも「それが理由」で異端審問を命令されており、姿を消したマサユキの動向と増え続ける犯罪に不信感を募らせていた。
「……アイツじゃねえ」
「俺もそう思うんです。教会ら……日増しに増長しやがって……」
「黒い鎧に覆面。そして黒い髪……。黒い髪はここらじゃ珍しいですけど、無い訳じゃないんですけどね。なぜ鵺と名乗ってるのかが分かりません」
「本人をとっ捕まえるしかねえな。もしくは証拠を掴まねえと」
「……証拠はある」
「何か掴んでいたんですか? ガルアさん」
「アイツは……誰よりも注意深く慎重に事を進める奴だ。足が付く段階で別人だ」
「それだと説得力に掛けませんか?」
「お前らもアイツらみたいに言うようになったな……」
「一緒ではありません! 僕らだって――」
「じゃあ何で、アイツは俺たちに何も言わない!? 何で……アイツはこの件に何も手を打たないんだ……」
ガルアのストレスは限界に来ていた。
特領府の者たちや教会の者たちに鵺の事が濡れ衣である事を説明しようにも、無実を証明する証拠はない。
話せない事が多いため、表立って擁護する事もできない。
だが、状況は無情にも進む。
鵺の名を使った犯罪は絶えず、悪い噂ばかりが飛び交い、確定的なまでに鵺を犯罪者にする動きは止められない。
ならば、本人に確かめる他ないと行動を起こした。
鵺の名を語っているのなら、鵺はそれを黙っていないはず。
現場に行けば、どこかで遭遇できるかもしれない。
だが、鵺はどの現場にも現れない。
諦めず次の現場、次の現場と向かうが……やはり現れない。
もう鵺はこの問題を放置しているとしか取れない。
定期的に届いていた手紙も途絶え、鈴蘭に依頼するも一切情報が出てこない。
まるで……自分らは部外者だと言うかのような、見捨てたかのような……。
――突然強い風が巻き起こり、荷馬車が大きく揺れる。
馬たちが騒ぎ荷馬車が止まると、今度は兵士たちが騒ぎ始めた。
「な、何だ……アレは……」
「いや……見た事もない現象だ……」
異変にガルアは荷馬車から顔を出すと、遠くに「白い巨大な煙」が上がっているのが見える。
明らかに自然現象ではない煙を見て、ガルアは御者台にいた兵士に掴み掛かった。
「すぐに馬を回せ!!」
「ど、どうされたのです? 回せって……」
「煙だ!! すぐに方向を変えろ!!」
「で、ですが、特領府に報告をせねば……」
「クッ!」
ガルアは荷馬車を飛び降りた。
そして、白い煙の立ち昇る方向へと駆け出す。
「ガ、ガルア殿!? 報告はどうされるのです!?」
ガルアは兵士の呼び掛けを無視し、どんどん遠くへ行く。
オルドも荷馬車を飛び降り、次いでゲルトも飛び降りようとした時、御者の兵士はゲルトを掴む。
「ま、待て!! お前たちまでどうしたと言うのだ!?」
「報告はお任せします! 僕らはガルアさんを追います! 何かあるかもしれませんので警戒を緩めないでください!」
「……分かった! 我々も報告を終えたらすぐに向かう! それまでガルア殿を頼む!」
ゲルトは無言で頷くと荷馬車を降りた。
そして、ガルアの後を追って駈け出した……。
次回、水曜日2015/9/30/7:00です。
9/30/7:23
申し訳ありません。116話は急遽休載しました。
次話の予定は未定ですが、書き上がればUPします。