第114話 ソーマの毒
「お主、ソーマは知っておるかの?」
「「神酒」の事でしょうか? ですが、詳しくまでは……」
「ソーマは言ってしまえば、「毒」じゃ」
「毒?」
「うむ。毒は調子を崩す物から死に至る物まで様々じゃが、その毒性を活かし調合した物がソーマなのじゃ」
「特別な能力を備えた薬ではないのですか?」
「能力も様々じゃ。筋力増強、体力増強、知覚領域の拡大、精神負荷の軽減。……じゃが、基は毒じゃ。効果が強ければ毒も強い。強過ぎる毒はそれだけ強い反動が生じ、ああいった症状となって現れるのじゃ」
「ドーピング……ですか……」
ドーピングとは、薬物などによって運動能力を向上させる方法である。
筋肉増強などに用いられるプロテインもこれに該当するが、それは人体への影響を考慮して作られた物である。
だが、神酒にはそういった配慮がないと考えるべきだろう。
「強力な力と引き換えに命を削る薬」といったところか……。
「皆ソーマを服用しているのでしょうか?」
「大抵の者はそうじゃな」
「では老師も?」
「ワシは使うておらんの。……お主は何か勘ぐり違いをしておるようじゃが、ソーマはそこまで危険な物ではないぞ? サルビアの症状も直に収まるぞ」
「ではソー……」
鵺は途中で言葉を止めた。
ソーマについて聞きたかったが、事態の収束が先決だと考えたからだ。
「老婆様。この場は私が預からせて頂きますが、宜しいでしょうか?」
老婆は無言で頷いた。
次は、未だ不格好体勢のままのレックスに顔を向ける。
「レックスさん。貴方方の希望は「自由」のようですが、ここは私に従って頂けないでしょうか?」
「……無理じゃねえか? 今更戻っても足並みを崩すだけだろ?」
「なるほど……。では、私の元に来ませんか?」
「お前の? ……あんま変わらねえ気もするけどな?」
「気乗りしないなら脱退して頂いても構いません。その際、我々は「貴方方の自由を獲得する」手伝いを致します」
「手伝いってのは何だ?」
「そうですね……。まずは知識です。外の世界について学んで頂きます。それと、外の世界で生きるには「金」という概念が必要です。金を稼ぎ、どう身を守っていくか。それをお教え致します」
「……で、代償は何だ?」
「竜についての知識……。貴方方が「倒し損ねた竜」についての情報を」
「マジかよ……。アレと殺り合おうってのか?」
「放っておいても脅威となる。なら、知っておく必要はあります」
「ハッ? バカも大概にしとけ! アレは……そういう次元の奴じゃねぇ……」
「判断は私が致します。ひとまず、この場は私にお任せ頂けませんでしょうか?」
「……まぁいいだろ。お前らもいいか?」
レックスの呼び掛けはナトレアたちに向けられた物だったが、彼女たちは意外にも素直に従った。
彼女たち……いや、彼女たちだ。
レックスの部隊はレックスを除いて、全員が女性だった。
それも何か不思議な雰囲気の女性ばかり……。
病弱そうな者。片目に眼帯を付ける者。皮膚の一部が鱗のような変化している者。
他の屈強な赤槍たちと比較すると明らかにひ弱に見えてしまい、どう見ても、赤槍が誇る「最強の第一部隊」という感じはしない……。
「アレを甘く見るでないぞ?」
「老師? ……それは心得ています。実力の有無で秤に掛けるつもりはありません」
「なら良いがの。一つ忠告じゃ……絶対に触れるな」
「触れるな? どういう意味でしょうか?」
「言葉のままじゃ。今は分からんでも構わん。触れるな!」
老師の言ってる事は分からない。
だが、忠告として受け入れる他ないだろう。
とにかく場は収束した。
「老師。一つ確認なのですが……」
「うむ」
「「姿を見たら殺す」という掟は当面凍結という事で良いでしょうか?」
「そうじゃな。そう考えてよいじゃろ」
「では、さっそく一人紹介したいのですが……」
周りを見渡すが、特にそれといった人物は見当たらない。
「……どこにおるのじゃ?」
「いますよ」
そう言い、鵺は人差し指を上に向けた。
一瞬何を示しているのか分からなかったが、「上」それは空を意味していた。
目を上へと向けると……上空に小さな黒い点が見える。
「むぅ? 何じゃアレは……」
鵺は上空に向かって叫ぶ!
「ヴァルカーーン!!」
ヴァルカンは鵺の叫びに気付くと、一呼吸置いて……急降下してきた。
地上にぶつかると思った瞬間、ボードの火力を全開にし、逆噴射の要領で勢いを殺して優雅に着地した。
「気付いてやがったか……」
「もちろんです。随分前から様子を伺ってましたよね?」
「お前のそういう所はさすがだと思うけどよ……何か睨まれてるぜ?」
ヴァルカンに対する不信の目だ。
掟が一時凍結されてるとはいえ、突然の状況に警戒するのも仕方ないだろう。
「失礼しました。彼はヴァルカン。大魔術師エルニフィール様の弟子で、私の……右足でしょうか?」
「そこは右腕でいいんじゃねえか?」
「うーん……ミイシャか狼が右腕としたら、足かなぁと?」
「……あのなぁ?」
「ま、私の背中を任せられる頼れる男です。どうぞお見知り置きを」
警戒は解かれたが、俺たちに対する目は変わらない。
まぁ……すぐに馴染まれても変なので、今は気にしない方が良いだろう。
「うむ。ワシはオルサスじゃ。一応族長をやっておる。老婆は妻のオリビアじゃ」
「ご紹介ありがとうございます。……まさかと思いますが、サルビアさんは老師たちのご息女様だったりされるのですか?」
「ホッホッホ! 孫じゃ! 婆さん似の美人じゃろ?」
「コラ爺さん! 余計な事を言うんでないよ!」
「ナニを照れておるのじゃ? ワシは可愛い孫娘の自慢をしとるだけじゃぞ? 婆さんも昔はサルビアのように美しかった。凛とした一輪の花のようじゃったわい。これがなかなかモテてのぉ。やっとの事で――」
「だから……それが余計な事なんだよ!!」
鵺は夫婦喧嘩に発展しまいと話に割り込むが……
「はいはい。お二方が未だ熱愛中なのは分かりましたから――」
「誰がだい!」
「ホッホッホッホ!」
二人の貫禄に完全に負けた。
「でよ、今はどういう状況なんだ?」
「敵ではありません。ですが、仲間でもありません」
「……交渉中って所か?」
「正確には「交渉前」ですね」
「分かった。次はどうする?」
「里への侵攻作戦はどうなっています?」
「まだ報告を貰ってねえが、そろそろ到着するはずだぜ?」
周りからの殺気が一層強くなった。
おそらくは「里への侵攻」についてだろうが、誤解を招かないよう慎重に対応しなければ……。
「どういう事か説明して貰えるかい? 事によっては――」
「大丈夫ですよ。もうその必要がなくなりましたので」
「……誤魔化すつもりかい?」
「いえ。今だから言える事なのですが、厳格な掟を持つ貴方方を簡単に落とせるとは思っていませんでした。状況はどう転ぶか分からない。だからこそ、「里の安否」を交渉材料にしてでも止めるつもりでした。こんな事をしておいて言うのもなんですが……殺し合いは極力避けたいのです。そのためなら、私は如何なる手段も厭わぬ覚悟なのです」
「豪胆でありながら強かな小僧だね……。里には手を出さないでくれるんだね?」
「お約束致します。念の為、里には伝令を送った方が良いでしょう。我々にその気がなくても衝突する可能性がありますので」
老婆オリビアの指示で使いが出された。
あと残るは……
「では、後始末をしましょうか」
「まだ何かあるのかの?」
「我々は魔人を止めに来ました。周辺領地もこの事で厳戒態勢となっており、魔人対策に大部隊が動いています。既に問題は解決し誤報だと分かっていますが、説明するには事情が入り組み過ぎています。それを隠し納得させるには、少し工夫が必要なのです」
「隠蔽工作という事じゃな?」
「はい」
「元はワシらの問題じゃ。どうすればいいかの?」
「いえ。ここを移動するだけで結構です。時間もありませんので移動を始めましょうか」
◇
所変わって侯爵領。
討伐軍を編成し、防衛予定地へと移動していた。
兵士たちはこんな話をしている。
「なあ? 魔人ってどんな奴なんだ?」
「さあな?」
「分からねえけど、俺たちなんて一瞬で消し炭なんじゃないのか?」
「んーなの知らねえよ! 誰かが止めなきゃならねえだけだ……」
「それはそうだけどよ……」
「俺たちが止めなきゃ街の家族が死ぬ! 受け取る物は受け取ったんだ! 今更グダグダ言ってもしかたねえだろ?」
「だけどよ……」
「お前等うるさいぞ! 私語は慎め!」
兵士たちが不安を口にし、恐怖に慄くのも仕方がない。
これから相手にしようというのは、暴の化身である「魔人」なのだから。
言うなれば、死地に向かうと同義である。
これに恐怖しない者は、誰一人いないだろう。
不安と恐怖が漂う中、侯爵閣下は隣の馬に乗っているケリーヌを気遣う。
「ケリーヌ、大丈夫か?」
「はい。お父様」
「無理に嘘を申すでない。私とて恐怖しているのだ。まだ遅くはない。城へ戻りなさい」
「いいえお父様。私はこの戦いの結末を見届けねばなりません。それに……必勝を誓ったのです。ここで負けては次はありません」
「……まあ良い。して、あの者たちは信用なるのか? 確か、鵺という者の部下だったな?」
鵺の団員たちは侯爵軍と平行するように移動していた。
皆黒いマントに黒いフードを被り、無言で移動を続けている。
時折鉄製の板切れに話し掛けているが、何を話しているかまでは聞き取れない。
ただ言えるのは……不審。
只ならぬ雰囲気を放ち、この状況に恐怖の片鱗すら見せないからだ。
「はい、それは間違いありません。私たちは捕えられましたが、誰一人として私たちを辱める事はしませんでした。鵺様の優れた統率力には疑いの余地は無いものと存じます」
「……ケリーヌは変わったな。以前より凛々しくなった。まるで母ミレーヌのように…………まさか想い人でも出来たのか?」
「そ、そんな事は……」
「何を赤らめて……ふはっ! 待て待て待て!! 何だその反応は!? ま、まさか! 鵺という輩なのか!?」
「ち、違います!! あの方は対象外です!!」
「では誰だと言うのだ!? 私の目が黒い内は――」
「お父様!!」
侯爵閣下は親バカ丸出しである。
侯爵閣下の意外な一面に周りからは失笑が巻き起こるが、そんな緩んだ雰囲気は「次の一言」で掻き消される事になる。
「止まれ!! 迂闊に近づくな!!」
声の方に目を向けると、黒いフードを被った鵺の部下が近くまで詰め寄っていた。
次回、水曜日2015/9/23/7時です。