第10話 雨はいずれ晴れる
今日も外は雨である。
雨が降り出してから……もう何日目だろうか?
聞いた話に寄ると、この季節は毎年大雨続きだそうだ。
日本でいうところの梅雨にも近いが、連続して続くスコールに近い。
小川は濁流となって数倍の大きさになっている。
轟々と鳴り響く水音を聞いていると……川が決壊しそうで怖い。
まだ大丈夫らしいが……身近に死の恐怖を感じると、そうも言ってられない。
その内、土木作業の手伝いに声を掛けられるかもしれない。
俺は今、グリグリと壺の中身を掻き回している。
中身は石鹸だ。
まだゲル状だが、比較的うまく行っている気がする。
ここまで来るのには苦労した。
専用の機材はない。
原材料は簡単に用意できない。
頼れる書物や有識者は存在しない。
やれどもやれども一向に固まらない。
無い無い尽くしのゼロスタートで始め、やっとここまで辿りついた感じだ。
製法に詳しいのは、『特殊条件下での石鹸製作』という論文を書いたことがあるからだ。
既存の簡単な方法ではなく、特殊な機材を使わず石鹸を作ることができるかという検証である。
論文はボツとなったが……まさか役立つ日がくるとは思ってもいなかった。
簡単に石鹸を作るには『重曹』が必要になる。
重曹で作った石鹸は洗浄力がイマイチだが、お手軽に作れるのがメリットだ。
そこでダエルさんに頼んで、『炭酸の原材料の入手』をお願いをしたのだ。
しかし、予想通り……天然の炭酸水だった。
炭酸水から重曹の精製は現実的ではない。
作れないという意味ではない。効率が悪過ぎるという意味だ。
重曹は、特殊な機材さえあれば生成可能である。
ただ、この世界では手に入らないだろうし……お金が掛かる。
そこで、本格的な石鹸製作とはなるが特殊な機材を必要としない『苛性ソーダ』を作ることにしたのだ。
苛性ソーダの生成には、ガラスの原材料と石灰を使う。
ただし、『命に関わるほど危険』である。
苛性ソーダは劇薬指定の薬物であり、飲むのは当然として吸引するだけでも危険だ。
使い方を誤れば……最悪死に至る……。
そして、『苛性ソーダとおぼしき物』が出来た。
ただ、これはそのままでは使えない。
石灰がかなりの割合含まれ、純度が低いからだ。
純度を上げるため、ある特殊な抽出法を使う。
だが、これは秘密だ! ニヒ!
化学を理解してないと、思いつきもしない発想だとだけ言っておこう。
危険はまだ続く。
配合にも気を使わねばならない。
苛性ソーダは分量を間違えると『過剰な化学反応』を起こすからだ。
無色無臭の有毒ガスを発生し、大量に吸引したり目に入れたりすると『呼吸不全』や『失明』してしまう。
直接手で触ろうものなら……皮膚を侵食し、骨まで溶かし続け、適切な処置ができなければ患部を切断する他ない。
よく言う『塩素系と硫黄系の洗剤は混ぜてはいけません』ってやつとは、次元が違う危険性があるのだ。
そんな訳で……俺は完全防備の上、完全隔離した『この場所』にいる。
ここは家とは離れた場所にある、『山小屋』だ。
元々はアンバーさんの知り合いの小屋だった。それを改装して使っている。
家族は理解してくれるかもしれないが、さすがに家では危険過ぎて作れない。
機材やら材料を置くスペースもなかったから、小屋の提供は本当に有難い。
それに、大雨の中こうやって作業を進めるのにも理由がある。
ズバリ、お金のためだ!
湯船の件で大金が必要になることが分かったし、『仕事には相応の対価を支払うべき』なーんて大きなことを言ってしまった体もあるので、ここは金策に重点をおく。
さて、話は戻るが……
この石鹸は体を洗うには丁度いいはずだ。
髪を洗うには少し向いてないかもしれないが、いずれ髪にも優しい物を作りたい。
出来上がったら、リーアさんやメルディ、ミイティアに使って貰おう! アンバーさんにもあげよう! 工房のみんなにも分けよう!
みんな喜んでくれると嬉しいなぁ……。
お風呂で髪を洗っているメルディの姿を思い浮かべる。
しなやかな美しい曲線と、綺麗な髪が泡に塗れている。
あの人の性格だから……俺が風呂場に居る時にも入ってきそうだ。
でも、あの美女に体を洗って貰えたら……。
イカンイカン! 妄想もそうだが、手が止まっていた!
今は目の前の作業に集中! 集中!!
妄想を巡らせながらも、黙々と壺を捏ね回す……。
◇
そろそろお昼時だろうか?
俺もこの世界に順応しつつある。
腹時計で大体時間が分かるようになってきたのだ。
作業を止め、雨の中家に帰る。
家と小屋は少し距離がある。
分かっているのだが……体は雨でずぶ濡れだ!
森の中はまだいい。だが、森の外に出ると猛烈な雨でびしょ濡れとなる。
なので、移動のたびに濡れてしまうのだ。
傘かカッパがあればいいのにな……。
この世界の人はワイルドだ。
誰も傘を使わない。といっても、傘という概念すらない。
濡れても平然としている。
なんというか……女性は服がびっしょり濡れても恥ずかしくないのだろうか?
いやいや、イカン!
あの一件以来、無駄に女性に関心が沸くようになった。
というより……メルディとミイティアのアタックが激しくなったせいだろう。
夜になるとこぞって俺の部屋に来る。
いつのまにかベットで寝てたり、ボディタッチも妙に増えた。
毎回無下に追い返す訳にもいかないので、ミイティアは添い寝だけ。
メルディは寝るまでの間、側で話をするだけにしている。
メルディはどうも……既成事実を作りたいらしい……。
あの件以来、ほとんど遠慮がなくなった。
刺激が強過ぎるので、代わりにゆっくり話をする時間を設けた。
おかげで大分マシになった。
俺を慕ってくれるのは嬉しいけどね。
家族として一線は越えたくないし、メルディには幸せな家庭を築いて貰いたい。
自室に戻り、着替える。
最近俺がよく出掛けるのを知ってためか、既にメルディが着替えを用意してくれている。
さっすが! 優秀な姉様だ!
着替え終えると、濡れた服と靴を持って1階に向かう。
服と靴を暖炉の前に干し、俺も火に当たりながら体を温める。
部屋にはスープのいい匂いが立ち込めている。
今日は……鳥肉と野菜のスープかな?
奥からメルディが、スープの入った鍋を持ってやってきた。
「若旦那様。お帰りなさいませ」
「……やめて貰えません? その呼び方」
最近メルディは、俺のことを『若旦那様』と呼ぶ。
坊ちゃまの上位が若旦那様なのか?
いや、絶対わざとだ!
メルディの笑顔が悪魔染みて見えてしまうのは……俺だけだろうか?
「今日はどうでしたか?」
「うーん……。とりあえず順調だけど、まだ完成してないよ」
「若旦那様なら、きっと出来ます!」
「メルディさん、頼むよぉ~」
「では、マサユキ様」
「様付けも取って欲しいかな……」
「なら、未来の旦那様!」
「話が戻ってないか? それならいっそ……」
少し考える。
「グテイと呼んで貰えますか? 旦那様より下の呼び方で、そのくらいなら許容できます」
「グテイ……ですか?」
俺はポーカーフェイスを装う。
旦那様と呼ばれるより、『愚弟』の方がしっくり来る。
だが……これで本当に良かったのか?
これだけの美人に愚弟呼ばわりされるのは、特殊性癖に目覚めそうで怖い……。失敗したかも……。
メルディは少し小首を傾げて考えた後、
「では、私を『子猫ちゃん』と呼んで頂けるなら構いませんわ」
や・は・り、侮れない。
メルディの笑顔が怖い……。何をしてもバレてしまう気がする……。
メルディの将来の旦那は……苦労しそうだ……。
しかし、俺が『愚弟』と呼ばれ、メルディを『子猫ちゃん』と呼ぶ……。
どんなプレイだよ!?
渋々ながら、妥協案を出す。
「おふざけは止めにしましょう。『マサユキさん』程度に留めてくれないと、『メルディお姉様』と呼びますよ!」
メルディは少し驚いているようだが、すぐに冷静な顔になって
「分かりましたわ。坊ちゃま!」
分かってない!
この人はぜっっっったい! 俺の反応を弄んでいる!
いっそのこと『メルディお姉様』とでも呼んでやろうか?
いやいや、ダメだ。
まだあの件からそう時間は経ってない。
リハビリ中のメルディを苛めても、顔に出さなくてもきっと困ってしまうだろう。
変に考え込んでいると、奥からリーアさんが出てきて言う。
「いつも仲がいいわねぇ~。マサユキもそろそろ、メルディをお嫁にしてあげてもいいんじゃない?」
「奥様。マサユキ様はもう私のご主人様ですわ! ウフフフ」
「あらそうだったの? 良かったわねぇ~フフフフ」
ダメだ……。
一家揃って俺を何だと思っているんだ?
不満たっぷりの顔のまま、席に着く。
匂いに誘われて、2階からミイティアが降りてくる。
席に着くなり、
「お帰りなさいませ。お兄様!」
「ただいま」
ミイティアも俺の呼び方を変えた。メルディの影響だろう。
毎回『兄様』だとか、『兄さん』だとかコロコロと呼び方を変えるが……。そのうちどれかに落ち着くだろう。
でも、さすがに『お兄様』というのは、俺の柄じゃない。
ダエルさんは仕事から戻ってきていないが、俺たちは先に食事を始める。
うん! このスープも最高だ!
鶏ガラからダシを取っているのかな? スープにコクがある!
メルディが俺の顔をジッと見詰めていることに気付いた。
「メルディさん。このスープすごくおいしいですよ!」
「ありがとうございます!」
「そうね。十分お嫁としてやっていけるわね」
メルディは顔を赤くして喜んでいる。
美人なだけあって、笑顔が絵になる。
イカンイカン! 無心だ!
あまり話に乗り過ぎると、本気で話が成立しそうで……怖い。
毎回こんな感じで食事を取るので、俺もいい加減慣れてきてしまっている。
慣れって怖いなぁ……。
◇
食事を終え、ソファーで寛ぐ。
ミイティアは横で転寝をしている。
お腹も一杯になって、暖炉の炎で眠気が加速しているのだろう。
俺も少し眠気があるのだが、やるべきことがある。
風呂場の設計図の作成だ。
ちなみに湯船の製作を一時中断して貰った。
幸い木材は乾燥中のため、製作には取り掛かっていなかった。
やる気満々だったアンバーさんはすこし残念そうだったが、鉋の話になると一気に上機嫌になった。
なんでも鉋の性能が向上して、さらに使い易くなったらしい。
今では和紙のような薄さに削れるらしい。
既に鉋の作成依頼が来ているらしく、画期的な工具なだけあって高値で取引できるそうだ。
それと、長雨で暇そうにしているガルアにも指示を出した。
剣術の素振りと、洗濯バサミの作成依頼だ。
比較的シンプルな構造だし、暇を持て余すくらいなら手を動かす方がいい。
洗濯バサミを依頼したのは、家で洗濯物を干しているメルディを見て、何度かシーツが風で吹き飛ばされたのを見ていたからだ。
布を抑える道具はあるのだが……。挟むというより嵌めると言うべきか?
割り箸のような形の大きな木で布を止めるのだ。
とても使い勝手が悪い。
俺が提案した物は、金属金具を利用した洗濯バサミだ。
それなりの値段にはなるが、工房と力を合わせれば出来るはずだ。
設計図は用意していかなったが、ガルアは器用そうなので、そのうち実現できるだろう。
いずれ色々な小物を作って貰おう。
設計図の方はというと、大幅な見直しの最中だ。
特に、給湯機とポンプを中心に見直しを試みている。
それと井戸掘り機の原案作成にも着手している。
ハッキリ言って問題は山積みだ!
給湯機は、作業工程に課題がある。
バーナー溶接ができないため、細かくて複雑な作業が難しいのだ。
生産性も考慮にいれる必要があるため、根本的な設計の見直しが必要なのである。
ポンプの問題点は、給水用の水道管の連結方法に課題がある。
鉄を熱し柔らかい内に溝を彫る方法も考えたが、冷却過程で鉄が収縮する。
その影響で溝に歪ができ、ズレの原因となってしまうのだ。
比較的水場が近いとはいえ、この家だけにしか使えない技術では単なる特注品だ。
竹のような空洞のある木材があれば……とも思ったが、アンバーさんには思い当たらないようだ。
ゆえに、こちらも座礁中である。
井戸掘り機については、先端部分はなんとか形になった。
しかし、土砂を汲み上げる仕組みそのものが思いつかない。
石垣の代わりに地中に埋める管は鋼鉄製か水に強い合金製にするつもりだが、先に挙げた連結部分の問題で先に進まない。
距離が長くなればなるほど重量の問題も出てくるし、工費も跳ね上がる。
唯一完成を見そうなのは、石鹸だ。
そこで石鹸製作に注力し、休憩中や暇な時間を使って設計の見直しを行っている。
俺は疲れた体を後ろに放り投げるように、ソファーに凭れ掛かる。
振り上げた腕に柔らかい物が……。
まさか! と思い顔を上げると……メルディがいた!
慌てて手を引っ込める!
心臓がバックンバックンいって、今にも破裂しそうだ!
メルディが赤い顔をしながら、背中に抱き付いてくる。
そして……そっと耳元で囁く。
「マサユキ様。やはり……私が恋しいのでございますね?」
「ごめんなさい! たまたま振り被った手が当たっただけです!」
「そうなのかしら? 狙い澄ましたような見事な動きでございましたわよ?」
ダメだ!
何を言っても、そっちに捻じ曲げられる気がする。
話題を変えよう!
「いや~! 設計図が完全に煮詰まっちゃってね! お手上げなんだよ!」
「そうですか? ……では、溜まった物をスッキリさせてみれば変わるかもしれませんね」
「メルディさん……。どうやっても俺を寝取る気ですね?」
メルディは俺をギュッと抱きしめる。
普段はなるべく接近しないように注意していただけあって、これは強烈だ!
「ダメですよ! 何度言えば分かって貰えるのですか!?」
「何度でも。マサユキ様が私を娶って頂けるまでです」
ダメだ……。
この人は完璧に近い才能を持ちながら、過剰なまでに俺を溺愛し過ぎだ……。
幼少の頃に両親と弟を失い。移り住んだ先でさらに悲惨な運命に会い。最下層まで落ちた故なのか……愛情に貪欲だ。
できれば……期待に応えてあげたい。
だが、今の俺では……経済力がないのは当然として、憐れみと性欲でしかメルディを見てあげられない。
これを説明しても、メルディは何とも思わず受け入れてしまうだろう……。
勘のいい人だ。それくらいは分かっているはずだ。
分かった上で、執拗に俺を誘惑している。
……俺のどこがいいのだろう?
「メルディさん。少し聞いてもいいですか?」
「はい。どのようなご奉仕をご希望でしょうか?」
「俺のどこが好きなんですか?」
俺のストレートな質問にメルディはピクリと反応し、黙り込む。
俺はあえてそれに反応しない。言いたくないことなら話さないはずだ。
「マサユキ様に出会ったことが、運命だからでございます」
「それは答えになってないよ」
またメルディは黙り込む。
きっと答えたくないのだろう。
「ごめんなさい! 無粋な質問をしてしまいました! 忘れてください!」
……しばらくして、メルディは俺から離れた。
珍しいことも起きるものだ。
あれだけ何を言っても『誘惑』の一文字に尽きる人が……。
メルディはゆっくり対面のソファーに座る。
俺の顔をジッと見詰めた後、ゆっくり語り出す。
私には昔家族がいました。父と母、弟の4人家族です。家は貧乏ではありましたが、とても幸せでした。
弟は私と3歳離れていて、生きていたらマサユキ様と同い年だったでしょう。
とても素直で明るく、私たち家族をいつも温かくしてくれる存在でした。
しかしある日……みんな殺されてしまいました。
野盗は旦那様たちが退治してくれましたが……私は不幸のどん底にいました。
その時、自ら命を絶つつもりでした。
しかし、旦那様が『生きるのが辛いなら、誰かのために生きなさい』と教えられました。
とても印象深い言葉です。私は亡くなった家族、そして村人たちのために生きる決意をしました。
それから私は孤児院でお世話になります。
孤児院の暮らしぶりは裕福ではありませんでしたが、元気に溢れ、私はとても幸せでした。
しばらくは平穏な時間が過ぎ、私もやっと孤児院に慣れた頃……初めて好きになった人ができました。
フェルという方です。
フェルはいつもおいしいパンをたくさん届けてくれました。
孤児院のみんなからも愛され、私たちの中心的存在でした。
ある日、フェルと小さな子たちでパンを貰いに出掛けていた時、街に警報が鳴り響きました。
魔物などの襲来を知らせる鐘です。
フェルは私達を城まで届け、衛兵に後を任せると孤児院へ駆け出して行きました。
私はただ……見守るだけしかできませんでした……。
そして、彼は帰ってきませんでした……。
メルディの目から涙が零れる。
戦闘が終結し、孤児院に戻ると……すべてが灰となっていました。
私は……小さい子たちのために身売りすることを決め……そして旦那様に再開したのです。
そして私はこの家の侍女として働くことで、孤児院に仕送りを続けて参りました。
そして3か月前にマサユキ様に出会います。
マサユキ様は侍女である私に対しても公平に接してくれました。
私もミイティアもマサユキ様の聡明な知識と『不思議な力』、そして分け隔てない大きな器にいつしか心が動かされていました。
先日、マサユキ様が酷いお顔をされてご帰宅されました。
私はマサユキ様のお力になりたいと思い、でもミイティアの気持ちを考え、
ミイティアをマサユキ様の元へ誘導しました。その夜は結局一睡もできませんでした。
マサユキ様とミイティアの仲がどれほど進展したのか気になり、部屋に忍び込んだのです。
マサユキ様もミイティアも服を脱ぎ散らかし、2人はうまく親密な関係になったのだと思っていました。
なんとも満足そうなマサユキ様を見ていたら……いつの間にかマサユキ様に触れていました。
初めて触れた男の方の体でしたが、見かけに寄らずとても筋肉があり、肌の触り心地も良く、無心で撫で回していました。
そしてマサユキ様が目覚められたのです。
マサユキ様は状況に戸惑っておられました。
ミイティアを気遣い丁寧に寝かせつけ、一息つくため壁に凭れ掛かると、鍛え上げられた体と……マサユキ様の熱い昂りを見てしまい、興奮を抑えつけられなくなっていました。
あの時の私は……単なる獣でした。
マサユキ様に抱き付き、何度もお誘いしたのになかなか本気になって頂けませんでした。
そしてやっとのことで私を女と認め、情熱的な夜と、私の初めてを捧げられる興奮で最高潮を迎えた時……マサユキ様は部屋を出て行かれました……。
何が起きたのかも分からず、ただ茫然と天井を見上げていると、訳も分からない涙が込み上げてきました。
ミイティアも起き上がり声を掛けて来てくれましたが、私は大声で泣いてしまいました。
この時は私は……マサユキ様のお眼鏡に敵わなかったのだと……結論付けました。
しばらくするとマサユキ様がお部屋に戻られました。
私は自分の犯した過ちを悔いていました。
しかし、マサユキ様が頭を下げてしまいました。
こんなはずではありませんでした。
私は……自らの過ちだけではなく、マサユキ様に恥をお掛けしていたことに気付かされます。
そして、マサユキ様は私の姿に気遣い、上着を掛けてくださいました。
膝元にも上着を掛けて頂いたのはスカートの裾を気にされていたからです、よね?
ミイティア分かりますか?
横を向くと、ミイティアが起きていた。
気付かなかったが、少し前から起きていたようだ。
私の裸同然の姿に気遣い、恥をかかせないために紳士的な行動をされたマサユキ様には深く感銘を受けました。
そして、私はマサユキ様とミイティアによって、家族の一員になれました。
今だからこそ分かるのですが、あのまま先に進んでいたら……今でも私は奴隷であり、侍女であり、下劣な女でございました。
私を救い出してくださったマサユキ様には恩義がございます。
そして、男性としてもお慕い致しております。
私はあなた様のために生きたいと思っています。
どうおっしゃられようとも捻じ曲げるつもりはございません。
……少々長い話となってしまいましたが、これが私の本心でございます。
メルディは勘が良い。
俺のことをよく理解している。
だからこそ、俺の理解が追いつくようにすべてを話したのだろう。
だが……俺は……やっぱり彼女の気持ちが分かっていなかった……。
今確信した。
俺はこれからもずっと……。
目からポタポタと涙が溢れる。
何を泣いてるんだ? 何で俺は俺のことで泣く?
今はメルディの気持ちが優先だ!
だが……俺はどうやって応えたら良いのだろうか……。
俺は……女性の気持ちがまるで分かってない!
修道院の孤児たちのために頑張るメルディの負担にはなりたくない!
憐みの目で彼女を見てはいけない!
こんなに色々な物を背負ったメルディには、絶対幸せになってほしい!
歯を食いしばり、気持ちを押し殺す。
メルディに気を遣わせてはならない。
だから、
「そんな話をしても、俺はなーんとも思いませんから!」
表情と言動と心が、全く一致しない。
それでも歯を食いしばって、
「絶対ダメです! 永久にダメです! 天地が引っくり返ってもダメです!! メルディさんはちゃんと幸せになってください!」
「嫌です!!」
「それでもダメです! 俺にはメルディを受け入れる資格がありません!」
「そんなもの関係ありません!」
「関係あります! 俺は……俺は……とにかく受け入れられません!」
メルディは愕然とし、大粒の涙を流している。
そして徐に動き出し……戸棚からナイフを取り出した。
「あなた様と一緒になれないのなら、生きているつもりはありません!!」
ナイフを両手に掴み、喉元に向かって――
俺は、右腕をナイフに向かって叩き付ける!!
勢いよく振り下ろした腕は、メルディの手から強引にナイフを奪い取った。
ナイフは右腕に刺さり、ダラダラと血が滴り落ちる……。
メルディは、呆然と立ち尽くす……。
右腕をぶらりと下げたまま、左手でメルディの頬を叩く!
そして、メルディに言い放つ!
「あなたが死ぬなら、俺も死ぬ! だが俺たちが死んだあと、他のみんなはどう思うんだ!?」
メルディは座り込んで、悲痛な表情を見せる。
「私には……あなたがすべてです。……あなたなしの人生は考えられません」
「俺にはそうは思わないね。俺はあなたの家族だ! 弟だ! 姉の幸せを願わない弟なんて、どこの世界にいる!?」
「私には、あなたしか……」
「この、わからず屋!!」
再び平手打ちをしようとした瞬間――
頬を叩かれた……。頬がヒリヒリと痛む……。
側にはリーアさんがいた。
「リーア……さん?」
「あんたはメルディのことを何にも分かっていない! そこまで言うなら、出て行きなさい!!」
……理解できない……状況だ。
だが……それでもいい。
俺は右腕を抱え、外に飛び出した。
行く当てなんてない。
行き先も考えず、俺は雨の中を走り続けた。