第102話 忍び寄る夜の訪問者
「メーフィスお疲れ様。明日も頼むよ」
「はい。メルディさん、お休みなさい」
ドアを閉め、鍵を掛ける。
ここ特別自治領では職員のための寄宿舎が建てられていた。
石造りの2階建て。
一棟に50部屋もある建物だ。
備え付けにベットやクローゼット、テーブルや椅子など生活に必要な物が用意され、部屋も十分に広い。
ドアは硬木を鉄枠で硬めた物が使われ、鍵は当然として、出入り口には監視の兵士が常駐している。
簡単に言えば、セキュリティが万全な低層マンションといったところだ。
広さといい設備といい、特に不満はない。
強いて不満を挙げるとすれば……
暖炉がまだ使えないという事くらいだろう。
暖炉はこの世界では一般的に使われている物である。
部屋を温めたり食事の準備など、幅広く暖炉は使われている。
だが、火事となれば話が変わる。
この建物は集合住宅である。
集合住宅は狭い土地を有効活用できるメリットを持つが、たった一人の不注意で大火災にも成り得るリスクがある。
季節が冬になれば空気も乾燥する。
寒さを凌ぐため、皆暖炉を使う。
集合住宅ともなれば、尚更そのリスクが高くなる。
職員たちを収容するために試験的に作られた建物とはいえ、公務で使う建物で火災という不始末は後々の大きな問題となる。
そのため、火災対策も兼ねて暖炉の設計を見直させている最中なのである。
クローゼットを開け、板状の物を取り出すと、テーブルに置く。
包を取ると……よく手入れが行き届いた鏡が出てきた。
その鏡を前にし、後頭部辺りを弄り始めると……
面の下からスラーっと長く綺麗な髪が溢れ出し、メルディが現れた。
メルディは鏡を使って髪を整えると、愛おしそうに面に触れる。
「マサユキ様。お疲れ様でございます。私は…………今日も何もできませんでした。マサユキ様の代わりにと始めた事でございますが……本当に良かったのか分からなくなって参りました」
メルディは面に向かって心の内を明かす。
それは、普段のメルディなら絶対に口にする事のない言葉の数々……。
計画は順調に進行中である。
弊害となる問題も起きていない。
だが、計画が進行するにつれ理想と現実のギャップに苦しむようになり、次第に正しさの基準が分からなくなってきたのだ。
頼るべきマサユキは側におらず、メルディに負担を掛けまいと頑張るメーフィスにも相談し辛い。
だから……面に向かい、ただただ心の内を明かすのだ。
メルディは報告を済ませると、面の手入れを始める。
この「面」はマサユキたちが覚悟を決め、戦争の終結に向けて動き出した頃から使われている。
長く使われ続けている物ではあるが、状態は良く、生き生きとした生命力さえ感じられる。
本来、こういう作りの面は干乾びたり腐ったりもする。
毛皮のように毛で覆われていれば誤魔化しも利くが、露出した皮膚までは隠せない。
魔法でもなければ実現すら考えられない代物にはなるが、その不可能を可能にしているのは「高級化粧品」という存在である。
高級化粧品とは、国中の奥様方が躍起になって欲しがる「若返りの薬」とも呼ばれる化粧品の事である。
使えばシワやシミが取れ、張りのある若々しい肌ツヤを得られる。
効能のメカニズムを説明するのは難しいが、「劣化した皮膚組織を新しく再形成する効果」といったところだ。
これを使いメンテナンスする事で、面を長持ちさせている訳である。
面の手入れを終えると、メルディは持ってきたお湯を使って体を清める。
それを終えると、寝間着に着替えベットに入る。
ベットはひんやりと冷たい……。
大きさもメルディ一人には広く感じてしまう。
いつもなら隣にマサユキがおり、時折ミイティアも入り込んでくる。
だが、今は一人……。
メルディは独り寂しくベットを温め、遠くの地にいるマサユキたちの事を想いながら眠りに就く……。
◇
「……おい? おい?」
誰かに揺り起こされるのを感じ、目を開けると……シドがいた。
灯されたカンテラに映し出されるシドは、少しやつれても見える。
だが、どうやって部屋に侵入したか分からない。
部屋のドアには鍵が掛けられている。
頑丈な扉を蹴破って入ってきたとも思えない。
窓にも鍵が掛けられており、こじ開けられた様子はない……。
「シド様……どうやって……」
「それは企業秘密よ。それより、マサユキはどうした?」
「…………出掛けているのかもしれません」
「そいつは変だなぁ~。門番にも聞いたが誰も建物から出てないらしいぜ?」
「……ところでシド様。こんな夜更けにどうされたのでしょうか?」
「頼みたい事があってよ」
「では、明日改めてお伺いください。昼間であればお戻りになられていると思いますので」
「それもいいんだけどよぉ……」
シドは懐から「ある物」を取り出し、見せ付ける。
それは、マサユキに変装する面。
「お、お返してください!!」
「おっと! 簡単には返せねえな。それに取り返したところで遅いぜ」
「返して!! 返して!!」
メルディは必死に面を取り返そうと暴れる。
シドは暴れるメルディの手を掴むと、強引にベットに押し倒した。
「暴れるなって。俺はコイツをネタにバラそうとか、脅そうって話をしにきたんじゃねえ。少し協力して欲しいって頼みに来たんだ」
「嫌です!! 私は殺されようともシド様に従う気はありません!」
「落ち着けって! これじゃ俺が夜這いに来たみたいじゃねえか」
メルディが落ち着いたのを見計らい、シドは腕の掴みを解く。
そして、持っていた面をメルディに返した。
メルディは面を受け取ると抱え込むように抱き締め、シドから少し距離を取る。
「……要求は何でしょうか?」
「お前も知ってると思うが、ここには「ねえ物」がある。自前で用意したかったんだがなぁ……マサユキの奴が全部奪っちまったからな。そこで頼みだ。代わりを用意して欲しい」
シドは言葉を濁しているが、メルディはその意味を理解している。
問題は……「どう解決するか」という事。
「売春婦たちの事でございますね。お分かりだと思いますが、ご用意出来ません」
「別に売春を止めた女を充てがえって言ってるんじゃねえよ。融通の利く奴を回してくれって言ってるだけだ」
「仰りたい事は理解しています。ですが、特領府に彼女たちは入れません。今は政治的空白を埋める事を優先し、政治に関わりのない者の入領は制限されていますので」
「そのくらい分かってんよ。俺はここを抜けだせねえ。だから、「マサユキ」なら融通を利かせられるんじゃねえかって相談に来たんだ」
シドの言い分は強引であり、男性の抱えるストレスを理解できないメルディではない。
だが、融通を利かせられないのもまた事実。
そんな中、メルディは苦肉の決断を下す。
「用意できればいいのですね?」
「出来るのか?」
「……私がその役割を担います」
「いいのか? 俺もそんな事くらいしか手がないと思っていたが……。もう一度聞くぜ? 本当にいいのか?」
「……はい」
メルディの決断は最悪だった……。
だが、そうせざる得ない理由もある。
今のシドは「味方ではない」。
結果として戦争は早期終結できたが、シドの考えていた物とは結果が異なった。
シドの部下である陽炎も、大半が鈴蘭に移籍してしまった。
これだけでも憎むべき相手として十分な動機になる。
しかも、そんな相手に「絶対知られてはいけない秘密」までも握られた。
そうなれば、要求に応えない訳にはいかない。
要求を満たすには、売春婦が必要になる。
鈴蘭にいる女性たちの大半は売春婦だったが、今はそれとは無縁の生活をしている。
そこから再び売春をさせるのは、同じ女性としても酷以外の何物でもない。
法案を整備し、売春婦たちを呼び込む準備をするにも「今のマサユキ」では難しいという問題がある。
特別自治領内でのマサユキの求心力は当初より大分下がっている。
政治という世界に不慣れという事もあったが、代役を務めるメルディに周りを惹きつけるだけの仕事ができなかったためである。
時間さえあれば要求を満たす事も可能だが、待てるのであれば要求はしてこない。
となると、選択肢は極端に狭くなり、「自身の体を差し出すしかない」という答えに至ったのだ。
妻という立場で言えば、裏切り以外の何物でもない最悪の選択だったが……
「やっぱ辞めるわ!」
シドは突然手のひらを返した。
「…………よ、よろしいのですか?」
「んーなの当たり前だろ!? 俺はダチの女に手を出すバカにゃ成りたかねぇんだよ」
「ですが……」
「おいおい本気にするな! こんな事言っといてアレだが……分かりきった答えしか出ねえ辺り、やっぱマサユキじゃねえな」
「あの……シド様はなぜ?」
「お前らの事はずっと見ていた。だから、マサユキが偽物だと分かった時には驚いたぜ。だが……訳が分からなくなっちまった……。俺はお前らの仲間だったんじゃねえのか?」
「仰りたい事は分かります。ですが、今の私たちにシド様の仲間である資格があるとは思っていません」
「まぁ……どう思おうと構わねえさ。ところで、マサユキの奴は一体どこで何をしてやがるんだ?」
「…………分かりました。お話し致します」
メルディはマサユキの目的を話し始めた……。
◇
「なるほどな……。後始末って訳か……」
「私がこうやって表に立つのも、誤った解釈で法案を作らせないためでもあります」
「それは分かるぜ。伯爵はいねえし、男爵は慣れねえ仕事で混乱してるしな。主導権さえ握っちまえばやり放題な状況だ。免罪の条件にしたって、あの案が出た時点で無いも同然だしな」
「ですが……リンツ様が動かれない事が不審でございます。放任と言えば聞こえは良いのですが、無関心で済まされるような案件ではないと思われるのですが……」
「アイツも調べようとはしたんだがな……どうにも足取りが掴めねえ。後を付けても消えちまうし、たまに顔を見せたかと思うと、どこぞから仕入れたかも分からねえ情報をバラ撒いて戻っていく。的確さって意味なら右に出る者はいねえが……俺らの事なんてどうでもいいって見下してるのが気に入らねえ!」
「リンツ様は錬金術師でもあります。錬金術師は研究成果を弟子にすら秘匿すると言われています。情報を秘匿されるのも当然というお考えなのでしょう」
「ん……まぁそうかもしれねえが……俺らは錬金術師じゃねえぞ? もう少し人付き合いって言うか何て言うかこう――」
ドンドンドン!
突然ドアが叩かれた!
次回、水曜日2015/7/1/7時です。




