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アレテーの弁解  作者: イヲ
第二章【THE HIGH PRIESTESS】
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ザ・ハイプリエステス・4

日が高いせいか、先生の目の色が暗い紫色に見えた。

それが綺麗で、ぼうっと彼の目を見上げる。


「……なんですか?」


君は、の次の言葉が出てこない。

たぶん、自分でも思ってもみなかった言葉だったのだろう。すこしばかり、身体が硬直している。


「おれが、……どうしたんですか?可哀想って、言うんですか?他の人とは違うって言うんですか?」


自分は今、何を言っているのだろう。

けど、たぶん先生に特別扱いされたくなかったのだと思う。

自分が今言ったことは、先生に言ってほしくない言葉だ。

彼は、初めて真を見たときでも、表情に出さなかった。ぎょっとすることもなかったし、対応もごくごく普通の生徒と同じだった。

それが少しだけ、好ましく思ったのだけど。

この先生も、同じなのだろうか。


先生の目が、真を真っ直ぐに見下ろしている。

無表情のまま、やっと口を開いた。


「確かに、君は他人とは違う。だが、違う事が将来何になる。まっとうな生活をしていれば、誰も文句など言わないだろう」


暗に、真はまっとうな生活をしていない、と言われているようで、歯を食いしばって俯く。

悔しくて手がふるえて、なさけない。

確かにまっとうじゃなかったかもしれない。

自分を卑下して、貶して、悲劇のヒーローぶっていたのかもしれない。

それをずけずけといわれてしまえば、何も答える事も出来なくなる。


ずっ、と足を引きずって先生のすぐ隣から走って逃げた。


悔しい。

悔しい。すごく、悔しい。


先生が持っていた自分が買おうとしたビニール袋の存在さえ、忘れていた。

思い出したのは、自分の部屋に飛び込んだ後だ。

壁に背中を押し当てて、膝に額を押し付ける。


ぼろぼろと目から涙が出てきた。

最近はまったく泣いていなかったのに、どうして先生に言われただけでこんなに悔しいのだろう。

すこしでも、好ましくおもっていたからだろうか。

たぶん、そうだ。

ぐいっ、とトレーナーの袖で涙をふいて、暗くなりかけている空を見上げる。

濃紺の空の色は、見ているだけで気が晴れるような気がした。

そうだ。

こんなにきれいに移ろう空を見ていれば、今の自分の思いなんか吹き飛ぶ。

もう一度、コンビニに行って自分のお金で買おうとバッグを持って、扉を開けた。


ごつん、


という何かがぶつかる音がして、足元を見下ろす。


靴があった。

いや、靴だけではない。そこから伸びる足も、あった。

嫌な予感がしながらも、のろのろと視線を上げていく。


その予感は当たって、そこには雪が積もった人間が立っていた。


「……せん、せい……」

「……」


ずい、と出されたのは、昼にコンビニで買ったもの。

頭と肩、そして腕にも足にも雪が積もっている。

相当な吹雪だったらしい。

呆然と、それでも反射的にそのビニール袋を受け取ってしまった。


それからぐるりときびすを返して去ってゆく。


「ち、ちょっと、せんせ、ま、待って!」


あまりにも驚いてしまった所為で、噛んでしまった。

それでも彼は立ち止まらない。靴下のまま外に飛び出して、走る。


先生を引き止めてどうするかなんて、分からない。

そうだ、お金を返さなければならないのだ。


「お、お金……!」


ぴたり、とようやく立ち止まった場所は、寮のエントランスのあたりだった。

再び機械のようにくるりとこちらを振り向く。


「君は、奢られ慣れていないのか」

「え?」

「そう言おうとしたのだが。君がなにか勘違いをしていたようだな」

「……!!」


顔が強張る。

馬鹿だ。

馬鹿だ。

自分は馬鹿だ。何を墓穴を掘っているのだろう。

ばっ、と先生から顔を背けて、羞恥でぶるぶるとふるえる手をどうにか押さえ込む。


「す、すみませんでした……。そ、その、自意識過剰だったと言うか……」


頭を下げて謝ったが、先生は何も言ってはくれない。

沈黙が痛い。

こんなところを須磨たちに見られたら、何て言い訳をしたらいいのだろう。


「君が気にすることはない。悪いことをしたというのなら、自分のほうだ」

「え?」

「一言、足りなかった」


では何だったのだろう。


「君がまっとうな生活をしていないと捉えてしまったようだが、自分はそう言いたかったのではない」

「……?」


髪の先から、ぽたりぽたりと溶けた雪水が床に落ちてゆく。

濡れてぺったりとした前髪から、鋭い目がちらりと見えた。

きれいな、藍墨茶色にも似た、薄い色をした目が。


「君は、まっとうな生活をしていた。内申書を見れば分かる。紙切れ一枚だが、分かることもあるし、分からないこともある。見てみなければ、実際は分からない。だが、君の内申書の内容は、まっとうだ。勉学も、生活態度もすべてまっとうだ」

「……おれは」


そんなんじゃない。それは、父が自分に求めた唯一のものだから、叶えようとしただけだ。

首をふろうとしたが、それでも先生はなおも続ける。


「まっとうじゃなかったのは、まわりの大人たちだろう」


先生の声がわずかに掠れた。

それでも、初めて聞いた。まっとうじゃなかったのは、大人だ、という言葉を。


先刻まで沈んでいた心が、すこしだけ浮上する。

それでも、自分にも問題があったのだろう。


「……ちがいます。おれが、自分なんか、って卑下してたから。きっと、中学校の先生たちも呆れたんだと思うんです」

「……」


先生は何も言わずに、まばたきを数回した。

よく見ると先生は、とてもきれいな顔をしている事に気付く。

目は鋭いけど、決して目つきが悪いというわけではない。


「君の気持ちは、君にしか分からないだろう。それは、人間誰しも同じことだ」

「そう、ですね」

「人間はすれ違うものだから、落ち込むのだろう。では、これで失礼する」

「ま、待ってください!」


髪の毛が濡れて、モッズコートにも雪が積もっている。

そんな人を、はいそうですかと帰せるほど、冷たくないはずだ。


そう思えたのは、先生の言葉があったからだろうか。


理解できていないような表情をしている先生の腕を掴んで、自室に再び戻った。

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