ザ・ハイプリエステス・3
ごぉん、という、近くの寺から除夜の鐘が聞こえてくる。
腹持ちの良い菓子のせいで年越しそばを食べることが出来ず、テレビを見ながら年を越してしまった。
新年の挨拶をしようとおもったが、須磨はすでにこたつで寝てしまっている。
起きている若菜にはあいさつはしたのだが。
「初音、こたつで寝ると風邪引くよ」
揺すっても起きる気配が全くない。あたたかい部屋で、満腹になればそれは眠たくなるだろうけど。
それでも正月から風邪をひいてしまえば、先が思いやられてしまう。
「うわ、よだれ垂らしてるし」
「どうしよう。起きる気配ないし……」
「いいよいいよ。放っておけば。風邪引いたって自業自得だもん。さて、私、そろそろ部屋に戻ろうかな。眠くなってきたし。観世水くんも、もう行こう」
このままここにいても仕方がない。
ストーブとテレビを消して、できるだけ静かに扉を閉める。
鍵はこちらからでは閉められない。こればかりは仕方がないので、そのままにしておく。
「じゃ、おやすみ。明後日の初売り、10時に寮の前に集合ね。忘れないでよ!」
「うん。分かった。おやすみなさい」
階段を上っていく若菜を見送って、ひと息つく。
廊下は暗くて、とても寒い。自分の部屋に戻ると、ぼんやりと浮かんでいる月を見上げた。
先日満月になったばかりのそれは、まだ欠け始めて間もない。
奇妙な円形の月は、それでもやわらかく部屋を照らしている。
「……きれいだな」
一夜に一回は月を探してしまう。
もはやくせのようなもので、どうにも抜けない。
それを咎める人間もいないから抜けないのかもしれないが。
除夜の鐘はまだ続いている。
この近くに寺があるのだろう。すぐ傍で聞こえてくる。見に行きたい思いに駆られたが、夜は出かけるなと言われているので、やめておく。
「もう寝よう」
カーテンは開けっ放しにしておく。
月の光を見ていると、すぐに眠れそうだからだ。
ふあ、と欠伸をして、ベッドにもぐりこむ。
今まで、こんな夜更かししたことがないからか、言いようもない疲労感を感じた。
だからだろうか、夢さえ見ずに眠り込んでしまったのは。
元旦から開いているのは、このあたりだとコンビニだけだろう。
大体が三日からか、四日からだ。
そう思うと、コンビニの店員も楽ではない。
きんと冷えた空気に身震いしながら、寮から出る。
すでに太陽は真上だ。
このあたりのスーパーも、三日からの営業になっているから、食事は必然的にパンかおにぎりになる。
材料を買えなかった自分に非があるのだけど。
今日は帽子の上にフードをかぶって、それから伊達だが眼鏡をかけた。
これでたぶん、ばれない。
怪しまれるとは思うけど。
コンビニに入ると、それでも店員の男の人はこちらをちらりと見て、「いらっしゃいませ」と挨拶をした程度だった。
こういう格好の人は、まだいるのだろうか。
棚に陳列されているパンを二袋とおにぎり二つ、カップに入ったサラダを二つ、それから野菜ジュースを二つ買う。
夕食と明日の朝食のぶんだが、足りるだろうか。
足りなかったらまた出てくればいいのだけど。
客が来たことを知らせるチャイムが鳴ると、何となくそちらを見る。
「あ」
「……?」
思わず口をついて出てしまったが、むこうはこちらが誰なのか分からないらしい。
それはそうだ。
帽子で殆ど髪の毛が隠れているのだから。
先生は、黒いモッズコートに黒いチノをはいている。
髪も黒ければ眼も黒い。真っ黒だ。
真が憧れて止まない、自前の黒。
じっとこちらを見て、わずかに頷いた。
何故頷いたのか分からず、視線を外そうとすると、こちらに歩いてくる。
ずんずんと、真っ直ぐ。
カップ麺のコーナーを過ぎて、とうとう真の目の前に立った。
鋭い目が、こちらをじいっと見下ろしている。
20センチほども差がある身長では、見上げるのが辛い。
「ああ……君だったか。元旦から、コンビニか」
どこか呆れたような顔をしているが、すこし面白くない。
自分だってコンビニに通っているくせに。
しかしそうとは言えずに、黙ったままじっと見上げていると、ふいに先生の手がフードを外した。
ニットのキャスケットをかぶっていたが、それも取られそうになったので手で押さえる。
「先生だって、コンビニに通ってるじゃないですか」
押さえたままとうとう口をつくも、彼は「それもそうだな」とあっさり頷く。
「……初音と夕霧はどうしている?」
「昨日、一緒に年越しして、それから会ってないですけど……」
「そうか。……うまく、やっているのか」
どううまくなのか分からないが、一応仲良くしてもらっているので頷いておいた。
それにしても、若菜が「表情筋が死んでいる」と揶揄った事が頷けるほどの無表情具合だ。
とは言う自分も、それほど表情豊かというわけでもないのだけど。
「……えっと、先生は何を買うんですか?」
「バナナと、飲み物だ」
「え、バナ、ナ?」
「何か問題でもあるか?」
何故コンビニに来てバナナを買うのだろうか。
確かにバナナは少しは腹持ちもするし、エネルギーに代わるのが速いと言われているけども。
かぶりを振って、コンビニの小さなカゴに本当にバナナを入れる様子をじっと見た。
それから、ペットボトルの緑茶をカゴに入れている。
「……どうした?」
「あ、えと、いえ、何でも、ないです」
先生は僅かに首をかたむけたが、やがてレジへと向かっていった。
そういえば自分も買うつもりで来ていたんだった。
慌てて先生の後ろに並ぶ。
ちらりとこちらを見下ろされて、ふいに黒い手袋をしている手が、真のカゴを取り上げた。
「あっ」
「これも一緒に頼む」
カゴをレジに置いて、とんでもないことを口走る。
何とか奪い返そうとするが、背中に邪魔されてうまく取れない。
「あ、あの、自分で、買うから……」
「……」
ぎろりと睨まれて、思わず顔が引きつる。
……父より怖い。
店員の男の人が困っている。
仕方がないから、後でその金額分を渡すことにした。それからでも、遅くないだろう。
レジを済ませて、丁寧に真のものは別々にビニール袋に入れてくれたらしい。
コンビニから出ても、ビニール袋を離してくれない。
自分のものにする気だろうか。
尤も、先生が買ったものだけど。
「あの、先生、お金!」
「受け取ることを拒否する」
「え?あの、どうして……」
「君は」
足をふいに止めて、静まり返った学校の校門の前で真を見下ろした。