ザ・ハイプリエステス・2
迷惑をかけてしまった。
ここでは、迷惑をかけないようにしようと思っていたのに。
まさか、先生に会うとは思わなかった。
どこからか、見ていたのだろうか。
まだ夜までには時間がある。
空はまだ明るい。それでも昼食はパンを食べたし、することもない。
大掃除と言っても、ここに来たばかりだから、掃除する場所も見当たらない。
テレビを見ていても、耳と目に入ってこない。
「……」
師走と言っても、子供には関係ないのだ。
実家でも、殆ど真を無視したようなものばかりで、大掃除もすべてお手伝いの人たちがやってしまう。
だから、部屋にこもって本ばかりを読んでいた。
東京は人が多い。
だから、外に出る事はあまりなかった。帽子を深く被っていても、ばれるときはばれる。
異様なものを見るような目で、真を見る。
慣れてはいるが、いやなものだった。
観世水の家は、古くから伝わる、所謂旧家だった。
もともと華族で、伯爵の階級だったらしいが、真自身には関係のないことだ。
唯一やさしかった亡き母、生きてはいるものの真を実子と認めない父。
兄はいるから、跡継ぎには困らない。
観世水の家にいても、真はいてもいなくても同じようなものだから。
自分を卑下することにも疲れた。
開き直るような度胸もないくせに、自分はなにを言っているのだろう。
馬鹿だ。
夜、七時になると、約束どおり菓子と飲み物を持って、須磨の部屋を訪れた。
そこにはこたつがあって、みかんもある。
なんだか懐かしい思いになっていると、早くすわれよとせかされた。
「おじゃまします」
「おう。お、菓子も持ってきたな。どれどれ」
コンビニで買ってきた菓子を渡すと、須磨は大喜びでビニール袋の中を覗き込む。
一つ一つこたつの上に乗せると、須磨のぶんもあわせて山盛りになってしまった。
これを今食べるとなると、大変だ。
「これだけあれば、餓死することもないな!」
満足そうにうなずく。
もしかしなくとも、寮母さんがいない間に、菓子だけですごすのだろうか。
三が日、毎日、毎食。
「あ、あの、初音。もしかして、この三日間、ずっとお菓子ばっかり食べるの?」
「ん?それでもいいけど」
「それはやめたほうがいいんじゃないかな……。寮母さんはいなくても、調理はできるみたいだし……」
「お?おまえ、料理できんの?」
「そんな立派なものはできないけど、多少は」
寮生活を送るにあたって、お手伝いの人にすこしだけ教えてもらった。
流石に栄養面を考えながら作るという心がけができるようなことはできないが。
ありきたりなものだ。
おせちなんて、作れない。
「たのもー!」
ノックもなしに、がらり、と戸を開けたのは、若菜だった。
手には、やはり菓子が入ったビニール袋が握られている。
「何だよ、たのもーって。ここは武道場じゃねぇっての」
「いいじゃん。どうせ、似たようなもんでしょ」
「似てねぇよ。なんだよ、似たようなもんって」
若菜は男ばかりのこたつに臆せず堂々と入った。
服装はとてもシンプルで、このまま眠っても平気かもしれない。
洗うのが面倒くさいということで紙コップに清涼飲料水を注ぐと、テレビをつけた。
「あ、もう始まってる。やっぱ、大晦日は紅白だよな!二人とも、他になんか見たいもんあるか?」
「私は何でもいいよ。テレビなんてあんまり見ないし」
「おれも」
「マジで?テレビっ子じゃないの!?」
「テレビなんて、ニュースくらいしか見ないわよ」
なんてことだ、と頭を抱えている。
自分も、特別好きなテレビというものもないし、ニュースくらいだろうか。見るとしたら。
新聞は取っていないから、必然的にニュースだけは見るようになる。
「じゃあ、何してんの。普段、暇なとき」
「コンビニで雑誌買ってきて読むか、電車で出かけて買い物したり、DVD見るくらいよ」
「観世水は!?」
「本読んでる」
「まじで!ちょっと、不健康すぎねぇ?」
不健康なのか分からないが、自分は大体そうやって過ごしているのだから、しようがない。
テレビっ子の須磨にとっては、不健康らしい。
「AVも見ねぇの!?」
「えーぶい?」
「アホか!」
「いでっ」
若菜が丸めた雑誌で須磨の頭を思いっきり叩いた。
彼女はまるで虫でも見るかのような目で、須磨をじろりと見る。
「あーあ、これだから男子は。さいあく。さいてー。アホ、バカ、アンポンタン」
「そこまで言う!?」
「デリカシーなさすぎ。女子がいるのに、何言ってんの。馬鹿じゃないの。……てか、馬鹿じゃないの」
「二回も言うなー!」
思い切り玩具にされている須磨の表情は、それでも楽しそうだ。
そっと息を吐いて、紙コップに注いだお茶を飲み込む。
テレビからは、華やかな衣装に身を包んだ歌手たちが、気持ちよさそうに歌っている。
カラオケには行ったことはないが、歌うことは好きだ。
誰も聞いていない場所で、うたう。
中学生のころ、ときおり音楽室でピアノを弾きながら歌うこともあった。
誰にも邪魔されないで、そっと、静かに歌う。
そういう時間は、まるで自分ではなくなるような思いになって、すこしだけ嬉しかった。
「観世水ィ、夕霧が虐める!慰めて!」
「うわっ」
いきなり抱きつかれて、びくりと身体が硬直する。
すこしだけ明るい髪の色が、目の前にあった。
慰めて、といわれたから、とんとんと頭を軽く叩いてみる。
「ちょっと、離れなさいよ!観世水くん困ってるでしょ!」
「あだだだっ!髪引っ張んな!禿げたらどうする!」
髪を引っ張る、ぎぎぎっ、という音がしたような気がした。
それでも、痛そうだ。
ようやく体を離されると、須磨と目が合った。
「ん?」
「?」
「おまえ、頬、どうしたんだ?赤いぞ」
「あ、ああ、これは……ちょっと、転んで」
我ながら、苦しい言い訳だ。
だから、見えるところを殴られるのは嫌だ。
じっと見つめている視線から耐えられずに逃げる。
「……おまえ、器用に転んだんだなぁ」
どこか感心したように呟く須磨に、心のなかで謝った。
殴られたとでも言えば、きっと自分の事のように怒ってくれるだろう。
それが申し訳ない。
「ほら、まだ地面凍ってるところあるし。気をつけなよ、観世水くん」