ザ・ハイプリエステス・1
女教皇 THE HIGH PRIESTESS/初めて学ぶことを教えられる。
できるだけ目立たないように、フードをかぶってコンビニを後にした。
大晦日、菓子とペットボトルの飲み物を買って、明るいうちに寮に再び向かう。
夜は変質者が出ると注意されたばかりだから、好き好んで夜に寮を出ることもないだろう。
「……」
それでも、いる時はいるものだ。
チンピラというか、そんなようなものが。
とても明るい髪色の男三人が、真を電柱に押し付けてにやにやと笑っている。
中には、時代遅れに口笛なんか吹いている男もいた。
「ひえー、すげぇ、真っ白じゃん。どこで染めてんの?」
「駄目だぜ、お子様が髪の毛染めちゃあ」
たぶん、中学生か何かと勘違いしているのだろう。
確かに背は小さいが。
東京にいたころなんか、こんなことはしょっちゅうだったから、今更びくびく怯えるようなことはしない。
「……自前ですけど」
目を合わせて、ぼそりと呟く。
三人の男は互いに目を合わせて、嘲笑するように真を見下ろした。
「嘘はいけねぇよ、坊ちゃん。中学生の癖に、髪染めちゃあいけねぇんだよ、って言ってんだ、よ!」
カツアゲなのだろう、鞄を毟り取ろうと腕を突き出すが、真はそれをあっさりと避ける。
宙を掴んだ男が、呆然と真がいた場所を見つめた。
すでにそこにはおらず、寮のほうへと走っている。
後ろから怒号が聞こえてきた。
たぶん、避けてしまった事で火に油を注いでしまったのだろう。
真は足が速いから、まず追いつかれることはないと思うが、居住地を教えるようなことになると、寮生に迷惑がかかる。
寮とは反対の方へ走り、曲がり角がたくさんある住宅地に走りこんだ。
右や左、四つ角などどこにでもある。
相手は三人だ。集団ではないから、まだ逃げることが出来た。
一キロほど走っただろうか。ようやく真の足が止まる。
どうやら走り回っているうちに寮の近くまできてしまったらしい。
寮の屋根も見えるが、向きが反対側だ。たぶん、大回りをしてしまったのだろう。
「……はぁ」
大きく深呼吸をして、後ろを振り返る。そして、息が止まった。
追いつかれていた。
三人ではなく、一人だが。
息を乱して、真を睨んでいる。
「て、めえ……ざけ、やがって……」
途切れ途切れの声でも、その男が怒っている事はよくわかる。
どこをどう見ても真のせいではないのだが。
これじゃあ、殴られるどころか財布を取られそうだ。
再び逃げると、後ろにいた男が最後の力を搾り出したのか、真の肩を掴むまで追いつかれていた。
力の差は歴然だった。
男は真の頬を思いっきり殴ったのだ。
鈍い音がしたが、真は地に足をつけたまま、鞄とビニール袋を離さない。
誰がこんな奴に財布を渡すものか。
睨みあげると男は僅かに怯んだのか、顔が強張った。
もう一発くらい受けてもいいが、見える場所はやめて欲しい。
言い訳が面倒だ。
自分も男なのだ、別に傷や痣の一つや二つ、構わないのだから。
「舐めやがってよぉ!!」
空気を切る音が聞こえて、目を瞑り、歯を食いしばるが、それはなかった。
「何をしている」
冷たい、凍えるような声。
目を開くと、男の腕を掴んだ先生が冷めた目で見ていた。
「てめぇには関係ねぇだろうがよ!離せ!!」
「……君が暴力を働いたところは見ていた。これは、立派な傷害罪だ。……今から、警察に行くか?」
「――ちっ、離せよ!」
「……」
先生は腕を離すと、走り去った男の後姿を何の感情もこもっていない目で見据えていた。
光の加減で暗い紫色の色にも見える目が、こちらを向く。
180センチくらいはあるだろう、彼の視線は、じっと160センチ程しかない真を見下ろしていた。
真は微動だにせず、その視線に耐える。
たぶん、年の瀬に面倒ごとに巻き込まれたことに苛苛しているのかもしれない。
「……観世水」
「すみません。寮に戻ります。ありがとうございました」
その視線に耐えられなかった。
ぐっ、とくちびるを噛んで、頭を下げてから走ろうと寮へ足を踏み出そうとするが、それを制される。
彼の手が、真の腕を掴んでいたのだ。
「君、頬が腫れている。そのままで帰るつもりか」
「夜までには腫れも引きます。大丈夫です」
「……」
それでも彼は聞かず、寮の裏にある小ぶりなマンションに足を向けて歩き始める。
腕は掴まれたままだ。すこしだけ、痛む。
立ち止まろうとするも、彼の力は予想以上に強い。
まるで引き摺られるようにマンションの玄関を跨いで、沈黙のまま三階へ連れられた。
「あ、あの、ここ、は?」
「……初音から聞いていなかったか。ここは職員寮だ」
「え、あ、そうなんですか?だったら、おれなんかが入って良い場所じゃ……」
先生は真の言葉を無視するように背を向け、リビングらしいフローリングの部屋の棚から、救急箱を出し始める。
よほど強い力で殴られたのか、血が出ているらしい。
痛みには慣れているから別にいいのだけど。
消毒液を脱脂綿に湿らせて頬をふき取った後、彼は台所に行って、氷嚢に氷を入れて持ってきてくれた。
「これで冷やすといい。冷たいだろうが、これで腫れも幾分か良くなるだろう」
「あ、……ありがとう、ございます」
氷嚢を頬に押し付けるとすこしだけ、きん、とした冷たさが脳に直接響いて眉を顰める。
真が殴られることに慣れたのは、中学校に上がってからだ。
小学校では陰口が多かっただけだが、中学校では真の姿を気に入らない生徒が多く、殴られることも多くなった。
それを見てみぬふりをしていた教師の顔と名前が思いだせない。
ひどく霞みかかっていて、分からないのだ。
こうして手当てしてくれるような教師は今までいなかった。
勿論、保健室に行けば手当てはしてくれていたが。
黒い、眉と目の間までの前髪が、わずかに揺れる。
一体、どれ程ぼんやりとしていたのだろう。
いつの間にか、部屋は暖かくなっていて、氷嚢のなかの氷もわずかに溶けていた。
先生はそっと頬の具合を見て、一人頷く。
「腫れは引いたみたいだな」
「……迷惑、かけてすみません。……殴られるのは慣れていますから、先生の手を煩わせることはできるだけしたくありません。だから、もし今日みたいなところを見ても、無視していただいて結構です」
ぴくり、と先生の眉が僅かに上がった。
鋭い目が僅かに見開かれたのだ。
「色々と面倒でしょうが、できれば、今日のことも表沙汰にしないでください。父も、きっと困るでしょうから」
「……」
「わがまま言ってすみません。ありがとうございました」
そう言い捨てて、逃げるようにこの部屋から出た。