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アレテーの弁解  作者: イヲ
第一章【THE MAGICIAN】
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ザ・マジシャン・4

食べている最中に、俺も入れろと須磨が入ってきた。

明日の準備に追われている寮生が多いからか、まだ7時前の時間帯にはこの場所に三人だけだ。


「はあ、年の瀬か……。一年、早いよなぁ」

「なにそれ、親父くさーい」

「おい、花の高校生に向かって親父とはなんだ親父とは」


白菜の漬物を飲み込んで、若菜はにやりと笑う。


「だって、どうせ休みの日にはテレビの前で横になって、お尻掻きながらテレビ見てんでしょ?」

「んなことしてねぇし!」

「それに比べて観世水くんは、正座して見てそうな感じ」

「い、いや……正座しては見ない、なぁ」


流石に、テレビの前に正座はしていない。

尤も、テレビなんてあまり見ないが。そうは言えずに、最後に熱い緑茶を飲み込む。

正月は何をしようかと言い争っている二人の話に相槌をうちながら、そういえば、と思いだす。


(そういえば、先生はどうするんだろう。)


何故ここで彼の事を思い出すのか理解できずに、自分の名前を呼ばれて今更我にかえった。


「聞いてた?お正月、隣の隣の町まで行こうって言っていたの。ほら、ここは寂れているけど、電車で8駅くらい行けば、初売りしている店とかあるし。観世水くんも行かない?」

「おい、ちゃんと考えろよ。行くなら、こいつの荷物持ち決定だからな!」

「そんな事しないわよ。ご心配なく。荷物なら、初音にやらせるから」

「おいいい!なんて事を言うんだよ!不公平だ、不公平ー!」


文句を言っている須磨に臆することなく、若菜は悪気のわの字さえないような微笑みを浮かべている。

本気なのだ。


「観世水くんはいいのよ。だって、観世水くんだから」

「何じゃあそれはぁ!!」


まるでちゃぶ台をひっくり返すような仕草をしている。

確かに不公平だが、真には文句を言えるような度胸はない。


「どうする?行くでしょ?ね?」

「おれは……、おれが行くと、目立っちゃうし……」

「んなの気にしねぇっての。俺らはな。けど、観世水がやだって言うなら、無理強いはしないけどな」

「……ありがとう、初音。じゃあ、一緒に行ってもいい?」







夢を見た。


海辺に立っている自分。

はだしの足を半分、波に浸からせている。

ぼうっとしていて、真暗な景色の中、月だけを見上げていた。

いつから、どこからここにいるのか分からない。

望月は、ひどく明るい。

波間を照らし出し、黒い波がわずかに透けている。


ここは、どこなのだろう。


そう問うたとて、答えはない。自分でも分からないのだから。


ただ、月が綺麗だった。

胸が苦しくなるくらいに。






秒針の音が聞こえる。

手の中の古びた懐中時計は、それでも正確に時を刻んでいた。

教員寮でもあるこのマンションは、静まり返っている。

もともと教員数が少なく、万年人手不足の学校だからというよりも、ここに住んでいる教員が数名しかいないからだろう。

大体、車で通っているか、地元の教員だからかの二択だ。

籬が住んでいる三階には、誰一人いない。


書類が散らばっている机のうえを見下ろして、ひとつ、息を吐き出す。

一枚一枚確認をして、ファイルに差し入れた。


「……」


籬は、特別教員と言うことに何の思いも抱いていない。

子供が好きだということでもないし、教える立場にあるということが好きだということでもない。

ただ、古典の教員の席が空いていただけ。それだけだ。

籬は去年入ったばかりの新人だが、他の教員には評判はいい。

付き合いは悪いが、何も口答えはしないのだ。

学年主任に新人だからと押し付けられた仕事も、文句を言わずに受け入れる。

アルビノの生徒の受け入れ先も、まっさきに籬のクラスに話が行った。


どうでもよかった。


この学校に、思いいれも何もない。

違う学校へ行けといわれれば、何も言わずに移るだろう。

初めて受け持った、Bクラスの生徒たちも、特別可愛いとは思わないし、これから先も思えないだろう。


それでいい。

人間は、忘れる生き物なのだから。

忘れることが、一番傷つかない。


古典などの教科書に載るような人物は、哀れだ。

人の記憶に残り、とどまって、自分の知らない場所で勝手に生命をつむがれてゆく。

誤りがあったとしても、誰もそれを正せない。

知らないのだから。

その「人」自身を。

だからこそ、争いが起こる。


宗教戦争もそうだ。

分からないから、知らないから排除したがる。

戦争など望まないのに、それでもしなければならなくなる。

哀れだ。

そして、愚かだ。


他人も、籬自身も。


忘れられれば、いい。

籬自身のことを。

誰もが、籬のことを忘れられれば。

そうすれば、きっと誰も傷つかない。

他人も、自身も、誰も傷つかない。


それでいい。




すべての書類を仕舞いこむと、カーテンが開けっ放しだったことに気付く。


「……」


月が、出ていた。

望月だ。完璧な丸を描くそれは、心をわずかにざわめかせる。


月は、人の心を移ろわせてゆく。

だからこそ、籬は月が苦手だった。

一定のものだったら、どんなに楽だろう。

機嫌が悪いことも、良い事もない。

そうすればきっと、人付き合いなどもっと楽になる筈だ。


籬は月を見ないように遮光カーテンを引いた。

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