ザ・マジシャン・3
外はとても寒い。
寒いというよりも、冷たいと言った方がいいだろうか。
このあたりは街灯も少なく、滲むような黒が横たわっている。
「……」
真は、暗がりが好きではない。目立つからだ。
白い髪がどうしても、わずかな月の光に反射してしまう。
とりあえず、寮から離れるように歩く。流石に寮の辺りは街灯があるが、200メートルも歩けば暗がりだ。
むこうから自転車が走ってくる。
歩道に避けると、自転車に乗った中年の女性が、ぎょっと目を剥いた姿を確かに見た。
別にいい。構わない。
普通の人とは違う容姿をしている、ということで見られることは生まれたときから、ずっと理解していた。
それでもときおり、ひどく惨めな思いになるのだ。
どうして、自分は人と違ったのだろう。
それも個性だ、と慰められたこともあるが、真は個性と言う単語が嫌いだった。
個性があるから、変な目で見られる。
個性があるから、こんな姿なのだ、と。
おなじだったら、よかったのに。
「……そこに誰かいるのか」
風がふいて、粉雪が舞ってきたころ、かすかな声が聞こえた。
この辺りには住宅地がない。
一キロメートル先にあるだけだ。先刻の女性は、たぶんそこに向かったのだろう。
ぎくりと止めていた足を動かして、電柱のうしろに隠れる。
どこかで聞いた声だ。
「……」
息を必死に殺して、その人が通り過ぎるのを待つ。
靴音が聞こえてきた。近づいてくる。
どうして、こんなに怯えなければならないのだろう。
惨めだ。
とても。
靴音がすぐ近くで止まる。
「……観世水か」
「……」
いるのかいないのかさえ分からない影。
それでも、むこうは分かってしまう。この髪色の所為で。
「こんな時間に、何をしている」
「すみません、……すぐ帰ります」
もう隠れている必要はない。足を一歩踏み出して、寮に戻ろうと籬に背をむける。
粉雪が舞って、月光にちらつく。
「待て」
それでもすぐに制され、思わず足が止まった。
叱られるのだろう。真はそう理解して、籬へと振り向く。その目はまっすぐに真を見つめていた。
先刻の女性の、ぎょっとしたような目もなければ、興味やいぶかしみさえない。
何もなかった。
あまりに空で、あまりにも虚ろだった。
「一人では危ない。送っていこう」
「……大丈夫です。一人でも」
ふつうは、ありがとうございますとでも言うのだろうか。分からない。
突発的に断ってしまった。籬の鋭い目が余計鋭くなる。
「この辺りは街灯が少ない。最近、変質者が出ると学校にも通達が出ている」
「おれは、男ですよ?」
「……」
籬は今気付いた、とでもいうような表情を一瞬したが、なおも食い下がるように続けた。
「男子高生を狙う輩も出ているとも聞いている」
「そう、ですか。分かりました。おねがいします」
ここでも断ってしまったら、たぶん面目丸つぶれだろう。
真は頭を下げて、籬の後を追う。真っ暗だからか、数メートル先に行ってしまったら、きっとまったく見分けがつかなくなってしまうかもしれない。
必死に追って、ようやく電灯のある場所に行き着く。
「あ、あの、先生」
「どうした」
「この辺りに、コンビニとかありませんか?」
明後日の為に何か菓子類を買わなければならない。
今まで歩いてきたなかでは、コンビニはおろか店さえも見受けられなかったのだが。
くるりとこちらを振り向いて、真をじっと見下ろした。
電灯のある辺り、僅かに紫色が混じっているような、黒い目。
なにか考えあぐねたような表情をしたあと、彼は学校のあるほうを指差す。
「寮と反対の道だが。校門を右に曲がってまっすぐ行くと、コンビニがある」
「そうですか。よかった」
ほっとすると、籬は再び背を向けて歩き出した。
「君は、大晦日は帰らない、と言っていたな」
「ハイ」
寮を空ける場合は、届け出をする必要がある。
真や初音たちの場合は、届け出などする必要などないわけだが。
「……あまり、羽目を外し過ぎないように」
「わ、分かりました」
あまりにも固い口調で言うものだから、機械的に頷いてしまった。
それから、靴音をさせながら歩いて3分ほどで寮の前につく。
「それから、夜は無闇に外出するな。門限はきちんと守れ。いいな」
「ハイ。あ、えと、ありがとうございました」
「……君が気にすることはない」
再び頭を下げると籬はくるりと踵を返して、寮を通り過ぎていった。
「寒い……」
籬と別れて、一、二分彼を見送っていたが、先刻より風が冷たくなってきている。
慌てて寮の中に入ると、若菜がリビングに向かう途中だったのか、ばったりと行きあった。
「あ、観世水くん。外行ってたの?」
「うん。ちょっと、散歩に……」
苦しい言い訳だが、あながち間違ってはいない。
「へえ。こんな寒いのに。あ、そうだ。大晦日、お菓子とか、飲み物とか忘れないでよ?」
「う、うん。先生にも羽目外すなって言われた」
そこまで言って、しまった、と口を覆った。
別段、隠すわけでもないが、何となく「しまった」と思ってしまったのだ。
そのせいか否か、若菜は目を見開く。
「え、先生って籬先生?へえ、結構理解あるんだね」
彼女の口ぶりから、籬は生真面目で、潔癖で、そして厳しい教師らしいということが分かった。
感心したように頷く彼女は、ちいさく笑いながら続ける。
「籬先生って、ほら、古典の先生じゃない。だから頭固いって有名なんだけど、意外」
「そうなの?コンビニの場所も教えてくれたし、変質者が出るからって送ってくれたりしてくれたけど……」
「まあ、変質者が出るとは聞いていたけど、ふーん、先生がねぇ……。うん、見直した」
満足そうに頷く彼女は、今から夕飯らしい。一緒に食べる?と誘われてしまった。
どうせ今からする事といったら、夕飯を取るだけだから、一緒に食べることにする。
寮生の夕飯の時間は一時間で、6時半から7時半までと決まっているのだから、食いっぱぐれないようにしなければならない。
「おばちゃーん!今日の夕食は何?」
まるでダイニングキッチンのようなそこは、かなり洒落ている。
木目調のダイニングキッチンは、カウンター席もあって、好きなように座れるようだ。
カウンターの向こうにいた寮母は、50代くらいの体格のいい女性だった。
目元にしわを寄せて、とても優しそうだ。
「若菜ちゃん、今日も元気ねー。今日は、黒豆煮たのと、豚汁と、白菜の漬物よ」
「やった!豚汁!ほら、観世水くん、ここ座ろ」
「うん」
カウンター席に座ると、程なくしてお盆に乗せられた料理が机の上に置かれる。
とてもいいにおいがして、今更お腹がすいているのだと知った。
そういえば、昼に何も食べていない。
「ご飯は、お代わりしてもいいからね。あんた、細っこいから一杯食べな」
もう一人の寮母に笑われて、ちいさく頭を下げる。
ここの寮母はみんな、真を異質視しない。そうするように言われているのかもしれないが、真にとってはありがたかった。