ザ・マジシャン・2
「観世水。一緒に帰ろうぜ」
後から聞いたが、今日で学校が休みに入るらしい。
否、たぶん先に聞いたのだろうが、覚えていないというのが真実だろう。
明日からは正月休みに入る。
それでも既に雪が降っていて、もう過ぎたのではないかと錯覚さえした。
鞄に教科書類を押し込んで、須磨が笑う。
「うん。いいけど、おれ、寮だよ」
「案ずるな。俺も寮だ」
なぜか胸を張る須磨は、たぶん何か事情があるのだろう。地元民に見えるが、もしかすると違うのかもしれない。
疑問が生じるが、真は特別なにも聞かず、須磨の隣を歩く。
たどたどしく話をしながら寮に向かって歩くも、他の生徒たちの視線が真に突き刺さる。
しかし、須磨は気にすることなく気さくに真へ話しかけた。
(いいひと、なのかもしれない。)
「にしてもよー、マジ、何なの。こっち見てんじゃねぇよって、この事だな」
「……慣れてるから」
軽く笑うも、須磨は眉を顰めて、まわりの生徒達に睨みかける。
睨まれた生徒たちは、まるで巣を散らすように去ってゆく。
空は明るい。
明るいが、真の心は暗かった。
重たい。
空気が、視線が重たい。
ひそひそと話す声が嫌でも聞こえてくる。
染めてんじゃないの、とか、目立ってるよね、とか。
病気でしょ、とか。
今まで言われてきた典型的な単語の数々。
「ごめんね、初音。おれ、用事思い出したから、先に帰るよ」
「は?嘘つくなよ。堂々としてりゃいいの。おまえが悪いんじゃないんだから」
「……おれは」
「って、悪いな。知ったようなこと言って」
茶色い髪をがしがしと掻いて、にやりと笑う。
にやりと笑うのは、癖なのだろうか。そういう笑い方が初音は多い。
「ううん、ありがとう」
「いや、いや。礼なんか言うなって」
ここから寮は、徒歩で10分ほどの場所にある。
新築されたばかりで、中はとても広いつくりになっているが、なにぶん生徒数が少ない。
真と須磨を入れて、約10人しかいないらしい。
それでも寮母は3人いて、食事や掃除をしてくれると言う。
田舎だからか、この辺りは住宅がない。
ぽつん、と新築の寮が建っている、すこしだけ物悲しい雰囲気だった。
「笑えるよな。10人しかいないのに、こんなでっかいの。しかも三階建て。二階が男で、三階が女」
「……分かれてないの?」
「分かれてないの。私立なのに、そこんとか、ちゃんとしてねぇんだよな。でも、寮母さんいるし、変な事は出来ないな。したら、一発で退学だから気をつけろよ」
「う、うん」
寮の門を潜ると、真っ直ぐに伸びた廊下が目に入る。その先はリビングになっていて、テレビとソファー、そして風呂場とランドリールームがあるらしい。
須磨に案内してもらいながら、自室がある二階に上がると、アンティークもののような、両側に扉がずらりと並んでいた。
数えて、20はあるだろうか。
右から四番目が真の部屋として宛がわれている。
須磨の部屋は、右側から三番目、真の隣だ。
たぶん、須磨も最近入寮したのだろう。
ということは、男は四人しかいないという事か。
「じゃ、また夕飯のときにな。っと、そうだ。観世水、携帯持ってる?」
「うん」
「アドレス、交換しとこうぜ。色々、分かんないことあったら連絡しろよ」
「……ありがとう」
恵まれているのかもしれない。
須磨と別れ、一人ダンボールが二個詰まれた部屋のベッドの上で、そう思考する。
親友や、友達と言った存在は今までなかった。
否、最初は良くしてくれる。
それでも、まるで飽きた玩具を箱に放り投げるように、みな離れていった。
たぶん、須磨もそうだろう。
町に出れば、皆真をいぶかしむ。それに疲れるのだ。今までの同級生たちは。
「……」
ベッドの毛布に顔を埋めて、目を閉じる。
体が重い。たぶん、疲れたのだろう。それでもダンボールの中身をどうにかしなくてはいけない。
重たい体を引き摺って、ダンボールの中を開く。
数点の衣服と、生活に必要な最低限のものをクローゼットと、机の引き出しに仕舞う。
ふいに、扉をノックする音が聞こえた。
須磨だろうか。
扉を開けると、思いも寄らない人が書類を持って立っていた。
「!籬、先生。どうしたんですか?」
「……君に手渡すのを忘れていた。これを」
差し出されたのは、学生証。
そういえば、まだ作ってもらっていなかった。普通は、転入する前に手渡されるのだろうが、真自身も忘れていた。
「わざわざありがとうございます」
「では、これで失礼する」
そのまま踵を返し、靴音さえさせずに遠ざかってゆく。
籬と言う名前は、苗字なのか名前なのか分からない。
それでも皆、籬を籬と言う。
学生証を持ったまま、その細い背中を見送る。
その学生証の写真だけが真自身をじっと見上げていた。
携帯が鳴る。
20分も、ぼうっとしていた。携帯の画面を見ると、初音須磨の文字が映し出されている。
「もしもし」
「おう、観世水。今、ちっといいか?」
「うん」
「明後日、大晦日じゃん?おまえ、年越しどうすんの?」
「ここでするよ。家には帰らないから」
「……そっか。俺も家に帰らないから、一緒に年越ししようぜ」
深入りしてこないことに感謝して、うなずく。
どうせ家に帰っても、誰もいない。
誰もいない家に帰っても、真自身がいないことと同じだ。
「そうそう。それと、夕霧も一緒。どうせ寮母さんたちも正月は家にいるんだしさ。女子と過ごすのはバレなきゃいいらしい。先輩の話によると」
「へ、へえ……。そうなんだ」
「ってわけで、大晦日の夜、俺の部屋に集合な。あ、菓子とか持って来いよ。大晦日だから他の生徒はいないし、騒ごうぜ」
「……うん。ありがとう、初音」
礼なんかいうなよ、と笑っているが、気遣ってもらっている事は知っている。
引っ張ってもらっているんだと分かった。
ずっと、そうだったのだから。
「7時には来いよ。じゃあな」
ぷつりと電話が切れて、ベッドの上でぼんやりと天井を見上げる。
今までの正月は、親戚一同が揃って、まるで葬式のような雰囲気だった。
だから、たぶん初音の騒ぐ、という期待にはそえられないだろう。
分かっている。自分がつまらない人間だということは。
自らを嘲っているということは分かる。
それでも、どうしたらいいか分からない。
「……外の空気吸いに行こう」
フードつきのコートを着込んで、再び暗くなってしまった外に出た。