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Blood Queen  作者: 新矢 晋
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07.薔薇が一輪

 風が、通り過ぎた。

 長い黒髪を結い上げ、右手に花束を持つ女――環希が、邸の裏手にある一族の墓地、そこにあるひとつの墓標の前に立っていた。

 磨き上げられた御影石の表面には何人もの名前が刻まれており、その一番下、最も新しい名前が刻まれた場所を指先でなぞりながら、環希はほとりと吐息を零した。


「ママ、ここ何?

 なんだかざわざわする……」


 その足元にしがみ付いて神妙な面持ちで黙り込んでいた幼子、従僕ルネが、堪え切れずに訊ねたのに、


「……私の母親達が眠っている場所だ」


 そう、早口に答える環希。それから右手の花束を墓前に供えようとして、その動きが一瞬止まる。

 墓前には、既に一輪の花が手向けられていた。深い紅色の絹のような花弁に、黒と見紛う暗紅の飛沫模様。そう、まるで、血の雫が滴り落ちたような……一輪の、薔薇。


「今年も、か……」


 環希はそう呟き、その薔薇を手に取った。――未だ瑞々しい。

 この場所にこの薔薇が手向けられているのは毎年の事。それも、環希の母親である先代当主の命日にである。

 この薔薇を誰が手向けているのか、環希は知らない。だが、心当たりはあった。

 母親が死んだ後、当主の座についた環希は、家の者に命じて母親の痕跡をことごとく排除した。――その頃の彼女は未だ幼かった。母親の思い出に耐えられなかったのだ。

 母親に関わる写真や肖像画は一部を残して全て処分し、執務室の家具は全て取り替えさせた。そして、母親が手をかけていた薔薇園を焼き払おうとした時。強硬に反対し、一株の薔薇を残す事を条件に引き下がった人物が居た。

 その時残された薔薇がこの手向けられていた薔薇――Bloody Prinsessである。

 そして、その時、強硬に反対した人物が……当時環希の母親に作成されたばかりの従僕、年若き吸血鬼だった。

 彼と母親の間に何があったのか、環希は知らない。だが、母親が死んでから彼はどこか変わった。軽い調子は相変わらずだったが、何か事が起こると絶対に環希を守ろうとした。

 ――環希は考え込む。

 従僕なのだから当然ではあるのだが、そこには『従僕である』という事以外の何かが加味されているように思えてならなかったのだ。


「……ママ?」


 くい、と服の裾が引かれ、環希は我に返った。ふるりと頭を振ると、不安げに己を見上げるルネの頭を軽く撫で、墓標をじっと見つめてから踵を返す。

 ざ、と。再び、風が通った。


「マスター!」


 慌ただしい足音と共に、一人の従僕が駆け寄ってくる。未だ年若き吸血鬼、ダークだ。


「……どうした」


 環希が怪訝そうに眉をひそめると、ダークは息を整えながら口を開き、


「『使徒』からの宣戦布告です……!」


 ……紡がれた言葉に、環希は瞳を細めた。




 ――同刻、別の場所にて。


「……あれ、ミカりんは?」


 桜色の髪を揺らしながら、少女は首を傾げた。絹のリボンもふわりと揺れる。ゴシック調の、フリルが飾り付けられたスカートの裾を摘みながら不満げに頬を膨らませて、


「せっかくオシャレしたのに」


 と。

 そんな少女を細めた目で見つめながら、白衣の男が苦笑する。


「あの男なら、いやに張り切った様子でね。早々に出立したよ。

 ……今日の君がどんなに素敵でも、それを気に掛けるほど、あの男は気が利いていないと思うけれど」


 年の頃、三十を少し越えた程度だろうか。艶の無い黒髪を無造作に肩まで伸ばし、くたびれた白衣を着た猫背のその男は、含み笑いをしながら少女へと歩み寄る。


「私にしておきたまえよ、ガブリエル君。

 ゲイを好いたところで、生産的な展開は期待できないだろう?」


 そのまま少女――ガブリエルを抱き締めようとする男の腕から、彼女はするりと抜け出す。


「ごめんね、メタトロンのおじさま。

 ……私、それでもミカりんが好きなの」


 フられたか、と男は肩を竦めるが、特に腹を立てた様子はなく、むしろこの展開には慣れた雰囲気。それを承知のガブリエルも、笑みを浮かべたまま。

 ……ふと、男は壁の時計を見上げた。


「……ああ、そろそろ行かないとラファエルあたりが煩いんじゃないか?」


 それに続いてガブリエルも時計を見上げ、きょとりと瞬く。


「ん、そだね。……メタトロンのおじさまは?」


「私は留守番だよ。知っての通り、私が行ったところで足手纏いにしかならないからね」


「そっか。じゃ、行ってくるね」


 ふわりとスカートを翻してガブリエルが部屋を後にし、一人部屋に残された男は、白衣のポケットから携帯電話を取出しどこかへと連絡を取り始めた。


「……ああ。主要メンバーはそちらへ向かったよ。……ククッ、今更だよ『告死天使』。私は……そう、君も知っているだろう?」


 デスクの上へと腰掛けて、足を組む。瞳を、いやらしく細めて。


「彼女さえ無事ならば構わない。……ああ、わかっているよ。命さえあれば、手足の一、二本飛ばしても構わない。私が再生するから……ああ。ああ。わかった。それじゃあ、また」


 短い電子音の後、通話が終わる。携帯電話を握り締めた手をだらりと下ろし、俯く男の肩は、震えていた。

 ……そして、部屋には低い笑い声が響く。くつくつと、ひどく、楽しげに。


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